「おい!お前らは受付をやれ!」
 義理の叔父である沢村金彦のあまりに横柄な言い方に、加美メイコは、思わずカチンときた。
(ダメダメ!今だけは怒っちゃダメ⋯⋯今日のおっさんは、仮にも喪主なんだから)
 ここは、県内で最も規模の大きい斎場。
 辛うじて怒りを堪え、慣れない喪服を着たメイコは、15歳離れた姉の石瀬エリコと共に、受付に並ぶ。

 沢村和子、享年60歳。彼女が本日の主役である。
 和子はメイコの母方の叔母にあたり、頭のおかしい親戚だらけの中で、数少ない常識人だった。

 斎場の自動ドアが開くと、
「いらっしゃいませー!じゃない⋯⋯」
 大学を卒業後、接客の仕事を転々としているメイコは、条件反射でついそう言ってしまった。お通夜の受付など初めての経験なので、どうしていいのかよくわからないのだ。
「ねえ、こういう時、どう言ったらいいの?」
 小声で姉のエリコに尋ねるも、エリコもまた、
「さあ⋯⋯。マニュアルもないし、いきなり頼まれてもわかんないよね」
 二人はグダグダと、どうにかこうにか弔問客の応対をこなしてゆく。

 自動ドアが開くたび、冷たい風と共に、果たして何者なのかわからない弔問客が、次から次へとやってくる。
「しかしまぁ⋯⋯こんな盛大なお葬式って、最近じゃ珍しいわね」
 エリコが呟き、
「まるで社葬だね。弔問客がやたら多いけど、叔母ちゃんの友達にしては流石に多すぎるような⋯⋯?おっさん、田舎の見栄っぱりだろうし、弔問客を必死でかき集めたのかも」
 メイコも小声で返す。
 和子は、闘病が10年に渡った為、ずっと前に仕事を辞めている。父の転勤であちこち転々としてきたメイコとは違い、和子はずっと地元で暮らしていたので、近場に友人が多かった可能性はある。

「あの⋯⋯手伝います」
 30歳ぐらいの女性が、姉妹に声をかける。
「それは助かります。えーと⋯⋯」
 エリコが少しためらいがちに言う。
「あ⋯⋯私、高道恵です。両親が高齢で長旅はできないので、私だけ来ました」
「めぐみさん⋯⋯?ああ!沖縄に住んでるっていう従姉妹の?どうもどうも、はじめまして!」
 メイコはそう言って笑顔で握手をする。
 恵31歳、メイコ22歳、エリコ37歳。
 いくら従姉妹同士とはいえ、普段は全く交流がない為、今日が初対面。ゆっくり挨拶している暇もなく、弔問客が次々やってくる。

 弔問客の一人が香典袋を落とし、
「大丈夫ですよ。私が拾いますから」
 メイコが香典袋を拾おうとした時、黒髪ロングのウィッグが外れ、プラチナブロンドの髪があらわになった。
「あ、あんた!カツラだったの!?」
 エリコがギョッとして尋ねる。
「かあちゃんがマジうるさくて。『金髪で葬式に出るなんて、私に恥をかかせるの!?』だってさ。うへぇ、落としたウィッグなんて汚くてかぶりたくないし、どうせ安物だからもういいや。すいませーん!これ捨ててもいいですか?」
 斎場のスタッフは苦笑いで笑顔でウィッグを引き取った。
 離れたところから、母の志津子が睨みつけていることに気づいていたが、メイコは見て見ぬふりをした。

 メイコの父方の叔母夫婦まで、弔問客として斎場にやってきた。
「どうしたの!?母方の親戚と付き合いあったっけ?」
 メイコが問うと、
「だって、沢村さんが家に招待状を送りつけてきたから」
 馬鹿正直に答える空気が読めない叔母を、義理の叔父が叱りつける。
(葬式なのに、招待状って⋯⋯)
 受付に立つ3人は、同じことを思っていた。

「ねー⋯⋯足が痛くてもう耐えられないよ」
 メイコが顔をしかめて言う。
「ヒールのある靴ってホント苦手なんだよね。受付に3人もいらないでしょ?交代で休もうよ。15分経ったら戻ってくる!」
 そう言うと、メイコはロビーのソファに深々と腰掛け、ローヒールを脱ぎ捨てた。

 受付に残されたエリコと恵は、
(なんだか⋯⋯気まずい!)
 互いにそう思っていた。いくら従姉妹といっても、30代の今日まで一度も面識がなかったので、何を話していいのかわからないものである。よりによって、二人きりになってからは弔問客もあまり来なくなった。

 15分後にノコノコと戻ってきたメイコが、
「さっきから思ってたけど、ここ、新生活の受付がないんだね」
 そう呟き、
「新生活?」
 エリコと恵がハモった。メイコが新生活について説明しようとしたタイミングで、
「このあとの受付は我々がしますので、ご親族の方々は、もうホールにお入りになってください」
 斎場のスタッフが告げる。
(あー助かった!)
 内心そう思いながら、3人は会場へ向かう。


 広いホールの中は、これまたド派手だった。
 真ん中の通路を挟んで、右側が親族、左側がその他の弔問客の席になっている。
「やっぱり、すごい人数だね⋯⋯!初対面の親戚が多い上に、他人様は更に多い」
 メイコが半ば呆れたように言い、
「招待状を送りつけられた人たち、さぞかし迷惑だろうね⋯⋯。結婚式じゃないんだから。葬式に招待状を送るのも妙な話だし、結婚式と違って断りにくそう」
 エリコの返事に、メイコはふと気付く。
「わかった!この立派な葬式の費用、他人様からの香典で賄おうとしてるんだよ。見栄で派手な葬式を出して、香典ガッポリとか、おっさんが得することだらけじゃん。だけど、果たして叔母ちゃんはこんな形を望んだかなぁ⋯⋯」
「香典で葬儀費用を賄うって⋯⋯そんなこと流石に無理でしょ」

 暖房がガンガンに効いたホールで、延々とお経が続く。メイコは眠気に襲われ、船を漕ぎ始めた。エリコも、長距離移動に疲れ果てた恵も、つられてウトウトし始める。
 すっかり眠りこけ、姿勢を崩したメイコは、前の席に頭を打ち付けた。鈍い音が会場内に響き渡る。その音で、エリコと恵は目を覚ました。
 弔問客らは必死で笑いを堪え、メイコはあまりの痛さに涙目になっていた。

「あ、お焼香の順番だって」
 エリコが言い、3人は席を立つ。
 しかし、いざ自分の番になっても、焼香のやり方を事前に調べ損ねた姉妹は小声で、
「ねえ!これ、どうやるの?」
「知らないけど、前の人の見よう見まねでいいんじゃない?」
 そう言いあって、前の人たちのことを観察しようとした。
 しかし、よく見えない上に、誰もがバラバラのやり方である。
(たぶん、みんなわかってないんだね。テキトーでいいか⋯⋯)

 姉妹がそれぞれ、滅茶苦茶な焼香を済ませて席に戻る途中、両親は互いのことを睨み合いながら声こそ出していないが、何やら言い争いをしていた。
(まーた喧嘩してるわ⋯⋯もう、いい加減にしてくれないかな)
 久々に会った両親が、昔と変わらず醜く喧嘩している様子に、エリコは心底不愉快になった。

 全員のお焼香が終わり、これでもう終わりかと思いきや、僧侶が法話を始めるとのこと。
 姉妹の前の席に座っている母の志津子は、法話を聞きながら、わざとらしく何度も何度も、大袈裟に頷いている。
(この如何にも、自分は小難しい話が大好きです、知識もあります、みたいな母さんのアピール⋯⋯ハッキリ言って、昔から大っ嫌いだったのよね)
 エリコは、苦々しい思いで、目の前の激しく動く大きな頭を冷ややかな目で見ていた。 
 坊主の法話はなかなか終わらない。夢中になって聞いているのは、この広い会場で志津子ぐらいのものだ。
 メイコはトイレに行きたくなった。
「トイレ行くから、バッグ見てて」
「えっ!?席外すのはまずくない?」
 エリコはギョッとしたが、
「だってさ⋯⋯親族が誰もトイレに行かないと、他の弔問客が行きにくいじゃん。では、わたくしはお小水をして参りまーす!」
 わざとそう言って席を立つと、母の志津子は鬼の形相でメイコのことを睨みつけた。
 メイコの予想通り、彼女の後を追うように高齢の弔問客らが次々にトイレにやってきた。
「ああー!間に合わんかった⋯⋯」
 トイレの個室から老婆の嘆きが聞こえ、
「お母さん、明日はオムツしてこなきゃダメよ!今日よりもっと長くなるんだから」
 粗相した老婆の娘と思しきおばさんが返す。
 メイコは、
(明日?もっと長い⋯⋯?)
 何のことだろうと思いながらホールに戻ると、ようやくお開きのようだった。

「あんた!どういうつもりであんなみっともないこと言ったの!?」
 母の志津子が叱り飛ばす。
「かあちゃんも気が利かないね。お客さんたちがトイレに行きたくても我慢してたの、気づかなかった?」
 母娘は互いに睨み合う。
「そんなことより、明日もまだ何かあるわけ?」
「お葬式に決まってるでしょうが!」
「は!?じゃあ、今日は一体何だったの?」
「バカな質問しないで。お通夜に決まってるでしょ!これから通夜振る舞いだそうよ」
 てっきり、今日で終わりだと思っていたメイコは、ポカンとしてしまう。
「お姉ちゃん⋯⋯明日はもっと長いんだって。トイレでおしっこ漏らしたお客さんが言ってたよ」
「え?明日は出棺だけで終わりかと思ってた」
「何モタモタしてるの!早くしなさい!」
 母の怒鳴り声に辟易しながら、二人は歩き出す。

 斎場のスタッフは、一同を和室に案内し、そこにはオードブルや寿司が並んでいた。
 メイコは、エリコと千葉から来た義理の叔母の間に座り、その向かい側には、親類から敬遠されている義理の伯父、岩沼次男が腹を突き出して座った。
「お前よぉ、そんな金髪でキャバ嬢でもやってんのか?それとも暴走族か?」
 メイコは岩沼のことを睨みつける。
「単なるファッションだけど」
「なーにがファッションだよ!どう見てもキャバ嬢か暴走族だろう。それとも風俗嬢か?今時の若い女なんて全員アバズレだな」
 大声で執拗に絡んでくる岩沼のことを、メイコは更に鋭く睨みつける。隣に座っていた義理の叔母がオロオロしながら、
「い、今の若い子は、いろんなファッションするじゃない?うちの息子も、大学時代は長い髪をスプレーで逆立ててたし⋯⋯」
 なんとかフォローしようとしたが、
「男はいいんだよ、何したって。あくまで、男だけはな」
(お前なんぞ、世界中のフェミニストに殺されてしまえ⋯⋯このバーコードタヌキジジイ!)
 そう怒鳴りたいのを堪え、メイコはテーブルの下で岩沼の足を蹴飛ばした。

 通夜振る舞いもお開きとなり、一同が外に出ると、車の上には山のように雪が積もっていた。
 車の運転をする者らは、うんざりした顔で、車に積もった雪をおろす。
 そして、何台もの車が、雪道をノロノロと走り出した。
 メイコの運転する車の同乗者はエリコだけだったので気楽なものである。
「あーむかつく!あのクソジジイ!」
 車に乗るや否や、メイコは、ガンガン音楽を流しながら、岩沼に対する不満を爆発させた。
「私も昔、あのおっさんにデブいじりされたから嫌い。でも、むしろ母さんが黙ってないでしょう?その金髪⋯⋯」
「御名答!東京の大学に通ってた頃、セルフで金髪にしたのね。だけど、帰省すると母親が激怒して『そんな髪の色で家に入らないで!』って、無理やり染め直しさせられたんだよね。で、上京したらすぐ金髪に戻して、帰省すると染め直しさせられるのを繰り返して。今はちゃんと仕事してるから、親の言いなりにはならないけどね。何度も染め直しさせられたから傷みまくって、ショートにするしかなくなったわ」
 その時、エリコの携帯電話が鳴った。
「噂をすれば、母さんからだ⋯⋯もしもし。え、今夜は親戚全員グランドホテルに泊まる?私たちまで?メイコ、グランドホテルの場所ってわかる?」
「多分わかるよ」
「わかるって。はぁ⋯⋯もう切るね」

 メイコの運転する車も、少し遅れてグランドホテルに到着した。メイコとエリコは同室で予約されている。
 部屋に着くと、メイコはベッドに倒れこむんでボヤく。
「あー疲れた!明日はもっと長いって想像すると⋯⋯はぁ」
「お疲れ様。ねえ、お酒買いに行かない?」
「お、いいね!」
 ホテル内の自販機にはビールしかない上に高いので、姉妹は近くのコンビニまで行くことにした。
 廊下を歩いている最中、両親がギャンギャン怒鳴り合っているのを見かけたので、二人は素早くターンして非常階段に向かい、ひとつ下の階からエレベーターに乗ろうとした。
 しかし、今度は、伯母の公子と、公子の内縁の夫であるバーコードタヌキジジイの岩沼が罵倒し合っているのを見かけ、結局は1階まで歩いて向かうしかなかった。

 酒とつまみをどっさり買い込んだ二人は、
「うちの一族、みっともない喧嘩ばっかりだね」
 エリコが愚痴をこぼす。
「ああいうの見てると、結婚に何の夢も見られないのも当然だって。そうえば、お義兄さんは来なかったんだね」
「うん。旦那、安月給なのに激務だから、無理して来なくてもいいって言ったの。叔母ちゃんとは話したことすらないだろうから、なんか悪いし。それにしても、お酒なんて何年ぶりだろう」
「え?お姉ちゃん、禁酒してんの?」
「禁酒というか、旦那が下戸なのに、専業主婦の私だけが飲むわけにもいかないし⋯⋯」
「なるほど。陰でキッチンドランカーとか言われちゃうのかもね」
 メイコは、やはり結婚は面倒なものだと思った。
「そういえば⋯⋯私とお姉ちゃんが同室ってことは、両親が同室ってことだよね?」
「そりゃそうでしょ。それ以外の組み合わせも変だし」
 メイコは一瞬黙ったあと、
「お姉ちゃんさぁ⋯⋯私が生まれてきたこと、気持ち悪いって思わなかった?」
「え?どうして?」
「だって、私が生まれる前から、両親は不仲だったんでしょ?それなのに、40代半ばで私が生まれたっておかしくない?不仲なのに、やることだけやってたのか!?って。中学生なんて、いちばんそういうのに潔癖な年頃だしさ。私が中学生の頃だったら、気持ち悪くて非行に走ったかもしれない」
「まあ⋯⋯夫婦なんて、そんなものだから」
 エリコは理解のある顔でそう言ってみせたが、それは本心ではなかった。

 本当は、母から妊娠を聞かされた中学時代のエリコは、トイレでこっそり嘔吐した。日に日にせり出してくる母の腹が気持ち悪いとさえ思っていた。
 よりによって、高校受験の直前にメイコが生まれ、その10日後に県立高校の合格発表を見に行くと、自分の番号は何度見てもなかった。
 帰宅して泣き崩れると、
「赤ん坊の夜泣きが酷いのに、アンタまで泣かないで頂戴!滑り止め私立に行かせるなんて、恥ずかしいしお金もかかるし、泣きたいのは私のほうだわ!」
 そう怒鳴りつけられたが、当時は内気だったエリコは言い返すこともできなかった。
 メイコが中学生になった頃、エリコはすでに結婚して遠方に住んでいたが、
「あんたが真面目だったのに対して、メイコはとんでもない不良に育ってしまったのよ」
 今まで、母から真面目だと褒められたことなど一度もないのに、電話越しにそんなことを言われ、エリコは困惑したものだ。
 帰省した時に、妹が一体どんな不良に育ったのかと内心楽しみにしていたが、メイコの髪は黒く、パーマもかけていない。制服のスカートも膝丈で、どう見ても“とんでもない不良”などではないことに疑問を感じた。
 ただ、自分が親に反抗できなかったのに対して、メイコは両親に怒鳴られたら、倍返しの勢いで怒鳴り返したり、他校の男子との付き合いが母親にバレてもいた。
 たかがそれだけのことで“とんでもない不良”だと騒ぐ母の大袈裟さにうんざりしたものだ。

 酒を飲みすぎて爆睡していた姉妹は、モーニングコールに叩き起こされた。
 朝食はバイキング。
 メイコは、
「あー⋯⋯なんか調子悪いわぁ」
 そう言いながらも、ご飯は山盛り、おかずも大量に皿に載せている。
 アラフォーのエリコは、流石に朝からそんなに食べられない。実際に食欲がないのも事実だが、エリコは子供の頃に肥満児だった為、拒食症一歩手前というほど、再び太ることに恐怖を感じている。

 沖縄から遠路遙々やって来た高道恵は、いくら本州の日本海側とはいえ、まさかこれほど寒いとは思っていなかった。
 しかし、葬儀で告別式である今日は、よりによって例年よりも大雪。
 最初は、雪が珍しくて感動していたが、まともに歩くことが出来ず、何度も転んでしまった。

 昨日と同じセレモニーホールにて、
(また、焼香にお経に、坊主の長話か⋯⋯)
 口には出さなくても、ここに居る誰もがそう思っている。
 先日、トイレに間に合わなかった弔問客の老婆も、今日はしっかりパンツ型のおむつを装着して来ていた。
 わざわざ来てくれた他人様にそこまでさせる、もはや苦行のような葬式だ。

 その後、一族はマイクロバスに乗せられ、焼き場へと向かった。
「ねぇ、やたら遠くない?このバス、一体何処まで行くの?」
 エリコがメイコにそっと尋ねる。
「わかんない⋯⋯こんな辺鄙なところ、私も来たことないし⋯⋯。どこを見ても雪で真っ白なのも、もう見飽きた景色って感じ」
「ここまで積もると、流石に嫌よね」
 姉妹の前に座っていた恵は、慣れない寒さに震えながらも、
(内地の人は、このどこまでも真っ白な風景に見飽きてるのか⋯⋯。ま、私は内地の海の汚さを思うと、沖縄で育ってよかったと思うけどね)
 そんな、ちょっとしたカルチャーショックを受けていた。

 出棺の際は、流石に一族もしんみりしていた。
 しかし、高齢の者が多いせいもあり、こんな寒い日に、暖房の効かない焼き場で延々と震えながら待機させられ、かなり疲れも出ていた。
 疲れ果てていたのに、更にそこからまた、マイクロバスに延々と揺られて戻らなければいけない。
 もはや、全員がグッタリである。

(ホントに、参列者のことは完全無視の、叔父の自己満足な葬儀だな⋯⋯。優しかった叔母ちゃんが、果たしてこんな葬儀を望んだのだろうか?年老いた姉や兄たちに、こんなしんどい思いをさせたかった筈がないわ)
 メイコは密かに思っていた。

 そして、親族の会食で、やっとこの葬儀は終わる。
 メイコとエリコは、両親の向かいに座っていて、喪主の金彦は、お酌をして回っていた。
 加美一家は、金彦はこちらにもお酌をするだろうと思っている。
 しかし、金彦は明らかにわざと、加美一家だけを飛ばして、その横の岩沼と公子にお酌をした。
 加美一家はポカンとしている。
 いよいよ、お待ちかねのみっともない騒動が始まる。

 金彦が、岩沼と公子をこっそり廊下に呼び出し、
「あいつら⋯⋯どういうつもりなんや」
 唐突にそう言うので、二人とも何のことかわからず、その意味を問うと、
「加美んとこの親子や!嫁にいったヤツは別として、ひとり千円の香典で、よくも会食の席につきやがって⋯⋯これじゃアシが出るやろが!普通、ひとり5万は包むやろ!」
 岩沼と公子は、最初は何も言わずに戻ってきたが、公子がそっと、志津子に金彦の発言を耳打ちすると、突然、志津子は慟哭し始めた。

「えっ!?なに?どうしたの?」
 メイコがギョッとして尋ねたところ、
「だって⋯⋯群馬に住んでた頃は、香典が千円が当たり前だったのに⋯⋯!」
 その言葉に、メイコは思わず頭を抱えた。
「お姉ちゃん⋯⋯これだよ!昨日言おうとした、新生活って!」
「聞き損ねたけど、新生活って何なの?」
 エリコも、子供の頃から転勤族の父親には振り回されてきたが、ずっと前に実家を離れているせいもあり、新生活が一般的であるエリアには住んでいたことがない。
「新生活運動っていうのは、簡単にいうと、香典とかお祝いは千円にして、お返しは受け取らないっていう、一部の地域では自治体の公式ホームページでも掲載されてる習慣だよ。だから、私たちは香典返しは受け取らないし、会食にも出ないつもりだったのに、叔父さんから『それだと計算が合わなくなる』って言われたから、今もここに居るわけだけど⋯⋯」
 シーンとした会食の場で、メイコの説明が虚しく響いた。
 他に聞こえるのは、志津子の嗚咽だけである。

「アンタなぁ⋯⋯さっきは黙って聞いててやったけど、香典が千円だから食事の席につくな、なんて、あんまりだろう!」
「そうよ!そもそも、こんな派手な葬式なんかするべきじゃないって思ってたわ」
 岩沼と公子が、金彦を批判すると、
「あんまりだわ⋯⋯。こういう風習なんて地域によって違うのに、香典のことで責めるなんて、志津子さんが可哀想よ」
「よくも、うちの妹に向かって⋯⋯」
 これまでずっと無口だった他の親族らも、次々と同調圧力で金彦を責める。
 金彦には、アラサーの息子と娘が居り、当然、その場に居合わせていたが、二人ともただ気まずそうにしていた。

(このオッサンの言うことは、かなりムカつくけど⋯⋯母ちゃんも一人で被害者面しないで欲しいわ。私だって、仕事のシフトをずらしてまで母ちゃんのアッシーしてたのに。そもそも、和子叔母さんがこんな修羅場を望むわけがないし、やっぱり叔父は、香典で派手な葬儀費用を賄う気だったんだ)
 メイコは心底うんざりしていた。

 その後は、もうハチャメチャの修羅場で、驚いたスタッフが止めに入る始末。皆、アルコールが入っているので、尚更だろう。

 この出来事がきっかけで、沢村金彦は、一族から絶縁されることとなった。
 故・和子は、老いた兄弟姉妹の末っ子で、兄姉から大事にされていたので、その後の一族は、東京で和子の法事を勝手に行うようになり、そこで金彦のことを毎回口汚く罵った。

 あの、修羅場でしかない葬儀から、4年後。

 加美家のろくでもない家長で、万年課長でもあった學、つまりメイコの父親が、あまりにも突然、危篤になった。
 有り体に言うと、不摂生が祟った結果である。
 學もまた、一族全員の嫌われ者だ。

 志津子は仕方なく、親戚に夫が危篤だと連絡したが、金彦にだけは何も言っていない。

 ところが、親戚の殆どが首都圏に住んでいるせいもあり、首都圏在住の金彦の子供たちの耳にも、親戚のどこからともなく學の危篤の話は伝わった。
 そこから、金彦の耳にも、この話はあっという間に届いたという。

 メイコは現在、実家からそう遠くない安アパートに住んでおり、エリコは両親を快く思っていないせいもあり、あまり実家に寄り付かないのだが、強引に呼ばれたので仕方なく4年ぶりに帰省している。

「ちょっと!あのバカ彦が、じいさんの見舞いに来るっていうのよ!」
 ヒステリックに志津子が喚く。
 ここでいうバカ彦とは、沢村金彦のことであり、じいさんとは、加美學のことである。
「ふーん。勝手にさせたら?」
 メイコは気のない生返事。
「じいさんにそう言ったら『絶対に許さんぞ!あいつが来たら、怒鳴り付けて水をぶっかけてやる!』って激怒してるのよ!?」
「へぇ。それは見物だね。もし、じいさんが憤死したら、慰謝料請求したらいい。まぁ、本当に憤死ってあるのか知らないけど」
 サイコパスのように薄笑いを浮かべてメイコが答えるものの、エリコは、
「もう修羅場は勘弁してよ。ホントに恥ずかしいわ!この一族⋯⋯」
「で、どうすんの?」
 他人事のようにメイコが言うので、結局は伝言ゲームのように、志津子から、志津子の姉である公子へ、公子から、勝彦の子供たちへ、そこから金彦に、
「決して、見舞いには来てくれるな」
 という旨を伝えた。
 流石の金彦も来ず、とりあえず修羅場は免れた。

「メイコ。あんた、喪服は用意してあるんでしょうね?」
 志津子が言い、
「やばっ!4年前からずっと放置してたよ!クリーニングに出してくる!」
 そうして、加美家は、學の葬儀に備えていた。

 メイコは、ネットの使い方などまるでわからない志津子の代わりに、喪主の心得や葬儀のルールなどを検索している。
 ふと、ある項目で指が止まり、怒りが込み上げてきた。

 お通夜の受付というのは、本来なら前もって依頼するものであり、更に、受付を依頼した相手には謝礼もする、と書いてあったのだ。
(金彦ジジイ⋯⋯自分は私たちに受付の謝礼をびた一文も渡してないし、前もって依頼もせず、言うに事欠いて『おい!お前らは受付をやれ!』だったよね?挙句の果てには、香典のことでアヤつけてきたし⋯⋯ふざけんなよ!)

 いつ學が死んでも大丈夫なように、志津子もメイコも、準備はバッチリである。

 それにも関わらず、とんでもない真実が、薄情な一家、そしてろくでなし一族を驚愕させることになるとは⋯⋯。