こうなったら、一人で旅に出てやる。
仕事ばかりの日々で、遊ぶなんてことには目もくれずにここまできたから、貯金は余るほどあるからね。家に帰るなり、なかば自暴自棄になって荷造りを始める。
思い切って海外にでも行っちゃう? のんびり南の島でビーチに寝そべって、日差しをたっぷり浴びてくる? それとも、山奥の温泉地に行ってマイナスイオン浴びまくって、ヒーリングしてくる?
「……はぁ。なんか違う」
私が求めていることって、なんだろう。
ふと手を止めて考えてみるけど、なんにも思い浮かばない。
とにかく、今はいつもの生活から抜け出さなきゃいけない気がする。
キャリーケースに必要と思うものを詰め込んで、眠りについた。
◇
次の日、なんの計画も立てずにとりあえずやって来たのは、東京駅。ここからなら、どこへでもいける。選択肢が無限に選べる。
さあ、どうする?
キャリーケースを引きずり仁王立ちして、前後左右を見回す。
「……ダメだ」
選べない。分からない。私ってこんなに優柔不断だったかな。
仕事では判断力を買われて色んなことを任されてはいるけれど、それは長年勤めて来て周りの状況をある程度分かっているから判断ができるだけだ。だけど、長期の休暇など取ったことのない私には、この休暇をどう過ごしていいのか分からない。
重苦しいため息を吐き出したその時、目の前を黒猫が横切っていく。人混みを苦ともしないで、さっそうと。
あれ? あの猫って……
昨日の夜に、真っ暗闇で見かけた黒猫を思い出す。すると、じっと見ていた私に気が付いたのか、黒猫が立ち止まってこちらを向いてきちんと座った。
私のこと、見てる?
思わず周りを見回してしまうけれど、私以外の人は自分の目的地しか見えていないのか、黒猫に気がつく人が誰もいない。もう一度黒猫に視線を戻すと、あごでこちらについて来いとでも言っているように合図をする。そして、そのまま澄ました顔で歩いていく。なんとなくイラッとしてしまったけど、私は追いかけることにした。
人の波をかいくぐって、どんどん進んでいく。駅の中を歩くことに、よほど慣れているように見える。私は、前からの人波とぶつからないように、そして、黒猫を見失わないように急いでついて行った。
周りに目もくれずに黒猫の背中だけを追いかけてくると、ようやく立ち止まってお座りをするから、私も並ぶようにして立ち止まった。
けっこうな距離を歩かされた気がする。上がる息を整えながら、黒猫が見上げる方向に、同じように顔を上げて見た。
木製の扉に金文字で【心温まるカフェ・ハートフル】と書かれている。
カフェ? と、不思議に思っていると、隣で「にゃあおん」と鳴いた猫の声と同時に、扉が開いた。そして、待っていましたとばかりに笑顔で、背の高い黒髪のイケメンが現れるから驚いた。
「おかえりなさい。今日はお友達を連れてきたんだね。いらっしゃいませ」
優しい声が猫に向いたと思ったら、しゃがみ込んだ男性が私にも微笑む。
だけど、あれ? なんかこの人、思ったよりもずっと大きくない?
目線のズレに違和感をもつ。そして、隣にいる黒猫を見れば、キッと釣り上がったギラリとした三日月型の瞳とちょうど良く視線がぶつかる。
「猫になりたいんでしょう?」
ふふんっと笑った黒猫。
え? 今、しゃべった?
カフェの中に入っていく後ろ姿。くねくねと揺れる長いしっぽ。
あれ? なんだかあの猫、大きくなった? いや、待って。なにか違う。
私はさっきからの違和感に視線を落として自分の手のひらを確かめた。手袋なんてしてこなかったのに白いもふもふの毛で覆われている。ピンク色の肉球がかわいい……って、肉球!?
店内に進んで行って、壁にかけられた楕円形の鏡に映る自分の姿に愕然とした。
私、猫になってるーー!?
いや、あまりに疲れ過ぎて夢でも見ているのかな。うん、きっとそう。そうに違いない。猫になるなんてありえないし、起きたらしっかり休まないと。
「ここはね、悩める大人がやって来るカフェ、ハートフルよ」
黒猫が当たり前のように喋りながら、店内の一番奥まで歩いて行き、ソファーに座り込んだ。私にも座るように、また顎で指図する。なんだかその行動があまり気に入らないけれど、猫に手招きとか人間みたいにこちらへどうぞ。なんて手を差し出されても引いてしまうから、イラッとするのを鎮めて、私も隣に丸くなって寝そべった。
猫の視点から世界を見るなんて、なかなかないことだ。なんだか面白い。
「よぉく見ておきなさい」
澄ました顔で黒猫は入り口ドアをジッと見つめる。あたしも、同じようにそちらを見つめた。すると、ドアベルが鳴るのと同時に、イケメン店長が入り口に立ち、お客様を迎え入れている。
駅の中にあるはずの店内は、広くもなく狭くもない。カフェというよりは少し閉鎖的なバーのような雰囲気。壁に囲まれていて窓がなく、照明もやや薄暗いから、顔がしっかり見えないけれど、入ってきたのはスーツ姿の女性のようだ。
仕事ばかりの日々で、遊ぶなんてことには目もくれずにここまできたから、貯金は余るほどあるからね。家に帰るなり、なかば自暴自棄になって荷造りを始める。
思い切って海外にでも行っちゃう? のんびり南の島でビーチに寝そべって、日差しをたっぷり浴びてくる? それとも、山奥の温泉地に行ってマイナスイオン浴びまくって、ヒーリングしてくる?
「……はぁ。なんか違う」
私が求めていることって、なんだろう。
ふと手を止めて考えてみるけど、なんにも思い浮かばない。
とにかく、今はいつもの生活から抜け出さなきゃいけない気がする。
キャリーケースに必要と思うものを詰め込んで、眠りについた。
◇
次の日、なんの計画も立てずにとりあえずやって来たのは、東京駅。ここからなら、どこへでもいける。選択肢が無限に選べる。
さあ、どうする?
キャリーケースを引きずり仁王立ちして、前後左右を見回す。
「……ダメだ」
選べない。分からない。私ってこんなに優柔不断だったかな。
仕事では判断力を買われて色んなことを任されてはいるけれど、それは長年勤めて来て周りの状況をある程度分かっているから判断ができるだけだ。だけど、長期の休暇など取ったことのない私には、この休暇をどう過ごしていいのか分からない。
重苦しいため息を吐き出したその時、目の前を黒猫が横切っていく。人混みを苦ともしないで、さっそうと。
あれ? あの猫って……
昨日の夜に、真っ暗闇で見かけた黒猫を思い出す。すると、じっと見ていた私に気が付いたのか、黒猫が立ち止まってこちらを向いてきちんと座った。
私のこと、見てる?
思わず周りを見回してしまうけれど、私以外の人は自分の目的地しか見えていないのか、黒猫に気がつく人が誰もいない。もう一度黒猫に視線を戻すと、あごでこちらについて来いとでも言っているように合図をする。そして、そのまま澄ました顔で歩いていく。なんとなくイラッとしてしまったけど、私は追いかけることにした。
人の波をかいくぐって、どんどん進んでいく。駅の中を歩くことに、よほど慣れているように見える。私は、前からの人波とぶつからないように、そして、黒猫を見失わないように急いでついて行った。
周りに目もくれずに黒猫の背中だけを追いかけてくると、ようやく立ち止まってお座りをするから、私も並ぶようにして立ち止まった。
けっこうな距離を歩かされた気がする。上がる息を整えながら、黒猫が見上げる方向に、同じように顔を上げて見た。
木製の扉に金文字で【心温まるカフェ・ハートフル】と書かれている。
カフェ? と、不思議に思っていると、隣で「にゃあおん」と鳴いた猫の声と同時に、扉が開いた。そして、待っていましたとばかりに笑顔で、背の高い黒髪のイケメンが現れるから驚いた。
「おかえりなさい。今日はお友達を連れてきたんだね。いらっしゃいませ」
優しい声が猫に向いたと思ったら、しゃがみ込んだ男性が私にも微笑む。
だけど、あれ? なんかこの人、思ったよりもずっと大きくない?
目線のズレに違和感をもつ。そして、隣にいる黒猫を見れば、キッと釣り上がったギラリとした三日月型の瞳とちょうど良く視線がぶつかる。
「猫になりたいんでしょう?」
ふふんっと笑った黒猫。
え? 今、しゃべった?
カフェの中に入っていく後ろ姿。くねくねと揺れる長いしっぽ。
あれ? なんだかあの猫、大きくなった? いや、待って。なにか違う。
私はさっきからの違和感に視線を落として自分の手のひらを確かめた。手袋なんてしてこなかったのに白いもふもふの毛で覆われている。ピンク色の肉球がかわいい……って、肉球!?
店内に進んで行って、壁にかけられた楕円形の鏡に映る自分の姿に愕然とした。
私、猫になってるーー!?
いや、あまりに疲れ過ぎて夢でも見ているのかな。うん、きっとそう。そうに違いない。猫になるなんてありえないし、起きたらしっかり休まないと。
「ここはね、悩める大人がやって来るカフェ、ハートフルよ」
黒猫が当たり前のように喋りながら、店内の一番奥まで歩いて行き、ソファーに座り込んだ。私にも座るように、また顎で指図する。なんだかその行動があまり気に入らないけれど、猫に手招きとか人間みたいにこちらへどうぞ。なんて手を差し出されても引いてしまうから、イラッとするのを鎮めて、私も隣に丸くなって寝そべった。
猫の視点から世界を見るなんて、なかなかないことだ。なんだか面白い。
「よぉく見ておきなさい」
澄ました顔で黒猫は入り口ドアをジッと見つめる。あたしも、同じようにそちらを見つめた。すると、ドアベルが鳴るのと同時に、イケメン店長が入り口に立ち、お客様を迎え入れている。
駅の中にあるはずの店内は、広くもなく狭くもない。カフェというよりは少し閉鎖的なバーのような雰囲気。壁に囲まれていて窓がなく、照明もやや薄暗いから、顔がしっかり見えないけれど、入ってきたのはスーツ姿の女性のようだ。



