香りの記憶、人生の処方箋

恵子さんと美月さんが仲直りして店を出ていった翌日。朝から秋晴れの気持ちの良い天気だった。
商店街を歩く人々は、久しぶりの晴天に嬉しそうな表情を浮かべている。
昨日までの雨で濡れた路面が、朝日を反射してキラキラと輝いていた。
街路樹の葉は、雨に洗われて一層鮮やかな色を見せている。
私は店の扉を開けて、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。ひんやりとした朝の空気が、心地よく肺を満たす。

「おはようございます」
「おはよう、和花」

誠一郎さんが、いつものように穏やかな笑顔で迎えてくれた。
彼は店の奥で、精油の瓶を、一つ一つ、まるで宝物を扱うように丁寧に大切に拭いている。
その姿を見ていると、私も自然と気持ちが引き締まる。

「今日は良い天気ですね」
「ああ。こういう日は、お客さんも増えるだろうね」

誠一郎さんは窓の外を見ながら言った。

「準備、しておかないとね」
「はい」

私はエプロンをつけて、カウンターの準備を始めた。
レジの確認、精油の補充、カフェスペースのテーブルを拭く。
一つ一つの作業を丁寧にこなしていくと、心が落ち着いてくる。

この店で働き始めて、もうすぐ2年になる。
最初の頃は、毎日が不安だった。お客さんと話すのが怖くて、いつも逃げ腰だった。
でも、最近は少し変わってきた気がする。
真帆さん、彩花さんと翔太さん、結衣さん、恵子さんと美月さん。
たくさんのお客さんと出会って、その悩みに寄り添ってきた。
そのたびに、私も少しずつ成長している気がする。
まだまだ未熟だけれど、前には進んでいる。
そう信じたい。



午前中は、予想通りお客さんが多かった。
週末ということもあって、若いカップルや友達同士の女性たちが次々と来店する。
私は一人一人に丁寧に対応しながら、香りの説明をしたり、相談に乗ったりした。
お客さんと話すことが、少しずつ楽しくなってきている。
それが、嬉しかった。

昼過ぎ、少し店が落ち着いた頃。
カランカランとドアベルが鳴って、二人の若い女性が入ってきた。

「いらっしゃいませ」

私は笑顔で迎えた。
二人とも大学生くらいだろうか。
一人はロングヘアで、明るい雰囲気の女性。
もう一人はショートカットで、少し大人しそうな印象。
二人は店内を見回しながら、小声で何か話している。
その様子は楽しそうに見えたけれど、よく見ると、どこかぎこちない感じがした。

「ねえ、見て。可愛い瓶がいっぱい」

ロングヘアの女性が明るく言った。

「うん…」

ショートカットの女性は、少し気のない返事をした。

二人は棚の前に立って、精油の瓶を眺め始めた。
でも、会話が続かない。
一方が話しかけても、もう一方の返事が短い。
私は少し気になった。
何か、あるのだろうか。
でも、すぐには声をかけられなかった。
お客さんのプライベートに、どこまで踏み込んでいいのか、まだ完全には掴めていない。
しばらくして、ロングヘアの女性が私に近づいてきた。

「あの、すみません」
「はい、何でしょうか」

私は柔らかく笑いかけた。

「友達へのプレゼントで、香りを探してるんですけど」

彼女は少し困った表情を浮かべた。

「何がいいか、分からなくて」
「友達へのプレゼントですか」

私は頷いた。

「どんな方なんですか?」
「えっと…」

彼女は言葉に詰まった。
それから、ショートカットの女性に視線を向けた。

「あの子なんですけど」

その瞬間、ショートカットの女性がこちらを見た。
少し驚いた表情。
私は状況を理解した。
――ああ、そういうことか。
プレゼントを贈る相手が、一緒にいる。
ということは、何かサプライズを計画しているのか、それとも――。

「よかったら、お二人でお話を聞かせていただけますか?」

私は提案した。

「そのほうが、ぴったりの香りを見つけられると思います」

ロングヘアの女性は少し迷った後、頷いた。

「分かりました」



私は二人をカフェスペースに案内した。
ハーブティーを淹れながら、私は二人の様子を観察した。
二人は向かい合って座っているけれど、視線が合わない。
どこか、ぎこちない空気が流れている。

「お待たせしました」

私はカモミールティーを二人の前に置いた。

「ありがとうございます」

ロングヘアの女性が笑顔で言った。
でも、その笑顔は少し無理をしているように見えた。

「私、柚木和花と申します。よろしければ、お二人のお名前を伺ってもよろしいですか?」

私は先に自分の名前を名乗ってから尋ねた。

「あ、私は鈴木あかりです」

ロングヘアの女性――あかりさんが答えた。

「佐藤みなみです」

ショートカットの女性――みなみさんが小さく言った。

「あかりさん、みなみさん。よろしくお願いします」

私は柔らかく笑いかけた。
少し沈黙が流れた。
誰も、最初の言葉を発しない。
私は少し考えてから、口を開いた。

「あかりさんは、みなみさんにプレゼントを探されているんですよね?」
「はい」

あかりさんが頷いた。

「みなみと…高校からの親友で。誕生日が近いから、何かプレゼントしたいなって」

みなみさんは黙ったまま、カップを見つめている。

「素敵ですね」

私は微笑んだ。

「でも、何か気になることがあるんですか?」

その言葉に、二人は少し顔を上げた。

「え…?」
「いえ、もし余計なことでしたら申し訳ないんですが」

私は慎重に言葉を選んだ。

「お二人、少しぎこちない感じがして」

あかりさんとみなみさんが、顔を見合わせた。
しばらく沈黙が続いた後、みなみさんが小さく口を開いた。

「…最近、あかりが冷たい気がするんです」

その言葉に、あかりさんが驚いた表情を見せた。

「えっ?私が……?」
「はい」

みなみさんは俯いたまま続けた。

「前は、毎日LINEしてたのに、最近は返信も遅いし。誘っても、忙しいって断られるし」

あかりさんは口を開きかけたけれど、すぐに閉じた。
その表情は、何か言いたいことがあるけれど、言えないでいるように見えた。