シーン8-1:
 黄泉・三途の川のほとり

 色彩のない世界。
 灰色の空。音のない風。

 沙羅(霊体)、川岸に立っている。
 ​シカネが寄り添っている。

​​シカネ『着いたぞ。ここが黄泉の国だ』
​沙羅「……静かですね」
 川の向こうに、漆黒の城がそびえ立つ。
 威圧感があるが、沙羅は恐れない。
​沙羅「蓮さんは、あそこね」
 沙羅、迷わず歩き出す。
 その足取りは、力強い。
​沙羅「待っていて、蓮さん」


​シーン8-2:
 黄泉の王の城・謁見の間

 底知れぬ闇が広がる、巨大な空間。
 冷たい玉座に、黄泉の王が座っている。
 その足元。
 幾重もの鎖に繋がれた蓮が、膝をついている。

 蓮の体は霧のように薄れ、消滅寸前だ。
​黄泉の王『……愚かな息子よ。人間ごときに命をやり、永遠を捨てるとは。持って……あと数日か』
​蓮「……後悔は、ない」
 蓮の声は、消え入りそうだ。

 カツ、カツ、カツ。
 硬質な足音が響く。
​沙羅「お義父様へのご挨拶が遅れました」
 沙羅、凛とした姿で現れる。

 蓮が、驚愕に目を見開く。
​蓮「……沙羅……? なぜ……ここに……」
​沙羅「私のお慕いする方を、迎えに来ました」
 沙羅、玉座の王を見上げる。
​黄泉の王『……シカネ、隠し扉を勝手に通したな? ……生きたまま黄泉へ降りるとは。恐れ知らずな娘だ』

​沙羅「シカネは私に脅されたんです。……黄泉の王様。取引を申し込みます」
​黄泉の王『取引だと?』
​沙羅「蓮さんは、私のために『死』を選びました。私は、彼のために『生』を半分差し出します」
 沙羅の胸が、淡く光り輝く。
 蓮から受け取った命と、沙羅自身の情熱が混ざり合った、温かい光。

​沙羅「私の寿命を半分、彼に譲渡します。……そうして、私たちを、人として生かして頂けますでしょうか」
​黄泉の王『……寿命を削るとな? 人間にとって、それは最も惜しいものではないか』
​沙羅「私の熱を抑えてくれるのは、蓮さんだけですから」
 沙羅は、畳み掛ける。

沙羅「王様、ご一考ください。……もしも今、青死病の大流行で数百万の魂が一度に押し寄せれば、黄泉はどうなりますか?」
沙羅「補佐役である蓮さんも失った今……黄泉の処理能力を超えるのではありませんか?」
 黄泉の王、ピクリと眉を動かす。
黄泉の王『図星では、あるが……。そもそも、誰の、せいだと……』
沙羅「申し訳ないと、思っております! せめてものお詫びとして……私が現世で、患者さんたちを治療し、寿命を全うさせれば……彼らは数十年かけて、順番にここへ来ます」
沙羅「死者の数を分散し、少しずつあなたのもとへ送る。……このほうが、事務処理はすんなり行えるのでは?」
黄泉の王『……屁理屈を。それでも、本来、今日死ぬべき魂が助かってしまう事実は変わらぬ』

沙羅「いいえ! 私は人間で、医師です!」
 沙羅、一歩前へ出る。瞳には、強い光。
沙羅「人間が、死に抗って生きたいと願う。医師がそれを助ける。……それは『人間の本能』であり、本来あるべき運命の姿では?!」
 沙羅の魂が、カッと熱く輝く。

黄泉の王『そなたは! ……なぜ己に、死神の魅了が効かなかったのか、考えなかったのか?!』
 沙羅、急にキョトンとする。
沙羅「……私が、恋に、疎いから……?」
黄泉の王『……クク、ハハハ!』
 王、愉しげに笑う。
黄泉の王『もう、良い! ……蓮。その熱苦しい十条の魂を、黄泉から連れ出すが良い」
 蓮、びっくりして顔を上げる。そして、満面の笑みになる。
黄泉の王『その代わり……二人とも、人として短い生を終えた後……我の優秀な家臣として、自分が生かした魂の行く末を決める任に、就くがよい』

 ゴゴゴゴ……と、空中に、現世に通じる扉が開く。
扉から、温かい光が差し込む。
黄泉の王『……天を照らす神の加護を持つ娘が、再び闇に触れた時、いかなる混沌が生まれるか……余興として見逃してやるわ』
 蓮の鎖が、音を立てて砕け散る。
 沙羅、蓮のもとへ駆け寄る。

​蓮「沙羅……君は……本当に……」
 蓮、震える手で沙羅の頬に触れる。
 冷たい指先。
​沙羅「蓮さん。……口づけを、ください」
​蓮「え……」
​沙羅「口移しで、私の命を分けます。……早く! あなたがしてくれないなら、私からする!」
 蓮、沙羅の瞳を見つめる。
蓮「すまない……。君と、生きたい」
 蓮、沙羅の唇を塞ぐ。

 ドクン!!

 まばゆい光が二人を包み込む。
 沙羅の温かい血潮と、燃えるような生命力が、蓮の空っぽな器へと流れ込んでいく。
 二人の魂が溶け合い、螺旋を描いて、空中の扉めがけて、上昇していく。

黄泉の王『行け。……決して、振り返らずにな』


シーン8-3
光の螺旋の中(現世への帰還中)

 光の中。
 蓮の体が、実体を取り戻していく。
 蓮、沙羅を強く抱きしめ、飛翔する。
蓮「……まさか、父上を言い負かすとは。父上……色々と、気になる発言もされていたが……今は、いい」
沙羅「言い負かすなんて。……合理的な提案をしただけです」
​蓮「……沙羅には、誰も勝てないな。暗闇の中で、君だけが……光って見えた」
 蓮の瞳は、涙で潤んでいる。
​蓮「人としての生も、その先も一緒にいよう。……もう二度と、この手を離さない」
​沙羅「はい……。永遠を、共に」
 二人は強く抱き合ったまま、光の彼方へ吸い込まれていく。

シーン8-4:
 帝都大学病院・個室(夕方、夕日が差し込んでいる)

 沙羅、ゆっくりと目を開ける。

​沙羅「……ん……」
​クラウス「お目覚めか、お姫様」
 ベッドの横で、クラウスがりんごを剥いている。

 そして。
 枕元には、蓮が座っている。
 以前のような青白さはなく、頬に健康的な赤みが差している。
​蓮「……おはよう、沙羅」
 蓮の声。
 優しく、温かい響き。
​沙羅「蓮……さん……」
 沙羅、起き上がろうとするが、力が入らない。
 蓮がすぐに支える。
 触れ合う肌が、温かい。
​沙羅「あ……温かい……」
 沙羅、涙ぐむ。
 蓮、沙羅の手を取り、自分の左胸に当てる。
 ドクン、ドクン。
 力強い心音が、掌に伝わる。
​蓮「聞こえるか? 君がくれた命の音だ。……もう、術は、使えない。冷気も出ない」
蓮「だが……」
 蓮、自分の胸に手を当てる。
 ドクン、ドクンと、強い鼓動がある。
蓮「君と同じリズムで、ここが動いているのが分かる。俺の心臓は今、君のために動いている」
​沙羅「……っ!」
 沙羅、蓮の胸に顔を埋め、泣きじゃくる。
 蓮、愛おしそうに沙羅の髪を撫でる。

​クラウス「はいはい、ごちそうさん。……約束の血は、元気が戻ってからでええわ」
 クラウス、剥いたりんごを置いて、部屋を出て行く。
 その背中は、少し寂しげだ。

シーン8-5:
 蓮の屋敷・温室(数ヶ月後・春)

 花々が咲き乱れる美しい温室。
 沙羅と蓮、並んでティータイムを楽しんでいる。
 テーブルには、完成した『青死病治療薬』の瓶が飾られている。
​蓮「……俺達が見つけた『楔』を、君の血に存在する抗体で攻撃する……上手くいったな。クラウスの協力のおかげで、特効薬の量産も軌道に乗ったし」
​沙羅「はい。これで、青死病でもう悲しいお別れをする人は、いなくなります」
 沙羅、微笑む。
​蓮「ああ。……だが」
 蓮、沙羅の手を取る。
 薬指には、西洋では永遠を誓う儀式だという、お揃いの指輪。
蓮「人間になったせいで、寒さに弱くなった。……温めてくれないと、風邪をひく」
 蓮、甘えるように沙羅の肩に顔を寄せる。心からの笑顔。
沙羅「……仕方ないですね」
 沙羅、蓮の頬に口づける。
沙羅「用法用量を守って、ずっと、そばにいてくださいね」