新入生は、六人が本入部した。それでも、増えてくれたことはありがたい。教本を渡された新入生たちは、パラパラとページをめくっている。三屋(みつや)くんもそうだ。目が輝いているように見える。

 二年生三人で話し合った結果、三屋くんは僕がメインで教えることになった。

「だってさ、斎藤(さいとう)は全くやったことがないところから始めただろ? 今の三屋も同じだ。気持ちがよくわかるかと思ってさ」

 戸川(とがわ)くんの言葉には頷くしかなかった。誰よりも、初心者の気持ちがわかると自信を持って言える。もっと違うことに自信を持ちたいけど、これも役割だと思って頑張ろう。

「三屋くんは、僕でいいのかな?」

 恐る恐る訊いてみると、

「いいに決まってます」

 力を込めてそう言ってくれた。三屋くんが僕でいいなら、まあいいか、と思えた。

 そして、とうとうマウスピースを買う日が来た。三屋くんが利用している駅前にある楽器屋さんが、目的地だ。行ったことはなかったけれど、駅前ならすぐにわかるはず、と現地集合にした。

 電車の車窓からその建物が見えて、ホッと息を吐いた。改札口を抜けると、間違いようもなく、目の前にあった。そして、三屋くんがそこに立っていた。俯いていて、僕に気が付いていないようだ。声を掛けずにそばまで行き、肩をトントンと叩いてみる。20センチ以上も身長差があると、随分上の方に肩があるんだなと感心してしまった。

 突然そうされた三屋くんは、僕の方に勢いよく振り向いた。

「斎藤先輩か。びっくりしました」
「驚かせようと思って」
「はい。驚きました」

 フーッと息を吐き出す三屋くんに、「ごめんね?」と言ってみる。三屋くんは首を振り、

「いや。全然いいです。大丈夫です。オレが驚きすぎました」
「怖いものなしって感じだけど……」

 悪いと思いながら、小さく笑ってしまった。三屋くん、やっぱり可愛い、と思ってしまう。

 僕は三屋くんの腕を掴むと、

「入ろうか」
「あ、そうですね」
「お金、持ってきた?」
「もちろんです。親に話して、説得もして、出してもらえました」
「そっか。よかったね」

 笑顔で言うと、また例の顔になってしまった。これはもしかして……。そんなはずないよね、と心の中で言う。三屋くんが僕を意識してるなんて、そんなバカなこと、あるはずないじゃないか。だって、僕だし。同性だし。

 店内は広くて、楽器や楽譜なんかがたくさん置かれていた。見ているだけでワクワクしてくる。三屋くんは、少し周りを見回した後、レジに向かった。探し歩くより、店員さんに訊いた方が早い。賢明な判断だ。

「すみません。アルトホルンのマウスピースはありますか?」

 三屋くんが訊くと、店員さんは、「こちらへ」と言って僕たちを売り場まで連れて行ってくれた。僕の家からも比較的近いこの場所に売っているとは。ここに楽器屋さんがあるということも認識していなかったから仕方ない。

「こちらですね。メーカーがいくつかありますけど、大差はないと思います。これなんか、よく売れてますけど」

 店員さんお勧めのマウスピースをしばらく見ていた三屋くんは、

「じゃあ、これでお願いします」
「ありがとうございます」

 僕ならこんなにサッと決められない。三屋くん、カッコいい。

 会計が済んで店を出ると、三屋くんは僕を見下ろし、

「あの……この近くに喫茶店があって……ケーキが美味しいんですけど……どうですか?」
「えっと……行ってみたいです」
「じゃあ、こっちです」

 三屋くんと並んで歩くそれだけで、何故か体に力が入ってしまう。さっき僕が想像したことは、当たっているんだろうか。当たっていたとして、僕はどうするんだろう。わからない。僕は、三屋くんを見上げた。三屋くんは首を傾げて、

「先輩。どうしましたか? オレ、何かやらかしましたか?」
「やらかしてないよ。ないんだけど……」
「言ってください」
「いや。言えないから」

 きっぱりと断ると、三屋くんはそれ以上訊かないでくれた。助かった。こんなこと、言えないじゃないか。

 それから少しの間、お互いに口を開かなかった。ただ、黙って歩いていた。細い道に入っていくと、レンガ造りの建物が目に入った。

「そこです」
「わー。何か、レトロな雰囲気のお店だね」
「行きましょう」

 ドアを開けると、ベルが鳴って、店員さんが「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた。

「二人です」
「空いているお席へどうぞ」

 店員の女性が、笑顔で言った。僕たちは奥の方へ行き、腰を下ろした。何となく、ホッとする空間だ。メニュー表を見ながら、あれにしようか、これにしようかと迷いに迷っていると、三屋くんは、

「決まりました。先輩は?」
「ごめん。まだ迷い中」

 三屋くんの口元に微笑みらしいものが見て取れた。目も、いつもの強さはなく、弓なりになっている。笑ってる?

 三屋くんの笑顔を見て僕は、鼓動が速くなっているのを感じていた。