香りの記憶、人生の処方箋

10月も半ばを迎え、商店街の街路樹はすっかり秋色に染まっている。
朝晩の冷え込みが強くなり、店に来る客もコートを羽織るようになった。
秋が、確実に深まっている。

店の窓から外を見ると、落ち葉が風に舞っていた。
くるくると回りながら、ゆっくりと地面に降りていく。
その光景を見ていると、なぜか心が落ち着いた。

「和花、今日は何だか静かだね」

誠一郎さんが声をかけてきた。

「そうですね。平日の午前中は、いつもこんな感じですよね」

私は棚の整理をしながら答えた。
確かに、今日は客足が少ない。
週末は賑わうけれど、平日はゆったりとした時間が流れる。
それはそれで、悪くない。

「こういう静かな時間も、大切だよ」

誠一郎さんは穏やかに言った。

「客が来ない時は、自分と向き合う時間にすればいい」
「自分と……ですか?」
「そう。香りを扱う者は、まず自分の心を整えないといけない」

誠一郎さんはそう言いながら、精油の瓶を一つ手に取った。

「乱れた心で香りを選んでも、相手に合うものは見つけられない」

その言葉に、私は少し考え込んだ。
自分の心を整える。
私の心は、今、整っているだろうか。
最近、少しずつ変わってきた気がする。
お客さんと話すことが、以前より怖くなくなった。
人の悩みを聞いて、寄り添うことに、少しずつ慣れてきた。
でも、まだ完全には――。

あの日のことが、時々頭をよぎる。
大学時代、瀬川遼さんに香りを贈った日。
あの失敗が、まだ心のどこかに引っかかっている。
この引っかかりがいつか取れる日がくるのか、今の私にはまだ想像ができない。
誠一郎さんの言う、『向き合う事』がこの事だとわかっていても、やっぱり背を向けてしまうのだ。

カランカラン。
軽やかなドアベルの音で、私はハッと我に返った。
気持ちを切り替えるため、深呼吸をする。

「いらっしゃいませ」

顔を上げると、一人の女子高生が店に入ってきた。
紺色のブレザー。
肩まで伸びた黒髪。
少し緊張した様子で、店内をきょろきょろと見回している。
彼女は私の視線に気づいて、小さく会釈した。

「あの……すみません」

声が少し震えている。
私は彼女の緊張を和らげるために微笑んだ。

「はい、何かお探しですか?」
「あ、あの……恋愛運が上がる香りって、ありますか?」

女子高生は顔を赤らめながら、小さな声でそう言った。
恋愛運。
その言葉に、私は少しだけ胸がちくりとした。
――私も、昔はそんな風に思っていたな。
香りで恋が叶うなんて、信じていた時期があった。
でも、現実は――。

「恋愛運、ですか」

私は優しく言った。

「恋愛運が上がる、という科学的な根拠はないんです。でも」

一呼吸おいて、私は続けた。

「自分に自信を持てるようになる香りや、前向きな気持ちにさせてくれる香りはあります」
「それで、いいです。それをください!」

女子高生は真剣な表情で頷いた。

「私、好きな人に告白したいんです。でも、勇気が出なくて……」

その言葉に、私の心臓が跳ねた。
――ああ、そうか。
この子も、昔の私と同じなんだ。

「あの、良かったら、あちらで少しお話を聞かせてもらえますか?」

私はカフェスペースを指した。
女子高生は少し迷った後、頷いた。