――そのはずだったんだけど。


「ちょっと顔貸せ」
「ひっ、人違いじゃ……」
「ああん?」

 放課後、すぐに帰るべく僕が玄関に向かって歩いていると目の前に森苑がやってきた。え……なんで?
 間近で見上げると頭一つ分上にある顔は、眉間に皺が寄っていて怒っているようだ。ちなみに、美形の怒り顔は死ぬほど怖いと僕は今知りました。

 でも、彼が僕に用があるとは到底思えない。記憶の限り、今の今まで接点なんてひとつもないのだから。うん、何かの間違いだ。
 そう結論づけて、僕は目の前のでっかい障害物を無視した。

「っおい、なかったことにして帰るな!」
「はひ、すみません……」

 避けて通り過ぎようとしたら、障害物は僕の腕を掴んだ。周囲から好奇の視線を感じ、これ以上この場で抵抗すると余計に目立つと判断した。僕は諦めて、空き教室へと連れて行かれる。

 そもそもでかいだけのやつに、ちょっとヤンキーなだけのやつに、どうして僕がビビらないといけないんだ。こっちは先輩なんだぞ?

「なに? 森苑くん。こっちは忙しいんだけど」
「これ。“ジーナ“って、あんただろ?」
「…………」

 森苑は僕に向かってスマホの画面を見せてきた。写真投稿型SNS、ツイスタグラムのプロフィールページだ。

 そこには、顔を隠した少年が女装してポーズをとった写真が載っている。名前はGina(ジーナ)。フォロワー数は四千とちょっと。
 彼は鎖骨見せと腹チラが得意で、匂わせるくせに性的な写真は決して載せない。熱心なファンが何人もおり、今やどんな写真を載せても絶賛のコメントを寄せてくる。

 どうしてパッと見ただけでこれだけの情報が分かるのかというと、森苑の言うとおり、ジーナは……()()()()()()()だからだ。

(や、やばい~~~!!! 終わった! 僕の真っ当な高校生としての生は終わった……!!!)

「きっ……気のせいじゃない?」
「目を泳がせすぎだろ。ちょっと鎖骨見せてみろ」
「ひぃっ。や、やめ……っ!」

 さっと青褪めて、まるまる十秒は考えてから誤魔化そうとした僕に対し森苑は容赦なかった。圧倒的弱者の僕は、抵抗も虚しくカッターシャツのボタンを二つ開けられてしまう。

「急に脱がすなんて、ひどいよぉ……」
「……やっぱり。この鎖骨の細さ、角度はジーナしかいない。目の前にジーナが……」
「だったらなんなんだよ! 離せ!」
「あ!」

 しくしく泣き真似して見せた僕を無視して、森苑は名探偵みたいなことをほざいていた。全力で身を捩ると、シャツのボタンは弾け飛び森苑の手が鎖骨を掠る。

 僕は開いてしまったシャツを両手で掻き合わせ、目の前の男を見上げた。森苑の切れ長の目は大きく見開かれ、僕の顔を凝視している。
 くそ、なに驚いてるんだよ。強引な方法で確かめられた怒りとバレたという絶望感がない交ぜになり、目の前が潤んできた。

 やんちゃで怖がられているけど人気者な森苑がジーナのことを言いふらせば、明日にも学校中に知れ渡るに違いない。「三廻部純那はキモい女装男子」と黒板に書かれたり親が呼び出されたりして、一生白い目で見られて進学もできなくなって……人生終了のお知らせである。

 引きこもりニートの未来予想図を脳裏に描きながら、僕は必死に回避策を探した。洟をすんっと啜る。

「お、お金はそんなないけど……パシリでも土下座でもなんでもするから、誰にも言わないでっ」
「……じゃあ、鍵アカにしろ。次の要求は明日の昼だ。そのシャツを持って三階外の非常階段に来い。いいな?」
「???」

 予想外……というか誘拐犯みたいな言葉を言い残して、森苑は去って行った。金髪から覗く耳たぶが濃い桃色に染まっているように見えたのは気のせいだろうか。

 ヤンキーの要求の勝手なイメージとして、下僕になれとか椅子になれとか言われて四つん這いで耐える覚悟も一瞬したのだけれど。アカウントに鍵をかけろって、どういうことだ?

 確かにジーナはオープンなアカウントで誰でも見られる。鍵アカウントにすれば、今のフォロワーはそのままだけど、新たな人は僕が申請を承認しなければジーナの投稿を見られなくなる。

(よく分かんないけど、あいつはジーナをフォローしてるんだよな? 詳しそうだったし)

 女装した男の子、カワイイ! ときゃーきゃー言われることを想定して作ったアカウントのフォロワーは、現在おそらく九割が男性である。全く持って謎の需要だが、森苑もああいうのを可愛いと思うたちなのかもしれない。
 顔は見えない写真だから、すごく可愛い男の子を想像していたのだろう。きっとがっかりさせてしまった。

 それは僕も地味にショック……じゃなくて。この危機的状況をどう乗り切るかだ。
 要求どおり、鍵アカにすれば誰にも言わないでもらえる? いや……明日の昼からが勝負に違いない。

(シャツを持ってこいって……わけわからん!)