◇
香りの棚の前にお二人を案内し、香りを探す。
雨はまだ降り続いていて、窓を優しく叩いている。
その音が、心地よいBGMのように響いていた。
「お二人には、ラベンダーをおすすめします」
私はラベンダーの瓶を手に取った。
「ラベンダーは、心を落ち着かせてくれる香りです。でも、それだけじゃないんです」
私は瓶の蓋を開けた。
「ラベンダーは、『和解』の香りとも言われています」
「和解……」
恵子さんが呟いた。
「はい。実は、ラベンダーという名前は、ラテン語の『洗う』という言葉から来ていて、心の中の怒りや悲しみを洗い流して、相手を許す力をくれるんです。古くから、仲違いをした人たちが、ラベンダーの香りを共有することで、心を通わせてきたそうですよ」
私は二人に瓶を差し出した。
恵子さんが先に香りを嗅いで、それから未央奈さんに渡す。
「優しい香り」
未央奈さんが小さく言った。
「そうですね」
恵子さんも頷いた。
「次に、これを」
私はオレンジスイートの瓶を開けた。
「オレンジは、温かさと絆を象徴する香りです」
二人が香りを嗅ぐ。
「これ、いいですね」
未央奈さんが笑顔を見せた。
「温かくて、ほっとする」
恵子さんも柔らかく微笑んだ。
「最後に、これを」
私はカモミールの瓶を開けた。
「カモミールは、安心感を与えてくれる香りです。家族の絆を深めてくれるとも言われています」
二人が香りを嗅いで、顔を見合わせた。
「これ、いいね」
「うん、いい」
二人は笑い合った。
その笑顔が、とても穏やかで、私まで嬉しくなった。
「では、この3つでブレンドを作りますね。お二人の絆を深める香りを」
◇
カウンターで、私はブレンドを作った。
二人分の小瓶に、それぞれキャリアオイルを注ぐ。
そして、一滴ずつ、丁寧に精油を垂らしていく。
「ラベンダーを3滴」
和解の香り。
「オレンジスイートを2滴」
温かさと絆の香り。
「カモミールを1滴」
安心感の香り。
瓶を優しく振って、香りを混ぜ合わせる。
「できました」
私は二人に瓶を渡した。
恵子さんと未央奈さんが、同時に香りを嗅ぐ。
数秒の沈黙。
そして、二人は顔を見合わせて、微笑んだ。
「いい香り」
「うん、すごくいい」
二人は手を繋いだ。
その手の温もりが、私にも伝わってくる気がした。
「これ、毎日一緒に嗅ごうね」
未央奈さんの提案に恵子さんが頷く。
「ええ。そうしましょう」
二人の顔には、もう険しさはなかった。
ただ、温かな笑顔があるだけだった。
◇
二人が店を出る時、恵子さんが私に言った。
「本当にありがとうございました」
「いえ、お二人が向き合う勇気を出されたんです」
私は微笑んだ。
「私は、少しお手伝いをしただけです」
「でも、あなたがいなかったら、私たち、このまますれ違っていたかもしれない」
未央奈さんも笑顔で言う。
そして二人揃って私に向き直る。
「ありがとうございました」
二人は深々と頭を下げた。
私も、頭を下げた。
「また、いつでもいらしてくださいね」
「はい」
二人は笑顔で、店を出ていった。
雨の中、傘を差して歩く二人の背中が、寄り添っているように見えた。
私は、その背中をいつまでも見送った。
◇
夕方、雨が上がった。
空には虹がかかっていた。
淡い七色の橋が、商店街の上に弧を描いている。
「綺麗ですね」
私は窓の外を見ながら呟いた。
「ああ、綺麗だね」
誠一郎さんも窓に近づいてきた。
「和花、今日もいい仕事をしたね」
「ありがとうございます」
私は少し照れながら答えた。
「親子の関係って、難しいんだね。近すぎるから、かえって傷つけ合ってしまう」
「そうですね。……でも、お互いを大切に思っているからこそ、向き合えるのかなと思います」
「そうだね」
私の言葉に誠一郎さんは優しく笑った。
「香りが、その橋渡しをしてくれることもある」
その言葉を聞いて、私は改めて思った。
香りには、不思議な力がある。
記憶を呼び起こし、感情を癒し、人と人を繋ぐ。
私は、そんな香りの力を、もっと学びたい。
もっと、誰かの役に立ちたい。
カランカランとドアベルが鳴った。
「おじいちゃん、ただいま」
蓮さんだった。
工具箱を持って、少し濡れた髪をしている。
「蓮、遅かったね」
「ごめん、雨がひどくて」
蓮さんは苦笑した。
「和花さんも、お疲れさま」
「お疲れさまです」
私は笑顔で答えた。
「じゃあ、棚の修理、始めるね」
蓮さんは店の奥に向かった。
私は、彼の背中を見ながら思った。
蓮さんがいると、なぜか心が落ち着く。
それが何なのか、まだよく分からないけれど。
でも、悪い気はしない。
◇
その夜、店を閉めた後。
私は一人、ラベンダーの瓶を手に取った。
和解の香り。
家族の絆の香り。
蓋を開けて、深く香りを嗅ぐ。
優しい香りが、心を包んでくれる。
――和解、か。
私にも、和解しなければならない相手がいる。
瀬川さん。
あの日から、何も話せていない。
でも、いつか――。
いつか、向き合える日が来るだろうか。
窓の外を見る。
虹は消えていたけれど、空には星が輝き始めていた。
雨上がりの夜空は、いつもより美しい。
私は瓶を棚に戻して、深呼吸した。
一歩ずつ、ゆっくりでいいから、確実に前に進もう。
失敗する事を恐れる事無く。
香りの棚の前にお二人を案内し、香りを探す。
雨はまだ降り続いていて、窓を優しく叩いている。
その音が、心地よいBGMのように響いていた。
「お二人には、ラベンダーをおすすめします」
私はラベンダーの瓶を手に取った。
「ラベンダーは、心を落ち着かせてくれる香りです。でも、それだけじゃないんです」
私は瓶の蓋を開けた。
「ラベンダーは、『和解』の香りとも言われています」
「和解……」
恵子さんが呟いた。
「はい。実は、ラベンダーという名前は、ラテン語の『洗う』という言葉から来ていて、心の中の怒りや悲しみを洗い流して、相手を許す力をくれるんです。古くから、仲違いをした人たちが、ラベンダーの香りを共有することで、心を通わせてきたそうですよ」
私は二人に瓶を差し出した。
恵子さんが先に香りを嗅いで、それから未央奈さんに渡す。
「優しい香り」
未央奈さんが小さく言った。
「そうですね」
恵子さんも頷いた。
「次に、これを」
私はオレンジスイートの瓶を開けた。
「オレンジは、温かさと絆を象徴する香りです」
二人が香りを嗅ぐ。
「これ、いいですね」
未央奈さんが笑顔を見せた。
「温かくて、ほっとする」
恵子さんも柔らかく微笑んだ。
「最後に、これを」
私はカモミールの瓶を開けた。
「カモミールは、安心感を与えてくれる香りです。家族の絆を深めてくれるとも言われています」
二人が香りを嗅いで、顔を見合わせた。
「これ、いいね」
「うん、いい」
二人は笑い合った。
その笑顔が、とても穏やかで、私まで嬉しくなった。
「では、この3つでブレンドを作りますね。お二人の絆を深める香りを」
◇
カウンターで、私はブレンドを作った。
二人分の小瓶に、それぞれキャリアオイルを注ぐ。
そして、一滴ずつ、丁寧に精油を垂らしていく。
「ラベンダーを3滴」
和解の香り。
「オレンジスイートを2滴」
温かさと絆の香り。
「カモミールを1滴」
安心感の香り。
瓶を優しく振って、香りを混ぜ合わせる。
「できました」
私は二人に瓶を渡した。
恵子さんと未央奈さんが、同時に香りを嗅ぐ。
数秒の沈黙。
そして、二人は顔を見合わせて、微笑んだ。
「いい香り」
「うん、すごくいい」
二人は手を繋いだ。
その手の温もりが、私にも伝わってくる気がした。
「これ、毎日一緒に嗅ごうね」
未央奈さんの提案に恵子さんが頷く。
「ええ。そうしましょう」
二人の顔には、もう険しさはなかった。
ただ、温かな笑顔があるだけだった。
◇
二人が店を出る時、恵子さんが私に言った。
「本当にありがとうございました」
「いえ、お二人が向き合う勇気を出されたんです」
私は微笑んだ。
「私は、少しお手伝いをしただけです」
「でも、あなたがいなかったら、私たち、このまますれ違っていたかもしれない」
未央奈さんも笑顔で言う。
そして二人揃って私に向き直る。
「ありがとうございました」
二人は深々と頭を下げた。
私も、頭を下げた。
「また、いつでもいらしてくださいね」
「はい」
二人は笑顔で、店を出ていった。
雨の中、傘を差して歩く二人の背中が、寄り添っているように見えた。
私は、その背中をいつまでも見送った。
◇
夕方、雨が上がった。
空には虹がかかっていた。
淡い七色の橋が、商店街の上に弧を描いている。
「綺麗ですね」
私は窓の外を見ながら呟いた。
「ああ、綺麗だね」
誠一郎さんも窓に近づいてきた。
「和花、今日もいい仕事をしたね」
「ありがとうございます」
私は少し照れながら答えた。
「親子の関係って、難しいんだね。近すぎるから、かえって傷つけ合ってしまう」
「そうですね。……でも、お互いを大切に思っているからこそ、向き合えるのかなと思います」
「そうだね」
私の言葉に誠一郎さんは優しく笑った。
「香りが、その橋渡しをしてくれることもある」
その言葉を聞いて、私は改めて思った。
香りには、不思議な力がある。
記憶を呼び起こし、感情を癒し、人と人を繋ぐ。
私は、そんな香りの力を、もっと学びたい。
もっと、誰かの役に立ちたい。
カランカランとドアベルが鳴った。
「おじいちゃん、ただいま」
蓮さんだった。
工具箱を持って、少し濡れた髪をしている。
「蓮、遅かったね」
「ごめん、雨がひどくて」
蓮さんは苦笑した。
「和花さんも、お疲れさま」
「お疲れさまです」
私は笑顔で答えた。
「じゃあ、棚の修理、始めるね」
蓮さんは店の奥に向かった。
私は、彼の背中を見ながら思った。
蓮さんがいると、なぜか心が落ち着く。
それが何なのか、まだよく分からないけれど。
でも、悪い気はしない。
◇
その夜、店を閉めた後。
私は一人、ラベンダーの瓶を手に取った。
和解の香り。
家族の絆の香り。
蓋を開けて、深く香りを嗅ぐ。
優しい香りが、心を包んでくれる。
――和解、か。
私にも、和解しなければならない相手がいる。
瀬川さん。
あの日から、何も話せていない。
でも、いつか――。
いつか、向き合える日が来るだろうか。
窓の外を見る。
虹は消えていたけれど、空には星が輝き始めていた。
雨上がりの夜空は、いつもより美しい。
私は瓶を棚に戻して、深呼吸した。
一歩ずつ、ゆっくりでいいから、確実に前に進もう。
失敗する事を恐れる事無く。

