香りの記憶、人生の処方箋



それから30分ほど経った頃、また、ドアベルが鳴った。
顔を上げると、さっきの二人が戻ってきた。
でも、今度は二人とも、少し困った表情をしている。

「あの……すみません」

お母さんが申し訳なさそうに言った。

「さっきは失礼しました。娘が急に走り出してしまって」
「いえ、大丈夫ですよ」

私は柔らかく笑った。
未央奈さんは俯いたまま、何も言わない。

「あの、もしよかったらですが、少しお話、聞かせていただけますか……?」

少し勇気を出して言うと、二人は顔を見合わせた。
やっぱり、踏み込まない方が良かっただろうか……。
しばらく沈黙が続いた後、お母さんが小さく頷いた。



私は二人をカフェスペースに案内した。
ハーブティーを出しながら、私は二人の様子を観察した。
二人は隣同士に座っているけれど、体は少し離れている。視線も、お互いに向けられていない。
何か、言いたいことがあるのに、言えない……そんな空気が、二人の間に漂っていた。

「私は柚木和花と申します。お名前、伺ってもよろしいですか?」

私は静かに尋ねた。

「山口恵子です」
「娘の未央奈です」

母親の恵子さんに続き、未央奈さんは小さく会釈した。

「よろしくお願いします」

私も会釈を返した。
少し沈黙が流れる。
誰も、最初の言葉を発しないため、少し考えてから私は口を開いた。

「お二人、何かお悩みがあるんですか?」

私の問いかけに恵子さんが、カップに視線を落とした。

「……最近、娘とうまくいっていなくて」

その声は、どこか疲れていた。

「何を話しても、すぐに喧嘩になってしまうんです」

未央奈さんは黙ったまま、カップを両手で包んでいる。

「未央奈さんは、どう思われていますか?」

私は未央奈さんに視線を向けた。
未央奈さんは少し迷った後、小さく言った。

「……母が、何でも決めようとするんです」

恵子さんが顔を上げた。

「それは……っ」
「いつもそう」

未央奈さんの声が、少し強くなった。

「私の意見を聞かずに、勝手に決める。私のことを、子供だと思ってる」
「そんなつもりはないわ」

恵子さんが反論した。

「ただ、あなたのことを心配して……」
「心配じゃなくて、干渉でしょ」

未央奈さんの声が、さらに強くなった。
恵子さんは何も言えなくなって、俯いた。
その表情は、深く傷ついているように見えた。
私は、二人の間に入った。

「お二人とも、少し落ち着いてください」

私は静かに言うと、二人は黙った。
少し考えてから、私は口を開く。

「恵子さんは、未央奈さんのことを心配されている。未央奈さんは、自分の意見を尊重してほしいと思っていて、お二人とも、相手のことを大切に思っているのは、同じなんですよね」

二人は顔を上げて、私を見た。

「ただ、伝え方が、うまくいっていないだけなんですよ」

私は続けた。

「恵子さんの『心配』が、未央奈さんには『干渉』に見え、未央奈さんの『自立したい』という気持ちが、恵子さんには『拒絶』に見えるんです」

二人は黙って、私の言葉を聞いていた。

「でも、本当は、お二人ともお互いを大切に思っているんです」

恵子さんの目に、涙が浮かんだ。

「……そうなんです」

彼女は声を震わせながら言った。

「私、娘のことが大切で。だから、心配で。でも、それが裏目に出てしまって」

未央奈さんも、目を潤ませていた。

「私も……母のこと、嫌いなわけじゃないんです。ただ、もっと自分で決めたくて」

二人は、初めてお互いを見た。
その目には、涙が浮かんでいた。

「ごめんなさい」

恵子さんが先に言った。

「あなたを子供扱いしてたわね。もう25歳なのに」
「私こそ、ごめんなさい」

未央奈さんも言った。

「母の気持ち、分かってなかった」

二人は、少しずつ距離を縮め、そして、手を握り合った。
私は、その光景を静かに見守った。
胸が、温かくなるのを感じていた。

しばらくして、二人は落ち着きを取り戻したようで、表情が柔らかくなっていた。

「ありがとうございます。あなたのおかげで、娘と話せました」
「いえ、お二人が勇気を出されたんですよ。あの……さっき、母娘で一緒に使える香りって、おっしゃってましたよね」

私の問いかけに未央奈さんが頷いた。

「はい。もし、あればなんですが……」
「もちろん、ありますよ。一緒に探しましょう」