僕がまだ、小学校一年生であった頃のことだ。
僕は同年代の子供達と比べても相当なチビで、それこそ幼稚園児に間違われることもあるくらいだったのだが。だからこそ、他の子供達には気づかないものに気づくことも多かったのである。なんといっても視点が低い。壁の下の方の汚れとか、落書きとか。他の子や先生では知らないことをちょこちょこと知っていることも多かったのだ。
だからだろうか。そんな馬鹿なと大人達には笑われたが――幼い頃の僕には、“幽霊”に近いものが多く見えていた気がするのである。
正確にはそれが本当に“幽霊”と呼べるものであるのかどうかはわからない。なんせみんなに見えないのだから、それを正しく定義する言葉なんぞあるはずもない。幽霊、お化け、悪魔、妖怪。そこそこ児童書は好きだったので(おかげさまで、小学校低学年でありながら漢字だけは他の子より相当読めたように思う)言葉の数こそ知っていたものの、それでも思い当たるワードといったらその程度でしかないのだ。
足元をすり抜けて走っていく足が七本ある虫。
おじいちゃんの家の障子を、穴も開けずに通り過ぎていく謎の手足。
壁の上に座っているよくわからない目玉とか、木の実の代わりに生っている宝石のようにキラキラした石の塊だとか。
年上の親戚や親に言うと、信じて貰えないか馬鹿にされるかが常だったので、僕はそれらについて人に語ったことは殆どなかった。これだけはどうしても話しておいた方がいいのではないか――そう思ったのは、過去一度だけである。
当時の僕は、父方のおじいちゃんの家に行くたび、どうしても不思議でならないことがあった。
正確には、おじいちゃんの家の車が奇妙だったのである。
おじいちゃんの家にある、ちょっと年季が入った濃い緑みたいな色の自動車。そのマフラーの穴を覗くと、いつも金色の何かと眼が合ったのだ。
真っ黒な中に、ぽつんと二つ輝くもの。僕はすぐにそれが“いつも見える不思議なもの”であると気づいた。子供心に、こんな狭い穴に何かイキモノが入り込めるはずがないとわかったせいだ。何かのイキモノに近い姿をした、ナニカ。僕が覗くと向こうも気付くのか、時折瞬きらしきものをするのがわかる。
ある時、僕はおじいちゃんの家に行った時、そのマフラーの穴の中に手を突っ込んでみることにしたのだった。小さな僕の手なら、ギリギリ入らないこともないサイズだった。少し大きくなれば「そんな危ないことをするなんて!」と危機感の一つも覚えただろうが――生憎幼い子供に、そういう後先を考えられるだけの理性的な脳みそなんてまず備わっていないわけで。
「あ、あり?」
手を突っ込んだ僕は、指先が何かふわふわしたものに触れることに気づいて首をかしげた。あの金色の眼はどこか爛々としていて、もっと冷たいものかと思っていたのに。
ごそごそと手首を回していると、ついにそこから「やめてくれよ!」となんと人の声がした。僕は慌てて腕を引っこ抜く。するとなんと、マフラーの中から男の人の声が再度聞こえてくるではないか。
「こんなところに手をつっこんじゃ危ないぜ。親御さんに教わらなかったのか、ボウズ」
目を白黒させる僕の前で、“それ”はずるずるとマフラーの穴の中から這い出して来た。とにかく、黒い。真っ黒な、もふっとした毛玉のようなそれにはぴょこんとした耳が二つあり、カギ型に曲がったしっぽがあり、足が全部で四本ついていた。
そしてぱっちりと開かれる、僕がいつも見ていたのと同じ金色の眼。
それは誰がどう見ても――黒猫だった。それも、マフラーにみっちり詰まっていられるくらいの、小さな小さな黒猫である。何故か、サイズはこんなにも小さいのに、“子猫”という印象は受けなかったけれど。それはその黒猫の声が、子供というより大人の男性のような声質と口調であったからかもしれない。
「え、えっと……こんにちは?」
とりあえず、初めて会った人には挨拶をしなさい、と言われている。だからやや間抜けではあったが、とりあえずコンニチハを言うことにした。よくよく考えれば相手は人ではないのは明白であるし、もっと言うと毎日のように覗きに来ていたので初対面でもなかったのだが。
「おう、こんにちは。行儀がいい奴は好きだぜ」
黒猫は少し機嫌を良くしたのか、曲がったしっぽをピンと立てて言う。猫って、そういえばしゃべるものだっただろうか、と僕は思ったものだ。猫の幽霊であったとしても、人間の言葉で喋っているのは見たことも聞いたこともないのだけれど。
「えっと、猫さんは誰?なんでこんなところ入ってるの?手をつっこんだら、危ないところなんでしょ?」
「いい質問だ。ガキの割には頭がいい。答えは簡単、お前が手をつっこむのは危なくても、俺様がぬくぬくと詰まるのは危なくないからだ。なんといってもこの車は、俺の体の一部みたいなものだからな」
「猫さんは、車なの?」
「うーん、説明が難しい。ガキに分かるように言うにはどうしたらいいんかねえ」
要約するとだ。この黒猫は、昔おじいちゃんの家で飼われていた黒猫であったらしい。そして、その頃からあったこの車が大好きで、よくあったかい熱が残っているこのマフラーに手や頭を突っ込んではおじいちゃんに叱られていたのだそうだ。それを、「あそこにイタズラすると遊んでもらえる」と判断して、当時は面白がって繰り返していたらしいのだけれど。
猫として死んだ後――これが本人にも(本猫?)よくわからないらしいのだが。気づいたら、この車の付喪神と一体化した形になっていた、らしい。大事に大事に使われていたこの車には、数十年の間に車自身に魂が宿っていたらしいのだ。以来、死んでからずっと、黒猫はこの車に取り憑いて、時折こうやってマフラーに入り込んではぬくぬくと過ごしているとのことだった。幽霊や妖怪のような身であるため、車を起動させて排気ガスに晒されても全く問題がないし、それこそ動いているエンジンルームに入っても全く心配がないのだという。
エンジンルームなんぞ、本来生き物が入ったら死んでしまうくらい熱くなってしまう場所だと知っている。冬場はよくおじいちゃんが“猫バンバン”をするので僕も理解していた。それでも大丈夫だと言うのだから、やっぱりこの黒猫は生きた存在ではないということなのだろう。
彼は生きていた頃の自分の名前を“チビクロ”と言った。あんまりにも、そのまんまなネーミングである。
「いいか、俺はおばけだからこういうところに入ってもいいが。お前は生きた人間だ、ここを覗き込んでいる時に車が動いたりしてみろ。お前みたいなチビなんぞ、簡単にペシャンコになっちまうぜ。ましてやお前は猫とも違う、足も全然速くないんだ」
「ぼく、かけっこで一番になったことあるよ?」
「でも猫ほど速くは走れねーだろ。なんなら、今度競争してみるか?負ける気しねーけどな」
ちなみに、この後日僕はチビクロと実際にかけっこ大会を実施して川原をダッシュし、お母さんにこっぴどく叱られることになる。チビクロの姿は僕にしか見えなかったためだ。僕が一人で、突然川原で走り出したようにしか見えなかったらしい。親としては心配するのは当然なわけだが、当時の僕としては理不尽極まりないことだった。なんせ、呼び止められた結果大差でチビクロに敗北することになったのだから。――よくよく考えられれば親に止められずとも、僕の足でチビクロに勝つなんてのは不可能だったわけなのだが。
それ以来、僕にはちょっと変わった友達ができた。
チビクロはいつも、おじいちゃんの車のマフラーの中で眠っている。僕は来るたび、チビクロに注意された通り運転席に誰も乗っていないことや車がブンブンとエンジンを吹かせていないことを確認した後、マフラーを覗き込んでチビクロの名前を呼ぶのだ。それがいつも、二人でこっそり遊ぶ時の合図だった。チビクロはとっても小さかったけれど、とってもすばしっこくて、そして頭が非常に良かった。特に、交通ルールに関しては先生よりも詳しく教えてくれたものである。なんでも、猫として生きていた頃、何度も車に撥ねられそうになって危ない思いをしたことがあるのだとか。実際、近隣の友達猫が撥ねられて大怪我をしてしまったこともあるんだとかなんとか。
「車に撥ねられて怪我をする阿呆もいるけどな。気をつけてさえいれば、猫は車と一番の友達になれるんだ。俺も生きていた頃から、コイツのことは友達だと思っていたしな」
そんなチビクロが、特に印象深く教えてくれた事実が一つある。
それは、猫と車の不思議な関係についてだ。
普通の車には、意思なんて宿っていない。人間が動かさなければ、自分で走ることのできない機械だ。それなのに、チビクロはおじいちゃんの乗っているこの濃い緑色の自動車を“友達”だとそう言ったのである。
「暑い夏は、その大きな体で日陰を作ってくれる。寒い雪の日は、冷たい雪から俺達猫を守ってくれる。中に入れば、涼しい冷房も暖かい暖房もあって、足で走るよりずっとずっと遠くまで連れていってくれるんだ。俺は生きていた時、なんどもお前のジイさんに連れられて遠くまで遊びに行ったもんさ。ジイさんが運転してない時も、俺はいつもこいつの傍にいた。でもって、こいつの友達だった猫は俺だけじゃないんだ」
「そういえば、夏休みとかだと、いっつも車の下に猫さんがいるね」
「だろ?大きな大きな、涼しい日陰だ。で、エンジンルームにうっかり入っちまう猫がいるのも、俺がマフラーにつっこみたがったのも、冬のこいつがそれだけあったかい場所を提供してくれたからってことなんだよな」
だからよ、と彼は続けた。
「お前も大人になって車に乗るようになったら、その車の傍に“友達”がいないかどうか、しっかり確認してくれな。俺らを殺すのは“友達”じゃなくて、その“友達”を操る人間なんだからさ」
そんな彼との交流は、さほど長い期間は続かなかった。
僕が三年生になった年、おじいちゃんが免許を返納することになり――使わなくなるその車を売りに出すことに決めたからだ。
おじいちゃんはお店に買い取って貰うと言っていたが、あっちこっち傷もヘコミもあって何より年季が入りすぎているその車が、どこかで売れるとは僕でさえも思っていなかった。きっと両親も同じであっただろう。車はきっと廃棄処分にされてしまう。バラバラになって、捨てられて、もう車ではなくなってしまうことになる。それを知った時、僕はわんわんと声を上げて泣いた。なんせそれはつまり、僕の小さな友達ともお別れしなければいけないことを示していたからだ。
「なんだよ、泣くんじゃねえよ。わかってたろ、いつかこういう日が来るってことはよ」
お別れの前の日。雪は降っていないけれど、それでも随分寒い冬の日だった。縁側で、僕の膝の上で丸くなったチビクロは、そう言って曲がった尻尾を揺らして見せた。僕の膝の上に、確かにふさふさした毛の感触はあるのに、サイズを加味してもなお驚くほど軽いその体。
チビクロは、とっくの昔に死んでいる。今はあくまで、おばけとしてそこにいるだけだ。いつかちゃんと、“友達”と一緒に天国に行かないといけない身である。幼いながらわかっていたけれど、それをきちんと飲み込むにはまだ僕は子供すぎたのだ。
だから、泣いて首を振ってばかりの僕に、チビクロはいつになく優しい声で告げたのだる。
「誰だっていつか死ぬ。永遠に一緒にはいられない。でもな、一緒にいた事実は消えないんだ。死んでも、一緒に生きていくことはできるんだよ」
「何それ……」
「わからねえかな。……俺は、お前のココにずーっといるってことだ」
ぴょこん、とチビクロは僕の胸の中に飛び込んできた。僕は驚いて縁側に尻餅をつきながらも、しっかりとチビクロを抱きしめた。ちびくろは肉球でぷにぷにと僕の胸を押しながら、ニャア、と初めて猫らしい甘える声を出したのだ。
「お前が忘れないでいてくれればさ。俺はずーっと、お前のココにいられる。お前のココからはいなくならない。だから、大人になってもずっとずっと……忘れないでくれよ、“友達”のことを」
それが、僕とチビクロが交わした、最後の会話。
翌日車はどこかに運ばれて、そして二度と戻っては来なかった。ガランとしたガレージにもう“友達”の姿はなくて、僕は暫く泣いて過ごし、両親に思い切り心配されたものである。
連れて行かないで。あの車には友達がいるんだよ――僕は何度そう、おじいちゃん達に言ってしまおうと思ったことか。もし僕がそう頼み込んでいたら、少しは結果は変わっていただろうか。否、きっと多少先延ばしになることはあっても、結局は同じ結末だっただろう。後で知ったことだが、当時おじいちゃんは免許の更新で検査項目に引っかかっており、認知機能がだいぶ落ちてしまっていたらしい。事故を起こしたりしてしまう前に、免許返納を選んだおじいちゃんは十分に立派であったのだ。
――車と猫は友達、か。
今、僕は大学生になった。今年の夏になったら、免許を取りにセンターに通う予定である。
おじいちゃんの家に車はなくなったが、両親と一緒に住んでいる自宅には軽自動車がある。今でも時々、しゃがんでマフラーを覗いてしまいたくなるのは事実だ。勿論そこで、僕の“友達”と眼があうことはなかったけれど。それでも時々、“友達の友達”の姿に気付くことはあるのである。特に夏は、車の下は猫の避暑地として最適なのだ。
だからそのたびに、車を出そうとする両親に注意を入れるのである。チビクロとした約束を、きっちり守り続けるために。友達に、友達を傷つけさせることがないように。
――忘れないよ、チビクロ。忘れない限り……友達はずっと、ココにいるもんな。
遠い冬の日を、しっかりとしまった胸の奥。
いつでも君の声は聞こえている。僕が望む限り、ずっと。
僕は同年代の子供達と比べても相当なチビで、それこそ幼稚園児に間違われることもあるくらいだったのだが。だからこそ、他の子供達には気づかないものに気づくことも多かったのである。なんといっても視点が低い。壁の下の方の汚れとか、落書きとか。他の子や先生では知らないことをちょこちょこと知っていることも多かったのだ。
だからだろうか。そんな馬鹿なと大人達には笑われたが――幼い頃の僕には、“幽霊”に近いものが多く見えていた気がするのである。
正確にはそれが本当に“幽霊”と呼べるものであるのかどうかはわからない。なんせみんなに見えないのだから、それを正しく定義する言葉なんぞあるはずもない。幽霊、お化け、悪魔、妖怪。そこそこ児童書は好きだったので(おかげさまで、小学校低学年でありながら漢字だけは他の子より相当読めたように思う)言葉の数こそ知っていたものの、それでも思い当たるワードといったらその程度でしかないのだ。
足元をすり抜けて走っていく足が七本ある虫。
おじいちゃんの家の障子を、穴も開けずに通り過ぎていく謎の手足。
壁の上に座っているよくわからない目玉とか、木の実の代わりに生っている宝石のようにキラキラした石の塊だとか。
年上の親戚や親に言うと、信じて貰えないか馬鹿にされるかが常だったので、僕はそれらについて人に語ったことは殆どなかった。これだけはどうしても話しておいた方がいいのではないか――そう思ったのは、過去一度だけである。
当時の僕は、父方のおじいちゃんの家に行くたび、どうしても不思議でならないことがあった。
正確には、おじいちゃんの家の車が奇妙だったのである。
おじいちゃんの家にある、ちょっと年季が入った濃い緑みたいな色の自動車。そのマフラーの穴を覗くと、いつも金色の何かと眼が合ったのだ。
真っ黒な中に、ぽつんと二つ輝くもの。僕はすぐにそれが“いつも見える不思議なもの”であると気づいた。子供心に、こんな狭い穴に何かイキモノが入り込めるはずがないとわかったせいだ。何かのイキモノに近い姿をした、ナニカ。僕が覗くと向こうも気付くのか、時折瞬きらしきものをするのがわかる。
ある時、僕はおじいちゃんの家に行った時、そのマフラーの穴の中に手を突っ込んでみることにしたのだった。小さな僕の手なら、ギリギリ入らないこともないサイズだった。少し大きくなれば「そんな危ないことをするなんて!」と危機感の一つも覚えただろうが――生憎幼い子供に、そういう後先を考えられるだけの理性的な脳みそなんてまず備わっていないわけで。
「あ、あり?」
手を突っ込んだ僕は、指先が何かふわふわしたものに触れることに気づいて首をかしげた。あの金色の眼はどこか爛々としていて、もっと冷たいものかと思っていたのに。
ごそごそと手首を回していると、ついにそこから「やめてくれよ!」となんと人の声がした。僕は慌てて腕を引っこ抜く。するとなんと、マフラーの中から男の人の声が再度聞こえてくるではないか。
「こんなところに手をつっこんじゃ危ないぜ。親御さんに教わらなかったのか、ボウズ」
目を白黒させる僕の前で、“それ”はずるずるとマフラーの穴の中から這い出して来た。とにかく、黒い。真っ黒な、もふっとした毛玉のようなそれにはぴょこんとした耳が二つあり、カギ型に曲がったしっぽがあり、足が全部で四本ついていた。
そしてぱっちりと開かれる、僕がいつも見ていたのと同じ金色の眼。
それは誰がどう見ても――黒猫だった。それも、マフラーにみっちり詰まっていられるくらいの、小さな小さな黒猫である。何故か、サイズはこんなにも小さいのに、“子猫”という印象は受けなかったけれど。それはその黒猫の声が、子供というより大人の男性のような声質と口調であったからかもしれない。
「え、えっと……こんにちは?」
とりあえず、初めて会った人には挨拶をしなさい、と言われている。だからやや間抜けではあったが、とりあえずコンニチハを言うことにした。よくよく考えれば相手は人ではないのは明白であるし、もっと言うと毎日のように覗きに来ていたので初対面でもなかったのだが。
「おう、こんにちは。行儀がいい奴は好きだぜ」
黒猫は少し機嫌を良くしたのか、曲がったしっぽをピンと立てて言う。猫って、そういえばしゃべるものだっただろうか、と僕は思ったものだ。猫の幽霊であったとしても、人間の言葉で喋っているのは見たことも聞いたこともないのだけれど。
「えっと、猫さんは誰?なんでこんなところ入ってるの?手をつっこんだら、危ないところなんでしょ?」
「いい質問だ。ガキの割には頭がいい。答えは簡単、お前が手をつっこむのは危なくても、俺様がぬくぬくと詰まるのは危なくないからだ。なんといってもこの車は、俺の体の一部みたいなものだからな」
「猫さんは、車なの?」
「うーん、説明が難しい。ガキに分かるように言うにはどうしたらいいんかねえ」
要約するとだ。この黒猫は、昔おじいちゃんの家で飼われていた黒猫であったらしい。そして、その頃からあったこの車が大好きで、よくあったかい熱が残っているこのマフラーに手や頭を突っ込んではおじいちゃんに叱られていたのだそうだ。それを、「あそこにイタズラすると遊んでもらえる」と判断して、当時は面白がって繰り返していたらしいのだけれど。
猫として死んだ後――これが本人にも(本猫?)よくわからないらしいのだが。気づいたら、この車の付喪神と一体化した形になっていた、らしい。大事に大事に使われていたこの車には、数十年の間に車自身に魂が宿っていたらしいのだ。以来、死んでからずっと、黒猫はこの車に取り憑いて、時折こうやってマフラーに入り込んではぬくぬくと過ごしているとのことだった。幽霊や妖怪のような身であるため、車を起動させて排気ガスに晒されても全く問題がないし、それこそ動いているエンジンルームに入っても全く心配がないのだという。
エンジンルームなんぞ、本来生き物が入ったら死んでしまうくらい熱くなってしまう場所だと知っている。冬場はよくおじいちゃんが“猫バンバン”をするので僕も理解していた。それでも大丈夫だと言うのだから、やっぱりこの黒猫は生きた存在ではないということなのだろう。
彼は生きていた頃の自分の名前を“チビクロ”と言った。あんまりにも、そのまんまなネーミングである。
「いいか、俺はおばけだからこういうところに入ってもいいが。お前は生きた人間だ、ここを覗き込んでいる時に車が動いたりしてみろ。お前みたいなチビなんぞ、簡単にペシャンコになっちまうぜ。ましてやお前は猫とも違う、足も全然速くないんだ」
「ぼく、かけっこで一番になったことあるよ?」
「でも猫ほど速くは走れねーだろ。なんなら、今度競争してみるか?負ける気しねーけどな」
ちなみに、この後日僕はチビクロと実際にかけっこ大会を実施して川原をダッシュし、お母さんにこっぴどく叱られることになる。チビクロの姿は僕にしか見えなかったためだ。僕が一人で、突然川原で走り出したようにしか見えなかったらしい。親としては心配するのは当然なわけだが、当時の僕としては理不尽極まりないことだった。なんせ、呼び止められた結果大差でチビクロに敗北することになったのだから。――よくよく考えられれば親に止められずとも、僕の足でチビクロに勝つなんてのは不可能だったわけなのだが。
それ以来、僕にはちょっと変わった友達ができた。
チビクロはいつも、おじいちゃんの車のマフラーの中で眠っている。僕は来るたび、チビクロに注意された通り運転席に誰も乗っていないことや車がブンブンとエンジンを吹かせていないことを確認した後、マフラーを覗き込んでチビクロの名前を呼ぶのだ。それがいつも、二人でこっそり遊ぶ時の合図だった。チビクロはとっても小さかったけれど、とってもすばしっこくて、そして頭が非常に良かった。特に、交通ルールに関しては先生よりも詳しく教えてくれたものである。なんでも、猫として生きていた頃、何度も車に撥ねられそうになって危ない思いをしたことがあるのだとか。実際、近隣の友達猫が撥ねられて大怪我をしてしまったこともあるんだとかなんとか。
「車に撥ねられて怪我をする阿呆もいるけどな。気をつけてさえいれば、猫は車と一番の友達になれるんだ。俺も生きていた頃から、コイツのことは友達だと思っていたしな」
そんなチビクロが、特に印象深く教えてくれた事実が一つある。
それは、猫と車の不思議な関係についてだ。
普通の車には、意思なんて宿っていない。人間が動かさなければ、自分で走ることのできない機械だ。それなのに、チビクロはおじいちゃんの乗っているこの濃い緑色の自動車を“友達”だとそう言ったのである。
「暑い夏は、その大きな体で日陰を作ってくれる。寒い雪の日は、冷たい雪から俺達猫を守ってくれる。中に入れば、涼しい冷房も暖かい暖房もあって、足で走るよりずっとずっと遠くまで連れていってくれるんだ。俺は生きていた時、なんどもお前のジイさんに連れられて遠くまで遊びに行ったもんさ。ジイさんが運転してない時も、俺はいつもこいつの傍にいた。でもって、こいつの友達だった猫は俺だけじゃないんだ」
「そういえば、夏休みとかだと、いっつも車の下に猫さんがいるね」
「だろ?大きな大きな、涼しい日陰だ。で、エンジンルームにうっかり入っちまう猫がいるのも、俺がマフラーにつっこみたがったのも、冬のこいつがそれだけあったかい場所を提供してくれたからってことなんだよな」
だからよ、と彼は続けた。
「お前も大人になって車に乗るようになったら、その車の傍に“友達”がいないかどうか、しっかり確認してくれな。俺らを殺すのは“友達”じゃなくて、その“友達”を操る人間なんだからさ」
そんな彼との交流は、さほど長い期間は続かなかった。
僕が三年生になった年、おじいちゃんが免許を返納することになり――使わなくなるその車を売りに出すことに決めたからだ。
おじいちゃんはお店に買い取って貰うと言っていたが、あっちこっち傷もヘコミもあって何より年季が入りすぎているその車が、どこかで売れるとは僕でさえも思っていなかった。きっと両親も同じであっただろう。車はきっと廃棄処分にされてしまう。バラバラになって、捨てられて、もう車ではなくなってしまうことになる。それを知った時、僕はわんわんと声を上げて泣いた。なんせそれはつまり、僕の小さな友達ともお別れしなければいけないことを示していたからだ。
「なんだよ、泣くんじゃねえよ。わかってたろ、いつかこういう日が来るってことはよ」
お別れの前の日。雪は降っていないけれど、それでも随分寒い冬の日だった。縁側で、僕の膝の上で丸くなったチビクロは、そう言って曲がった尻尾を揺らして見せた。僕の膝の上に、確かにふさふさした毛の感触はあるのに、サイズを加味してもなお驚くほど軽いその体。
チビクロは、とっくの昔に死んでいる。今はあくまで、おばけとしてそこにいるだけだ。いつかちゃんと、“友達”と一緒に天国に行かないといけない身である。幼いながらわかっていたけれど、それをきちんと飲み込むにはまだ僕は子供すぎたのだ。
だから、泣いて首を振ってばかりの僕に、チビクロはいつになく優しい声で告げたのだる。
「誰だっていつか死ぬ。永遠に一緒にはいられない。でもな、一緒にいた事実は消えないんだ。死んでも、一緒に生きていくことはできるんだよ」
「何それ……」
「わからねえかな。……俺は、お前のココにずーっといるってことだ」
ぴょこん、とチビクロは僕の胸の中に飛び込んできた。僕は驚いて縁側に尻餅をつきながらも、しっかりとチビクロを抱きしめた。ちびくろは肉球でぷにぷにと僕の胸を押しながら、ニャア、と初めて猫らしい甘える声を出したのだ。
「お前が忘れないでいてくれればさ。俺はずーっと、お前のココにいられる。お前のココからはいなくならない。だから、大人になってもずっとずっと……忘れないでくれよ、“友達”のことを」
それが、僕とチビクロが交わした、最後の会話。
翌日車はどこかに運ばれて、そして二度と戻っては来なかった。ガランとしたガレージにもう“友達”の姿はなくて、僕は暫く泣いて過ごし、両親に思い切り心配されたものである。
連れて行かないで。あの車には友達がいるんだよ――僕は何度そう、おじいちゃん達に言ってしまおうと思ったことか。もし僕がそう頼み込んでいたら、少しは結果は変わっていただろうか。否、きっと多少先延ばしになることはあっても、結局は同じ結末だっただろう。後で知ったことだが、当時おじいちゃんは免許の更新で検査項目に引っかかっており、認知機能がだいぶ落ちてしまっていたらしい。事故を起こしたりしてしまう前に、免許返納を選んだおじいちゃんは十分に立派であったのだ。
――車と猫は友達、か。
今、僕は大学生になった。今年の夏になったら、免許を取りにセンターに通う予定である。
おじいちゃんの家に車はなくなったが、両親と一緒に住んでいる自宅には軽自動車がある。今でも時々、しゃがんでマフラーを覗いてしまいたくなるのは事実だ。勿論そこで、僕の“友達”と眼があうことはなかったけれど。それでも時々、“友達の友達”の姿に気付くことはあるのである。特に夏は、車の下は猫の避暑地として最適なのだ。
だからそのたびに、車を出そうとする両親に注意を入れるのである。チビクロとした約束を、きっちり守り続けるために。友達に、友達を傷つけさせることがないように。
――忘れないよ、チビクロ。忘れない限り……友達はずっと、ココにいるもんな。
遠い冬の日を、しっかりとしまった胸の奥。
いつでも君の声は聞こえている。僕が望む限り、ずっと。



