「ようこそ、丸内(まるうち)ビバリーパークへ! 当園では二十を超えるアトラクションに加え、総勢三十名のキャストによるキャラクターパレード、そして園内を彩るイルミネーションをお楽しみいただけます」

 桜の残香漂う四月。地方の一角にぽつんと居を構える丸内ビバリーパークでは、開園前にもかかわらず、入り口から溢れんばかりの長蛇の列を形成していた。
 女性のアナウンスを遠くで耳にしながら、最後尾に並び始めた短髪の少年は、仰け反り気味に声を荒らげる。

「かーっ! 行列やべえ! シーズンオフなのにこれかよ!」

 隣では友人と思しき栗色の髪の少年が、ひょいと背伸びして列の先頭を覗いている。

「俺たちの番まで結構……って、あれ?」
「どうした?」
「先頭に知ってる人が居る」
「マジか! 先頭に並ぶとか何時起きだよ! 誰だ?」
「あれは……」

 栗色の髪の少年が目を凝らす。前方のチケット売り場では、女性販売員がおかめのような笑顔を貼り付けている。

「お客様、何名様でしょうか?」

 先頭に並んでいた眼鏡の少年は、ボディバッグから折り畳みの黒財布を取り出した。

「ひとりです」


 一


「ボウリング行こうよ、いっちゃん。今日の放課後ヒマなんだ」

 賑やかな教室に突出した栗色の頭が一つ。
 大神十通(おおがみとおる)。高校二年生。『生徒会長』という腕章を着けているが、学ランの前ボタンが締まり切っていない。口を開く度に胸元でフェザーのペンダントトップが日差しを反射している。

「いいじゃん、行こうぜ」

 大神の視線の先で『いっちゃん』こと千石一夜(せんごくいちや)が快諾する。短く刈り揃えられた髪の毛に稲妻の剃り込みが入っている。鋭い目元とは対照的に大神への返事は柔らかい。
 千石が大神の後ろの机に腰掛け、スマホでメッセージアプリを立ち上げる。

「他に誰誘う? 奈々井(なない)は大会近いっつってたし、録原(ろくはら)あたり誘うか」
「いいね」

 スマホを素早くタップして数秒、ピコンという通知音に呼応して千石が頬を掻く。

「あー、録原は無理っぽ。合コンだってよ。つうか、そっち混ぜてもらわね?」
「合コン? うーん、俺は……」
「あー」

 千石が大神へとスマホのメッセージ画面を見せつける。そこには録原からの返事が短く表示されている。

〈大神と一緒は嫌だ〉

「えー」
「あいつ、前の合コン根に持ってやがるな」
「前の合コンって?」
「はあ? ……お前って、残酷な奴だな」

 千石がスマホへと憐みの目を向ける。大神は視線を天井にさまよわせるが、思い当たる節がない。

「しゃあねえ、今日は二人で——」
「千石君」

 不意に会話を遮られ、千石が不機嫌そうに声の主を振り返る。千石が腰掛けた机の主が帰還していた。机の主は蛍光色のヘッドフォンを耳から外し、弁当箱をバッグへと仕舞っている。
 小高零虎(こだかれとら)。中肉中背。レンズの大きい黒縁眼鏡を掛け、表情が読み取りにくいものの、話し声はハッキリしていて聞き取りやすい。
 千石の睨みを意にも介さず、机上にノートを広げてゆく。

「授業の準備したいんだけど」
「……ちっ、悪かったな」

 頭の剃り込みを指で掻き、千石が「またな」と言い残し自席へ戻ってゆく。五時限目開始のチャイムが鳴る中、ただ一人、大神だけは小高の前から動かなかった。

「小高くん」

 小高がすっと面を上げる。自分よりも一回りも大きい図体を前にして、臆した様子は微塵もない。

「何?」

 大神が胸元のフェザーを握り締める。

「今日の放課後、一緒にボウリング行かない?」
「はあっ!?」

 声を上げたのは小高ではなく千石だった。何事かと教室内の視線が集まり、千石は浮かしかけた腰を下ろす。
 突然誘いを受けた小高は目を丸くし、ヘッドフォンへと手を掛けた。

「一緒には行きたくない」


 二


「何なんだ、あいつ! せっかく大神が誘ってやったってのに断りやがって!」

 ボウリング場の騒音下においても、彼の怒号はかき消されなかった。
 右に打ち出された12ポンドがレーンに残された1ピンを弾き飛ばす。スコアボードにスペアのマークが点灯する。
 しゃあ、と千石は快哉を叫んだ。ベンチで大神とハイタッチを交わし、ボールの帰りを待つ。

「気分じゃなかったのかもね」
「にしたって言い方があるだろ! なーにが『一緒には行きたくない」だ!」

 千石の三投目。ゆるいカーブを描いたボールは、やや左寄りに命中した。残り1ピン。千石が悲鳴にも似た声を上げる。
「ドンマイ」と千石を迎え入れ、大神は学ランを脱いだ。

「もしかしたら俺が嫌いなのかも」
「んな奴居るわけねえだろ!」
「居ると思うけど……」

 そう言ってくれるのは嬉しいけどね、と大神が笑みを湛えてボールを構える。綺麗なフォームから放たれた16ポンドが一直線に中央のピンを貫く。
 フロア内に響き渡る轟音。轟音。轟音。ターキーを知らせるアナウンス。周囲の視線をかっさらい、大神は目を線にして「やった!」と笑う。

「化け物かよ」

 千石がスコアボードを見上げ、参った様子で後頭部を掻く。

【せんごく:135】
【おおがみ:146】

「くっそー、逆転かよ! 勝てると思ったんだがなぁ。調子良いな、大神」
「相手が強いほど強くなるよ、俺は」
「主人公かよ」


 ***


「ほら、勝者は受け取れ」

 自動販売機の前で、大神は千石から投げ渡されたスチール缶を両手で受け取った。

「ありがとう。喉渇いた——」

【カレードリンク〈辛口〉】

 絶句する大神。その視線を受け、千石は淡々と言う。

「勝者は受け取れ」
「せめて中辛に」
「勝者は受け取りなさい」
「口の話じゃなくて」

 中辛の言葉遣いでもないが。
 仕方なく大神がプルタブを開ける。一瞬にしてフロア内が異国情緒に溢れ返った。
 口をつけると、みるみるうちに大神は顔を真っ赤に染め上げた。

「かっ、辛ぁっ!!」
「やっぱ一汗かいた後はもう一汗に限るよな」

 悲鳴を上げる大神の前で、千石が『カレードリンク〈鬼辛〉』を勢い良く飲み干す。

「かーっ! これこれぇ! 効くぅ!」

 千石を追いかける形で、大神が残りのカレーを一気に飲み干す。汗だらけの顔はまるで通り雨に打たれたかのようだ。

「何で誘ったんだ?」

 不意に訊かれ、大神はきょとんとする。千石が空き缶をゴミ箱へとシュートし、「だから」と大神に向き直る。

「小高だよ、小高。お前、あいつと仲良かったっけ?」
「ううん。初めて喋ったかも」
「だったらなおさらだ。あいつがクラスで何て呼ばれてるか知ってっか?」
「確か……『前門の虎』?」
「ただの猛獣じゃねえか」

 深い溜め息と共に千石が大神へとスマホの画面を向ける。

「これってこの間の球技大会?」

 画面には校舎を前にしたクラスの集合写真が映し出されていた。三列になって並んでおり、背が高い大神と千石は三列目で肩を組んで笑っている。

「ここ」

 千石が指で示したのは画面の端だった。校舎の昇降口に小高の背中が写っている。

「集合写真だってのにどっか行く。クラスの誰ともつるまねえ。ついたあだ名は『孤高の虎』。あいつが誰かと居るとこ見たことあるか?」
「あー」

 千石が言うように、大神の記憶で小高は常に一人で行動している。昼休みにも弁当箱を持ってふらっと教室から居なくなり、予鈴が鳴る直前に戻ってくる。

「見たことない」
「だろ?」
「うん。だから誘ったんだ」
「はあ?」

 先日、丸内ビバリーパークを訪れた時の記憶を掘り返す。開演前のチケット売り場。長蛇の列を成すその先頭に並んでいた人物こそ小高だったのだ。

「小高くんは一人でビバパを満喫していた。一人で何でもできる人なんだ。……俺とは違って」

 大神の手の中でスチール缶がミシミシと音を立て、鉄の塊へと生まれ変わってゆく。

「小高くんと過ごせば、その秘訣がわかるかもしれない。そうすれば、いっちゃんに迷惑をかけることも——」

 次の瞬間、大神の頭に千石の手刀が振り落とされた。

「痛っ!」
「バーカ。人は一人じゃ生きていけねえんだぜ? 一人で生きる術よりも他人を頼る術を磨いとけよ。それに……」
「それに?」

 千石が大神から身体を逸らし、頭の剃り込みを指で掻く。

「……頼られんのは嫌いじゃねえし」
「いっちゃん……!」

 大神が前のめりになって千石へと詰め寄る。

「俺も同じ気持ちだよ。いっちゃんに頼られる俺になりたい。だけど、そのためには力が要るんだ。一人で何でもできる力が……!」
「闇堕ち寸前じゃねえか」

 よし、と千石が踵を返す。

「次のゲーム行くぞ! リベンジして——」

 千石の言葉を遮るようにポケットのスマホが鳴動する。

「悪い」

 もしもし、と千石が電話に出る。手持ち無沙汰になった大神は、鉄の塊と化した空き缶をゴミ箱に投じた。

「はあっ!? またかよ!?」

 背後から怒号にも似た声が上がり、大神がびくりと肩を跳ね上がらせる。大神の視線に気付いたのだろう。千石は悪態混じりに電話を切るなり、両手を合わせて大神に詫びを入れた。

「すまん! バイト仲間から今日のシフト代わってほしいって!」
「あれ? 昨日も代わってなかった?」

 千石が面を上げ、気まずそうに視線を逸らす。

「一世一代の大勝負らしくてな。何回生まれ変わるつもりだって話だが、無下にもできなくてよ。マジで悪い」
「俺は平気だよ」

 台詞とは裏腹に大神の手は震えていた。その様子を見て、千石が目を細める。

「やっぱ俺、断って——」
「いいよ! 俺は大丈夫だから! いっちゃんこそ大丈夫? 優し過ぎるから体調崩さないか心配なんだ」
「ほざけ。ヤワな鍛え方してねえっての」

 千石が制服も乱れたまま鞄を抱えて駆け出す。

「体調悪くなったらすぐ呼べよ! また明日な!」

 千石が振り向き様に手を振り、フロアから出て行く。
 すると、千石と入れ替わりにフロア内へ入ってきた人影が、苛立たしげに舌打ちした。

「……ったく、いつまで待たせんねん」


 三


「危ないっ!」

 投球フォームからバランスを崩し、大神が盛大に転倒する。手から滑り落ちた16ポンドはガーターへ直行し、頭上でスコアボードがGを刻む。
 大神は膝を着き、手のひらを開閉する。

(震えが止まらない。……このままじゃダメだ。いつまでもいっちゃんを頼るわけにはいかないんだ)

 ぐっと拳を握り締める大神。その横を女子高生二人組が通過してゆく。

「うわ見て。一人でやってる」
「ガチ? ソロ活ヤバ」

 女子高生の会話が大神の心臓をえぐる。額に玉のような汗が滲み出し、呼吸が浅くなってゆく。
 胸元のフェザーを握り締め、足に力を入れる大神。立ち上がろうとする大神を嘲笑うように、女子高生の声が耳をつんざく。

「ボウリングって、一人でできるんだ」

 その台詞が引き金となった。耳鳴りが場内の騒々しさを掻き消し、大神の脳裏にあの日の記憶が鮮明に蘇ってゆく。

『何で一人で行ったの?』

 泣きじゃくる大神。眼前には背の高い女性。その奥では仏壇の遺影が冷ややかに大神を見つめている。

『貴方のせいでお母さんは……』

 頭上から降り注ぐ声。両手で耳を塞いでも、指の隙間から染み込んでくる。

『一人で何でもできると思った?』

「うわあっ!!」

 足に力が入らなくなり、大神はその場で尻もちを着いた。鈍い音が場内を揺らす。

(このままじゃダメだ。このままじゃ……!)

「あの」

 大神が面を上げると、先ほど通り過ぎた女子高生が心配そうに顔を覗き込んでいた。

「具合悪いんですか? 立てます?」
「あ、えと……大丈夫です。ちょっとバランス崩してしまって」
「そっか」

 良かった、と女子高生は笑顔で立ち去っていった。緩慢とした動作で立ち上がる大神の耳に、女子高生の甲高い声が飛び込む。

「え、見て、さっきのソロ活男子! なんかエグいスコア出してんだけど!」
「えー! ストライクってあんなに出んだ! てかヘッドフォン着けてね? 縛りプレイ?」
「ガチじゃん! 眼鏡も掛けてる!」
「キャハハ! 眼鏡は縛りじゃねえって!」
 
 大神の動きが止まる。女子高生二人が向かう先、ボウリング場の一角には人だかりが出来ていた。

(ヘッドフォンに眼鏡……?)

 人だかりの頭上に吊り下がったスコアボードには、一名分の名前が表示されていた。

【孤高の虎】


 四


「うおおおおっ!!」

 小高がストライクを弾き出すと、周囲の野次馬は地響きのような歓声を上げた。
 大神がスコアボードを見上げる。これまで全てストライク。次が最終フレーム。つまり残り三球でパーフェクトゲーム達成だ。場内がどよめくのも無理はない。
 誰もが固唾を呑み込み見守る中、臆した様子もなく大神は小高へと歩を進める。

「小高くん、奇遇だね」

 しかし、小高は気付いていない。戻ってきたボールを入念に拭いている。
 そこで大神は小高の肩に手を置いた。

「小高くん、聞こえてる?」

 小高がビクッと肩を跳ね上がらせ、ヘッドフォンを外す。振り返ったその目には戸惑いの色が浮かんでいた。

「何か用?」
「邪魔しちゃってごめんね。いっちゃ……えー、千石が急用で帰っちゃってさ。小高くんも一人なら一緒にやらない?」
「二人で?」

 小高は11ポンドを持ち上げると、大神に背を向けボールを構えた。

「一緒にはやりたくない」
「えっ……と、俺のこと苦手?」
「理屈じゃないんだよ」
「え? どういう——」

 大神の台詞を遮るように小高がボールを打ち出す。しかし、投球フォームが滅茶苦茶だ。先ほどまでの精度が嘘のようにボールはガーターへと叩き込まれた。
 歓声が落胆へと変わる。蜘蛛の子を散らすように観客が退散し、大神だけが取り残された。
 小高は振り返り、無傷のピンを親指で指し示す。

「こういうこと。わかった?」

 呆然とする大神。やがて絞り出した言葉は、

「ごめん。よくわからない」
「何でわからないかな。ほら、アレだアレ。何とかの何とかが何とかって奴」
「ほぼ伏字じゃないか」

 とうとう小高はムッとした様子で大神の胸元を指差した。

「あんたが居ると腕が落ちるんだよ!」


 ***


『小高と一緒にやるとつまんねえ』

 いつか将棋部の部長がそう言った。小高は当然反論した。

『上達するには最善手を理解して、状況によって使い分けるのがベストでしょう!?』
『部活でマジになってどうすんの?』
『マジにって……。それが部活じゃないんですか? 大会の優勝目指すんでしょう?』
『できるわけないじゃん。どうせ頭イイ私立が優勝するんだから』 
『そんなこと……』

 絶句する小高の前で部長が将棋盤に駒を置く。

『ほら、次は小高の番だ』

 小高には勝ち筋が見えている。そこに駒を置けば勝利が確定する。
 しかし、駒を持った途端、理屈が全て吹き飛んだ。小高が選んだ手は最善とは程遠い、むしろ悪手と呼ばれるものだった。
 小高の一手に部長が満足そうに微笑む。

『楽しくやろうよ。どうせお遊びなんだから』


 ***


「遊びじゃない。俺はいつだって本気なんだ。勉強だって、ボウリングだって……将棋だって。誰よりも上達したいし、誰よりも強くなりたい。そうじゃなきゃ……つまらない」

 小高がコンソールモニタを操作する。最終的に240という高スコアを叩き出しているが、小高は納得していない面持ちだ。
 大神が小高のつむじを見下ろす。

「ねえ小高くん、俺と一緒に1ゲームやってみようよ。俺が本気でぶつかれば、小高くんも実力を出せるんじゃないかな?」
「一緒にはやりたくない。……理屈じゃないんだよ」
「本当に? だったら、どうしてここに来たの? 俺たちと出くわすってわかっていたはずなのに」

 小高が押し黙る。コンソールモニタを操作しているフリをしているが、画面は何も変わっていない。

(小高くんは変わりたがっている。だから、俺たちの予定に合わせて来た。……一歩、踏み出したんだ)

 大神は胸元のフェザーを握り締める。

(俺も——変わりたい!)

 大神が小高の肩を掴み、振り向かせる。眼鏡の奥で小高の瞳が揺れる。

「な、何……!?」
「小高くん、提案があるんだ」
「提案? どんな理屈をつけたって、一緒には——」
「俺と二人で『ひとりボウリング』しよう!」

 小高が呆けた表情を浮かべる。

「二人で……『ひとりボウリング』!?」


 五


「どりゃ!」

 大神の打ち出した16ポンドが小気味良い音を立て、ピンを全て薙ぎ倒す。頭上のスコアボードではストライクの文字が派手に明滅している。
 ガッツポーズを決め、大神が右手を開閉させる。

(震えが……収まった)

 奥のレーンを眺めると、小高が一人で悠然とボールを投げていた。あちらも絶好調のようだ。気持ちの良い音が響いてくる。
 
(『一人』だけど『独り』じゃない。これなら……!)
 
 1ゲームがあっという間に終了した。大神のスコアボードには【おおがみ:160】と表示されている。
 自己ベストだ。大神が顔をくしゃっとさせ、喜色満面となる。

「よし! やったよ、いっちゃん——!」

 振り返った先に祝福してくれる友人は居なかった。代わりに、怪訝そうな顔をした小高が立っていた。

「『いっちゃん』? イマジナリーフレンド?」
「あ、えーっと……」

 熱を帯びた耳を誤魔化すように、大神は頭を掻いた。

「俺は自己ベストだったよ。小高くんはどうだった?」

 小高がスマホの画面を大神へと見せつける。そこには最終スコア【288】と表示されていた。
 大神が目を輝かせる。

「凄いね! いっちゃんのダブルスコアだ!」
「『いっちゃん』の設定凝ってるな」

 スマホの画面を見て、大神とは対照的に小高は不満そうに唇を尖らせた。

「全然ダメだ。最終フレームの二投目、油断した。もう少し内側で打ち出すべきだったのに……」

 ふと小高は大神がニコニコと笑っていることに気がついた。

「何その顔? 俺のミスがそんなに嬉しい? アレだアレ、人の不幸はアレの味」
「蜜の味ね」

 そう、と小高が指を立てる。

「逆だよ、小高くん」
「逆?」

 うん、と大神が両腕を大きく広げる。

「俺たち二人とも、さっきよりもスコアが良くなった。二人一緒に一人でやっているのに、だよ? これって凄い進歩じゃないかな?」
「まあ、確かに」

 大神は広げた手をそのまま小高の両肩へと収束させた。

「小高くん、俺と二人で『ひとりゴト同盟』を組んでよ」
「はい? 『ひとりゴト同盟』?」

 小高の眼鏡がずり落ちる。提案を理解できていないようだ。
 大神は照れ臭そうに頬を指で掻く。
 
「実は俺、一人になると怖くて身体がうまく動かなくなるんだ。だから、小高くんとの『疑似的な一人体験」を通してそれを克服したい。小高くんも俺との『疑似的な二人体験』でなら、実力を発揮できるんじゃないかな?」
「俺は別に……。一人のほうが気楽だし」
「だけど本意じゃない、だろう?」
「何だか丸め込まれている気がする」

 だけど、と小高は大神へ右手を差し出す。

「確かに、理屈で言えば最善手だ」

 大神が小高へ手を伸ばしたその瞬間、ドカッと鈍い音が響いた。何事かと思った矢先、大神目掛けて小高が倒れ込んできた。

「小高くん!」

 大神が小高を両腕で受け止める。その奥には見慣れない二人組が立っていた。

「二人で別のレーン使て、ずいぶん贅沢やのう? 俺らにも分けてくれんか?」


 ***


 小高を蹴り飛ばした男は二人組だった。一人は髪を後ろに撫でつけた大柄な男。もう一人が金髪の細身の男。どちらも派手な柄の開襟シャツを身に纏っている。

「ううっ……」
「大丈夫、小高くん!」

 腕の中で呻き声を上げる小高を介抱しながら、大神は眼前の男たちを睨みつける。

「何やおどれ、やる気か? ええで。かかって来いや」

 二人組と事を構えようとする大神。すると、小高が大神の袖を握り、それを制した。

「無視すればいい。手を出したら学校にチクられて処分を食らうだけだ」
「だけど……」
「問題ない。一人で何とかできる」

 小高が一人で起き上がり、軽く頭を下げる。

「すみません。俺たちは友達じゃなくて、たまたま居合わせただけです。もう終わったのですぐに帰ります」
「友達じゃない? がはは! そうかそうか。ほんならええねん」

 心配そうに見つめる大神に目もくれず、小高が自身のレーンへ向かう。
 すると、大柄な男はその背中に拳を振り上げた。

「ウソは嫌いや」

 拳が迫る。その瞬間、振り返り様に小高は身を縮こまらせ、きつく目を瞑った。
 ガン、と鈍い音が場内に響く。恐る恐る小高が目を開くと、そこにあるはずの拳は無かった。

「大神くん……!?」

 代わりに大神の背中があった。小高を庇うように手で拳を受け止めていた。
 驚いたのは小高だけではなく、相手の男も同様だった。微動だにしない拳と大神を交互に見遣り、苛立たしげに舌を鳴らす。

「何やねん、おどれえっ!!」

 間髪入れず、今度は金髪の男が背後から助太刀に入った。

「てめえっ!!」

 金髪の男が大神の顔面目指して拳を振り下ろす。すると、大神は受け止めていた拳をいなすなり、大柄な男の懐に身体を滑り込ませた。次の瞬間、目にも留まらぬ速さで男の脇腹を天高く蹴り上げた。

「うごぉっ!!」

 分厚い身体がまるで人形のようにくの字に折れる。吹き飛んだ男に金髪の男も巻き込まれ、二人は折り重なる形で床へと叩きつけられた。
 大神が腰の横で両の拳を握り締め、ふうっと息を吐き出す。隣接レーンの投球が止まり、皆の視線が大神へと向けられる。

「大神くん、それって……」
「ああ、これ? 少林寺拳法。昔、友達と一緒に習っていたんだ」

 大神が蹴りのモーションを見せる。

「これなら正当防衛だよね」
「……何だよ。一人で何でもできるじゃん」

 小高がボソッと呟く。その目には失望の色が滲んでいた。
 すると、大神が頭を振った。

「ううん。俺一人じゃ手も足も出なかった。小高くんが一緒に居てくれたから、俺は本来の力を発揮することができたんだ。だから、これは俺たち二人の『ひとりケンカ』」

 大神が小高へと手を差し伸べる。呆然とする小高だったが、やがてふっと笑みを零し、大神の手を取った。

「屁理屈だな」


 六


「飯だー!」

 クラスメートの声が教室へと響き渡ると、数秒遅れて四時限目終了のチャイムが鳴った。小高が弁当箱を持って立ち上がる。

「小高くん」

 前の席に座る大神が振り返り、小高を呼び止める。

「一緒にお昼食べようよ」

 小高はヘッドフォンに手を掛け、ふっと口元に笑みを湛える。

「一緒には食べたくない」

 それだけ言って小高は教室を後にした。断られたことを意に会する様子もなく、大神がふっと微笑む。
 すると、大神の視界を遮るように千石がビニール袋を目の前に掲げた。

「何だあいつ!」
「いっちゃん」

 小高の机に腰掛け、千石がビニール袋から取り出したコンビニのおにぎりへとかぶりつく。具材はわからないが、芳醇なスパイスの匂いが漂ってくる。

「一緒には食べたくねえって何様だよ! 気に食わねえなあっ!」
「あはは、小高くんは孤高だから」
「孤高なあ。一人で何でもできたところで何が嬉しいんだか」
「選択肢の問題じゃないかな?」
「あん?」

 千石が眉根を寄せる。

「一人で何でもできれば、二人でできることも広がる。逆もそう。二人で何でもできれば、一人でできることも広がる。そうして俺たちは世界を変える力を手にしていくんだ」
「バディものかよ」

 千石が残りのおにぎりを口に詰め込む。

「喉詰まらせるよ?」
「うるへー」

 おにぎりをごくんと飲み込み、千石は不貞腐れた様子でパックのストローを咥えた。

「小高が羨ましいのかよ」
「凄いな、と思ってる。だけど、小高くんを誘う理由はそれだけじゃないよ」

 千石からの視線を受け、大神は胸元のフェザーを握り締める。

「友達は多いほうが楽しいからね」



 第1話『ひとりボウリング』了