香りの記憶、人生の処方箋



カウンターで、私はブレンドを作った。
小さなガラス瓶に、キャリアオイルを注ぐ。
そして、一滴ずつ、精油を垂らしていく。

「ローズを二滴」

自分を愛する香り。

「ジャスミンを二滴」

勇気を与える香り。

「ベルガモットを二滴」

明るく前向きになる香り。
瓶を優しく振って、香りを混ぜ合わせる。

「さあ、できましたよ」

私は結衣さんに瓶を渡した。
結衣さんが香りを嗅ぐ。
数秒の沈黙。
そして、彼女の顔に、柔らかな笑みが浮かんだ。

「……すごく、いい香りです!」
「気に入ってくれました?」
「はい。なんだか……私、告白できる気がしてきました」

結衣さんは瓶を両手で包んだ。

「告白、してきます」

その言葉を聞いて、私の胸が温かくなった。

「はい。応援しています!」
「ありがとうございます」

結衣さんは深々と頭を下げた。

「和花さんも、お話してくれてありがとうございました」
「こちらこそ。結衣さんとお話ができて、私も少し前に進めた気がします」

そう言って私は微笑んだ。
それを聞いた結衣さんも、少し照れたように笑った。



結衣さんが店を出た後、私はしばらくカウンターに立っていた。
窓の外を見る。結衣さんの背中が、商店街に消えていく。
彼女の背中は、さっきよりも少しだけ大きく見えた。
――頑張って。
心の中で、そう呟いた。

「和花」

誠一郎さんが声をかけてきた。

「今の話、聞こえてたよ」

私は少し驚いて振り返った。

「あ……すみません」
「謝ることはない」

誠一郎さんは穏やかに笑った。

「君は、自分の経験を話した。それは、勇気がいることだ」
「でも……」
「失敗を隠す必要はないんだよ、和花」

誠一郎さんは続けた。

「失敗から学んだことを、誰かに伝える。それが、君の強さになる」

その言葉が、胸に染みた。
失敗を、強さに変える。
そんなこと、できるのだろうか。

「君は、ちゃんと前に進んでいるよ」

誠一郎さんは優しく言った。

「少しずつでいい。焦らなくていい」
「……はい、ありがとうございます」

私は小さく頷いた。



店が落ち着いた頃、蓮さんがお店に顔を出した。

「おじいちゃん、和花さん、お疲れ様」
「蓮、今日もいたのか」

誠一郎さんが笑った。

「ここだと香りもいいし、リラックスできるから仕事が捗るんだよね。それに、SNSの写真、もう少し撮りたくて」

蓮さんはカメラを持っていた。

「店の雰囲気とか、香りの瓶とか、撮ってもいい?」
「もちろん」

私は頷いた。
蓮さんは店内を歩きながら、いくつか写真を撮った。
窓から差し込む光を捉えたり、精油の瓶を接写したり。

「蓮さん、写真上手ですね」
「ありがとう。デザインの仕事してると、写真も撮るようになるんだ」

私の言葉に蓮さんは笑った。
少し沈黙が流れた後、蓮さんが言った。

「さっきの女子高生、勇気出してたね」
「また、聞こえてました?」
「ごめん。写真撮りながら、ちょっと」

蓮さんは申し訳なさそうに言った。

「でも、和花さん、すごく良いアドバイスしてたよ」
「そんな……私、自分の失敗を話しただけですよ」
「それがいいんだと思う」

蓮さんは真剣な表情で言った。

「完璧な人の話より、失敗した人の話の方が、心に響く」

私は少し驚いて、蓮さんを見た。

「和花さんは、自分の傷を見せることができる。それって、強さだと思う」

その言葉に、私の心が震えた。
強さ、か。
私は強いのだろうか。

「あ、そうだ」

蓮さんが話題を変えた。

「SNS、来週には公開できそう。和花さんにも見てもらいたいな」
「はい、楽しみにしています」

私は笑顔で答えた。

「じゃあ、もう少し写真撮るね」

蓮さんは店の奥に向かった。
私は彼の背中を見ながら、考えた。
――強さ。
私は、強くなれているのだろうか。
まだ、よく分からない。
でも、少なくとも、前には進んでいる気がする。
一歩ずつ。



その夜、店を閉めた後。
私は一人、ローズの瓶を手に取った。
自己肯定感を高める香り。
自分を愛する香り。
蓋を開けて、深く香りを嗅ぐ。
甘く、優しい香りが、鼻腔を満たす。

――私は、自分を愛せているだろうか。
過去の失敗を、ずっと引きずっている。
瀬川さんを傷つけてしまったことを、忘れられない。
でも、今日、結衣さんと話して思った。
失敗したことも、私の一部なんだ。
それを隠す必要はない。
むしろ、それを誰かに伝えることで、誰かの役に立てるかもしれない。

窓の外を見る。
秋の夜空に、星が輝いている。
冷たい風が、静かに吹いている。
私は瓶を棚に戻して、深呼吸した。
――いつか、きっと。
私も、自分を信じられる日が来る。
そう信じて、前に進もう。
私はローズの瓶を棚に戻し、帰り支度を始めた。