「まずはバイキングにしよっか」と、再三一人で行くなと言ったのにふらふら歩き出す文也の腕を掴んで、ちょっと待て、と引き寄せる。不満げに唇を尖らせるのでふくらはぎを緩く蹴って、戸田野田コンビと向き合わせた。
「おまえ、一体どういう了見だよ」
「なんでキレてんの……」
ぴえ、とかわい子ぶって肩を縮める文也に怒ってない、とぶっきらぼうに返す。こいつに繕う必要ないし。ふまんげではある。そんなおれたちを見た戸田が、実に楽しそうにニヒルに笑った。
「フ、難しい言葉知ってるねぇ」
「戸田っち、てんちゃんは国語クラス一位だよ」とド真面目に返す文也の頭をすっ叩く。人の個人情報勝手にバラすな、と凄んだが、それを聞いた戸田の顔が悔しげに歪んだのを見て溜飲が下がった。クラスの成績を争うのはつねにおれか戸田なので。ちなみに野田も文也も頭はそこまで良くない。
戸田は、ぎりりと歯ぎしりをしていたが、ふっと笑うと言った。
「でも数学は俺が一番だし?」
「でた。妖怪・論点ずらし」と野田が横槍を入れる。
「語呂がいいな」
「野田っちなかなかセンスあんじゃん」
「ちょっと野田黙れ」
二人で口喧嘩を始めた戸田野田をどう回収しようかと思っていると、「じゃあー、コーヒーカップでも行きましょうねー」と文也に腕を引かれて引き摺られた。なんでこんなに力強いんだよコイツ。あれよあれよと乗り込み、謎にテンションが高い野田と文也の手によって信じられないスピードで回った。
「照生、大丈夫そう?」
「むり……」
ふらふらする。
いやな感じの浮遊感が抜けなくて、差し出してくれた文也の手にしがみついてコーヒーカップから出る。そのまま遊具のそばにあるベンチに座った。
「んー、結構酔うなこれ」
「結構のレベルじゃないだろ野田……」
「三半規管貧弱過ぎない?」
「うるさい戸田。人には得手不得手があるだろ」
そうだな、と目の前に立っている野田の言葉に反応しようとしたとき、文也の声がそれを遮った。
「――あのさ」
硬い声だった。珍しいのでつい振り向いてしまった。
ばちり、とそのまつげに縁取られた美しい瞳が瞬きをする。普段浮かべている希薄な表情が抜けた文也の顔は、蝋人形のように整っているだけで、それだけで人を威圧する恐ろしさがある。美しいアンバーの目は、そのままおれと合うことはなく、すっと泳ぐように戸田と野田の方を見た。二人の顔が緊張で強張るのが分かる。
「……なに?」
「どうした」
たまたま通りかかった女子高生の会話や遊具のたてる騒音などのざわめきがやけに遠くに聞こえる。
文也は、おれの隣に座って、二人を見上げたまま真剣な顔で言った。
「ごめん、戸田、野田」
普段は「っち」なんて、ふざけたあだ名で呼ぶ文也がまっすぐに二人を見ている。
「俺、ちょっと照生と二人になりたい。お前らを信用してないわけじゃないってのは分かって」
照生にしか話せないことがある、と淡々と告げる文也の横顔を盗み見る。どきりとした。腹をくくった男の顔をしていたから。おまえ、そんな顔できたのかよ、と腑抜けた感想が浮かんだ。
「悪いけど、ここから先、別行動でもいい?」
頼む、とだめ押しをされてしまえば、どうしようもなかったのだろう、二人は困惑をしながらもにこやかに頷いた。
「じゃ、せいぜいがんばれよ穂波」とひらひら手を振る。ぐしゃりと顔を思いきり眺めた。
「うるせ――」
「戸田っち、あんまり照生で遊ぶなよ」
肩を引き寄せられて、つい力の強さに顔をしかめる。なんでこんな近ぇんだよ、と文句の一つでも言ってやろうとして、虚を突かれたような顔でぼんやりとしている戸田を見て呆気に取られた。ぞわ、と何かいやな感じが背中から這い上がってきて、つい隣の文也を見る。澄み切った色をしたアンバーが、おれを見下ろしていた。
「てんちゃんも、戸田ばっかり構わないで」と隣から伸びてきた手に眉間を揉まれた。じっと大きな眼に見つめられる。何してんだ。口に出ていたのか、「せっかく綺麗な顔してるんだから眉間にしわ寄せないの~」と親戚のおばさんみたいなことを言った。おまえには言われたくないんだよ。
「……ほんと、怖いわこの二人」と戸田が独り言を言っていた。
とりあえず見て回ろうと歩き出すが、さすが幼なじみと言おうか意見がピッタリまとまる戸田野田とは対照的に、おれたち幼なじみコンビはまったく好みが別だ。
チュロスを買った文也からさっさとポテトの袋を貰って、バイキングの方に向かう。文也はなぜかご機嫌でむだに良い面をニコニコさせながら腰を抱いてくるのでペシリと払い落した。えーん、と声が聞こえる気がする。言ってないしショックそうなのは顔だけだけど。
「良い加減しゃべるなわめくな拗ねるな」
「え、てんちゃん、デートの意味分かってる?」
「絶対に文也には言われたくないんだよなぁ」
「なんでよ」
「こんな彼氏いや」
「えっ」
本当に衝撃を受けたような声色で言ったと思うと、立ち止まった。おれもつられて立ち止まる。じと、と数センチ上にある目をねめつけた。細くて長い睫毛が震えている。色素の薄いアンバーの目はきらきらして、おれを見ると、どばぁ、と音がつきそうな勢いで瞳孔が開いた。
「なに?」
「……なんか、今のキュンとしたかも。……なんでだろ」
「あっそ。ドMなの?」
「失礼すぎる!」
知りたくなかった、と淡々とした口調で告げると「てんちゃん。俺がMじゃいや?」と大変不服そうな顔で言われたので笑ってしまった。どうだっていいんだよそこ。
急に笑ったおれにつられて文也もえへへと笑いだす。二人で悪ふざけで「手繋いじゃう?」「お、デートっぽいかも」「てんちゃんにデートとか分かるんだ」「表出ろ」「きゃー誘われちゃった!」と言いながら手を繋いだ。好奇の視線が痛い。二人ともなれているのでそこには触れずに足を進める。
暑いのによくやるものだ、と自分で自分を達観してしまったが、体温が低い文也の手はちょうどいい。
「さっき、俺結構うれしかったんだ」
「なにが?」
バイキングを乗り終わって、次はどこにいこうかとゆるゆる歩いている時に、つい、といった調子で文也が口にした。言うつもりもなかったのだろう、んー、と唸るような声を出して遠くを眺める文也に、後追いしなければよかったと思った。
けれどもすぐに「そうだね」と呟いて、ぎゅ、と手を握られる。
「てんちゃんだけは、俺がありのままでいることを許してくれるんだって、安心してさ」
普段ならこんなこと言わないんだけど、特別ね、とウインクをする。きゅ、と胸が痛くなった。希薄で飄々とした態度の裏に、確実な孤独を感じてしまったから。どれだけ一人で苦しんできたのだろう。想像しかできないけれど、その痛みを分けることもできないけれど、辛いことは辛いと言ってほしいなと思った。
「……ふみ」
「それ、懐かしいな」
「懐かしくねえよ、今だってたまに呼んでるだろ」
差し出されるポップコーンを口を開けて迎え入れる。
「自覚あったんだ。無意識かと」
「まさか」
文也は食欲に思考がシフトしたのか、手に握ったチュロスを何度か噛むだけで口に詰め込んで、包み紙をパタパタと折りたたむ。
「まあ、なんか、拍子抜けしたって言うか」
「へえ?」
「あー、あんまり喋らせないでよ。かっこ悪いじゃん」と、気まずそうに目を逸らす文也の背中を叩く。
「どこがだよ、何も言わずに逃げる方が格好悪いだろ」
海のような目と目を合わせる。カフェラテのような琥珀色をしている、海のような、深い深い目。
「おれら大人じゃないんだし、辛いことも苦しいことも一丁前になるまでもがくのが仕事だろうが」
「なんだろ、……てんちゃんって男前だよね」
「よく言われる」
「ま、俺にとってはめちゃくちゃ可愛いんだけど」
勢いよく背中を叩くと、痛みに絶叫した文也のせいで周りにいた家族連れの人たちが何人か振り向いた。いたたまれない気持ちになり、頭を下げた。
「いたい……」
「チビとか言うから」
「言ってないです」
「可愛いはチビってことだろ」
「思想強い」
そう言いながらおれのつむじをツンツンしてくる。そういえばおまえ身長何センチなの、と聞いたら、おれよりも三センチ高かった。ムカつく。三センチ高かったらいくら速攻止められるか。悔しさが顔に出ていたのか豪快に笑われる。
「ほんとバレー馬鹿」
馬鹿にされているのかと思ったが、そう言う文也の顔が妙に穏やかで嬉しそうだったので何も言えなかった。目がきらきらしている。
ぎゅ、と繋いだ手を握られて、下手くそに繕った笑顔を向けた。
文也はおれと一緒にバレーをしていたが、背が伸びるのが早かったからとバスケに転向した。バレーの練習に付き合ってくれるのも、小さい頃にやっていたから違和感がないのだろう。まあもちろん、それだけではないことも知っている。
なんだかんだ言って、戸田野田には到底及ばないくらい、良い奴なのだ。
「照生が楽しそうで嬉しいよ俺は」と、本当に嬉しそうに笑うから、じわりと頬が熱くなる。
「なにおまえ。きも」
「言葉にしないと伝わらないかなーって」
照れ隠しも全部分かられているのだろう。おれは何も言えなくて、何かを言おうとしたけれど、うまく言える自信もなかったので代わりに頷いた。手は振り払おうとしたが「それはダメでしょ」とやけに低い声と凄んだ顔で言われてつい「手汗だけ気になるから……」と弱音を吐いた。
「気にしないけど?」
「おれが気にします」
こういうのはさっさとやってしまうに限る。「手繋ぐのが恥ずかしいとかじゃないよね?」と不安そうな顔で言われたけれど、断じてそういうわけではないよ、と笑ってみせた。おれが文也の親友であって、彼もそう思ってくれている以上、協力できることはいくらでもあるのだから。
「じゃあ、ぜんぶ回るか」
「正気か?」
遊園地といえば、ジェットコースターなのはたしかにそうなんだけれども。
ちらり、と隣を見繕う。顔からずっぽり表情がずり落ちた無表情の文也が安全バーを握りしめている。手ちょっと白すぎるな。おれはため息を一つついて前を向いた。あまり人の乗っていないジェットコースターだから、文也が絶叫したら結構バレるな、と思いつつ。
なんともなしに下を見下ろした。安全バーへの絶対的信頼があるので、文也ほど大騒ぎはしない。ぶっちゃけて言えば、まあ落ちて死んだら慰謝料いくら入るかな、とかしか考えてない。
「うわ、うわ、うわうわうわ……」
「おー、まあまあ高いか」
「ねぇ照生、なんでおまえそんな余裕そうなの」
「戸田たちいないな」
「ねぇ無視しないで」
「うーん、これ本当に前から落ちるヤツかな」
「え、まって、どういうことそれ」
「後ろから落ちたりしないよね」
「ねぇなんで後ろ確認できるの、ねえ、照生! こっち見て!!」
安全バーから手を離せないのか、指をパタパタ動かすだけになっている。意地悪しすぎたかな、と笑って腕を握ってやった。そのままバーに張りついている腕の間に腕を入れて組む。これでいいか、と思って隣を見ると、文也が目を見開いておれを見ていた。じわじわと頬が赤くなっていく。みるみるうちに耳まで真っ赤になった。なんだその顔。恥ずかしいのか。
「高いの苦手なのになんでずっと乗り気だったんだよ」
「ハ!? 苦手じゃないし、大体それ今言う!?」
「ふーん。あ、落ちるよ」
「え! どっち!」
「後ろ――」
ぎゃーーーーーーー! と声が響く。ギチギチ締め上げられる自分の右手が痛すぎてめちゃくちゃ笑った。文也は本格的に拗ねてしまって、ジェットコースターから降りてそこにあった花壇のレンガに座るなり頭を抱えて動かなくなった。
「もうまじでてんちゃん嫌い……」
「そういうこという人は置いていきます」
「ままぁ」
「ママじゃない」
大体おまえお母さん呼びだろうが、と、つっこんではみたが返事がない。あまり絶叫系が得意ではない文也には相当堪えたらしい。恐怖が今更膝に来て立てないらしく道端にうずくまっている彼の隣にしゃがむ。
「ほら、つぎは空中ブランコでも行くよ」
「なんの冗談を……」
「別に恋人と乗ることだってあるだろ、男でも女でも。どっちかは分かんないんだし」
ゆっくり文也が顔を上げる。その眼は揺らいでいた。相変わらず女子みたいに睫毛長いな、とどうでもいいことを考える。おれも長いとは言われてきたけど、レベチじゃないか。
手を差し出す。ジェットコースターの後から繋いだ手を離していた。ん、と手をひらひら揺らすと、その手を取って文也が立ちあがった。一気に身長差が逆転する。
「……照生、どこから分かってたの」
「何の話」
「とぼけるなよ」
正直、察していたのは確かだ。文也がなぜおれと二人で回りたかったのか。戸田野田の条件を出したのがおれで、彼がそれを飲んだ手前言い出せなかったのだろう。文也は本当に男にトキめくのか、なんて言っていたけれども、男相手に「いいな」と思って、トキめいたことがないとバイかもしれない発言にはつながらない。
きっと、もう、いるのだと思う。気になっている男子が。これが仮説一。
文也はそういう漫画を見た、とか、いけるかも、と思った程度のことではおれに相談してこない。
そして、その相手が学校にいる可能性が高いな、というのがおれの親友としての勘だった。これが仮説二。デート発言を大っぴらにしたとき、もしかして鎌をかけたい相手がいるのではないかと感じた。だからダブルデートにした。一番気になっている可能性が高いのが文也と仲のいい戸田か野田、だったからだ。けれども、照生と話をしたい発言によってそれも消滅。わざわざ二人きりになれるようにしてやったのにおれの隣から離れなかった時点でお察しだ。
文也はそこまで奥手ではないし、なんなら機会さえあればあの顔面と本来発揮されていない戦略で気になっている人の一人くらい落そうとするだろう。
クラスメイトか、はたまた他学年か。
仮説一と二が当たっている場合を考えるためには、話を聞かなくてはいけない。きっと文也の今日の狙いは、「自分が本当に男相手に恋愛ができるのか、トキめくのか」の是非の確認、それから「もし仮にバイだと分かった場合、これからどうするのか」のおれへの相談。といったところだった。さっきの発言で確信に変わった。我ながら名探偵にでもなった気分だ。
「……遊園地は、おまえの憧れだっただろ」
「へえ?」
「おまえは覚えてないかもしれないけど。ずっと昔に、言ってたじゃん。好きな人ができたら初デートで遊園地に行って告白するって」
「……うっそぉ」
耳を赤くして顔を覆う文也を肘で小突く。まあそういうこともあるさ、と。幼い頃なんかムードも情緒もなにも知らないようなただの上滑りするだけのロマンチストだったのだから。
「……今は、手紙での告白もなかなかいいなって思ってる」
「ロマンチスト変わらねえな」
「うるさいなあ」
文也のもつ顔なら、直接会って告白した方が成功率はきっと高いだろうなあとは思うけれど。自分の魅力には自分が一番気付かないとか言うし。うん。
「……ま、帰り道にでも聞いてやるよ。話すこと考えとけ」と言って、手を引いた。
メリーゴーランドはたしか入口の近くにあったはずだ。そこそこ歩くけれど構わないだろう。さっきのジェットコースターで観覧車以外のアトラクションは制覇してあるし、そろそろお昼の時間でもある。レストランも混み始めるだろう。
「てんちゃん」
「なぁに」
「……ありがとね。引かんでくれて」
「おまえそればっかり」
アハハ、と笑い飛ばしてみせれば、文也が心底安心しきった顔でへにゃりと笑った。
「おまえ、一体どういう了見だよ」
「なんでキレてんの……」
ぴえ、とかわい子ぶって肩を縮める文也に怒ってない、とぶっきらぼうに返す。こいつに繕う必要ないし。ふまんげではある。そんなおれたちを見た戸田が、実に楽しそうにニヒルに笑った。
「フ、難しい言葉知ってるねぇ」
「戸田っち、てんちゃんは国語クラス一位だよ」とド真面目に返す文也の頭をすっ叩く。人の個人情報勝手にバラすな、と凄んだが、それを聞いた戸田の顔が悔しげに歪んだのを見て溜飲が下がった。クラスの成績を争うのはつねにおれか戸田なので。ちなみに野田も文也も頭はそこまで良くない。
戸田は、ぎりりと歯ぎしりをしていたが、ふっと笑うと言った。
「でも数学は俺が一番だし?」
「でた。妖怪・論点ずらし」と野田が横槍を入れる。
「語呂がいいな」
「野田っちなかなかセンスあんじゃん」
「ちょっと野田黙れ」
二人で口喧嘩を始めた戸田野田をどう回収しようかと思っていると、「じゃあー、コーヒーカップでも行きましょうねー」と文也に腕を引かれて引き摺られた。なんでこんなに力強いんだよコイツ。あれよあれよと乗り込み、謎にテンションが高い野田と文也の手によって信じられないスピードで回った。
「照生、大丈夫そう?」
「むり……」
ふらふらする。
いやな感じの浮遊感が抜けなくて、差し出してくれた文也の手にしがみついてコーヒーカップから出る。そのまま遊具のそばにあるベンチに座った。
「んー、結構酔うなこれ」
「結構のレベルじゃないだろ野田……」
「三半規管貧弱過ぎない?」
「うるさい戸田。人には得手不得手があるだろ」
そうだな、と目の前に立っている野田の言葉に反応しようとしたとき、文也の声がそれを遮った。
「――あのさ」
硬い声だった。珍しいのでつい振り向いてしまった。
ばちり、とそのまつげに縁取られた美しい瞳が瞬きをする。普段浮かべている希薄な表情が抜けた文也の顔は、蝋人形のように整っているだけで、それだけで人を威圧する恐ろしさがある。美しいアンバーの目は、そのままおれと合うことはなく、すっと泳ぐように戸田と野田の方を見た。二人の顔が緊張で強張るのが分かる。
「……なに?」
「どうした」
たまたま通りかかった女子高生の会話や遊具のたてる騒音などのざわめきがやけに遠くに聞こえる。
文也は、おれの隣に座って、二人を見上げたまま真剣な顔で言った。
「ごめん、戸田、野田」
普段は「っち」なんて、ふざけたあだ名で呼ぶ文也がまっすぐに二人を見ている。
「俺、ちょっと照生と二人になりたい。お前らを信用してないわけじゃないってのは分かって」
照生にしか話せないことがある、と淡々と告げる文也の横顔を盗み見る。どきりとした。腹をくくった男の顔をしていたから。おまえ、そんな顔できたのかよ、と腑抜けた感想が浮かんだ。
「悪いけど、ここから先、別行動でもいい?」
頼む、とだめ押しをされてしまえば、どうしようもなかったのだろう、二人は困惑をしながらもにこやかに頷いた。
「じゃ、せいぜいがんばれよ穂波」とひらひら手を振る。ぐしゃりと顔を思いきり眺めた。
「うるせ――」
「戸田っち、あんまり照生で遊ぶなよ」
肩を引き寄せられて、つい力の強さに顔をしかめる。なんでこんな近ぇんだよ、と文句の一つでも言ってやろうとして、虚を突かれたような顔でぼんやりとしている戸田を見て呆気に取られた。ぞわ、と何かいやな感じが背中から這い上がってきて、つい隣の文也を見る。澄み切った色をしたアンバーが、おれを見下ろしていた。
「てんちゃんも、戸田ばっかり構わないで」と隣から伸びてきた手に眉間を揉まれた。じっと大きな眼に見つめられる。何してんだ。口に出ていたのか、「せっかく綺麗な顔してるんだから眉間にしわ寄せないの~」と親戚のおばさんみたいなことを言った。おまえには言われたくないんだよ。
「……ほんと、怖いわこの二人」と戸田が独り言を言っていた。
とりあえず見て回ろうと歩き出すが、さすが幼なじみと言おうか意見がピッタリまとまる戸田野田とは対照的に、おれたち幼なじみコンビはまったく好みが別だ。
チュロスを買った文也からさっさとポテトの袋を貰って、バイキングの方に向かう。文也はなぜかご機嫌でむだに良い面をニコニコさせながら腰を抱いてくるのでペシリと払い落した。えーん、と声が聞こえる気がする。言ってないしショックそうなのは顔だけだけど。
「良い加減しゃべるなわめくな拗ねるな」
「え、てんちゃん、デートの意味分かってる?」
「絶対に文也には言われたくないんだよなぁ」
「なんでよ」
「こんな彼氏いや」
「えっ」
本当に衝撃を受けたような声色で言ったと思うと、立ち止まった。おれもつられて立ち止まる。じと、と数センチ上にある目をねめつけた。細くて長い睫毛が震えている。色素の薄いアンバーの目はきらきらして、おれを見ると、どばぁ、と音がつきそうな勢いで瞳孔が開いた。
「なに?」
「……なんか、今のキュンとしたかも。……なんでだろ」
「あっそ。ドMなの?」
「失礼すぎる!」
知りたくなかった、と淡々とした口調で告げると「てんちゃん。俺がMじゃいや?」と大変不服そうな顔で言われたので笑ってしまった。どうだっていいんだよそこ。
急に笑ったおれにつられて文也もえへへと笑いだす。二人で悪ふざけで「手繋いじゃう?」「お、デートっぽいかも」「てんちゃんにデートとか分かるんだ」「表出ろ」「きゃー誘われちゃった!」と言いながら手を繋いだ。好奇の視線が痛い。二人ともなれているのでそこには触れずに足を進める。
暑いのによくやるものだ、と自分で自分を達観してしまったが、体温が低い文也の手はちょうどいい。
「さっき、俺結構うれしかったんだ」
「なにが?」
バイキングを乗り終わって、次はどこにいこうかとゆるゆる歩いている時に、つい、といった調子で文也が口にした。言うつもりもなかったのだろう、んー、と唸るような声を出して遠くを眺める文也に、後追いしなければよかったと思った。
けれどもすぐに「そうだね」と呟いて、ぎゅ、と手を握られる。
「てんちゃんだけは、俺がありのままでいることを許してくれるんだって、安心してさ」
普段ならこんなこと言わないんだけど、特別ね、とウインクをする。きゅ、と胸が痛くなった。希薄で飄々とした態度の裏に、確実な孤独を感じてしまったから。どれだけ一人で苦しんできたのだろう。想像しかできないけれど、その痛みを分けることもできないけれど、辛いことは辛いと言ってほしいなと思った。
「……ふみ」
「それ、懐かしいな」
「懐かしくねえよ、今だってたまに呼んでるだろ」
差し出されるポップコーンを口を開けて迎え入れる。
「自覚あったんだ。無意識かと」
「まさか」
文也は食欲に思考がシフトしたのか、手に握ったチュロスを何度か噛むだけで口に詰め込んで、包み紙をパタパタと折りたたむ。
「まあ、なんか、拍子抜けしたって言うか」
「へえ?」
「あー、あんまり喋らせないでよ。かっこ悪いじゃん」と、気まずそうに目を逸らす文也の背中を叩く。
「どこがだよ、何も言わずに逃げる方が格好悪いだろ」
海のような目と目を合わせる。カフェラテのような琥珀色をしている、海のような、深い深い目。
「おれら大人じゃないんだし、辛いことも苦しいことも一丁前になるまでもがくのが仕事だろうが」
「なんだろ、……てんちゃんって男前だよね」
「よく言われる」
「ま、俺にとってはめちゃくちゃ可愛いんだけど」
勢いよく背中を叩くと、痛みに絶叫した文也のせいで周りにいた家族連れの人たちが何人か振り向いた。いたたまれない気持ちになり、頭を下げた。
「いたい……」
「チビとか言うから」
「言ってないです」
「可愛いはチビってことだろ」
「思想強い」
そう言いながらおれのつむじをツンツンしてくる。そういえばおまえ身長何センチなの、と聞いたら、おれよりも三センチ高かった。ムカつく。三センチ高かったらいくら速攻止められるか。悔しさが顔に出ていたのか豪快に笑われる。
「ほんとバレー馬鹿」
馬鹿にされているのかと思ったが、そう言う文也の顔が妙に穏やかで嬉しそうだったので何も言えなかった。目がきらきらしている。
ぎゅ、と繋いだ手を握られて、下手くそに繕った笑顔を向けた。
文也はおれと一緒にバレーをしていたが、背が伸びるのが早かったからとバスケに転向した。バレーの練習に付き合ってくれるのも、小さい頃にやっていたから違和感がないのだろう。まあもちろん、それだけではないことも知っている。
なんだかんだ言って、戸田野田には到底及ばないくらい、良い奴なのだ。
「照生が楽しそうで嬉しいよ俺は」と、本当に嬉しそうに笑うから、じわりと頬が熱くなる。
「なにおまえ。きも」
「言葉にしないと伝わらないかなーって」
照れ隠しも全部分かられているのだろう。おれは何も言えなくて、何かを言おうとしたけれど、うまく言える自信もなかったので代わりに頷いた。手は振り払おうとしたが「それはダメでしょ」とやけに低い声と凄んだ顔で言われてつい「手汗だけ気になるから……」と弱音を吐いた。
「気にしないけど?」
「おれが気にします」
こういうのはさっさとやってしまうに限る。「手繋ぐのが恥ずかしいとかじゃないよね?」と不安そうな顔で言われたけれど、断じてそういうわけではないよ、と笑ってみせた。おれが文也の親友であって、彼もそう思ってくれている以上、協力できることはいくらでもあるのだから。
「じゃあ、ぜんぶ回るか」
「正気か?」
遊園地といえば、ジェットコースターなのはたしかにそうなんだけれども。
ちらり、と隣を見繕う。顔からずっぽり表情がずり落ちた無表情の文也が安全バーを握りしめている。手ちょっと白すぎるな。おれはため息を一つついて前を向いた。あまり人の乗っていないジェットコースターだから、文也が絶叫したら結構バレるな、と思いつつ。
なんともなしに下を見下ろした。安全バーへの絶対的信頼があるので、文也ほど大騒ぎはしない。ぶっちゃけて言えば、まあ落ちて死んだら慰謝料いくら入るかな、とかしか考えてない。
「うわ、うわ、うわうわうわ……」
「おー、まあまあ高いか」
「ねぇ照生、なんでおまえそんな余裕そうなの」
「戸田たちいないな」
「ねぇ無視しないで」
「うーん、これ本当に前から落ちるヤツかな」
「え、まって、どういうことそれ」
「後ろから落ちたりしないよね」
「ねぇなんで後ろ確認できるの、ねえ、照生! こっち見て!!」
安全バーから手を離せないのか、指をパタパタ動かすだけになっている。意地悪しすぎたかな、と笑って腕を握ってやった。そのままバーに張りついている腕の間に腕を入れて組む。これでいいか、と思って隣を見ると、文也が目を見開いておれを見ていた。じわじわと頬が赤くなっていく。みるみるうちに耳まで真っ赤になった。なんだその顔。恥ずかしいのか。
「高いの苦手なのになんでずっと乗り気だったんだよ」
「ハ!? 苦手じゃないし、大体それ今言う!?」
「ふーん。あ、落ちるよ」
「え! どっち!」
「後ろ――」
ぎゃーーーーーーー! と声が響く。ギチギチ締め上げられる自分の右手が痛すぎてめちゃくちゃ笑った。文也は本格的に拗ねてしまって、ジェットコースターから降りてそこにあった花壇のレンガに座るなり頭を抱えて動かなくなった。
「もうまじでてんちゃん嫌い……」
「そういうこという人は置いていきます」
「ままぁ」
「ママじゃない」
大体おまえお母さん呼びだろうが、と、つっこんではみたが返事がない。あまり絶叫系が得意ではない文也には相当堪えたらしい。恐怖が今更膝に来て立てないらしく道端にうずくまっている彼の隣にしゃがむ。
「ほら、つぎは空中ブランコでも行くよ」
「なんの冗談を……」
「別に恋人と乗ることだってあるだろ、男でも女でも。どっちかは分かんないんだし」
ゆっくり文也が顔を上げる。その眼は揺らいでいた。相変わらず女子みたいに睫毛長いな、とどうでもいいことを考える。おれも長いとは言われてきたけど、レベチじゃないか。
手を差し出す。ジェットコースターの後から繋いだ手を離していた。ん、と手をひらひら揺らすと、その手を取って文也が立ちあがった。一気に身長差が逆転する。
「……照生、どこから分かってたの」
「何の話」
「とぼけるなよ」
正直、察していたのは確かだ。文也がなぜおれと二人で回りたかったのか。戸田野田の条件を出したのがおれで、彼がそれを飲んだ手前言い出せなかったのだろう。文也は本当に男にトキめくのか、なんて言っていたけれども、男相手に「いいな」と思って、トキめいたことがないとバイかもしれない発言にはつながらない。
きっと、もう、いるのだと思う。気になっている男子が。これが仮説一。
文也はそういう漫画を見た、とか、いけるかも、と思った程度のことではおれに相談してこない。
そして、その相手が学校にいる可能性が高いな、というのがおれの親友としての勘だった。これが仮説二。デート発言を大っぴらにしたとき、もしかして鎌をかけたい相手がいるのではないかと感じた。だからダブルデートにした。一番気になっている可能性が高いのが文也と仲のいい戸田か野田、だったからだ。けれども、照生と話をしたい発言によってそれも消滅。わざわざ二人きりになれるようにしてやったのにおれの隣から離れなかった時点でお察しだ。
文也はそこまで奥手ではないし、なんなら機会さえあればあの顔面と本来発揮されていない戦略で気になっている人の一人くらい落そうとするだろう。
クラスメイトか、はたまた他学年か。
仮説一と二が当たっている場合を考えるためには、話を聞かなくてはいけない。きっと文也の今日の狙いは、「自分が本当に男相手に恋愛ができるのか、トキめくのか」の是非の確認、それから「もし仮にバイだと分かった場合、これからどうするのか」のおれへの相談。といったところだった。さっきの発言で確信に変わった。我ながら名探偵にでもなった気分だ。
「……遊園地は、おまえの憧れだっただろ」
「へえ?」
「おまえは覚えてないかもしれないけど。ずっと昔に、言ってたじゃん。好きな人ができたら初デートで遊園地に行って告白するって」
「……うっそぉ」
耳を赤くして顔を覆う文也を肘で小突く。まあそういうこともあるさ、と。幼い頃なんかムードも情緒もなにも知らないようなただの上滑りするだけのロマンチストだったのだから。
「……今は、手紙での告白もなかなかいいなって思ってる」
「ロマンチスト変わらねえな」
「うるさいなあ」
文也のもつ顔なら、直接会って告白した方が成功率はきっと高いだろうなあとは思うけれど。自分の魅力には自分が一番気付かないとか言うし。うん。
「……ま、帰り道にでも聞いてやるよ。話すこと考えとけ」と言って、手を引いた。
メリーゴーランドはたしか入口の近くにあったはずだ。そこそこ歩くけれど構わないだろう。さっきのジェットコースターで観覧車以外のアトラクションは制覇してあるし、そろそろお昼の時間でもある。レストランも混み始めるだろう。
「てんちゃん」
「なぁに」
「……ありがとね。引かんでくれて」
「おまえそればっかり」
アハハ、と笑い飛ばしてみせれば、文也が心底安心しきった顔でへにゃりと笑った。
