幼い頃、猫と喋っていたらしい

 とある秋の、ポカポカと暖かな昼下がり。
 小春日和とはまさにこの日のことを言うのだろう。
「しゅみれー」
 部屋にたどたどしい少女の声が響く。まだ二歳くらいの少女だ。
「もう、しゅみれじゃなくて、すみれ。す・み・れ」
 すみれは少し呆れた口調だ。
「しゅみれー!」
 少女は相変わらずたどたどしい声でキャッキャと笑っている。
「だから、すみれだってば。ていうか散らかし過ぎ。ママに叱られるよ」
 相変わらず呆れたような口調のすみれ。
 しかし少女はきょとんと首を傾げたかと思うと再びキャッキャと笑い出した。
「もう」
 すみれはまるではあっとため息をつくような表情だ。
 その時、部屋に少女の母親が入って来る。
「あ、こら、美沙(みさ)。こんなに散らかして。片付けるよ」
 母親はやや呆れ顔だがその声色は優しい。
「ほら、ママを困らせちゃ駄目でしょ」
 すみれは少女――美沙にそう言った。
「やー、やー」
 美沙は不満げに首を横に振っている。
 まだ遊びたい気持ちがあるようだ。
「じゃあママとどっちがおもちゃを多く箱に戻せるか競争しよっか。競争に勝ったらおやつがあるよ」
「あー!」
 母親の言葉に美沙の表情がパアッと輝いた。
 片付ける気になったようだ。
「美沙は単純ね」
 すみれは穏やかにクスッと笑ったかのようである。
「すみれ、美沙のこと見ててくれたんだね。ありがとう」
 美沙の母親からそう言われ、すみれは「にゃー」と鳴いた。




◇◇◇◇




 秋の日差しがリビングに入って来て、部屋が暖かくなっている。
 本当にもうすぐ冬が来るのだろうかと疑問に思ってしまうくらいのポカポカ陽気だ。
「今日みたいな日を小春日和って言うんだっけ?」
「そうそう。美沙、よく知ってるね」
「この前の国語で習ったから」
 美沙は母親に対してそう答えた。
 何となくつけているテレビからは、猫特集の番組が流れて来る。
 美沙は昼食のパンを咀嚼しながらぼんやりとテレビに目を向ける。

『もうこの子との付き合いが長いから、何考えているか何となく分かるんです。何というか、この子と会話している感じですね』
 テレビの中で、飼い猫を抱きながらインタビューにそう答える女性がいた。
 
「猫と会話ね。にゃーとしか鳴かないからコミュニケーションエラーも起こりそう」
 パンを飲み込んだ美沙はそう呟いた。
「でも長年一緒にいるとこの飼い主さんみたいに性格とか考えてることとか分かって来るものだよ」
 母親はそう笑いながらコーヒーを飲んだ。
「そういえば美沙、あんた小さい頃よくすみれが喋ったとか言ってたよ」
 母親はどこか悪戯っぽく、そして懐かしそうに口角を上げている。
「ええ? 覚えてないよ。それいつの話?」
 美沙は少し照れくさそうな表情で再びパンにかぶりつく。
 まるで照れ隠しのようだ。
「あんたが二歳くらいの頃。すみれから片づけなさいって言われた、とか」
「えー?」
 母親からそう言われても、美沙はあまり実感がない。
 美沙は日差しが入る窓べで香箱座りしているすみれに目を向けた。
 すみれはキジトラの短毛種だ。
 美沙が生まれた頃からずっとこの家にいる。
 もう十四歳になる高齢猫だ。
「すみれ、喋ってたの?」
 美沙は窓辺で日向ぼっこ中のすみれに冗談っぽく声をかける。
 するとすみれは美沙を一瞥し「にゃー」と鳴いた。
 そして体を伸ばしたかと思えばゴロリと横になるすみれだ。
「その返事はどっちだろうね?」
 パンを食べ終えた美沙は牛乳をゴクリと飲んだ。
「すみれのみぞ知るって感じだね」
 母親はクスッと笑った。
「ごちそうさまでした」
 美沙は椅子から立ち上がり、食器をキッチンに持って行った後窓辺に向かう。
 そしてゴロリと寝転んでいるすみれの背中を撫でた。
「それにしても、すみれももうおばあちゃんだよね」
 すみれは美沙を一瞥し、あくびをした。
「そうだね」
 母親は窓辺の美沙とすみれを見ながらキッチンで食器を洗い始めた。
「そういえば美沙、そろそろ部活じゃない?」
「あ、忘れてた」
 美沙はハッと思い出したかのような表情だ。
 顧問の都合で今日の部活は午後からになっていたのだ。
 美沙はリビングに置いてあるスポーツバッグを肩に掛けた。
「じゃあお母さん、すみれ、行って来まーす」
 すみれが玄関に向かうと、母親の「行ってらっしゃい。気を付けて」と共にすみれの「にゃー」という鳴き声が聞こえた。
 恐らく「行ってらっしゃい」と言ったのだろうと美沙は思い、ふふっと口角を上げるのであった。