​シーン2-1:
 蓮の屋敷(私設研究所)・応接室(深夜)

 暖炉の火が燃える、豪華な応接室。
 白衣の蓮、沙羅をソファに座らせる。
 蓮の肩には、​シカネが乗っている(沙羅には見えていない)

​蓮「俺は三神蓮。医者でウイルス学の研究者だ。君の噂は聞いているよ、十条沙羅さん。天才科学者だって」
沙羅「三神……伯爵家の方ですね。でしたら、十条の長女は医学に狂った変わり者だ、とも聞いていらっしゃる?」
蓮「……世界20億人を敵にしても、たった一人、己の仮説を信じ抜ける科学者だけが、世界を変えてきた。君には、歴史上の偉大なる科学者と同じものを感じるよ。……孤独を恐れず、批判を避けない、そんな姿勢を」
沙羅「……まるで、見てきたみたいに仰るんですね」
​シカネ(小声)『この子鋭いよ、皇子!』
沙羅「そんなこと、初めて言われました。ずっと……女が科学者だなんて、止められてばかりで。父と兄が亡くなってからは特に……周りじゅう、敵だらけで。元婚約者も、理解してくださらなくて……凄くいい人でしたけど」
蓮「君は、魅力的だからな。家に閉じ込めておきたくなる男の気持ちも分かる……」

 蓮の手が、沙羅の髪に触れる。
​​シカネ(小声)『いけいけ、皇子! 魅了で、イチコロだ!』
 子鹿の​シカネが、蓮の肩の上から踊って応援する。(沙羅には見えていない)
 蓮の瞳が妖しく光り、沙羅を覗き込む。

(死神の魅了)。

 通常ならば、人間は一瞬で恋に落ち、魂を差し出すはずの魔眼。
蓮「……全ての憂いを忘れさせてあげるよ。……俺の手を、取れ」
 蓮、氷のように冷たい手を差し出す。

 沙羅、目を見開いて蓮を見る。
​蓮「……ん? なぜ俺の手を求めない?」
​沙羅「瞳孔が開いてない」
​蓮「は?」
 沙羅、真顔で蓮の顔を覗き込む。
 涙は乾き、研究者の鋭い眼差しが復活している。
​沙羅「人間が本当に興味を持った相手を見る時、瞳孔が開くはず。それに、呼吸数も、毎分16回で安定。……あなたは、大して私に惹かれてもいないし、興奮もしていない」
​沙羅「それなのに、優しい言葉で近づいて、何をしたいんですか? 十条家が目当てなら……天皇家に近かったなんて今や昔、没落一直線ですよ。三神のご令息が、繋がりを求めような家じゃない」
​蓮「君のことは、好ましいと思っている! 美しいご令嬢を慰めようとしたら、いけないのか?」
​沙羅「……視野狭窄? 視力低下? お疲れなんじゃないですか? 顔色も悪いです、青白いというか」
​蓮「それは、体質というか……」
​沙羅「この部屋、照明が暗すぎます。それに湿度も高すぎる。カビの温床になりますよ」
​蓮「間接照明による、雰囲気というものが……」
​沙羅「雰囲気で病気は治せない!」
 沙羅、言い放つ。
 ​シカネ、『あちゃー』と蹄で顔を覆う。

蓮(独白)「生まれて数百年、俺の魅了が通じなかった人間など一人もいない。なぜだ? なぜこの女は、俺を見て頬を赤らめない?」
蓮「き、君は……俺を見て、いつもと違う感覚を覚えないのか? 胸が高鳴るとか、陶酔するとか」
沙羅「感じますよ」
蓮「そうだろう!」
沙羅「寒気がします。あなたの周囲だけ、気温が著しく低い。きっと、体温が異常値……私と、逆?」
蓮「俺の目を、もっとしっかり見ろ!」
 蓮、沙羅の頬を両手で固定し、目を覗き込む。
 ガシッ。
 その瞬間。蓮の両手から、蓮の体に、電流のような衝撃が走る。
 ドクン!!
蓮(独白) 「なんだ……これは……!?」
 死神である蓮の体は、常に絶対零度だが、沙羅に触れた手から、信じられないほどの「熱量」が流れ込んでくる。
蓮(独白) 「熱い。……いや、温かい。……こんな感覚、数百年で初めてだ。生命力そのものが凝縮された、極上の温泉に浸かったような……とろける心地よさ」
蓮、恍惚とした表情で、沙羅の頬を両手で抑えたまま、固まっている。
沙羅「……離してください。私に触ると、火傷しますよ。今、緊張しているから、普段よりさらに体温が高くなっているかと。下手したら、お風呂より……」
蓮「火傷? ……ふ」
 蓮、ニヤリと笑う。
蓮「凍えきった俺を溶かせるものなど、この世に存在しないと思っていたが……。もっとだ」
沙羅「はい?」
蓮「もっと触れさせてくれ。……君の熱は、極上だ」
 蓮、沙羅を抱き寄せようとする。沙羅、冷静にすり抜ける。
沙羅「お断りします。『青死病』の論文を書かないと……研究費も打ち切られてしまうし。ああ、頭が痛い」
 沙羅、背を向けて歩き出す。足元の氷が、沙羅の熱で溶け、水溜まりに戻っていく。
蓮「……待て」
 蓮、焦る。あの「熱」が離れていくと、耐え難いほどの寒さが襲ってくる。
 一度温かさを知ってしまったら、あの熱なしではいられない。

蓮「研究場所も、最新の設備も、すべて提供しよう。……俺の研究室所に、来い」
沙羅「……条件は?」
蓮「俺の『治療』をすることだ」
沙羅「治療?」
蓮「ああ。……俺は……て、低体温症なんだ。定期的に俺に触れて、その体温を分け与えること。それだけでいい。なぜか分からない……どんな熱源でも、俺を温めることなどできなかったのに、君だけは違う」
沙羅(独白)「パトロンとしての条件は破格。よく見れば、この顔……パーツ配置が1:1:1、完璧な黄金比!? 生物学的に優秀であることを示す、全人類のメスが惹かれる顔立ち。さぞかし引く手あまた……。なら、私みたいな芋娘に、変な気を起こすはずがない。それに……『異常な低温』、分析してみたい! でも……話がうますぎる」
蓮「……その熱のせいで……誰にも触れられず、誰からも触れられずに生きてきたんだろう? 俺と同じように。自分の意思を裏切る、ままならない身体を抱えた者同士……支え合おうじゃないか。君が持て余している熱は、俺には救いなんだ」

 蓮の冷たい両手が、強張っていた沙羅の肩に触れる。
 両手は、離れて、行かない。そのままずっと、肩に柔らかい感触が残り続ける。
沙羅「……っ」
 沙羅、唇を噛む。言わないと決めていた言葉が、安堵で漏れそうになる。
沙羅「……誰といても、ずっと、一人だった」
 一滴だけ、涙がこぼれ落ち、床の氷を溶かす。
 沙羅、ハッとしてすぐに涙を拭い、睨みつけるように顔を上げる。
沙羅「……い、今のは忘れてください。横を見ても誰もいないのは、多分、私が誰よりも先を歩いている証拠かも、しれないし。週1回の帝都大学病院での、医者としての仕事だけ、続けさせてください。それ以外は、こちらで研究を……交渉、成立です」
蓮「(愛おしそうに目を細めて)……ああ。忘れよう。その代わり、蓮、と呼んでくれ」
 二人が握手をする。
 蓮の手が凍りつき、沙羅の手がそれを溶かす。
 湯気が立ち上る中、奇妙な契約が結ばれた。


​シーン2-2:
 蓮、隣の部屋(研究室)へ沙羅を誘導する。
 そこには、最新鋭のドイツ製実験機器がずらりと並んでいる。
 巨大な遠心分離機、試薬類。そして最高級の顕微鏡。

​蓮「日本一の研究設備を揃えた。君の研究を支援する技術者も、君が望むだけ採用しよう。……この『最高の研究環境』を君に提供する」
​沙羅「……え?」
 沙羅の瞳が、恋をした少女のように輝く。
 その視線は蓮ではなく、顕微鏡へ注がれているが。
​沙羅「すごい……! カール・ツァイスの最新モデル!? これがあれば……!」
​蓮「好きに使っていい。君が望むなら、世界中の文献も取り寄せよう」
沙羅「ありがとうございます! お世話になります!」

 その時。

 研究室の窓ガラスが砕け散る。
 黒覆面の男たちが、研究室へ侵入する。
​男A「十条沙羅だな! その論文と、全てのデータを渡せ!」
 沙羅、驚いて論文を抱きしめる。
 男たちの凶刃が迫る。

 キンッ!

 金属音が響き、男の短刀が弾き飛ばされる。
 蓮が、沙羅の前に、沙羅を守るように立っている。手にはメス。
​蓮「……犬……狼か? 俺が提供した『最高の環境』を、土足で荒らすな」
 蓮、冷酷に微笑む。
​蓮「掃除の時間だ」