幼なじみ(自称バイ)からの執着が止まらない件


「お兄ちゃん?」
 ハッと目が覚める。妹の色素の薄い髪の毛がふわふわ揺れているのが見えた。霞む目を擦って、ベッド横にある時計で時間を確認する。六時四十五分。いつもより十五分遅い。手の甲が濡れている。寝ながら泣いていたのか、と思いつつパジャマの袖で目元を拭った。
 起こしに来てくれたのだろう妹の頭を撫でて、ベッドから降りるように言う。夢見が悪かった。
 この状態で学校に行っても途中でおかしくなるだろう。体調だけで済めばいいがトラウマフラッシュバックで暴れでもしたら手に負えない。午前はとりあえず学校を休もうと思い、クローゼットからトレーニングウエアを出したところで、妹が入り口でじっとこちらを見ているのに気付く。
「おにい……」
「ん、どうした」
「具合悪いの?」
 母によく似たやわらかい色の目がうるうると揺れている。泣いていたから心配させたのだろうと思い、「大丈夫だよ」と笑いかける。怖い夢というものでもない。ただのトラウマだ。自分の中で消化できていないだけの現実だ。その当時、妹も幼いながら深い傷を心に負っている。あの後母から聞けば父は罵詈雑言を妹に向けていたらしいから、大抵の内容は想像がつくにしても、妹からすれば肉親に向けられた憎しみというトラウマは消えないだろう。
 下手に刺激するべきでもないと判断して、未だ不安そうにしている小さい背中を押してリビングに向かう。「お母さんに言う?」と脅しにも近い言葉を純粋に向けてくる妹に「大丈夫だよ。信用して」と笑いながら。
「母さん」
「照生、遅かったね。体調でも悪いの?」
 開口一番、皆に体調の心配をされるくらいひどい顔をしているのかと笑った。食器に手が届かないとごねる妹を手伝って、母が学校を休むかと尋ねたので、「部活は行きたいから午後からは行くよ」と答えた。
 スマホで文也に午後から行くと連絡する。数分後にスタンプがおくられてきたので既読はつけずに部屋にスマホを置いた。
 普段よりもゆったりとしたペースで食事をし、母に食器の片づけを申し出て慌ただしく準備を終えた二人を玄関から見送る。
 自室に戻って何をしようかと考えたが、変に勉強を始めるのもやる気がない。いっそ身体を動かそうと思い、バレーボールとスマホ、それから机に置いてあったノートを持って自転車に乗った。いつもより遅い時間なので人がいない。バレーボールの練習をするとなると、向かう選択肢は一つだけだ。
 未だ忘れられない、幸せだった父との思い出の場所。
 家から出て十五分自転車を漕げば着く。人気のない河川敷。
 この草の上で毎週土日は父と共にバレーボールの練習をしていた。レシーブとサーブはその時に鍛えたと言っても過言ではないだろう。自転車をすぐ上の道に停めて、ボールを持って河川敷に下る。
 中学になるまではあまり身長も高くなく、セッターからリベロに転向できるようにとレシーブだけは基礎中の基礎、しっかりしていた。ジャンプフローター、ジャンプサーブは学生時代リベロだった父を相手に何度も繰り返した。父からサービスエースを取れたときは、ネットも白線もないくせにすごくうれしかったのを覚えている。
 今は父が見込んだセッターでもリベロでもない。
 スパイカーのための一手。ボールを繋ぐための一歩。誰かの点を取らせるためのプレー。周りをよく見て支えることができるお前の気質なら最善だと嬉しそうに笑う父に、認められたようでうれしくて、いつまでもその二つに縋るようにバレーボールを続けていた。
 今はもう違う。
 サーブで狙われても綺麗なAパスを返してやる。地に膝を付けても、すぐに立ちあがって飛ぶ。点を取らせる選手から、この手で点を取るウイングスパイカーに。
 手が歪んでセットアップができなくなった時、バレーボールはもうやめようと思った。説得したのは文也だった。彼がいなければ、話をしなければ、おれは今でも人を殴ってばかりで自暴自棄になってバレーボールの楽しさを思いだすこともなく、飢餓にも近い果てしない苛立ちのなかで記憶の中の父に縋りついてみっともなく生きていたのだろう。
「……いち、にー、さーん」
 レシーブ。河川敷の橋の下の打ちっぱなしのコンクリートに何度もレシーブを当てる。段々と離れ、速度をあげたり角度を調節しながら。ネット際に落ちる際どいボール。超インナーで足元を狙われたときのボール。
 本当に試合でそうなったとき、たとえばそれが十回あったとして、おれがそれを拾える回数なんてたぶんゼロだ。でも一回でも可能性があるなら、無意味だと言われてもわけのわからないスパープレーを拾い上げる練習をしておきたい。
「にじゅうなな、にじゅはーち、じゅくー、さんじゅー」
 思い返せば、父の様子がおかしくなったのは、妹が生まれ幼稚園に入る頃だった。
 おれは男子だったし、バレーボールが好きだったこともあり父に懐いていたから、母はどちらかと言うと甲斐甲斐しい母というよりかは献身的な妻であった。母はおれたちがバレーボールにいちいち楽しそうにしているのを微笑ましく一歩引いて見守っているのが常だった。だが、女の子が生まれてからはそのパワーバランスが崩れたのだと思う。おれも小学校中学年になり、手がかかる時期をかろうじて抜けたところだった。
 母は念願の女の子に喜び、おれも妹がめちゃくちゃに可愛いのもあって我が家の中心は妹になっていった。父と母は情熱的な恋愛結婚で、当時は恥ずかしかったが同年代と比べてすごく仲がいい夫婦だったと記憶している。おれからしたら何の違和もない、ただ普通に、母が楽しそうに子育てをしている幸せな日々だった。父にとっては違ったのだろう。みっともない嫉妬と言えばそうだが愛する人のうんぬんかんぬんで、父はだんだんと浮気がちになった。
 中学校二年生の夏、両親が離婚すると聞かされ、最後に会うとなった時に一緒に遊園地に行った。父は隈を貼り付けてやつれていたが、記憶の中とあまり変わりはなく、優しく接してくれた。おれはいつまでもこの人は父だということを知っていた。妹はまだ理解できないかもしれないが、どれだけ憎んでも血の繋がりは絶えないし切れない。
 けれども、最後にメリーゴーランドに乗ったときのあの言葉。指輪を投げ捨てた夕焼け。帰ってから母に尋ねてみると、プロポーズがメリーゴーランドだったのだという。吐き気が止まらなかった。自分に流れているこの血液はどこまでもけがれた血なのだと思ってしまった。
 それから、三年。父には一度も会っていない。もう会う気もない。
「ろくじゅういち、ろくじゅー、に……」
 腕疲れたな、と何度か肩と腕のストレッチをしてから壁に背を預けて座り込む。
 すぐそこに放っていた文也との交換日記のノートをたぐりよせて、ぺらりとページをめくった。
 水色の字。圧倒的に文字数が多い。対して紫色の字は簡潔で、冷たくて、まったく興味がなさそうな字面だけだ。
「よくこれで楽しく最後まで埋めれたわ……」
 順々にめくっていく。おれが妹から心理テストの本を借りて――妹には、「え、今のDK(男子高校生)って心理テストするの?」とめっちゃ驚かれた、普通はしねえよ当たり前だと言ったら怪訝な顔をされた――文也に出したテスト曰く、彼は執着心100%らしい。めちゃくちゃ笑った。
 紫色の字が書いた解説文を、声に出して読む。
「無自覚に独占したいと思っていた人がいるタイプ。はじめは恋心に気付かないけれど、気付いてからは行動力の鬼! ガンガンアプローチしてあっという間に手に入れちゃうよ!」
 小学生が持っている本にこういう説明文ってどうなんだ一体、と思ったが、小学校四年生の女子を舐めないほうがいいと思い直して納得する。こういうのが英才教育ってことか。それにしても「手に入れる」とか人間相手に良くない気はする。
 水色の字が「たしかに~」とだけ反応する。これはマジで当たったときの反応だ。ということは、文也の今の好きな人は無意識に独占しようとしていた、というわけか。なんかおかしいな、と思いながらも「照生はどう?」と話題を振られるのを読む。
 日記のなかのおれも今のおれと同じように「嫉妬も執着もしない」と答えている。今となっては恋愛ができないだけで、初恋も二度目の恋も経験済みだ。好きな人が幸せであればそれだけで、と心の中で補足する。それは文字に書いていないので、水色の字は「淡白すぎじゃね?」と書かれたきりだ。
「文也なら、『甘ったれたこと言ってる』って言いそう」
 と一人でつぶやいて、フフ、と笑った。
 文也はああ見えてゲームメイクの上手い戦略家だし、緻密な計算の末に色んな選択肢を用意して必ず最後には獲物は手に入れる扇動家だ。
 愛も恋もろくでもない。そう思った三年前。
 今でも確かにそう思っている。
  フラッシュバックする度、愛なんてろくでもないと思う自分がはっきりと口にする。「愛も恋ももうこりごりだ」と。初恋の女の子はおれが彼女を好きだというだけでいじめられて転校してしまったし、二度目の恋の女の子は、良い感じにはなったが、文也が隣にいるとなると駄目だった。文也が隣にいると彼女の友だちも寄ってきて、言い寄られているのを見て、それに鬱陶しそうにしながらもおれのことを気遣って断り切らないのを見て、もう駄目だった。決定打は文也にも言い寄っていたことだろう。両手に華ってか。くだらない。
 その当時友だちに驚かれたのは、おれは彼女やその取り巻きのことを嫌いとは思っても文也のことを恨んだりはしなかったことだった。自分の好きな人が文也のことも好きだったことが、どうして文也のせいになるのだろうとおれが言ったら、全員引いていたのでおれの思考は普通とは違うのだと知った。普通に考えてみたら好きな人が二人いる時点で人間として終わりだろ。なんで文也がその子を取ったように言われるんだ。
 文也がモテるのは今に始まったことではない。し、彼が誰の目にも魅力的に思えることをおれは隣でずっと見てきたから。
 そういうことも相まって、恋愛なんかしてどうこうなるなら、一生しなくてもいい。今の時代、独身でい続けることは珍しい選択ではない。確かに居心地が悪いかもしれないけれど。今が多様性が謳われる時代でよかったとつくづく思う。
 けれども、文也を見ていると、少しは、愛も恋も良いものかもしれないと思える。
 文也は最近幸せそうだ。
 彼の好きな人は教えてもらっていないし、今良い感じなのかどうかも聞いていない。でも顔を見ていれば分かる。上手く行っているのだろう。多分。相手が誰かを聞く気もないので、成就してから聞かせてもらうつもりだ。
 一度はけがれたものだ、無価値なものだと言って捨てたバレーボールを、形を変えて、今手にしているように。
 恋愛だって、いつかは。
 おれは希望的観測のように、そう思っている。