​シーン3-1:
 蓮の屋敷の研究室(深夜)

 粉々に割れた窓ガラスが、月光を浴びてキラキラと散らばっている。
 黒覆面の男たちが、床に転がって呻いている。
 蓮、その中心に静かに佇んでいる。
 白衣には一滴の返り血もついていない。圧倒的な強さ。

蓮「……消えろ。二度とこの敷地を跨ぐな」
 蓮の声は低く、地獄の底から響くような圧迫感がある。
 男たち、恐怖に顔を引きつらせ、這うようにして逃げ去る。
 静寂が戻る。

 沙羅、へたりと床に座り込む。
 安心感から、抱きしめていた論文を落とす。
​沙羅「あ……」
 蓮、くるりと振り返る。

 先程までの殺気が嘘のように消え、穏やかな表情で沙羅に近づく。
 その場に片膝をつき、沙羅と視線の高さを合わせる。
​蓮「怪我はないか?」
 蓮の手が、沙羅の頬に触れる。
 ひんやりとした冷たさ。
​沙羅「たす……助かった……」
 沙羅、安堵で涙が滲む。
 蓮、くしゃくしゃになった論文を優しく持ち上げる。
​沙羅「あ、ごめんなさい……!私のために、あなたを危険な目に……」

 沙羅、俯く。
 いつものように罵倒されると思った。
 『女のくせに』『危険なマネをするな』と。
 しかし、蓮は論文の文字を目で追っている。

蓮「命をかけて、守るに値するだけの、データだな」
​沙羅「え?」
​蓮「ウイルスの変異予測、そして抗体の精製プロセス。……美しい論理構造だ。君は、これをたった一人で?」
 蓮の瞳が、真っ直ぐに沙羅を射抜く。
 そこにあるのは、純粋な「敬意」。
​蓮「君の情熱は、誰にでも持てるものじゃない。君はもっと……君自身を誇るべきだ」
 沙羅、目を見開く。
 心臓が、ドクンと大きく跳ねる。
​沙羅(独白)「父様と兄様が死んでから、誰もが私の研究を止めた。穢れていると罵った。……でも」
 蓮の言葉が、凍っていた沙羅の心を溶かしていく。
​沙羅(独白)「蓮さんだけは、私の『情熱』を、『戦い』を、理解してくれる。認めてくれる」
 沙羅、涙を拭い、蓮を見つめ返す。

​沙羅「……ありがとう」
 蓮、微かに微笑む。

蓮「立てるか?」
 蓮、座り込んだ沙羅に手を伸ばす。
 沙羅、立とうとしてバランスを崩す。
蓮「危ない……!」
 蓮、反射的に沙羅を支えようと腕を伸ばす。
 だが、勢いがついていた。 蓮の冷たい指先が、倒れ込んできた沙羅の、胸元へ、触れてしまう。
 ジュウゥゥッ……!!
 静かな部屋に、激しい蒸発音が響く。 直接触れた部分の熱さと冷たさがショートし、真っ白な蒸気が二人の顔の間に噴き上がる。
沙羅「――んっ!!」
   沙羅、鋭い刺激に背筋を反らす。
   蒸気が肌を走り、思わず声を上げてしまう。
沙羅「ご、ごめんなさい……! は、はしたない……」
 沙羅、真っ赤になって飛び退く。
蓮「謝ることなどない。ふ、そんな声も、艶めいて……イイな」
 蓮の瞳孔が開いている。
蓮「……すごいな」  
 蓮、夢を見ているような表情で呟く。
蓮「頬や指とは、比べ物にならない……。熱い」
 蓮の視線が、沙羅の潤んだ瞳と、蒸気を上げる胸元を行き来する。
蓮「……ダメだ、離れられない」
沙羅「え……?」
 グイッ。
 蓮、沙羅を抱き寄せ、逃げ場を塞ぐ。
蓮「治療の続きだ。……もっと、君の熱を知りたい」

――パッシイイン!
 沙羅の平手打ちが、蓮の頬に炸裂した。


シーン3-2:
雲海の上・朝。

 三神蓮が、何もない虚空に優雅に座している。
 漆黒のコートの裾が、朝焼けの風にはためく。

 シカネが雲に乗り移り、蹄で蓮の頭をペシペシと叩く。
シカネ『おい! 論文を阻止するんじゃなかったのかよ、なんで、研究の支援してんだよ!』
蓮「あの温もりには……抗いがたい」
 蓮、自分の手のひらを太陽にかざす。
蓮「そも、論文が完成して、人が生きるようになったからといって、父上と俺が頑張れば何とかなるような気がしてきた」
 真顔。
 清々しいまでの、ド根性論。
 数百万人の運命が変わるなら、残業すればいい。
 黄泉の皇子は、そう結論づけた。
 シカネ、絶句する。両耳が、パタンと垂れ下がる。
シカネ『本能に流された上に、根性で乗り越えようとしてんじゃねえ!』
 シカネのツッコミが炸裂する。

蓮「本能などと、人聞きの悪い。……物理的な温かさだけではない! たかだか100年も生きられない人の子の、医学に命を燃やす情熱が美しいと、言っているのだ」
シカネ『堕とす、だのなんだの言ってたくせに……』
蓮「沙羅の純粋な魂を、手に入れたいという思いに、当初から変わりはない! 触れ合う前から、気に入っていたしな!」 
シカネ『数百年ぶりの恋に、浮かれやがってっ』
 シカネの冷たい視線など、蓮は意に介さない。
 蓮はただ、眩しい朝の光の中で、愛しい者の住む地上を見下ろし、満足げに微笑むだけだった。