「つまり、スノウさんの世界は今、魔王の軍勢に脅かされ人類滅亡の危機、と」
「はい、情けないことに、その通りでございます。それ故、こうして伝承に聞く勇者様にお会いできればと、ここに」
どう聞いても、ノゾムの知る現実とは縁遠い、物語の世界の話だ。
簡潔に相手の話を纏めながらも、座り心地のいいソファの上でノゾムは屈みこみ、膝に肘を立て頭を抱えた。ちらりと目線をずらせば、部屋の隅に設置されたアンティークデスクがこちらを向き、その奥で店長が指先を空中に漂わせていた。別に怪しい踊りを踊っているわけではない。そこには、ノゾムには信じられないが確かに、半透明で青緑のディスプレイらしきものが浮かんでいるのだから。
剣と魔法の世界の魔王物語を聞きながら、近未来SFが視界に映り込むちぐはぐな状況に目が回りそうだ。
話は少し遡る。
扉の向こうで待ち構えていた少女によってもたらされたノゾム勇者説は、当の本人が混乱と少しの高揚感の中ソファに腰かけたところで、淡々と説明がなされていった。
それはどこまでも重く、苦しく。
少女――スノウという名の通り、雪のように美しい白い髪と肌、淡い薄桃のドレスを纏った少女は、ノゾムのいた世界とは違う世界……まさに異世界のとある王国の、王女であるらしい。
しかし身に纏う桜のごとく美しいドレスは、よく見れば裾が擦り切れところどころくすんでいる。袖のレースも糸状に垂れ下がり、世界は滅亡の危機ですが精一杯礼儀を尽くそうと選んできました、といった様子である。少女の美しさに最初は気づくことができなかったが、どうにも本当に、ボロボロの状態であるようだった。彼女自身も身体は折れそうに細く、長い髪で隠れていた肩には、痛々しい傷跡のようなものまである。
このような姿で申し訳ありませんと涙ぐみながら言われてしまえば、ノゾムはどこか怪我はないのかと心配するくらいしかできなかった。どうやらこれでもここの店長がある程度身なりを整えてくれたとのことだが、一体スノウの世界はどういう状態なのか。話に聞いただけでは、平和な暮らしをしていたノゾムでは具体的な想像がつかなかった。
大小十数あった国で、生き残りが少数各々逃げ隠れはしているものの、国家として機能しているのはもはやスノウの国しかないという。
平たく言えばほぼ壊滅状態だ。
魔王による魔族の侵攻は小さな国から瞬く間に広がり、大国と呼ばれる国々が襲われた地の救助に向かう隙をついて、内部がごたついていた武を誇る帝国が内部から落とされたそうだ。その後一気に劣勢へと転じ……あとはもう、坂道を転がり落ちていくように世界は変わってしまったのだという。
徹底的に堕とされた帝国にはもう民を率いるという点においてまともに動ける人間は残っていない。
小国に救援の手を伸ばしていた国々も、兵の分散によってじわじわと攻め落とされた。各国の隙をつく、念入りに計画されたかのような、あっという間の侵攻。
そして――
「愚かにも自国の守りばかり固めていた我が国だけが、真なる魔王の最後の――全勢力の、標的と、なったのです」
どこか苦しそうにスノウは言葉を紡いだ。
「他国の民を顧みず、自国の一部すら犠牲にしてまで己が身を守った王侯貴族の罪は言うまでもありません。ですがまだ、まだ多くの民が残っているのです」
それが、ここまで聞いたあらましだ。店長はあくまで画面の向こうや時折ホログラムで浮かぶ球体に集中しているようで、ここまで一言も口をはさむことはなかった。
ふと、ここに来る途中で『面接』と言われていたことを思い出す。だがこれは思っていたのとはずいぶん違う面接だ。面談ではなく面接――どちらが面接を受ける側なのかは、ノゾムにはわからなくなっていた。
拒否権は、ある。店長の言葉を思い出し、ノゾムは体を震わせる。
「……勇者、というのは? その、伝承って言ってましたけど……召喚するとかじゃなく、ここで会うものなんですか?」
「わたくしも、詳しくは存じ上げませんでした。成功したというのも何世代も前で……勇者招来の儀と申しまして、成功すれば勇者に邂逅することができる場への道が開ける、としか。まさかこんな素敵な、サロンのような雰囲気の場所なんて……えっとその……召喚? というのは魔族の扱う魔物召喚のような? そのような失礼な扱いはできません!」
その言葉に、ノゾムはぱちりと目を瞬きして必死に訴えるスノウの小さな拳を見ながら考える。
ノゾムの知る異世界転移では、勇者召喚として異世界からほぼ強制的に呼び出され、呼び出した者に囲まれ、多くは帰るすべは魔王を倒さねばならぬという展開で物語が始まったり、はたまた神とやらに接触して全く知らない場所に放り出されていたり。それが、どうだ。ノゾムが今いるのは『少しずれている』らしいがコンクリートジャングルの裏路地にあるカフェで、斜め後ろで近未来SF光景が広がっていようともあくまでノゾムに馴染みある雰囲気は残っている。しかも決定権がこちらにあるらしい、面接だ。
「準備完了よ。勇者くん、君にデータを送るわ」
忠告通り、スノウに名を名乗られても己の名を明かすことはしなかったノゾムは、それまで沈黙を守っていた店長の声に後ろを振り向いた。
そこではにこりと笑った店長が、浮かぶ画面をなぞるかのようにするりと指を動かす。
その瞬間、ヴンッという音が頭に響くように届き、目のまえに青緑色のウィンドウが展開された。それは一瞬で縁に青緑色を残したままスマホのように黒画面となり、続いて青みがある白でたくさんの文字が表示され始める。
「調査報告書? 世界名:イシュニティウムによる勇者招来依頼……」
「こっちでもスノウちゃんからの依頼を受けた時点で世界調査するのよ。そ・れ・が、あたしたちの仕事の一つってこと。加盟世界の異世界転移や転生でのリスク問題を低減させるための仲介業者ってとこかしら? 今現在あたしの使いが調査中ではあるんだけど、ある程度は把握できたわ」
「なんか一気にファンタジー感薄れますね……いや十分ファンタジーですけど」
何よりノゾムの目の前にいる少女がまずファンタジーすぎるのだ。なんたって異世界の王女様である。
真白の髪に、透き通るような肌。その瞳は知る限りではカラーコンタクトでなければありえない、花のようなピンク色だ。神秘的でありながら、とんでもなく可愛らしい顔立ちもあって、まるでそこだけがすでに異世界である。
そんな彼女に勇者様と呼ばれるのは、はっきりいって物語の主人公にでもなった気がして頭が熱くなる。少し照れくさくなって咳払いした後気を取り直し、ステータスウィンドウだ、なんて呟きながら、ノゾムは恐る恐る画面に触れた。指を下から上へとスライドさせれば、情報はさらに続いていく。
依頼者は世界名:イシュニティウム ブロントールテ王国第十一王女 スノウ・ブロントールテ。
第十一ってすごいな、と思いながらも読み進める。数か所文字色が違うため、普段使うネットと同じようにノゾムは無意識にそこに触れた。
すると画面に重なるように別枠でさらに情報が開かれる。触れたのは第十一王女、つまりスノウの名前だったのだが、そこに書かれた情報に見ていいのかという罪悪感を覚えるより先、ノゾムは眉を寄せる。小さな声で遮られるまでノゾムの視線はそこに釘付けとなった。
「あの……」
申し訳なさそうなスノウの声にはっとして、ノゾムは「いや」と声を上げた。
「その、ちょっと読むのに時間がかかりそうだなって思って……」
母親の身分が低いため王族として扱われず? 第一王子専属治癒師として仕える形で育ち……? ――王族の名を与えられたのは魔王出現後?
どうにも不穏な様子に不快感が顔に出てしまい、そこで漸く個人情報を見る申し訳なさに、先にスノウに許可を取るべきかと右上のバツマークを押したノゾムは、次に飛び込んでみた文字にとうとう目を見開き声を上げた。
「勇者招来後の帰還方法確立なし……!?」
「あ……」
視線を落とすスノウがちらりと視界に入るが、ノゾムはその文字で頭がいっぱいになった。つまり、安易に考えちょっとした好奇心や人助けだとこの異世界転移話に乗れば、帰って来れなくなるということだ。
さすがにそれは、きつい。
「はい、はい。事情の理解に時間も必要だろうし、一旦休憩にしましょう。ちょうどお茶も入ったみたいだし……スノウちゃんはいったんあちらで待っていましょうか」
「あ……はい」
パンパンと手を叩く音に顔を上げれば、いつのまにか部屋の扉は開いていた。黒い店員さんが運んできたカップが目の前に差し出され、ふわりと広がる香りと温かさにほっと息を吐く。
「勇者くんは何か質問があれば店員くんに聞いてみて。あたしたちはあっちでお茶飲んでるわねー!」
スノウは言われるがまま、店長に呼ばれて部屋の外へと出て行った。扉が閉まると、ティートローリーのそばに立つ店員は部屋に残っていたが、それでも大きくため息を吐くことができる程度には緊張がほどけた。漂う香りが気分を落ち着かせたのかもしれない。これは、紅茶だろうか。
「あの、これ」
「サービス。店長自慢のカモミールティーだそウです。なんでもリラックス効果があるンだとか?」
「……疑問形……そこは普通『当店自慢の』じゃないんですか?」
男の自分でもちょっと憧れるようないい声でありながら、少し耳に残る不思議な声音で説明する男の口にした内容は、なんとも店員らしからぬ曖昧な情報だった。
「オレの本業はコッチじゃないンで」
「どっち……」
「知らぬが仏って言葉があるンすよね、ここ。いい言葉じゃン? つまり、そういうことで。どうぞ、お茶でも飲みながら情報確認してくだサい」
「知らぬがって、えええ……こわ……」
年齢が近そうな店員の言葉に、ノゾムは僅かに調子を取り戻しつつもう一度情報画面に視線を向ける。スノウが目の前にいる時より、幾分か落ち着いて読むことができそうだ。
この話は、元の世界に帰る為の異世界冒険にはならない。
ただただ命を危険にさらし、なんの縁も所縁もない世界の為に一生を捧げることになる。
ノゾムはここに至るまで心の隅にあった少しの高揚感が急速にしぼんでいくような感覚を味わった。それは、愚かな自分を恥じ入るような羞恥と同時に心を襲う。よく考えること、と言っていた店長の言葉が脳内でぐるぐると跳ねまわるようだ。
だが、所縁もない世界のことだが、縁は出来た。ノゾムは、知ってしまったのだ。涙の滲む薄紅の瞳が、どうしてもちらついてしまう。頭の中は混乱しながらも、視線は目の前の文字に釘付けになる。
スノウに閲覧の許可を得ることはできなかったが、自分の命がかかっているのだとノゾムは今度こそ追記まで丁寧に読み込んでいった。
スノウの世界は、スノウの言う通り大小十数の国からなる世界で、国同士のいざこざはあれど、長く『真の魔王』などという存在の無い時代を過ごしてきたらしい。魔物や魔族はいたが、魔王とはその魔族の中で一番強いと言われるものが自称するだけのものであり、十分各国の戦力で対応できる程度であった為、肩身の狭い思いをしていたのは魔族側だったようだ。前代の『真の魔王』が現れたのは、約千年ほど前。ほぼ御伽噺のような扱いを受けていた為、勇者招来の儀とやらもほぼ忘れられた儀式であったと記されている。ノゾムも今から千年前の歴史を思い出してみたが、それこそ平安、陰陽師だとか鬼だとかそういう話だと思えば納得できた。
どうやらスノウは治癒能力を買われて第一王子付きの使用人扱いで育てられた王族らしい。現国王は子が多く、王太子はすでに優秀な第一王子が立太子している為、継承権が下の子どもたちの扱いはあまりよくなかった可能性が明記されていた。
王女スノウに多数の虐待痕と思われる古傷、栄養失調の傾向あり、という店長の追記らしい言葉に眉が寄る。そもそも勇者招来の儀はほぼ生贄を送り出す儀式だと解釈されていたようで、王族を生贄にする、という建前の為に、王の子でありながらほぼ捨て置かれいたスノウが第十一王女として王族に名を連ねることになったようだ。国名からのリンクを見ても、ブロントルーテという国は民の幸福度が低く、あまり治安のいい国ではなさそうだ。魔王に襲われる間際では治安どころではないだろうが。
ご丁寧に『以上のことから勇者の扱いに不明点あり』と書かれており、これはノゾムの為に調査されたことなのだろうとわかった。仲介業者みたいなもの、といっていたが、忖度はないらしい。記されている内容は依頼者に有利なものではない。
それだけに、真実味が増す。
現在の世界の状態、という動画らしき黒画面が現れ、ノゾムは悩みながらそこに指を伸ばす。とたん、赤文字で警告が現れた。
【現在調査中の現地調査員視点の為、閲覧注意】
本当に再生するのかと問われ、指先が揺れる。
(見て、いいのか? よく考えろ)
この先、自分では見たことがないような凄惨な光景が映るのかもしれない。指先どころか腕が、いや体全体が震え、ノゾムは一度手を下ろした。
こんな話に付き合ってられるかと飛び出したところで、『ずれている』らしい路地から抜け出せる気がしない。そもそもここに来たのは路地裏に背を押したタツの行動が切っ掛けであり、スノウのせいでも、仲介業者とやらのせいでもないのだろう。
そもそもノゾムをどうしても勇者にしたいなら、それこそ強引に召喚するでも、元の世界に戻れないかもしれないだのなんだの言わず、あの美少女が自分の境遇を押し出してしまえばよかったのだ。そこまで考えて、ノゾムは今この目の前の情報が自分に与えられた誠実な招待状の一部のように思えた。
指先が、そこにないようで存在するウィンドウに触れる為に、伸ばされる。普段からスマホという身近な端末でネット上に溢れる動画に慣れ親しんだ高校生には、ごく自然な動きであった。
