末っ子王子の護衛ソーセキの胃痛が止まらない旅日記

 ある昼下がりのことだった。
 いつものように書庫で本を読んでいたアルトリオ王子は顔を上げて、こう言った。

「そうだ、旅に出よう!」
「はぁ!?」

 護衛がこんな声を出したら不敬かもしれないが、小さい頃からの付き合いである俺たちにとったら些末なことだ。
 アルトリオ王子も俺の反応に気にすることなく、言葉を続ける。

「ソーセキ、大丈夫だよ。お前もちゃんと連れて行くからね」
「そう言うことじゃない!」

 思わず大きな声でツッコミを入れてしまった俺をアルトリオ王子は満面の笑みを浮かべながら見ていた。


 ◆


 リウリエ王国は自然に恵まれた大陸(いち)の平和の国と言われている。

 俺の祖先はアズマの国と言う、東の海にある島国出身だ。
 島国にゆえに、領土の争いが頻繁に起きていた。
 祖先はその戦いに心も体も疲弊し、国外に出ることを決意する。
 偶然出会った渡航人による、平和の国リウリエの存在を知ったことも大きかったのだと思う。

 当時、危険も多かった海。数々の困難を乗り越え、祖先はリウリエに降り立った。
 しかし後ろ盾もなにもない祖先が異国で職を得るのは難しく、最終的に職を得ることができたのは皮肉にも祖国で(つちか)った戦闘術のおかげだった。

 まぁ、敵も味方もわからくなるような戦いはないし、あくまで自衛のためであることが良かったのかもしれない。

 その話も百数年も立てば、おとぎ話である。
 祖国で培った戦闘術の一つ、体術はお家芸となった。
 物珍しさもあってか護衛としての評価は上々、家名と共に護衛役として地位を確立した。
 現在では貴族から引く手数多(あまた)になり、まさかの王族の護衛役にまでなってしまったのだから、人生とはわからないものだ。


 とは、言え。
 この展開は予想もしていなかった。

「父上、僕は知見を広げたいのです」

 思い立ったら吉日なのか。その行動力はいままで何処(どこ)にいた。
 アルトリオ王子は末っ子の病弱王子なことは国民の中では有名な話だが、真実は幼い頃に高熱を出して倒れて以降は大きな病にかかったことはない。つまり、数分前まで毎日書庫で本ばかり読んでいた引きこもりだった。
 いろいろと言いたいことがあったけれど、飲み込んだ。
 なぜなら、どんなに城内の散策に誘っても書庫から出ようとしなかったアルトリオ王子が思いついたその足で、自身の父であるアドルフ王の元へ進言していたからだ。
 俺にアルトリオ王子を止める時間などなかった。

「いや、だが…しかし…」

 アドルフ王は迷っておられる。
 そうだ。反対してくれ。

「あなた。アルトリオが自分からこのように活発的に申し出るなんて初めてじゃありませんか?」
「たしかに、そうだな…」

 あぁ。エリーゼ王妃が加勢に出てしまった。
 アドルフ王の心が揺らいでいる。いや、傾いている。
 このままでは本当に旅をすることになってしまう!

「アルトリオっ」
「話は聞いたぞ!」

 焦っていると、聞き馴染みのある2つの声が飛び込んできた。
 いや実際、飛び込んできた。バンと扉が大きく弾ける音がするほどに。

「クタリナ兄様! サイモン兄様!」

 クタリナ第一王子は現在、宰相補佐として国王になるべく政の勉強をしている。すでにいくつかの領地改革の提案などをしていて、王位を継ぐのも近いのではと噂されている。
 そして、サイモン第二王子は、兄を支えるべく騎士団に入り、現在、副団長となっている。
 我が国の優秀な王子たちと、国民人気が高い。身近で見聞きする俺自身も、おふたりには尊敬するばかりだ。
 が、この2人には城下町の人々に知られていない顔がある。

「私に相談なしに旅に出るなんて、どうしたんだい?」
「そうだ。小枝ような手足で旅など危険だぞ」

 それは、弟大好きな、兄バカなのだ。
 国王も王妃も親バカだが、この親にして、この兄たちあり。

 それも、年齢が一回りも離れていることもあることは予想がつく。
 王妃が第一王子、第二王子と出産し、王族は安泰ではあったが、娘が欲しいと思ったそうだ。
 そうして生まれたのがアルトリオ王子。王子ではあったが、愛しい我が子には変わりない。加えて容姿が王妃に似たこともあって、家族揃って愛しさ倍増したとか。

「クタリナ兄様、僕は本気で考えたのですよ!?」
「アルトリアが遊びだなんて、私は本気だと分かっているよ」
「僕もサイモン兄様のように役に立ちたいと思ったのです」
「俺のように…」

 あー。ダメだ。キュンと胸がときめいた音が聞こえた。
 揃いも揃ってアルトリア王子の手のひらでコロコロと転がされている。

「わかった。でも、いますぐはダメだ」
「そうだな。準備が必要だ」
「そうよ。そこは愛しいあなたのお願いでも譲れないわ」
「あぁ、皆の言う通り、早る気持ちも理解できるが、何事も準備が必要である」

 まぁ、これが諦めどきと言うものか。
 そう俺は悟った。

「ありがとうございます! もちろん旅の共にはソーセキを連れて行きます!」

 アルトリア王子が言い終わると同時に、ぐるりとリウリエ一家(いっか)が視線を俺の方へ向ける。

「わかった。ならばソーセキに各国の知識を託そう」
「そうだな。では我が剣技を伝授しよう」
「そうね。ソーセキと一緒ならば安心だわ」
「うむ。ソーセキ、アルトリオのこと頼んだぞ」

 最後の決め手、王が俺の肩をがしりと掴み笑う。
 果たして王の頼みを断ることができる国民など存在するのだろうか。いや、いない。

「か、かしこまりました」

 なんとか引きつる喉をごくりと動かして返事をすると、いつの間にか俺の隣にやってきたアルトリア王子は、それはそれはとてつもなく楽しそうに笑った。

「ソーセキ、楽しみだね」

 あぁ、胃が痛い。