異世界千道館  転移転生案内所


 触れたとたん、視界の前面が一気に様変わりした。カフェのテーブルが、薄くぼやけてうっすら向こう側にある。今視界を埋め尽くしているのは、もっと広い外の風景。薄暗い、煙が立ち上る荒れた地であった。まるでVRのようだと後ろを振り返れば、そこには変わらないカフェの壁がある。どうやら映像はノゾムが見ていた方角を前方とした百八十度のみであるようだ。
 映像は、先へ先へと進んでいた。滑らかに進んだかと思えば、たまに上下に揺れる。スピードはそこそこあるようで、次々と景色が映像外へと流れていく。

 ほぼ破壊しつくされたと言っていい瓦礫の山に、立ち上る灰のような煙。空はどんよりと曇り、こちらの世界では見られない赤紫の光が時折ちらついている。
 これが、スノウの世界。
 生命というものが、まるで感じられなかった。人間どころか鳥の姿もなく、緑であっただろう地は黒く焦げ、川を流れる水はなぜか赤黒い。
 その川岸に引っかかるようにだらりと垂れ下がる塊に目を止めたノゾムは、咄嗟に口を押えた。いや、無理だ。込み上がるものを抑えきれず、喉を焼く。いつのまにか来ていた店員に差し出された、くしゃくしゃになったレジ袋がかけられた現実感のあるごみ箱に、思いっきり吐いた。

 人間だ。いや、おそらく。ほぼ、炭のようだったが、赤黒い肉と白い骨らしきものが覗く腕だろう断面が、焦げた土地の上に引っかかっていた。

 これは、無理だ。絶対無理。とっくに流れた景色が、脳裏に刻まれてしまった。
 そう考えながらノゾムが吐瀉物から距離を取り無意識にゴミ箱から顔を上げた瞬間、見たことのない黒い逆立つ毛を持つ獣が、何かに貪りついているのが見えた。鮮やかな赤に塗れた白い何かが、獣の毛の合間からはみ出している。

 あの、あれは、そんな。あの、小さな『足』は、自分より小さいだろう、あの足の持ち主は、今――

 無理だ。
 無理だ無理だ無理だ。

 俺には無理だ。あんな化け物倒せない。
 こんなの、こんなの。見捨てておけないなんてかっこよく言える奴に頼んでくれよ。
 俺は勇者なんてガラじゃないんだ。特別なもんなんてないどこにでもいるやつなんだ。
 嫌だ、無理だ、怖い。

 混乱したノゾムは言葉を声に出し訴えた。目が回り、流れ去っていく映像に酔いそうで、目を瞑る。困惑しているらしい店員の気配だけを感じようと努力する。すると、消しました、とその店員に声をかけられた。

 そろりと目を開ければ、あの恐ろしい映像は消え去り、元の黒い画面へと戻っている。……それでも、吐きそうだ。

 拒否権があれば、選択肢を選べるならいいというものでは、なかった。
 知ってしまったから、余計恐ろしい。見捨てるのも、応えるのも、何もしたくない。

 本当に、好奇心で飛び込んでいいものではなかったのだ、あの路地は。

「なんで、どうして」
 絶対無理だ。だけど、こんな見捨てるには後味が悪すぎるものを知ってしまった。どうしてこんなことに。


「別に、無理しなくてイいと思いますよ」
 ぐるぐると考えるノゾムに、淡々とした声がかけられた。感情のない声ではあるが、それでもノゾムの意識を引き上げるには十分だ。
「無理、しなくていい……って言っても、知らなかった時には戻れないんすよね……」
「まぁ、ソウですけど。さっき調べたら、アンタこの『ズレた場所』に変な飛び込み方してきたっぽいんですよね。それこそ、誰かに誘導されたとか、無理やり押されたみたいな」
 その言葉にノゾムははっとして顔を上げた。下から見上げると、前髪の奥に、綺麗な金色が見える。
(金色の、瞳……? スノウは花みたいな色だし、店長は海だし、すごいな)
 現実逃避した思考の奥で、ノゾムは言われた言葉を慎重に考える。
「……わかるんですか? 押されたって」
「普通に入ってきたんなら出る筈ない場所にいたンで、店長が不審に思って調べたみたいなンです。普通はこの店の近くに来てる筈だし、外にいたせいでバケモンどもが騒いでたし」
 傍らに浮かんだ青緑の半透明ウィンドウに視線を落としながら言われた言葉に、ぎょっとする。
「ば、化け物?」
「そもそもこの場所はズレてるんだから、普通は簡単に入レない。この店の周囲が例外で、わかりヤすく言うと日常の中に異世界転移、転生があるかもしれないってちょっとでも期待したことがあるとか、どこかでやり直したいとか考えたことがアル人間が条件。それでいて依頼者の願う力を持っていル……いろんな条件が合致していないと来れない筈なンです。まぁ、この世界はとくにそういっタ話の流行もあって、見つけやすいんですけド」
「期待した、人間」
「誰しもどこか別な、遠いところに行ッテみたいとは思う可能性がある。その程度でもいいンデす。あくまで合致してたら迷い込むだけなんで、可能性はめちゃくちゃ低い。ただ、そこに誰かの意思が介入されると正しくここに案内されないんス。『ズレた場所』には能力ある魂を狙うバケモン共も住み着いちゃうんで、ちょっとしたことでどうしても引っ張られやすい」
「能力、ですか」
「もとモト剣や魔法から遠い世界だからこそ、その魂に能力を隠し持ったまま生きているって人間ガここは多いデすから」
「……ここがめちゃくちゃやべーとこってことはわかりました」
「ここは安全ですよ? ま、このカフェ周辺はって意味ですけど」
 それ以外はやばいんじゃないか。ノゾムがその言葉を飲み込んで黙ると、「ところで」と店員が指を動かし、ノゾムの目の前の画面に変化が現れる。
「ここ、見ましたか? 勇者の推定能力値」
「え」
「能力が気になるンでしょ。店長がこっちの世界の人間用にデータ化した能力値が見れるンすよ。なんでも、ゲームなんかを参考にして作ったかラ若者にはばっちり、だとカ?」
 そんなページあったか、と見てみると、先ほど見ていた場所よりさらに下に進んだところに記載されていた文章のようだ。

 資格保有者 ノゾム・ミワ
 適正:勇者 素質値S
 以下鑑定による転移後予測能力
 ・魔法剣S ・魔力盾S ・魔法(光S・炎S・風S・水B・地A・闇B)
 聖剣使用可能、剣術転移補正可能
 尚、ランクはSを最高位とし下位はFまで。一般兵士がD、精鋭C~B程度――

「えっ!?」
「アンタかなりの能力の持ち主見たいっすね。剣の技術がなくても、転移特典としてその動きを体に刻むことがでキル程度には。しかも魔力盾Sとなれば、最早盾どころじゃない。この世界のデータだと常に不意打ちに対応でキる程度の魔力障壁を自分の周囲に張り巡らせているこトになる。それほどの魂の持ち主なら、そりゃ異変を感知した店長が慌てテ店を飛びだすわけだ。変な入り方をしたせいでバケモンどもに感付かれて、その辺り始末するまで帰すわけにもいかなかったみたいだし」
「……俺はそんな特別な人間じゃ」
「自分じゃわからなイですよ、特にこの世界の人間は。特別な力の知識がナイし、何も知らない赤子に車の運転してミロって言ってるようなモンです」
「それ、手も足も届かないじゃないですか」
「そう、たとえ知識を与えられてもどうしようもない程、コノ世界の人間はそういった要素がないまま魂の素質を持て余している。……強いのは稀デスけどね」
 だからオレたちはここにいる、と最後呟くように答えた店員は、まぁ、と自分のウィンドウを手のひらで払って消した。
「一応依頼者の手前説明はしましたけど、強要はしないデす。たださっき説明した通り、今はまだ帰せないンで結局あと一時間くらいは待ってもらうことになる。今店長のケ……使い魔が、アンタを狙ってるやつらの処分中なんで」

 その言葉を聞いて再び資料へと目を奪われるノゾムの様子を見て、店員は壁際に下がるとただ黙って待機し始めた。
 間違いなく人生の岐路に立たされたノゾムは遠慮なく資料に没頭し――



 一方ノゾムが店員と話していた頃、王女スノウもまた店長と話し合い、そして強い眼差しで一つの意志を言葉にしていた。

「……あの世界はあなたにやさしくなかったでしょうに」
 少し心苦しそうに声を落とす店長に、揺らがぬ意志を感じさせる視線を向けるスノウ。儚さを感じる見た目でありながら、今は強く存在感を放っていた。

「……わかったわ」

 根負けしたように頷く店長を見ると、ほっとスノウに柔らかさが戻る。その様子を横目に、店長は小さく息を吐いた。



「どうかしら、勇者くん?」
 ノックの後顔を見せた店長に、ノゾムは慌てて顔を上げた。しかしノゾムが何か言う前に、店長が言葉を続ける。
「こちらはさらに調査が進んだわ。今、資料の更新をするわね。大きな変更点は二つ……」
 話しながらも手を動かしていた店長は、ふと手を止めるとノゾムに視線を合わせる。

「真なる魔王の凡その戦力と、その側近たちの戦力の推定結果が出たこと。それと――転移帰還方法の確立よ」
「……えっ」
 方法のかくりつ。それはつまり、先ほどまでないと言われていた転移帰還が……確率がある、ではなく、確立されたということ。
 期待するように目を見開くノゾムに、店長は小さく頷いて見せる。
「帰還方法の解析ができたの。魔王を倒してもらえれば、解析結果をもとにうちが責任を持ってあなたをこの場所へ連れ戻るわ。ちなみに詳細は省くけど、『カフェ(ここ)』と『王女の世界(あちら)』、『カフェ(ここ)』と『勇者(あなた)の世界』の時間は繋がっていないの。わかりやすく言うと、このまま向かってもらえるなら、あなたが『ここ』に迷い込んだ時間から誤差はあれど一時間前後のズレだけで元いた『塾前の通り』に案内できる筈よ」
 こちらの魔王討伐予想時間からの予測だけど、と付け加えつつ、店長はノゾムに詳細を確認するよう促した。

 最初は随分近未来ファンタジーだと思っていた目の前にある画面が更新される。その様子に、ノゾムは確かな『憧れ』を感じ取っていた。能力値なんて記載されていれば、まさにステータスウィンドウのようではないか。
 帰って来れる、と聞いて僅かに心に余裕が生まれたのかもしれなかった。先ほど見た恐ろしい光景に対する恐怖は残っているが、拒否しきれないのはこの非現実的な夢が目の前にあるからなのかもしれない。強制的で選択肢がないことより、多岐亡羊のほうが難しいのではないか。
 駄目だやめろと囁く自分(こえ)は確かに在る。
 だが、指はするすると表示される情報の上を滑り、希望を見出しては願望が高まっていく。

 このステータス差なら、もしかしたら。


 それは、とても甘美な数値(ゆうわく)で。

「勇者、さま……」

 手を震わせ、涙で睫毛を濡らす美少女が、懇願の言葉を発することはなくすべての想いを『勇者様』という称号に託している。


「俺は……」




 ――四十分後。

「店長、コーヒーでいいんスか」
「ありがとー! 今はとっても苦いコーヒーが飲みたい気分なのよ!」

 なんかもう口はお砂糖でいっぱいって感じだもの、と店長はシュガーポットに手を伸ばすことなく、店員の差し出したブラックコーヒーに口をつけた。

「大丈夫ナンすか」
「彼ら? 順調よー。今四天王って呼ばれてる魔王の側近一人目を倒したところね。勇者くんが強い強い」
「いやそうじゃなくテ。そんなモン飲みたがるくらいだし、ヤバイんじゃ?」
「……まぁ、そうねぇ。これはやっぱりあたしの管轄かしら」
 目まぐるしく変わる、場面が飛び飛びの荒い映像を見ていた店長は、小さく息を吐くとそっとカップを置く。
「なかなか店員くんに任せられる仕事がこないわねぇ」
「そのほうが楽でいいんすケど。あ、その勇者を『ここ』に突っ込んだヤツの情報、送ります。なんか嬉々とシてSNSにいろいろアップしてたんで、すぐでした」
「あらやだ。ちょーっと噂が流れてる程度ならいいかと思って放置してたら、まさか他人突き飛ばすやつが出てくるなんてね。これはこっちで処理しとくわ」
 あ、四天王二人目。なんて呟いた店長に、ちらりと店員が視線を向けた。ウィンドウを見つめる店長はそちらに視線を向けることなく、なぁに、と返す。
「言いたいことがあるなら言いなさいな」
「……店長がそこまでするほど、ヤバイ世界だったんデスカ」
「まぁ、そうねぇ……それもヤバ目だったけど、あんな可愛い子にあんなお願いまでされたらね。勇者くんも、断れたとしても引きずりそうな子だったし」
 それは、店員も同意だ。あの勇者は、多分お人好し。自分が異世界に憧れたことを否定できないのもあって、断ったとしても一生そのことを引きずって生きそうな雰囲気があった。
 だが。
「……転移帰還方法の確立、なンて、あの王女何を差し出したんです?」
「それはもちろん、あの子ができる範囲で最高値のものね」
「その方が気にするでしょう、あの勇者」
「だから、あたしが対応するのよ。その為に勇者くんには一度だけあたしに直通で連絡できる道具も渡したし」

 ノゾムは、勇者になる道を選んだ。
 善は急げと転移する前に、店長が勇者に小さな何かを手渡していたのを店員は思い出す。
 つまり、予想していたのだ。『こうなる』ことを。

「人デなし……」
「あら、もちろん、人じゃないわよ?」

 まあそうだ。
 店員が視線を向ける先で、一瞬だが画面に浮かぶ勇者が王女を抱きしめるのが見えた。王女は類まれなる癒しの能力の持ち主――恐らく魔王討伐の勇者一行として同行し、そして二人は。
 こちらと画面の向こうでは時の流れる速度が違う。ずっと監視しているのも可哀想、という店長の考えで流れてくる映像は飛び飛びだが、勇者一行が順調に進んでいるのが見て取れる。
 勇者は、その帰還方法の土台が何かを知っているのか?

「……残りの掃除、してきマす」
「はぁい、よろしくねー」

 これ以上は自分の管轄ではない、と店員は背を向け、カフェの外へと向かった。自分にはこちらのほうが向いていると手に取ったのは、カフェの壁に立てかけておいたデッキブラシ。手首を軸にそれをくるりくるりと回し、だるそうに歩き出す。

「さて、魑魅魍魎ダイカンゲイってね。掃除の時間だ、バケモン共」
 一度上空に放り投げたデッキブラシを掴み直し、店員は退屈しのぎと言わんばかりなのんきな声を上げながら、カフェの外灯の外へを足を踏み出した。

『グギャアッ! キィイイッ――!』

 耳障りな悲鳴をかき消すように、デッキブラシは風の音を奏でる。
 こいつらに目をつけられてなければ、あの勇者も何も知らずに帰るすべがあったのかもしれない。だが、結果的にはこれで片方が救われ、片方は難を逃れたことになるのだろう。店員はその判断が自分じゃなくてよかった、と考えた。こうして『掃除』しているほうが、自分には合っている。

 暗闇に、いくつもの赤い煌めきが見えた。鋭い刃のように飛び交うその敵意を浴びながら、店員は口角を上げその表情を笑みに変える。


 グチャ、ドスン、バキッ。

 軽やかな風の音色はやがて鈍い打撃音となり、暗闇に深く響いた。