「この楽器、卒業した先輩が使ってたんだ。今使われていないのはこれだけだから」
「はい」
「取り敢えず、マウスピース、吹いてみて。どうせ、いっぱい練習してきたんだよね?」
「しました。じゃ、いきますよ」

 見事に鳴らした。僕たち三人は、拍手した。三屋(みつや)くんは照れ隠しなのか、俯いてしまった。こういう時、つい可愛いって思ってしまうんだけど、それはどういう感情なんだろう。自分でも本当にわからない。

 マウスピースを楽器に差し込むと、三屋くんは勢いよく息を吹き込み、音を出した。一回でそんなことが出来るなんて、僕とは全く違う。すごい。

 戸川(とがわ)くんたちが、それぞれ練習している間、僕は三屋くんに、教本を見ながら説明をした。一度教えると、だいたいすぐに理解して、覚えてしまう。そんな才能、僕もほしい。

 部活が終わって、僕と三屋くんは並んで歩いていた。そうしていても、もう誰も何も言わない。何だか気分がいい。

「先輩。部活の前は、本当にすみませんでした。あの人に口汚くオレたちのこと言われて、我慢が出来なくなって……」
「僕たちは、関係ない人に非難されなきゃいけないこと、何もしてない。そう言い切れる。あの人が悪いんだから、三屋くんが謝る必要は全然ないよ。でも、あの人、本当に僕たちに謝らなかったね。すごいな」

 僕は、「謝らねー」と言っていた宮田(みやた)くんを思い出して、笑ってしまった。三屋くんが首を傾げて、

「先輩。何笑ってるんですか?」
「ごめん。思い出し笑い」
「可愛すぎます」
「え? また『可愛い』? 三屋くん、もしかして僕のこと……」

 僕は何を言おうとしてしまったんだろう。あわてて、両手で口を覆った。横目で三屋くんを見ると、表情が硬くなっていた。

「あ……ごめん。僕、その……」
「先輩。そうなんです。オレは……」

 三屋くんが、思い詰めたような顔でそこまで言った時だった。後ろから、「ちょっと待て」と大きな声が聞こえた。この声、もしかして……。僕と三屋くんは、ほとんど同時に振り返った。僕たちの方へ走ってきているのは、間違いなく宮田くんだ。何だか必死の形相といった感じなのは、気のせいだろうか。

 宮田くんは僕たちのそばまで来ると、体を屈めて膝に両手を置き、ハーハーと荒い呼吸を繰り返した。そして、それが落ち着くと僕たちを半ば睨むように見て、

「部活前のことは、オレなりに反省した。でも、謝らないからな。オレがあんなことを言ったのには理由がある。察してくれよ」

 宮田くんがよくわからないことを言うと、三屋くんは宮田くんを睨み返し、

「宮田先輩。何、調子のいいこと言ってるんですか」

 強く言った後、僕の方に向き、

「先輩。察したらダメです」
「ごめん。君たちが何を言ってるのか、まるでわからないんだけど」
「それでいいんです。宮田先輩。斎藤(さいとう)先輩は、そういうことには疎いんです。それが、めちゃくちゃ可愛いんです。宮田先輩は、斎藤先輩のこと、全然わかってませんよね」

 三屋くんが、ちょっと勝ち誇ったような感じで、ニヤリとした。宮田くんは、「何だと?」と言い返したけれど、三屋くんは相手にしていないっぽい。余裕があるのは、三屋くん? と言うか、何の話をしているのか、本当にわからないんだけど。何故二人はわかり合っているのだろう。それも、わからないし。

「あ……あの……」

 わからなすぎて、つい口を挟んでしまった。もう、この訳のわからないのは嫌だ。二人に見詰められて一瞬怯んだが、

「僕は、君たちの話が全く見えない。何の話をしているのか、説明してください」

 僕にしては押しが強い感じの言い方だった。二人は驚いたのか、口が半開きになってしまった。面白い。

「僕が関係あることなのかな。それで、何で僕にわからないように話を進めてるの? 酷いと思います」
「斎藤先輩は、わからない方がいいかと思ったんです。でも、オレは言います。オレは先輩が……」

 三屋くんを遮るように、宮田くんが大きい声で、「わー」と言った。それは、何?

「オレが先に言う。三屋は黙ってろ」
「じゃあ、いいですよ。先輩、先にどうぞ。どっちが先でも、オレは先輩に負ける気はしません」
「言うぞ。おい、斎藤。オレはおまえが好きだ」

 固まった。宮田くんは、どうしてしまったんだろう。僕を好き? 今までそんな気持ちを持たれてるなんて、知らなかった。いつも僕をバカにしたようなことしか言わなかったし、好きと言われてもどう反応していいのかわからない。

 宮田くんの発言を受け止めきれず黙っていると、三屋くんが、「ほら」と宮田くんに向かって言った。

「宮田先輩。斎藤先輩は、全くわかりませんって顔してるじゃないですか。好きな子をからかうにも程があるって学んだ方がいいですよ」
「うるせーな」
「うるさくないです。じゃ、オレも言います」

 三屋くんが僕に微笑んだ。僕は、これから言われるであろうことを想像して、鼓動が速くなっていた。