早速始めようと言って、パッションピンクがお目見えしたその日から始まった交換日記は、一週間が経ってもなにかと楽しく続いている。
最初はたわいもない話をした。どうせ放課後は家に帰ったら二人で駄弁っているか勉強をしているだけだったから、やる意味があるのかどうか疑問だったけれど、文字に書いていくというのは言葉に出すよりももっと真摯で楽しかった。
窓のすぐそこのソファで膝を立てて交換日記を書き、時々話題を振ってくる文也の話に応えて、書き終えると精一杯腕を伸ばせば届く距離にある窓から渡した。文也も同じようにしておれに渡した。
すぐ眼の前で文字を書いている親友を見ていると、なんだか胸がむずむずした。自分のために書いていることが分かると、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのだ。
途中からおれの部活が忙しくなると、お互いが書きたいことを書いたらどこかのタイミングで渡すシステムに変わり、学校であのホログラムでぎらぎらしたパッションピンクの応酬をし始めた。はじめは「何そのノート」とツッコまれることもあったが、段々とそれがおれらふたりの交換ノートだということが知られていき、それを学校で眺めていると「熱烈だねぇ」と微笑まれたりした。クラスメイトに。それから先生からも。
特に熱烈なことを書いてもいないのにどうしてだろう、と思った。文也に尋ねてみたけれど、心底つまらなそうに「知らね。それより中見られないようにしなよ」と言われた。冷たい奴。
西野山高校は珍しく、二年生になってから美術の授業がある。他の公立高校は一年生のころに終わらせているらしい。別にそれで困ったことはないから特に何も思うことはないのだが、文理選択と同時に進学組と就職組でも分かれる二年に副教科のコマを入れるのはなかなかハードだなと思ってきた。
用意が遅い上に休憩時間にいつも菓子パンやら揚げ物やらを食べている文也は、一度目を離すと遅刻三昧になって止まらないので、背中を掴んで引き摺っていくのがおれの仕事だった。文也のロッカーを勝手に開けて、美術のセットを持つ。早くしろと椅子の足を蹴って急かした。
美術室に行くと、ぬるっと準備室から出てきた先生から「今日からはスケッチをするからね」と声をかけられる。
鉛筆のセットを持って、眠そうに机に顎を載せている戸田野田のところに置いておく。「あらあ、わたし、画用紙をどこに置いたんだっけねぇ」と笑いながらまったく片付いていない準備室を漁っている先生に、文也と一緒に手伝いを申し出た。先生の探し物で授業が潰れたら困る。クラス人数分の画用紙を無事発見して、「悪いねぇ」とふわふわ笑う先生に断って配付まで手伝っていると、チャイムが鳴った。
基本的に美術のコマは二つ連続なので、先生はいつものんびりと挨拶もせずに始める。クラスメイトも授業に少しばかり遅れてくることも多い。
「東藤くんたちありがとうねぇ」と両手を寒そうにすり合わせながら言われる。もう夏なんだけどな、と思いながら「いえ。無事見つかって良かったです」と首を振った。おれは東藤じゃなくて穂波なのだけれど、大抵の先生はおれたちを東藤くんたちと呼ぶ。それくらい文也が目立つ生徒なのだ。職員室でもなかなか話題に上がる生徒だと前に聞いたことがある。
あの時の国語科の先生は明らかに面白がる顔をしていたから、公開プロポーズとさえ言われている遊園地に行く行かない関連のことを言っているのだろうとは察したけれども。
隣にいた文也が大きい机に放置されたクロッキーのスケッチを指さして、「せんせぇ、これやんの?」と気軽に話しかけている。反射的に足の甲で脛を蹴った。
「敬語使えよ、先生相手だぞ」
「あ、ごめんなさいせんせぇ」
「あ、あらら、うふふ」
なぜか急に微笑ましそうに笑いだした先生に、二人そろって首を傾げていると、すぐそこの席に座っていたおれの隣の席の遠藤さんたちの女子グループが「え、先生もう気付いたんですか?」「すごいですね」「これが噂に聞く人生経験の違い……」と盛り上がっている。何の話なんだろう。おれが相変わらず首を傾げていると、文也が、気が抜けたようにフ、と笑って「本人は気付いてないみたいなんですけど」と照れたように耳朶を触った。
意味が分からない。おれには関係がない話だろうと踏んで、鉛筆セットをもって席に戻った。
授業が始まると、自画像か銅像のスケッチだろうと思っていたが、人の形を模しているものならなんでもいいからスケッチしてくださいと言われた。なんだそれ。人の形を模している、ということで戸田は美術室に置かれていた土偶のレプリカを持っていた。おれは結構アイツのああいうところが好きだ。野田は自画像を選択したらしい。
先生の話によればもちろん自分の顔でもいいらしいので、まあ鏡に映すかスマホで写真を撮ってそれを映そうかと思っていると、隣の席に座っていた文也に肩を叩かれた。
「なにぃ」
「ね、てんちゃん、俺らお互いの顔描かない?」
と、中学時代に美術部も兼部していた顔の天才が言うので、ぐぐ、と眉が寄った。銅像みたいなきれいな顔しやがって。理不尽だとは思いながらも、銅像を描くこと難易度があまり変わらないのがなかなか腹が立つ。
「おれの画力を舐めてんのか。その顔をそのまま綺麗に描ける気がしない」
「はあ? 美術部部長が何をおっしゃるんですかぁ」
そもそも、とシャーペンをくるくる指先で回している。美術なんて模写するだけのものじゃないし、と、片目をつぶって比率を計るようにシャーペンを立てている。
「……一番成績よかったのはお前だろうが」
「あーはいはい、ツレんこと言わずに描きましょうヨ」
決まりねぇと軽薄な口調でいいながらこちらに向き直る文也にひとつため息を落として、おれも文也のほうを向いた。
うちの中学には女子バレー部はあっても男子バレー部はなかった。小さい頃からやっていたローカルチームに所属はしていたが、技術の上達に特化して大会には出場はしないために外部での活動として認められず、仕方なく美術部に入ったのだ。
バスケ部に入っていた文也は、その頃からサボり癖というか安全地帯を欲する部分があったので、美術部を兼部して部活をサボりたいときに美術部で絵を描くような生活をしていた。たぶん一つのことにずっと熱中することができないタイプなのだろうと思う。今でもバスケ部と同様に写真部や合気道部、広報なんかに入っている。
「まずはアタリ……」とつぶやくと、すでに紙に鉛筆を走らせていた文也がふと顔を上げて、「なんかてんちゃんもうちょいこう、顔柔らかくして」と言った。
「顔を……柔らかく……?」
「顔を柔らかく」
「え、物理的に?」
「……ちょっと顔貸せ」
真顔で中学時代のおれの口癖が移ったみたいに言う文也に、プ、とつい口元を緩めると、「お、そういうのだよ」と嬉しそうに笑われた。つまり柔らかい表情をしろということですね、とぶつぶつ言うと、そうそうと頷く。
文也は「やっぱりてんちゃんと言えばバレーだからバレーのセットアップしてるときのポーズとかどうよ」と独り言を言いながらスマホでおれの写真を探していた。おれがウイングスパイカーになってからもう三年も経つのに、未だに彼の中のおれはどこに上がるか悟らせない綺麗なトスを上げているらしい。
「スケッチというか、ちょっと抽象画みたいなのも入れたいよね」
「背景に入れれば?」
「んー、そうねぇ」と言いながら、じっとココア色の目がおれを見つめている。
手元を一切見ずに、ただおれの顔だけを見ている姿がまるで捕食者みたいだなと思った。フクロウが獲物を狩る時に同じような顔を見たことがある。数分そうしていたかと思うと今度は練り消しでおれをじっと見ながら陰影に入った。またガン見地獄じゃないか、と思いながらおれもガン見して大体の輪郭と目と鼻のアタリをつけたところで授業が終わった。
その日のうちに、交換日記に「あんなに見られると結構恥ずかしい」と書くと、ウインクをした顔から「ボクノ顔ガ綺麗スギタカナ?」と吹き出しが出ていた。何を書くか迷って、すぐその下に中指を立てた手を書いておいた。
最初はたわいもない話をした。どうせ放課後は家に帰ったら二人で駄弁っているか勉強をしているだけだったから、やる意味があるのかどうか疑問だったけれど、文字に書いていくというのは言葉に出すよりももっと真摯で楽しかった。
窓のすぐそこのソファで膝を立てて交換日記を書き、時々話題を振ってくる文也の話に応えて、書き終えると精一杯腕を伸ばせば届く距離にある窓から渡した。文也も同じようにしておれに渡した。
すぐ眼の前で文字を書いている親友を見ていると、なんだか胸がむずむずした。自分のために書いていることが分かると、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのだ。
途中からおれの部活が忙しくなると、お互いが書きたいことを書いたらどこかのタイミングで渡すシステムに変わり、学校であのホログラムでぎらぎらしたパッションピンクの応酬をし始めた。はじめは「何そのノート」とツッコまれることもあったが、段々とそれがおれらふたりの交換ノートだということが知られていき、それを学校で眺めていると「熱烈だねぇ」と微笑まれたりした。クラスメイトに。それから先生からも。
特に熱烈なことを書いてもいないのにどうしてだろう、と思った。文也に尋ねてみたけれど、心底つまらなそうに「知らね。それより中見られないようにしなよ」と言われた。冷たい奴。
西野山高校は珍しく、二年生になってから美術の授業がある。他の公立高校は一年生のころに終わらせているらしい。別にそれで困ったことはないから特に何も思うことはないのだが、文理選択と同時に進学組と就職組でも分かれる二年に副教科のコマを入れるのはなかなかハードだなと思ってきた。
用意が遅い上に休憩時間にいつも菓子パンやら揚げ物やらを食べている文也は、一度目を離すと遅刻三昧になって止まらないので、背中を掴んで引き摺っていくのがおれの仕事だった。文也のロッカーを勝手に開けて、美術のセットを持つ。早くしろと椅子の足を蹴って急かした。
美術室に行くと、ぬるっと準備室から出てきた先生から「今日からはスケッチをするからね」と声をかけられる。
鉛筆のセットを持って、眠そうに机に顎を載せている戸田野田のところに置いておく。「あらあ、わたし、画用紙をどこに置いたんだっけねぇ」と笑いながらまったく片付いていない準備室を漁っている先生に、文也と一緒に手伝いを申し出た。先生の探し物で授業が潰れたら困る。クラス人数分の画用紙を無事発見して、「悪いねぇ」とふわふわ笑う先生に断って配付まで手伝っていると、チャイムが鳴った。
基本的に美術のコマは二つ連続なので、先生はいつものんびりと挨拶もせずに始める。クラスメイトも授業に少しばかり遅れてくることも多い。
「東藤くんたちありがとうねぇ」と両手を寒そうにすり合わせながら言われる。もう夏なんだけどな、と思いながら「いえ。無事見つかって良かったです」と首を振った。おれは東藤じゃなくて穂波なのだけれど、大抵の先生はおれたちを東藤くんたちと呼ぶ。それくらい文也が目立つ生徒なのだ。職員室でもなかなか話題に上がる生徒だと前に聞いたことがある。
あの時の国語科の先生は明らかに面白がる顔をしていたから、公開プロポーズとさえ言われている遊園地に行く行かない関連のことを言っているのだろうとは察したけれども。
隣にいた文也が大きい机に放置されたクロッキーのスケッチを指さして、「せんせぇ、これやんの?」と気軽に話しかけている。反射的に足の甲で脛を蹴った。
「敬語使えよ、先生相手だぞ」
「あ、ごめんなさいせんせぇ」
「あ、あらら、うふふ」
なぜか急に微笑ましそうに笑いだした先生に、二人そろって首を傾げていると、すぐそこの席に座っていたおれの隣の席の遠藤さんたちの女子グループが「え、先生もう気付いたんですか?」「すごいですね」「これが噂に聞く人生経験の違い……」と盛り上がっている。何の話なんだろう。おれが相変わらず首を傾げていると、文也が、気が抜けたようにフ、と笑って「本人は気付いてないみたいなんですけど」と照れたように耳朶を触った。
意味が分からない。おれには関係がない話だろうと踏んで、鉛筆セットをもって席に戻った。
授業が始まると、自画像か銅像のスケッチだろうと思っていたが、人の形を模しているものならなんでもいいからスケッチしてくださいと言われた。なんだそれ。人の形を模している、ということで戸田は美術室に置かれていた土偶のレプリカを持っていた。おれは結構アイツのああいうところが好きだ。野田は自画像を選択したらしい。
先生の話によればもちろん自分の顔でもいいらしいので、まあ鏡に映すかスマホで写真を撮ってそれを映そうかと思っていると、隣の席に座っていた文也に肩を叩かれた。
「なにぃ」
「ね、てんちゃん、俺らお互いの顔描かない?」
と、中学時代に美術部も兼部していた顔の天才が言うので、ぐぐ、と眉が寄った。銅像みたいなきれいな顔しやがって。理不尽だとは思いながらも、銅像を描くこと難易度があまり変わらないのがなかなか腹が立つ。
「おれの画力を舐めてんのか。その顔をそのまま綺麗に描ける気がしない」
「はあ? 美術部部長が何をおっしゃるんですかぁ」
そもそも、とシャーペンをくるくる指先で回している。美術なんて模写するだけのものじゃないし、と、片目をつぶって比率を計るようにシャーペンを立てている。
「……一番成績よかったのはお前だろうが」
「あーはいはい、ツレんこと言わずに描きましょうヨ」
決まりねぇと軽薄な口調でいいながらこちらに向き直る文也にひとつため息を落として、おれも文也のほうを向いた。
うちの中学には女子バレー部はあっても男子バレー部はなかった。小さい頃からやっていたローカルチームに所属はしていたが、技術の上達に特化して大会には出場はしないために外部での活動として認められず、仕方なく美術部に入ったのだ。
バスケ部に入っていた文也は、その頃からサボり癖というか安全地帯を欲する部分があったので、美術部を兼部して部活をサボりたいときに美術部で絵を描くような生活をしていた。たぶん一つのことにずっと熱中することができないタイプなのだろうと思う。今でもバスケ部と同様に写真部や合気道部、広報なんかに入っている。
「まずはアタリ……」とつぶやくと、すでに紙に鉛筆を走らせていた文也がふと顔を上げて、「なんかてんちゃんもうちょいこう、顔柔らかくして」と言った。
「顔を……柔らかく……?」
「顔を柔らかく」
「え、物理的に?」
「……ちょっと顔貸せ」
真顔で中学時代のおれの口癖が移ったみたいに言う文也に、プ、とつい口元を緩めると、「お、そういうのだよ」と嬉しそうに笑われた。つまり柔らかい表情をしろということですね、とぶつぶつ言うと、そうそうと頷く。
文也は「やっぱりてんちゃんと言えばバレーだからバレーのセットアップしてるときのポーズとかどうよ」と独り言を言いながらスマホでおれの写真を探していた。おれがウイングスパイカーになってからもう三年も経つのに、未だに彼の中のおれはどこに上がるか悟らせない綺麗なトスを上げているらしい。
「スケッチというか、ちょっと抽象画みたいなのも入れたいよね」
「背景に入れれば?」
「んー、そうねぇ」と言いながら、じっとココア色の目がおれを見つめている。
手元を一切見ずに、ただおれの顔だけを見ている姿がまるで捕食者みたいだなと思った。フクロウが獲物を狩る時に同じような顔を見たことがある。数分そうしていたかと思うと今度は練り消しでおれをじっと見ながら陰影に入った。またガン見地獄じゃないか、と思いながらおれもガン見して大体の輪郭と目と鼻のアタリをつけたところで授業が終わった。
その日のうちに、交換日記に「あんなに見られると結構恥ずかしい」と書くと、ウインクをした顔から「ボクノ顔ガ綺麗スギタカナ?」と吹き出しが出ていた。何を書くか迷って、すぐその下に中指を立てた手を書いておいた。
