鑑定士であるはずの僕は、なぜか今、剣を構え、いつ炎を吐き出してもおかしくない面構えでこちらを凝視するレッドドラゴンと対峙している。
「エフィ!! まだ??」
「もうちょっと! もうちょっとだから、耐えて!」
耐えてって言われても、この距離でレッドドラゴンに炎を吐かれたら、さすがにヤバイ!
ほんの少しの隙が死に直結する状況の中、地面についたレッドドラゴンの血を這いつくばりながら必死にかき集めているのは、僕をこんな超絶危険な目に遭わせた元凶、洗濯士を名乗る銀髪のエルフ、エフィ・ランドローネだ。
彼女との出会いは、忘れもしない3日前のこと。
それは、僕が路銀を稼ぐためにテムリドの街を訪れた時のことだった。
「レント・ライゼルさんですね。会員証のご提示、ありがとうございました」
鑑定士を生業とする旅商人である僕は、この街で屋台を出店する手続きのため、商人ギルドを訪れていた。
「ご滞在は、7日間のご予定でお間違いありませんか?」
「はい」
「かしこまりました。出店費用は旅商協会認定会員でいらっしゃいますので、免除となります」
受付嬢が言った旅商協会認定会員というのは、僕のような旅商人が任意で加入している全国的な旅商人の組合組織の会員のことで、ランクに応じた会費を納める代わりに、窓口で出店費用を支払う必要がなくなる。
そのうえ、出店場所や宿を確保してくれたり、屋台の貸し出しまでしてくれるから、手荷物がぐんと減る。
僕みたいな現物を売らない商売人は、カバン一つくらいになるのだから、本当に有難い。
「お手続きは以上となりますが、ご質問はございますか?」
「いいえ。ありません」
「では、こちらが出店許可証と宿の紹介状、それと貸し出しの屋台になります」
僕は、受付嬢から受け取った出店許可証と宿の紹介状をカバンにしまうと、貸し出しの屋台を抱え、さっそく出店場所である広場へ向かった。
「おぉ! さすがはテムリドだ。やっぱり大きな街は凄いな!」
昼過ぎの広場には、既にたくさんの屋台が所狭しと立ち並び、集まった人々で賑わっていた。
さてと、僕の出店場所は……ここだな。
僕は、貸し出しの屋台を組み上げ、短いカウンターに鑑定屋の文字が刺繍された垂れ幕を取り付けた後、小さなラグを屋根の下に敷き、その上に座った。
「……ふぁ。暇だな」
屋台を出してから、かれこれ二時間は経っただろうか。
辺りを見渡せば、他の屋台はそれなりに繁盛しているというのに、僕の屋台にはまだ一人も客が来ていない。
「はいはーい。きれいになりましたよぉ」
「ありがとね。この天気だと、明日はきっと雨だろうから、魔法の洗濯屋さんがいて、本当助かったわ」
ふと視界に入った真向かいの屋台から、店主の女性と客の女性の会話が聞こえてきた。
「明日、雨なんだ」
見上げた空に太陽の姿はなく、黒い雲が広がりどんよりとしていた。
「これは、明日も開店休業かもな」
周りの屋台が早々に撤収する中、日が暮れるまではと粘ってみたものの、結局初日の客足はゼロだった。
「はぁー疲れた。何にもしてないのに、それでも体はしっかり疲れるし、腹も減る。なんだかな」
そんなことをぼやきながら後片付けを始めた僕の背中を、誰かが、ぽんぽんと叩いた。
振り向くと、そこには、真向かいで洗濯屋を出店していた店主の女性が立っていた。
「キミ、鑑定士さんなんでしょ?」
「ええ」
僕の返事を聞いた女性がニヤリと笑う。
なんだろうこのひと。なんで笑ってるんだろ。なんか、ちょっと怖い。
周りを見れば、既に他の屋台は片付けが終わり、広場には、僕とこの女性しかいなくなっていた。
(マズイ。これは、アレか!?)
僕の経験則からすると、こういう時ってのは、女性と話していると、数人の強面な輩が現れて、そいつらに因縁ふっかけられた後、身ぐるみ剥がされるって相場が決まってるんだよな。どうする? 今ならまだ逃げられるか?
「キミ、逃げようとしてない?」
バレただと!? なんて勘の鋭いひとなんだ。これは、もう、覚悟するしかないか!?
「い、いえ。そんな逃げようだなんて。なぜ僕がそんなことを?」
「だって、明らかに不自然な体勢になってるし」
言われてみれば、たしかに僕の体は女性と反対側の方を向いているし、手足だって、今にも走り出しそうな格好になっていた。
「大丈夫よ。逃げなくたって。別にキミを取って食おうなんて考えてないから」
「うぇ!?」
取って食う!? もっとヤバイでしょそれ!
いや待て待て。焦るな。落ち着け。彼女は、そうは考えてないと言ったよな? ということは……どういうこと?
「あ、あの。僕に何か用でも?」
「うん」
「えっと、どんな?」
「どんなって、キミ、鑑定士さんなんでしょ?」
それは間違いない。自分で言うのもなんだけど、これでも僕は、王都ではそこそこ名の通った鑑定士のひとりだし、なんなら僕の家系を知っている人だったら、それなりの接し方をしてくる。
まぁ、家系のことは、他人にあえて言うようなことじゃないから、今は伏せておくけどね。
「ということは、何か鑑定のご依頼ということでしょうか?」
「うん!」
なんだ。普通にお客さんだったのか。いろいろ詮索した自分が恥ずかしい。
「それで、何を鑑定いたしましょう?」
「私!」
「へ?」
「だから、私! 私の種族を当ててみて! はい、コレ。それじゃ、お願い!」
女はそういうと、僕の手に一枚の銀貨を握らせた。
何言ってるんだこのひとは。もちろん僕の鑑定レベルなら、彼女がどんな種族であるか見極めることはできる。
だけど、なんで? 他人を調べるならともかく、自分でわかっているはずのことをなんでわざわざ? まったく意図が読めない。
なんか、さらに怖くなってきたぞ。そして、悪い予感がしてきた。こういう時の商売人の勘ってのは当たるもんなんだよな。
もうここは、素直にサクッと鑑定終わらせて、さっさと宿に行こう。
「わかりました。それでは失礼します」
パッと見は人間。だけど、あのフードの下に獣耳や角なんかが隠れてるとしたら、獣人や亜人の可能性もあるか。
「……!?」
え? ちょっと待って、ウソだろ? このひと……エルフだ。見誤ったか? いや、そんなハズはない。僕の鑑定結果が間違うことなんて、よっぽどのことがない限りありえない。
「どう? わかった?」
「にわかに信じ難いですが……あなたは、エルフ、ですよね?」
彼女は、ニンマリと頬をピンク色に染め笑うと、僕の両手を握り言う。
「大正解!」
驚いたな。本物のエルフを目にするのは初めてだ。もちろんその存在は知っていたけれど、個体数が激減していて、滅多に人目に触れることはないと聞いていたし、文献にもそう書いてあった。なのに、まさか旅商人をやっているエルフがいただなんて。
「キミ、凄いね! 本物の本物だ! 私は、エフィ。洗濯士のエフィ・ランドローネ。キミは?」
「え、えっと、僕は、レント・ライゼルです」
「レント・ライゼル! いい名前ね! それじゃレント、私の旅について来て!」
は? 私の旅について来て? どういうこと? 洗濯士ってなに? 洗濯屋と何が違うの? それにいきなりタメ口って!? ツッコミ所が多すぎて頭の整理が追いつかない。
「あの、旅について来いとか、いろいろと状況がわからないのですが」
「ごめん! そうだよね。えっと、簡単に言うと、私はこれを作ってるの。で、レントの力が必要ってわけ」
そう言ってエフィさんが見せてきた分厚い本の表紙には『洗濯の極意』と書かれていた。
「えぇ!? あの、まさかとは思うのですが、これはもしかして、英知の書ですか?」
英知の書、それは魔法研究に余念が無いエルフ族が、自身が選んだ分類の魔法を探求し、生涯をかけて創り上げるとされる伝説級の書物である。
現存するものだと、大賢者フィンテの回復魔法が記された『癒やしの書』がある。
それは、フィンテからその書を託された初代聖王から現聖王まで脈々と受け継がれ、不治とされた病を回復させるなど様々な奇跡を起こしてきた。
また、かつて魔王を倒した勇者一行がひとり、大魔法使いアルバが創り上げたとされる『究極攻撃魔法全書』は、無類のダンジョン好きであった彼女自らが創造したという伝説が残る未踏破のダンジョン、戦神の回廊に今も眠っているとされ、1000年以上が経った今も、その力や一攫千金を求める挑戦者が後を絶たない。
その他にも、各地にいろいろな伝承はあるものの、その真偽は定かではない。
「そう、そう! 英知の書だよ! 私は洗濯魔法を研究してるから、名前は洗濯の極意にしたの」
信じられない。エルフに会えただけでも奇跡的なことだというのに、伝説級の書物まで目にすることができるだなんて。
「なんだ、知ってたなら話は早いね。それじゃ、出発は明日ね」
いやいや待ってくれ。話が早いって、僕は何ひとつあなたの話を飲み込めていませんが?
「あの、僕はその旅にはついていきませんからね」
「なんで?」
「なんでって。そんなこといきなり言われても、はい! 行きます! とは普通ならないですよ?」
「そう、なの?」
なんで、そんな悲しそうな顔するのさ。なんかいろいろおかしくなってきたぞ……ほらね、悪い予感がするっていう僕の勘は当たったでしょ?
そんな話を交わしているうちに、雨が降り始めた。
「それはそうと、お腹空いてない?」
えぇ!? 急に!? もうこのエルフ、何考えてるのかさっぱりわからなくて本当に怖いです!
とはいえたしかに、今日この街に到着してからまだ何も口にしていないのは事実なんだよな。
「す、空いてますけど」
「だよね! 雨降ってきちゃったし、ご飯食べ行こ! 私奢るから!」
「いいですよ」
「いいんだね!」
「いや、そう言う意味じゃ、あぁ!」
エフィさんは、僕の腕を勢いよく引き寄せると、雨など構うことなく走り出した。
「ちょっ! エフィさん! 雨! 雨!」
「へーき! へーき!」
「そうじゃなくて! そりゃエフィさんは、そのフードがあるから平気でしょうけど、僕はずぶ濡れになっちゃいますよ!」
って、聞いてないな。もう、どうにでもなれ!
「到着〜って、レント、大丈夫!? ずぶ濡れじゃない!」
「だから、さっきからそうなるって言ってたじゃないですか」
「そうだっけ?」
そうだっけ? じゃないだろ! こっちは下着までびしょびしょなんだよ。こんなんで食事なんてできるか!
「僕は、宿に戻ります」
「ちょっと待って。今きれいにしてあげるから」
きれいにする? って、何? 何? なんで僕に向かって魔法陣を展開してるの? え? 殺られる? 何で? 僕、なんかしました?
いや、思い当たる節はない。ここは深呼吸をして、一旦落ち着こう。深く息をすって、吐いて。よし。鑑定!
……あの青い魔法陣は、水属性……ということは、水もしくは氷の魔法を使うつもりか。
「水の魔法!」
エフィさんが、何かの魔法を唱えると、魔法陣から無数の雫が飛び出し、僕の頭上に集まったかと思うと、あっという間に一つの大きな水玉となった。
く、見たことのない水魔法だ。けど、粗方予想はつく。きっと、この巨大な水玉で僕を包み込み、窒息させるつもりだろう。
「それ!」
エフィさんの掛け声で、水玉が僕めがけて落下。
やっぱり。予想通りだ。
僕は、気休め程度だが、少しは耐えられるだろうと、水玉に飲まれる寸前で息を目一杯吸い込み止めた。
ジャブっと水玉が僕の頭から足の先まで、全身を隈なく包み込む。
(うわ! つ、冷た!)
ゴボボボボ。
水の冷たさに驚いた僕は、虚しくも止めていた息を全部吐いてしまった。
あぁ……これまでか。
そっと目をつむり死を覚悟した瞬間、僕の頭が水玉からスポッと抜け出た。
あ、あれ?
「泡の魔法!」
エフィさんが、また何かの魔法を唱える声が聞こえた。
すると、今度は魔法陣が白色に変わり、首から下を包み込む水玉の中がきめ細やかな泡で満たされた。
うわ! なんだこれ。泡? なんか、回り出したぞ。
服を着ているというのに、まるで直に体を洗っているかのような不思議な感覚だ。
気持ちいい。すごく気持ちいいんだけど、なんて言うか……あ! そうか! これは、洗濯だ! 僕は今、洗濯物になっているんだ!
「水の魔法!」
再び水の魔法を唱えたエフィさん。
魔法陣から水玉に向かって無数の雫が放たれると、流入した雫によって泡が消えていく。
すすぎだね。うう。やっぱり水は冷たい。
「温風の魔法!」
エフィさんがまた別の魔法を唱えると、今度は、魔法陣が赤色に変わり、心地良い温風が全身を包み込んだ。
ほわぁ。これは、すごく気持ちいい。
「はい。きれいになった」
「す、凄いです! 服も体も綺麗になってる! しかも、あれだけずぶ濡れだったのに、下着まで全部乾いてる!」
「ふふん!」
正直エフィさんの洗濯魔法には驚かされた。洗濯魔法って、服の汚れを落とすだけの生活魔法だとばかり思っていたけど、こんなにも進化していたなんて。エフィさんがドヤ顔するのもわかる気がする。
「それじゃ、晩ごはん、食べよっか」
「は、はい」
にっこりと微笑むエフィさん。
その笑顔を見た僕は、なぜか食事の誘いを断る気になれなかった。
「らっしゃい!」
エフィさんに続き酒場に入ると、丸坊主のマスターが威勢の良い声で迎えてくれた。
「エール二杯とブラックホーンの干し肉! それと塩茹で緑まめ!」
「あいよ!」
酒場に入るなりエフィさんは、マスターへ注文を飛ばすと僕の手を引き、奥のテーブル席に案内してくれた。
「あの、エフィさん」
「大丈夫! 心配しないで。ここは本当に私の奢りだから」
「いや、そうじゃなくて。お金の心配はしていません」
「え? じゃあ、何?」
不思議そうな顔で首を傾げるエフィさん。
え? じゃあ、何? じゃないでしょ。普通に考えて、初対面の相手にいきなり強制連行されたら、いろいろ考えるところはあるでしょう?
「エフィさんは、この街に来てけっこう経つのですか?」
「ううん。昨日来たばっかりだよ」
「は?」
いやいや冗談でしょ。さっきの注文の仕方は、もはや常連客の頼み方だったよ? 昨日来たばかりの旅商人のそれじゃないよね?
「さすがにそれは冗談ですよね? 本当は7日前くらいには来ていたんじゃないですか?」
「レントって、案外疑り深いんだね。冗談なんかじゃないよ。ほら」
エフィさんが見せてきた出店許可証には、しっかりと昨日の受付日が記されていた。
「疑ってすみませんでした。あまりにも常連客みたいだったものでつい」
「ふふん!」
なぜ得意気? ま、それはいいとして、僕が本当に聞きたい事はそういうことではないんだよね。
「エフィさん。広場での鑑定は、本題ではないですよね? なぜ、僕を試すような真似をしたんですか?」
僕が少し眉間にシワを寄せ言うと、エフィさんも眉間にシワを寄せ顔を近づけてきた。
「なぜって、それは、キミの名を語る偽物なんてそこら中にいるからにきまってるでしょ?」
「え?」
「え? ウソでしょ? まさかキミ、自分が有名だって自覚なかったの?」
僕が深く頷くと、エフィさんが呆れた表情を見せた。
「これは、偽物が横行するわけだ」
「偽物? 僕のですか?」
「そうよ。自分では自覚してないみたいだけど、界隈では有名だよ、キミ。だからキミの名を語ってアコギなことをしてる輩がいるってわけ」
そんなやつがいるなんて許せない! そういえば、前にどっかの町で、よくも妻を騙したな! とか言って騙し取られた物を返せだとか、鑑定に払った金を返せなんて迫ってきた人がいたな。見に覚えがないから丁重にお断りしたけど、怒るだけ怒って帰っていったんだよな。今思えば、あれはきっと、そういうことだったんだな。
まったく迷惑なやつもいたもんだ。見つけたら衛兵の詰所にでも叩き出してやろうかな。
「なるほど。だから僕が本物であるか確かめたってことですね」
「そういうこと」
「それで? 本物の僕に何を依頼したいと?」
エフィさんはニヤリと不適な笑みを浮かべると、カバンから一枚の汚れた布切れを取り出し、僕の前に置いた。
「これを鑑定してもらいたいの」
「これは、なんですか?」
「これはね……」
エフィさんが言うには、これは王都に住む老婆から預かった一人息子さんの形見なんだそう。
なんでも息子さんは、魔獣討伐隊の一員だったらしく、とある魔獣討伐で命を落としてしまったという。その討伐依頼では、息子さんを含めほとんどの隊員が命を落としたといい、命からがら戻ってこれたごく僅かな隊員の一人が、唯一持ち帰ってくれた品が、この布切れだったという。
「そのおばあちゃんね、いつか息子さんが帰って来るって、そう信じてこれまで生きて来たって言ってた。息子さんは家に帰ってくると『母さん。これ、また洗っといてくれ。いつも汚してすまねぇが、こいつを母さんにピカピカにしてもらうと、どんなやつにも勝てる気がするんだ』って口癖みたいに言ってたんだって。だから、息子さんが帰ってきて、洗ってくれって言われるまで洗えなかったんだって」
「エフィさんが預かったってことは、洗濯の依頼を受けたってことですよね?」
「うん」
「これまでずっと、息子さんのことを待っていたのに、なぜ今洗濯の依頼を?」
「おばあちゃん、持病が悪化してるみたいで、もう長くないらしいの。だから、自分の命が尽きる前に、最後にきれいにしてあげたいって。でも、もう自分じゃピカピカにはできないからって私に依頼してきたの」
「……なるほど」
そういうことか。でも、それならエフィさんの洗濯魔法でちゃちゃっときれいにしてあげればいいのに。あれだけ凄い洗濯魔法が使えるんだから……いや、でも僕に鑑定を依頼してきたってことは、それ相応の何か、があるはずだよね。
「エフィさん。僕に鑑定を依頼する理由を、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか?」
「もちろん」
「勘のいいレントならもう気づいてると思うけど、今の私の知識だと、この汚れは落とせないのよ。洗濯士を名乗る者として、すごく悔しいことなんだよね。私の扱う洗濯魔法はね、その汚れの原因となっているものを分析することで、きれいにする事ができるの。例えば泥汚れにもいろんな種類があるでしょ? どこのどんな石や砂や水分なのかとか。あとは、毒とか呪いとかにもいろんな属性や種類、術式なんかがあるでしょ?」
やはりそうか。だから僕にこの汚れが何によるものなのか鑑定してほしいというわけか。
ん? ちょっと待って。泥汚れの話はわかるけど、毒とか呪いって言った? 言ったよね? それってどういうこと? あと、サラッと分析って言ってたけど、エフィさんって分析の能力も持ち合わせているってこと?
「あの、エフィさん。毒とか呪いって、洗濯と何の関係が?」
「関係あるよ。毒は血中の汚れだし、呪いも人や土地を汚してるものになるからね」
「なるほど。そういう認識なんですね」
「ん? 何かおかしかった?」
「いえ。理解しました。ということは、エフィさんは解毒や呪いの解除が出来るということなんですね?」
「できるよ。でも全部じゃない。なんていうか、上手く説明できないんだけど、私の洗濯魔法って、私がそれを汚れと認識できるかどうかっていうのが問題なんだよね」
「はぁ。そうなんですね。あと、エフィさんて、分析の能力をお持ちなんですか?」
「うん。持ってるよ。分析の能力は生まれつきなんだ。この能力があったから、それが活かせると思った洗濯魔法を選んだの」
いやいや、その能力は、洗濯魔法以外にもいろいろ活かせたでしょ。僕からしたら羨ましい能力だし、その使い道は勿体ないと思ってしまう。とはいえ、本人が納得しているなら、それが一番なんだけどね。
「ということだから、さっそくこの汚れが何によるものなのか、鑑定してもらえるかな?」
「わかりました。では、いきます」
鑑定。え? えぇ!? 嘘だろ? これって、ドラゴンの血だ。それもS級魔獣であるレッドドラゴン。その昔は、国一つが滅びるほどの被害もあったみたいだけど、現在は南東の火山地帯に生息しているとされる個体以外は確認されていないし、そいつもここ数十年は暴れていないらしい。
「どう? わかった?」
「はい。これ、ドラゴンの血ですよ」
「ドラゴンの血! そっかドラゴンか。種類はわかる?」
「はい。おそらくは、レッドドラゴン」
「レッドドラゴン! なるほどね。討伐隊が壊滅寸前に追い込まれたってのもそれで合点がいくわね」
「ですね。これで、この汚れは落とせますね?」
「ううん。まだ落とせないよ」
「え?」
「もうレントったら。さっき言ったでしょ? 原因となるものを分析しないと」
そういえば言っていた。でも、この汚れがレッドドラゴンだということは分かったわけだし、この布切れに付着したものを分析すればわかるよね?
「ここに着いているものを分析するのでは、ダメなんですか?」
「ダメね。これは、劣化しすぎてるから。ちゃんとした分析結果が得られないのよ」
なるほど。そういうことがあるのか。ということは、ある程度鮮度が高いレッドドラゴンの血でなければ、分析はできないということになる。となると……いや、いや。まさか、そんなことはしないよね?
「あの、まさかとは思いますけど、レッドドラゴンの血を探しに行くなんて考えてないですよね?」
「さすがは一流の鑑定士さんね! そのまさかよ。話早くて助かるぅ。それじゃ、早速、明日出発しましょう」
は? 明日出発? 何言ってんの? そんな危険な場所に自ら行くわけないでしょ。
「僕は、行きませんよ」
「え? なんで?」
「何でって。レッドドラゴンですよ? 無理に決まってるでしょ? 僕は鑑定士なんですよ? エフィさんだって洗濯士なわけだし」
え? なんでこの人、この状況で笑ってるの? かえって怖いんですけど。
「大丈夫だよ。別にドラゴンを倒すって話じゃないから。ちょっと足とか尻尾の先とかに傷をつけて、少しだけ血を採取するだけだから、ね?」
ね? じゃないし! ドラゴンに傷をつける? 少しだけ血を採取する? 出来るわけないでしょ!
「僕は、絶対に行きませんからね。では鑑定も終わりましたし、僕は宿に戻りますので。ごちそうさまでした」
これ以上は付き合っていられない。そう思った僕は、足早に酒場を後にし、宿屋に向かった。
「ちょっとレント! 待ってよ! 待ってってば!」
この声はエフィさん。まさか追ってきたのか。
僕は、さらに歩く速さをあげ、宿屋に飛び込んだ。
「レント・ライゼル様ですね。お部屋は2階の1番奥になります。お食事はついておりませんで、街の食堂や酒場などをご利用下さい」
僕は、カウンターの上に置かれた鍵を受け取り、案内された2階奥の部屋に直行した。
「はぁ。ひとまずこれで大丈夫だな」
ベットに寝転んだ矢先、コンコンコンと、誰かがドアをノックする音がした。十中八九ドアの向こうにいるのはエフィさんだろう。
そう思い無視を決め込んでいたが、ドアをノックする音は次第に大きくなり、いい加減我慢の限界に達した僕は、仕方なくドアを開けた。
「……やっぱり、エフィさんでしたか」
「なんか、ごめんね。私、レントを怒らせちゃったみたいだったから、一言謝りたくて」
「いや。別に怒ってるわけじゃないです」
ただ、レッドドラゴンの血を採取しに行くとかいう無謀な計画には賛同できなかっただけで……まぁ、ちょっとめんどくさくなったのは事実だけど。
「ならよかった。それじゃ明日ね。宿の前で待ってるから」
「だ・か・ら!」
「おやすみ!」
「あ! ちょっと!」
行ってしまった。
そして隣りの部屋に入ってったな……って、えぇ!? エフィさん、隣りだったの?
「エフィ!! まだ??」
「もうちょっと! もうちょっとだから、耐えて!」
耐えてって言われても、この距離でレッドドラゴンに炎を吐かれたら、さすがにヤバイ!
ほんの少しの隙が死に直結する状況の中、地面についたレッドドラゴンの血を這いつくばりながら必死にかき集めているのは、僕をこんな超絶危険な目に遭わせた元凶、洗濯士を名乗る銀髪のエルフ、エフィ・ランドローネだ。
彼女との出会いは、忘れもしない3日前のこと。
それは、僕が路銀を稼ぐためにテムリドの街を訪れた時のことだった。
「レント・ライゼルさんですね。会員証のご提示、ありがとうございました」
鑑定士を生業とする旅商人である僕は、この街で屋台を出店する手続きのため、商人ギルドを訪れていた。
「ご滞在は、7日間のご予定でお間違いありませんか?」
「はい」
「かしこまりました。出店費用は旅商協会認定会員でいらっしゃいますので、免除となります」
受付嬢が言った旅商協会認定会員というのは、僕のような旅商人が任意で加入している全国的な旅商人の組合組織の会員のことで、ランクに応じた会費を納める代わりに、窓口で出店費用を支払う必要がなくなる。
そのうえ、出店場所や宿を確保してくれたり、屋台の貸し出しまでしてくれるから、手荷物がぐんと減る。
僕みたいな現物を売らない商売人は、カバン一つくらいになるのだから、本当に有難い。
「お手続きは以上となりますが、ご質問はございますか?」
「いいえ。ありません」
「では、こちらが出店許可証と宿の紹介状、それと貸し出しの屋台になります」
僕は、受付嬢から受け取った出店許可証と宿の紹介状をカバンにしまうと、貸し出しの屋台を抱え、さっそく出店場所である広場へ向かった。
「おぉ! さすがはテムリドだ。やっぱり大きな街は凄いな!」
昼過ぎの広場には、既にたくさんの屋台が所狭しと立ち並び、集まった人々で賑わっていた。
さてと、僕の出店場所は……ここだな。
僕は、貸し出しの屋台を組み上げ、短いカウンターに鑑定屋の文字が刺繍された垂れ幕を取り付けた後、小さなラグを屋根の下に敷き、その上に座った。
「……ふぁ。暇だな」
屋台を出してから、かれこれ二時間は経っただろうか。
辺りを見渡せば、他の屋台はそれなりに繁盛しているというのに、僕の屋台にはまだ一人も客が来ていない。
「はいはーい。きれいになりましたよぉ」
「ありがとね。この天気だと、明日はきっと雨だろうから、魔法の洗濯屋さんがいて、本当助かったわ」
ふと視界に入った真向かいの屋台から、店主の女性と客の女性の会話が聞こえてきた。
「明日、雨なんだ」
見上げた空に太陽の姿はなく、黒い雲が広がりどんよりとしていた。
「これは、明日も開店休業かもな」
周りの屋台が早々に撤収する中、日が暮れるまではと粘ってみたものの、結局初日の客足はゼロだった。
「はぁー疲れた。何にもしてないのに、それでも体はしっかり疲れるし、腹も減る。なんだかな」
そんなことをぼやきながら後片付けを始めた僕の背中を、誰かが、ぽんぽんと叩いた。
振り向くと、そこには、真向かいで洗濯屋を出店していた店主の女性が立っていた。
「キミ、鑑定士さんなんでしょ?」
「ええ」
僕の返事を聞いた女性がニヤリと笑う。
なんだろうこのひと。なんで笑ってるんだろ。なんか、ちょっと怖い。
周りを見れば、既に他の屋台は片付けが終わり、広場には、僕とこの女性しかいなくなっていた。
(マズイ。これは、アレか!?)
僕の経験則からすると、こういう時ってのは、女性と話していると、数人の強面な輩が現れて、そいつらに因縁ふっかけられた後、身ぐるみ剥がされるって相場が決まってるんだよな。どうする? 今ならまだ逃げられるか?
「キミ、逃げようとしてない?」
バレただと!? なんて勘の鋭いひとなんだ。これは、もう、覚悟するしかないか!?
「い、いえ。そんな逃げようだなんて。なぜ僕がそんなことを?」
「だって、明らかに不自然な体勢になってるし」
言われてみれば、たしかに僕の体は女性と反対側の方を向いているし、手足だって、今にも走り出しそうな格好になっていた。
「大丈夫よ。逃げなくたって。別にキミを取って食おうなんて考えてないから」
「うぇ!?」
取って食う!? もっとヤバイでしょそれ!
いや待て待て。焦るな。落ち着け。彼女は、そうは考えてないと言ったよな? ということは……どういうこと?
「あ、あの。僕に何か用でも?」
「うん」
「えっと、どんな?」
「どんなって、キミ、鑑定士さんなんでしょ?」
それは間違いない。自分で言うのもなんだけど、これでも僕は、王都ではそこそこ名の通った鑑定士のひとりだし、なんなら僕の家系を知っている人だったら、それなりの接し方をしてくる。
まぁ、家系のことは、他人にあえて言うようなことじゃないから、今は伏せておくけどね。
「ということは、何か鑑定のご依頼ということでしょうか?」
「うん!」
なんだ。普通にお客さんだったのか。いろいろ詮索した自分が恥ずかしい。
「それで、何を鑑定いたしましょう?」
「私!」
「へ?」
「だから、私! 私の種族を当ててみて! はい、コレ。それじゃ、お願い!」
女はそういうと、僕の手に一枚の銀貨を握らせた。
何言ってるんだこのひとは。もちろん僕の鑑定レベルなら、彼女がどんな種族であるか見極めることはできる。
だけど、なんで? 他人を調べるならともかく、自分でわかっているはずのことをなんでわざわざ? まったく意図が読めない。
なんか、さらに怖くなってきたぞ。そして、悪い予感がしてきた。こういう時の商売人の勘ってのは当たるもんなんだよな。
もうここは、素直にサクッと鑑定終わらせて、さっさと宿に行こう。
「わかりました。それでは失礼します」
パッと見は人間。だけど、あのフードの下に獣耳や角なんかが隠れてるとしたら、獣人や亜人の可能性もあるか。
「……!?」
え? ちょっと待って、ウソだろ? このひと……エルフだ。見誤ったか? いや、そんなハズはない。僕の鑑定結果が間違うことなんて、よっぽどのことがない限りありえない。
「どう? わかった?」
「にわかに信じ難いですが……あなたは、エルフ、ですよね?」
彼女は、ニンマリと頬をピンク色に染め笑うと、僕の両手を握り言う。
「大正解!」
驚いたな。本物のエルフを目にするのは初めてだ。もちろんその存在は知っていたけれど、個体数が激減していて、滅多に人目に触れることはないと聞いていたし、文献にもそう書いてあった。なのに、まさか旅商人をやっているエルフがいただなんて。
「キミ、凄いね! 本物の本物だ! 私は、エフィ。洗濯士のエフィ・ランドローネ。キミは?」
「え、えっと、僕は、レント・ライゼルです」
「レント・ライゼル! いい名前ね! それじゃレント、私の旅について来て!」
は? 私の旅について来て? どういうこと? 洗濯士ってなに? 洗濯屋と何が違うの? それにいきなりタメ口って!? ツッコミ所が多すぎて頭の整理が追いつかない。
「あの、旅について来いとか、いろいろと状況がわからないのですが」
「ごめん! そうだよね。えっと、簡単に言うと、私はこれを作ってるの。で、レントの力が必要ってわけ」
そう言ってエフィさんが見せてきた分厚い本の表紙には『洗濯の極意』と書かれていた。
「えぇ!? あの、まさかとは思うのですが、これはもしかして、英知の書ですか?」
英知の書、それは魔法研究に余念が無いエルフ族が、自身が選んだ分類の魔法を探求し、生涯をかけて創り上げるとされる伝説級の書物である。
現存するものだと、大賢者フィンテの回復魔法が記された『癒やしの書』がある。
それは、フィンテからその書を託された初代聖王から現聖王まで脈々と受け継がれ、不治とされた病を回復させるなど様々な奇跡を起こしてきた。
また、かつて魔王を倒した勇者一行がひとり、大魔法使いアルバが創り上げたとされる『究極攻撃魔法全書』は、無類のダンジョン好きであった彼女自らが創造したという伝説が残る未踏破のダンジョン、戦神の回廊に今も眠っているとされ、1000年以上が経った今も、その力や一攫千金を求める挑戦者が後を絶たない。
その他にも、各地にいろいろな伝承はあるものの、その真偽は定かではない。
「そう、そう! 英知の書だよ! 私は洗濯魔法を研究してるから、名前は洗濯の極意にしたの」
信じられない。エルフに会えただけでも奇跡的なことだというのに、伝説級の書物まで目にすることができるだなんて。
「なんだ、知ってたなら話は早いね。それじゃ、出発は明日ね」
いやいや待ってくれ。話が早いって、僕は何ひとつあなたの話を飲み込めていませんが?
「あの、僕はその旅にはついていきませんからね」
「なんで?」
「なんでって。そんなこといきなり言われても、はい! 行きます! とは普通ならないですよ?」
「そう、なの?」
なんで、そんな悲しそうな顔するのさ。なんかいろいろおかしくなってきたぞ……ほらね、悪い予感がするっていう僕の勘は当たったでしょ?
そんな話を交わしているうちに、雨が降り始めた。
「それはそうと、お腹空いてない?」
えぇ!? 急に!? もうこのエルフ、何考えてるのかさっぱりわからなくて本当に怖いです!
とはいえたしかに、今日この街に到着してからまだ何も口にしていないのは事実なんだよな。
「す、空いてますけど」
「だよね! 雨降ってきちゃったし、ご飯食べ行こ! 私奢るから!」
「いいですよ」
「いいんだね!」
「いや、そう言う意味じゃ、あぁ!」
エフィさんは、僕の腕を勢いよく引き寄せると、雨など構うことなく走り出した。
「ちょっ! エフィさん! 雨! 雨!」
「へーき! へーき!」
「そうじゃなくて! そりゃエフィさんは、そのフードがあるから平気でしょうけど、僕はずぶ濡れになっちゃいますよ!」
って、聞いてないな。もう、どうにでもなれ!
「到着〜って、レント、大丈夫!? ずぶ濡れじゃない!」
「だから、さっきからそうなるって言ってたじゃないですか」
「そうだっけ?」
そうだっけ? じゃないだろ! こっちは下着までびしょびしょなんだよ。こんなんで食事なんてできるか!
「僕は、宿に戻ります」
「ちょっと待って。今きれいにしてあげるから」
きれいにする? って、何? 何? なんで僕に向かって魔法陣を展開してるの? え? 殺られる? 何で? 僕、なんかしました?
いや、思い当たる節はない。ここは深呼吸をして、一旦落ち着こう。深く息をすって、吐いて。よし。鑑定!
……あの青い魔法陣は、水属性……ということは、水もしくは氷の魔法を使うつもりか。
「水の魔法!」
エフィさんが、何かの魔法を唱えると、魔法陣から無数の雫が飛び出し、僕の頭上に集まったかと思うと、あっという間に一つの大きな水玉となった。
く、見たことのない水魔法だ。けど、粗方予想はつく。きっと、この巨大な水玉で僕を包み込み、窒息させるつもりだろう。
「それ!」
エフィさんの掛け声で、水玉が僕めがけて落下。
やっぱり。予想通りだ。
僕は、気休め程度だが、少しは耐えられるだろうと、水玉に飲まれる寸前で息を目一杯吸い込み止めた。
ジャブっと水玉が僕の頭から足の先まで、全身を隈なく包み込む。
(うわ! つ、冷た!)
ゴボボボボ。
水の冷たさに驚いた僕は、虚しくも止めていた息を全部吐いてしまった。
あぁ……これまでか。
そっと目をつむり死を覚悟した瞬間、僕の頭が水玉からスポッと抜け出た。
あ、あれ?
「泡の魔法!」
エフィさんが、また何かの魔法を唱える声が聞こえた。
すると、今度は魔法陣が白色に変わり、首から下を包み込む水玉の中がきめ細やかな泡で満たされた。
うわ! なんだこれ。泡? なんか、回り出したぞ。
服を着ているというのに、まるで直に体を洗っているかのような不思議な感覚だ。
気持ちいい。すごく気持ちいいんだけど、なんて言うか……あ! そうか! これは、洗濯だ! 僕は今、洗濯物になっているんだ!
「水の魔法!」
再び水の魔法を唱えたエフィさん。
魔法陣から水玉に向かって無数の雫が放たれると、流入した雫によって泡が消えていく。
すすぎだね。うう。やっぱり水は冷たい。
「温風の魔法!」
エフィさんがまた別の魔法を唱えると、今度は、魔法陣が赤色に変わり、心地良い温風が全身を包み込んだ。
ほわぁ。これは、すごく気持ちいい。
「はい。きれいになった」
「す、凄いです! 服も体も綺麗になってる! しかも、あれだけずぶ濡れだったのに、下着まで全部乾いてる!」
「ふふん!」
正直エフィさんの洗濯魔法には驚かされた。洗濯魔法って、服の汚れを落とすだけの生活魔法だとばかり思っていたけど、こんなにも進化していたなんて。エフィさんがドヤ顔するのもわかる気がする。
「それじゃ、晩ごはん、食べよっか」
「は、はい」
にっこりと微笑むエフィさん。
その笑顔を見た僕は、なぜか食事の誘いを断る気になれなかった。
「らっしゃい!」
エフィさんに続き酒場に入ると、丸坊主のマスターが威勢の良い声で迎えてくれた。
「エール二杯とブラックホーンの干し肉! それと塩茹で緑まめ!」
「あいよ!」
酒場に入るなりエフィさんは、マスターへ注文を飛ばすと僕の手を引き、奥のテーブル席に案内してくれた。
「あの、エフィさん」
「大丈夫! 心配しないで。ここは本当に私の奢りだから」
「いや、そうじゃなくて。お金の心配はしていません」
「え? じゃあ、何?」
不思議そうな顔で首を傾げるエフィさん。
え? じゃあ、何? じゃないでしょ。普通に考えて、初対面の相手にいきなり強制連行されたら、いろいろ考えるところはあるでしょう?
「エフィさんは、この街に来てけっこう経つのですか?」
「ううん。昨日来たばっかりだよ」
「は?」
いやいや冗談でしょ。さっきの注文の仕方は、もはや常連客の頼み方だったよ? 昨日来たばかりの旅商人のそれじゃないよね?
「さすがにそれは冗談ですよね? 本当は7日前くらいには来ていたんじゃないですか?」
「レントって、案外疑り深いんだね。冗談なんかじゃないよ。ほら」
エフィさんが見せてきた出店許可証には、しっかりと昨日の受付日が記されていた。
「疑ってすみませんでした。あまりにも常連客みたいだったものでつい」
「ふふん!」
なぜ得意気? ま、それはいいとして、僕が本当に聞きたい事はそういうことではないんだよね。
「エフィさん。広場での鑑定は、本題ではないですよね? なぜ、僕を試すような真似をしたんですか?」
僕が少し眉間にシワを寄せ言うと、エフィさんも眉間にシワを寄せ顔を近づけてきた。
「なぜって、それは、キミの名を語る偽物なんてそこら中にいるからにきまってるでしょ?」
「え?」
「え? ウソでしょ? まさかキミ、自分が有名だって自覚なかったの?」
僕が深く頷くと、エフィさんが呆れた表情を見せた。
「これは、偽物が横行するわけだ」
「偽物? 僕のですか?」
「そうよ。自分では自覚してないみたいだけど、界隈では有名だよ、キミ。だからキミの名を語ってアコギなことをしてる輩がいるってわけ」
そんなやつがいるなんて許せない! そういえば、前にどっかの町で、よくも妻を騙したな! とか言って騙し取られた物を返せだとか、鑑定に払った金を返せなんて迫ってきた人がいたな。見に覚えがないから丁重にお断りしたけど、怒るだけ怒って帰っていったんだよな。今思えば、あれはきっと、そういうことだったんだな。
まったく迷惑なやつもいたもんだ。見つけたら衛兵の詰所にでも叩き出してやろうかな。
「なるほど。だから僕が本物であるか確かめたってことですね」
「そういうこと」
「それで? 本物の僕に何を依頼したいと?」
エフィさんはニヤリと不適な笑みを浮かべると、カバンから一枚の汚れた布切れを取り出し、僕の前に置いた。
「これを鑑定してもらいたいの」
「これは、なんですか?」
「これはね……」
エフィさんが言うには、これは王都に住む老婆から預かった一人息子さんの形見なんだそう。
なんでも息子さんは、魔獣討伐隊の一員だったらしく、とある魔獣討伐で命を落としてしまったという。その討伐依頼では、息子さんを含めほとんどの隊員が命を落としたといい、命からがら戻ってこれたごく僅かな隊員の一人が、唯一持ち帰ってくれた品が、この布切れだったという。
「そのおばあちゃんね、いつか息子さんが帰って来るって、そう信じてこれまで生きて来たって言ってた。息子さんは家に帰ってくると『母さん。これ、また洗っといてくれ。いつも汚してすまねぇが、こいつを母さんにピカピカにしてもらうと、どんなやつにも勝てる気がするんだ』って口癖みたいに言ってたんだって。だから、息子さんが帰ってきて、洗ってくれって言われるまで洗えなかったんだって」
「エフィさんが預かったってことは、洗濯の依頼を受けたってことですよね?」
「うん」
「これまでずっと、息子さんのことを待っていたのに、なぜ今洗濯の依頼を?」
「おばあちゃん、持病が悪化してるみたいで、もう長くないらしいの。だから、自分の命が尽きる前に、最後にきれいにしてあげたいって。でも、もう自分じゃピカピカにはできないからって私に依頼してきたの」
「……なるほど」
そういうことか。でも、それならエフィさんの洗濯魔法でちゃちゃっときれいにしてあげればいいのに。あれだけ凄い洗濯魔法が使えるんだから……いや、でも僕に鑑定を依頼してきたってことは、それ相応の何か、があるはずだよね。
「エフィさん。僕に鑑定を依頼する理由を、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか?」
「もちろん」
「勘のいいレントならもう気づいてると思うけど、今の私の知識だと、この汚れは落とせないのよ。洗濯士を名乗る者として、すごく悔しいことなんだよね。私の扱う洗濯魔法はね、その汚れの原因となっているものを分析することで、きれいにする事ができるの。例えば泥汚れにもいろんな種類があるでしょ? どこのどんな石や砂や水分なのかとか。あとは、毒とか呪いとかにもいろんな属性や種類、術式なんかがあるでしょ?」
やはりそうか。だから僕にこの汚れが何によるものなのか鑑定してほしいというわけか。
ん? ちょっと待って。泥汚れの話はわかるけど、毒とか呪いって言った? 言ったよね? それってどういうこと? あと、サラッと分析って言ってたけど、エフィさんって分析の能力も持ち合わせているってこと?
「あの、エフィさん。毒とか呪いって、洗濯と何の関係が?」
「関係あるよ。毒は血中の汚れだし、呪いも人や土地を汚してるものになるからね」
「なるほど。そういう認識なんですね」
「ん? 何かおかしかった?」
「いえ。理解しました。ということは、エフィさんは解毒や呪いの解除が出来るということなんですね?」
「できるよ。でも全部じゃない。なんていうか、上手く説明できないんだけど、私の洗濯魔法って、私がそれを汚れと認識できるかどうかっていうのが問題なんだよね」
「はぁ。そうなんですね。あと、エフィさんて、分析の能力をお持ちなんですか?」
「うん。持ってるよ。分析の能力は生まれつきなんだ。この能力があったから、それが活かせると思った洗濯魔法を選んだの」
いやいや、その能力は、洗濯魔法以外にもいろいろ活かせたでしょ。僕からしたら羨ましい能力だし、その使い道は勿体ないと思ってしまう。とはいえ、本人が納得しているなら、それが一番なんだけどね。
「ということだから、さっそくこの汚れが何によるものなのか、鑑定してもらえるかな?」
「わかりました。では、いきます」
鑑定。え? えぇ!? 嘘だろ? これって、ドラゴンの血だ。それもS級魔獣であるレッドドラゴン。その昔は、国一つが滅びるほどの被害もあったみたいだけど、現在は南東の火山地帯に生息しているとされる個体以外は確認されていないし、そいつもここ数十年は暴れていないらしい。
「どう? わかった?」
「はい。これ、ドラゴンの血ですよ」
「ドラゴンの血! そっかドラゴンか。種類はわかる?」
「はい。おそらくは、レッドドラゴン」
「レッドドラゴン! なるほどね。討伐隊が壊滅寸前に追い込まれたってのもそれで合点がいくわね」
「ですね。これで、この汚れは落とせますね?」
「ううん。まだ落とせないよ」
「え?」
「もうレントったら。さっき言ったでしょ? 原因となるものを分析しないと」
そういえば言っていた。でも、この汚れがレッドドラゴンだということは分かったわけだし、この布切れに付着したものを分析すればわかるよね?
「ここに着いているものを分析するのでは、ダメなんですか?」
「ダメね。これは、劣化しすぎてるから。ちゃんとした分析結果が得られないのよ」
なるほど。そういうことがあるのか。ということは、ある程度鮮度が高いレッドドラゴンの血でなければ、分析はできないということになる。となると……いや、いや。まさか、そんなことはしないよね?
「あの、まさかとは思いますけど、レッドドラゴンの血を探しに行くなんて考えてないですよね?」
「さすがは一流の鑑定士さんね! そのまさかよ。話早くて助かるぅ。それじゃ、早速、明日出発しましょう」
は? 明日出発? 何言ってんの? そんな危険な場所に自ら行くわけないでしょ。
「僕は、行きませんよ」
「え? なんで?」
「何でって。レッドドラゴンですよ? 無理に決まってるでしょ? 僕は鑑定士なんですよ? エフィさんだって洗濯士なわけだし」
え? なんでこの人、この状況で笑ってるの? かえって怖いんですけど。
「大丈夫だよ。別にドラゴンを倒すって話じゃないから。ちょっと足とか尻尾の先とかに傷をつけて、少しだけ血を採取するだけだから、ね?」
ね? じゃないし! ドラゴンに傷をつける? 少しだけ血を採取する? 出来るわけないでしょ!
「僕は、絶対に行きませんからね。では鑑定も終わりましたし、僕は宿に戻りますので。ごちそうさまでした」
これ以上は付き合っていられない。そう思った僕は、足早に酒場を後にし、宿屋に向かった。
「ちょっとレント! 待ってよ! 待ってってば!」
この声はエフィさん。まさか追ってきたのか。
僕は、さらに歩く速さをあげ、宿屋に飛び込んだ。
「レント・ライゼル様ですね。お部屋は2階の1番奥になります。お食事はついておりませんで、街の食堂や酒場などをご利用下さい」
僕は、カウンターの上に置かれた鍵を受け取り、案内された2階奥の部屋に直行した。
「はぁ。ひとまずこれで大丈夫だな」
ベットに寝転んだ矢先、コンコンコンと、誰かがドアをノックする音がした。十中八九ドアの向こうにいるのはエフィさんだろう。
そう思い無視を決め込んでいたが、ドアをノックする音は次第に大きくなり、いい加減我慢の限界に達した僕は、仕方なくドアを開けた。
「……やっぱり、エフィさんでしたか」
「なんか、ごめんね。私、レントを怒らせちゃったみたいだったから、一言謝りたくて」
「いや。別に怒ってるわけじゃないです」
ただ、レッドドラゴンの血を採取しに行くとかいう無謀な計画には賛同できなかっただけで……まぁ、ちょっとめんどくさくなったのは事実だけど。
「ならよかった。それじゃ明日ね。宿の前で待ってるから」
「だ・か・ら!」
「おやすみ!」
「あ! ちょっと!」
行ってしまった。
そして隣りの部屋に入ってったな……って、えぇ!? エフィさん、隣りだったの?
