case2-after
「セイー! お母さんまたあのお菓子食べたいなぁ」
「えっ、父さんも欲しい!」
「はは、うん、わかったよ母さん、父さん」
やったー、と明るい声が部屋に響き渡る。
台所に足を踏み入れれば、すでに下ごしらえを終えた材料たちが並んでいる。わくわくとした様子で割烹着のようなものを着込んだ『母親』が、満面の笑みで少年を迎え入れた。
材料の下ごしらえは一筋縄ではいかない。少年が主導しつつ何度も失敗を重ね、なんとか手順を確立し、それを手本に母も苦労して会得したものだ。煮た豆はあっても、渋きりだのアクを取るだの水加減に注意だの、そういった手間のかかる調理はこの世界ではほとんどされていなかった。さらに、煮物の味付けに使う砂糖を入れるなど初めて見た母親が仰天したほどである。せっかく食材があるのに、あまり調理にはこだわりがない土地柄のようであった。
こだわり、と言えば。
台所には、数々の鍋や竹ざる、菜箸等が並んでいる。どれも、持ち手などまでしっかりこだわって作っただろう、邪魔にならないが細工もある良品だ。
手を洗って準備している間、うきうきとした弾んだ声が続く。
「一緒に作りましょ! 今度こそ綺麗に作って見せるんだから」
「負けないよ」
「たまには負けてくれてもいいのよー。あ、やっぱだめ。セイの作ったお菓子は母さんが貰うんだから!」
そこで、ばたばたと慌てた様子で父親も台所に転がり込んできた。自分もやると主張する父親が、母親の指導の下丁寧に手を洗い始める。
「どうだ、父さんが作った『木べら』は!」
「うん、使いやすいよ」
「そうだろうそうだろう!」
「あなたが家具職人でよかったわ……」
「そうだろうそうだろう! 次はこたつとやらに挑戦してみるか!」
「はは、木べらに鍋にざるに、次はこたつかぁ。父さんすごいや!」
もはや調理道具ではない。少年の母が言うように、彼の父は家具職人である……が、この世界で家具職人と言えば、家の中の家具道具全てを担うようだ。一式全て同じ職人、なんて注文もよくあるらしい。
料理にこだわらない世界において強いこだわりがあったのは、建造物に家具、そして農作業、畜産業などを支える道具の制作であった。
そんな世界に生まれたセイ……元セイシロウは、神の啓示を受けた子として巫覡に認められ、咎めることなく新たな試みである菓子作りに邁進できた。
どうやらこの世界では神はより近く、セイの他にも料理や飲料への造詣が深い子供たちが各地に認められ、そして農業も新たな展開を迎えているらしい。王政であるが王は圧政を敷くことなく、これらの変化を受け入れ対応しているようである。
そういえば、記憶の中のセイシロウの亡くなった妻は料理が得意だった。こんな穏やかな世界で再会できたらとセイシロウの亡き妻への想いが胸に溢れ、セイは咄嗟に首を振る。泣いては両親に心配をかけてしまう。
『この肉じゃが、美味い』
『そうでしょう、あなたに褒められて嬉しいわ』
そうだろうそうだろう! と得意げな父親の声に笑い声が重なる。セイは、ふわりと笑みを浮かべた。
和気藹々とそれぞれが準備を終えたところで、あ、とセイが居間の奥を見た。
「出来上がったら、また何個かお供えしていい?」
「もちろん! 神様にもおすそ分けしなきゃ」
「そうだなぁ、セイや母さんが用意してくれる菓子、美味いもんなぁ」
ふふふ、と楽しそうに笑う母親の元で、少年が、まだ小さな手で一口分の餡を丸めた。ふわりと香る甘いにおいに、思わず親子で微笑みあったのだった。
「うまっ……」
「わかるー! あっちの世界でもうまくやっているみたいねぇ」
店におじいさんが迷い込んでからしばらく後、カフェには時折『おすそ分け』だという和菓子がたまに届くようになった。
それを楽しみにしている店長は、店で出すことはやめて自分たちで頂くことにしたらしく、あれ以来緑茶の茶葉は休憩室にのみ並んでいる。
「大変だったみたいよぉ。あの世界、環境は似てても、調理器具がなかったりこっちとは豆の色や大きさが違ったりしてひとつ作り上げるまで苦労してたもの」
「まぁ、一応別世界でスしね」
「でも最初から大歓迎であっちの神が迎え入れただけあって、多少苦労はあっても楽しめる環境みたい。うんうん、たまにはああいう穏やかな転生があってもいいわね」
「穏やか、ね」
従業員はあの『お客様』が来た日、外の掃除を終わらせ戻った後のことを思い出す。
手紙ひとつと、どうしても作りたくなったという手製の上生菓子をいくつか店長に遺し、お茶を一杯飲み終わった男性は穏やかにカフェの裏口の扉から去った。
手紙は、息子宛。どうやら菓子は久しく訪れていなかった息子が継いだ店へと向かい、久々に並んで作ってきたばかりらしいのだが、あえてその時手紙を渡すことはしなかったようだ。
「あの、手紙って」
「ちゃんと渡したわ。と言っても対面で渡すわけにもいかないし、隠れて息子さんが一人の時を狙って手紙とおまけを店内に置いたら、ものすごく驚いていたけれど」
「そリャ、そうなるでしょ」
「しかも、探さないでくださいみたいな内容みたいだし」
「……家出?」
「ま、つまりあの息子さんの奥方が欲しがっていたものは、この国の法律で? しばらく手に入らないってことねー」
その辺の提案、店長じゃないんですかという言葉を、従業員は賢く飲み込んだ。
「手紙のついでに奥方の借用書の写しなんか置いてみたんだけど、喜んでくれたかしら」
「おまけってそれカヨ……」
ま、自業自得かとあの化け物を思い出した従業員は、食べ終えたお菓子とお茶に手を合わせた。どうぞ、お幸せに。
