「ん……ぁ、れ?」
目を覚ますと、斜陽が部屋を赤く染め上げていた。夕方に眠っていたという違和感に、一瞬日付の感覚さえ曖昧になる。
そういえば……昼から帰ってきたんだっけ。
体に汗をかいていて気持ち悪いけど、ふと額に手をやると冷却シートが貼られていた。熱が上がってきたからか貼ってくれたらしい。
テーブルの方に視線を動かせば筆箱を挟んだ教科書と開かれたノートが置かれていて、「あぁ……」と声が出た。
(桂、まだいるんだ。トイレかな?)
喉が渇いていたので常温になった水を飲み、僕は桂を探しにベッドを下りる。トイレにいなかったからリビングへ探しに行くとキッチンの方に人けがあった。
桂がなにか作っている。僕の家のキッチンに桂がいるなんて絶対おかしいのに、不思議なくらい自然な立ち姿だった。彼の背中はキッチンに立ち慣れた人の空気感を纏っている。
なんだかそのことに、僕は静かに感動してしまった。幼い頃に見た母親の背中を唐突に思い出し、胸がぎゅうっと締めつけられる。
起きたとき、桂がいてくれたことがすごく嬉しかった。ほっとして、姿を見ると甘えたくなってしまう。
「うわ!? じゅ、じゅ、純那、びっっくりした……」
「……ありがと」
つい、衝動のままに背中から抱きついてしまった。驚いてびくっと揺れた体は、桂の匂いがしてすごく温かい。
小さく呟いた言葉は聞こえなかったみたいで、桂はそろそろと僕を振り返ってきた。頬が赤い気がする。夕日のせい?
「桂、顔、赤くない? 風邪うつってないよな?」
「赤くない。うつってない!」
「……なに作ってんの?」
本人がそう言うのなら大丈夫なのだろう。僕はずっと気になっていたことを尋ねた。鍋の方からすごくいい出汁の匂いがしている。
「昼もあんま食べてなかったろ? 家政婦さんの作り置きも今日はあれかと思って、うどん作ってみた。食える?」
「ううう~~~」
「どうした!? 気持ち悪いなら無理するなよ?」
「結婚して!!」
桂が優しすぎる。僕は思わず脳裏に浮かんできた言葉を叫んだ。母が生きていたなら、こういう人と一緒になりなさいって言ったと思う。
背中に顔をぐりぐり擦りつけていると、いいタイミングでぐう〜、とお腹が鳴った。
我ながら空気の読めないお腹だ。呆れるけど、素直とも言う。だっていい匂いが過ぎるし。
「ふつつか者ですが……」
「冗談は置いといてさ、なんか腹減ったみたい。食べていい?」
桂はなんだかがっくりとして帰っていった。熱があるくせに食欲のある僕に、呆れ返っていたに違いない。
僕は柔らかく煮込まれたうどんを綺麗に食べ切って薬を飲んで寝て、翌日にはすっきりと目覚めることができた。
早朝の柔らかな光の中、ハンガーに掛けた桂のジャージを見つめて思う。
昨日は熱に浮かされて変な行動をしてしまったと思っていた。でも、クリアな頭になってみれば、自分の本当の気持ちに気づいてしまった。
(僕、桂のこと好きなんだ……)
自分自身同性愛者だという自覚はなかったけれど、桂という魅力に溢れた人間を前にして性別なんて些細な違いだと強く思う。
もちろん、気持ちを伝えるつもりなんてない。
桂には彼女が何人もいるという噂があった。性格を知った今では何股もする男ではないと分かっているが、きっと本命の子が他校かどこかにいるのだろう。たまにスマホを見てにやけてるし。
自分の気持ちを押しつけて桂を困らせたくない。どうせなら今のいい友人関係のまま卒業しよう、と僕は自覚したばかりの恋心に蓋をした。


