「くそ! 悪い、セレーナ!」
「問題ありませんわ!」
横をすり抜けた鳥型の捕食者を、セレーナの矢が正確に射貫く。討伐には至らずとも、その一瞬の衝撃は魔法展開の猶予を与え、突如出現した結界に激突し体勢を崩した捕食者が地に落ちるよりも前に、炎に包まれる。炭になることもなく黒い粒子となって消えたところで、ほっと全員が互いの無事を確認した。
「助かったよセレーナ」
「構いませんわ。それにしても、よく十四体も一気に斬れますわね」
「スキルを覚えたからな」
はは、と嬉しそうに笑うツルギと、少し表情が柔らかくなったセレーナの下に、ミコトとユウも加わって互いを労った。敬称なしで呼び合い、勝利の安堵を分かち合う。出発前では考えられない雰囲気を得た四人は、順調に旅を進めていた。
ツルギの固有スキルは、制限付きで他者の持ち物にも付与可能だということが分かった。
セレーナが弓を差し出してきたあの時からすぐさま検証はスタートし、弓ではなく矢に付与しなければならないこと、剣については連続で使用できるのは五分程度だということ、付与したものの使用しなかった場合持続時間は二十分ほどだということなど、さまざまな調査を経て、セレーナの弓矢で使用するのが一番だろうという結果に落ち着いた。
これは、物理攻撃手段がツルギの剣しかなかった旅で大いに役立つこととなった。出発前に星詠みが、これで旅は順調だろうと言い切ったほどに。
「ただ、どうしてもみんなの旅の終わりだけが、川が流れているような映像にしか見えなくてわからないんだ。絶対に油断しないで」
それが星詠みが見送る際に伝えた言葉で、その後も伝達魔法で届けられる内容だ。
星詠みの言葉通り旅は順調で、伝達魔法の知らせでは、都の防衛でも転移転生者たちは大活躍を続けているらしい。
だがやはり問題は少なからず発生し、旅の中で一番はっきりしているのは、夜であった。
皇族が共に行動していても、当然のように護衛騎士などもいない旅の中で、夜を休んで過ごすためには交代で見張りを立てるしかない。
支援魔法と治癒魔法の組み合わせで二時間ほど狭い簡易結界を維持することはできるが、それは決して敵の接近を把握できるものではない。体調不良などの際用いる緊急手段だ。
セレーナは最初の夜になる前に、自らそれを詫びた。
「わたくしが野営で夜の見張りをしたとしても、ここにいる皆様の安全を保障することはできないでしょう。恐らく最初の数時間だけならば可能です。……ごめんなさい」
「それは、……ごめん、なんとなくわかってた。大丈夫、最初なら大丈夫って言うなら、セレーナは最初で固定しよう。二番目は俺がやるよ」
二番目はほぼ真夜中の担当になる。それこそ交代した方がいいのではと仲間たちは提案したが、ツルギは「夜中起きても寝たいときすぐ寝れるタイプ」だとして譲らなかった。
そうして旅路を歩み続けたある日のこと。夜、少し交代には早い時間に自然と目が覚め起き上がったツルギに、どこか思いつめたような表情でセレーナは「少しだけ時間を」と声をかけた。
「わたくしは夜が怖いわけではありません」
「え? そう、なのか?」
「はい。ただ、そう思われてもおかしくない姿を見せていたのは事実。そもそも、……まぁ言ってしまいますが、わたくしは夜役立たずですわ。自分が野営には不向きだと分かっていたから、残るべきだと主張していたのです。無意味であるとはわかっていましたが。……わたくしは、……」
「大丈夫だよセレーナ。ゆっくり、難しそうなら無理して話さなくてもいい」
顔を青褪めさせ、僅かに唇を震わせていながらも話を続けるセレーナを見て、ツルギは焚火の炎が爆ぜる音を聞きながらその側に寄る。小さく必死な声を聞き漏らさないように。
「大丈夫、ですわ。……わたくしは魔法が……いえ。呪われておりますの。深夜帯、どうしても起き上がることができない、夢の世界に捕らわれる呪いですわ」
それには、少し驚いた。だが言われてみれば、夜中のセレーナはとても静かだ。直前まで怯えていても、気づけば深く眠っていることも多い。
「母がわたくしにかけたものです。幼い頃、夜は、地獄のようでした。母の不貞を疑った父が暴力を振るうのを、わたくしはただ怯えて見ているしかなかった。いつしか母は、わたくしが豹変した父を見て苦しまぬようにと眠りの魔法をかけました。母の死後、それが、呪いのごとく残ったままというわけです。どんなに苦しい夢であろうと、わたくしは起きることができない」
「……そっか。セレーナは夜じゃなくて、夢が怖い?」
「正解ですわ。悪夢を見なくて良いようにとかけてくれたのだろう魔法が、今はわたくしを悪夢の中から逃がしてくれないのです。どんな悪夢であろうと、わたくしはうなされることも許されず、ずっとそこにいるしかないの」
普通の魔法は時間が経てば解けるものだ。だがどうしてか、セレーナに掛けられた眠りの魔法は毎日きっちり同じ時間に訪れ、眠気を感じる暇もなく夢へと捕らえてしまうらしい。そうなのであれば、確かに。ひどく旅には不向きな体質である。
「お父様を含めた重鎮も、当然陛下も、このことはご存知でわたくしを旅へと同行させたのです。この、世界の命運がかかった旅に、人生を懸けてきてくださった英雄様方に、迷惑にしかならないお荷物を押し付けておきながら世界を救えと、あの方たちは……!」
「荷物なんかじゃない!」
ぐっと手を握りしめるセレーナの手が傷つかぬよう慌ててツルギはその手を両手で包み、眠っている二人を起こさぬよう声を潜めながらも意志が伝わるように潤む瞳を見つめた。
「何を言って! わたくしは」
「荷物でも役立たずでもない。少なくとも俺はセレーナと連携とって戦えるようになったの嬉しかったし、実際大きいトラブルも起きてない」
「そんなの、わたくしより強い兵士の方だっていくらでも」
「いないだろ? セレーナの魔法はとんでもないレベルだってさすがにわかるし、そうでなくても連携とるならただ強い人がいればいいわけじゃない。正直、……お前の国を悪く言うようでちょっと言いにくいんだけど、偉そうな人たちってなんかあんまり好きになれなかったというか。侍女とかも、すごい感じ悪いし。皇太子はそうでもなかったけどさ」
「……それは、申し訳ありません……城勤めの彼女たちは爵位のある家の出で……」
「そんな気はした。まぁ、俺がセレーナが仲間になってくれてよかったと思ってるのは、マジ。本当」
侍女と比べるのは失礼だろうが、ツルギは必死になって言葉を尽くした。今と思っているタイミングで攻撃をしてくれて助かっている、普段も戦闘中も視野が広くてすごい、と何度も言葉をかけているうちに、じわじわとセレーナの目じりが赤くなっていく。
「も、もう大丈夫ですわ。わたくしとしたことが……えっと、その。ツルギはどうして、そんなに必死になってくれますの? ミコトとユウは我が国にいらしていただいた転生者ですけれど、ツルギは転移者。今後この世界で暮らしていくわけでもありませんのに」
「そんなの、転移も転生もたぶん関係ないけどな。俺はただ……夢だったんだよ。そうだな……オレがいたとこは、情報量がすごかったんだ。今も星詠みがいろんな情報を伝達魔法で伝えてくれるだろ? それがもっと自由に、いろんな人が自分の好きなタイミングで、情報を得ることができたんだけどさ」
「それは……え、星詠みの情報ですって? 遠く離れた街の被害なんかがわかるんですのよ? 五日後に大荒れの天気だなんて情報を得られるんですのよ?」
「うん、それが、わりと普通っていうか……天気はまぁ予報とかあってわかりやすいかな。さすがに災害とかになると完全な予測は無理だけど、現地が今どうなってるか映像があったり、今後の危険を知らせて逃げるように伝えたりとかはあるよ」
「まぁ……! なんて素晴らしいの。そのようなことが可能ならば、どれだけの民が助かることか!」
セレーナは興奮した様子でつないでいた手を握り返した。元はセレーナを落ち着かせようとツルギが手を包み込んでいたが、今はもう互いの熱を分け合うかのように自然と触れ合っている。
「うん、すごいんだよね。こっちに来て実感した」
「本当に、そのようなことが可能なら……でも、ツルギは、それで何が不便が?」
すっと興奮していた声を落とし心配そうな表情を見せるセレーナに、ツルギは苦笑する。
やはり本当に、恵まれていたのだ。ないものねだりであったのかもしれないが、それでも。
「俺には、多すぎる情報がなんていうのかな。息苦しかった、のかな。嫌でもわかっちゃうからね。やっぱり自分の親が俺に無関心だったとか、他の人たちの楽しそうな動画とか見てるとこう、実感しちゃうって言うか」
「ご家族が……」
「まぁ関心がなかっただけといえばそうなんだけどな。二人とも仕事で忙しかったし……最後にゆっくり話したのっていつだろ。ってそうじゃないな。えーっと、そう、情報化社会ってやつだった。でも例えば影響力のある人があれは白だって言ったら、グレーでも白くなるみたいなところもあってさ。情報が多すぎるのも難しいもんなのかも……って、俺説明へたくそだよな、ごめん」
「いえ。もし父がわたくしを皇族と認めたくないと婉曲に触れれば、即座に国の端から端までそれが伝わって『親どころか皇帝も認めてないそうだ』という噂になると考えてよろしくて?」
「さっすがセレーナだな。いや、内容は納得できないけど、うん、そんな感じかも。俺は一般人だからそこまで大ごとじゃないけど、そういうのが画面越しなの、向いてなかった」
そうして声を潜めて話しているうちに、セレーナの持つ時刻を調べる為の小さな板が、星明りを受けて僅かに煌めく。それは決して明るく輝くというわけではないのに、太陽や星の光で確かにこの世界の人々に時を知らせる不思議な道具だ。
「あ……」
話しているうちに、眠りの魔法が効く時間になっていたらしい。先ほどまで眠気を感じさせず話していたというのに一瞬で倒れ込むセレーナを慌てて膝に凭れさせたツルギは、その呼吸が穏やかな寝息であると確認して大きく息を吐きだす。
「少しでも悪夢を見ないといいな」
本当に驚くほど急に眠るとは。
起きないとは言われたが、なるべく揺らさぬように自身のマントを彼女の体に掛けたツルギは、セレーナの頭を膝に乗せたまま空を見る。暗い夜空に浮かぶ、月の半分以下しかない大きさの星明かりは頼りない。そしてやはり『月』とは呼ばぬものらしい。
「月がない空か。異世界だなぁ」
話していて気付いたが、自分がとても恵まれた世界に生まれたことを再確認した上で、やはり自分はこの天すら違う場所を非常に好ましく思っているようだとツルギは納得する。
守りたい、とも思う。冒険しているという高揚感のせいか。それでもこうして落ち着いて空を見上げていると、やはりこの世界にいるのは心地よいと感じてしまう。聞こえる虫の音も、肌を撫でる風も、何もかも違うこの世界が。
甘いと言われようと、ツルギはきっとこの世界が好きだった。
「みんな、一度下がって! 俺が時間をかせぐ!」
大精霊までの道は、本当に順調だった。
レベルなんて概念はないものの、確かにそれぞれが得た経験は経験値のように積み重なって身体を強くし、戦いに慣れ、新たなスキルを習得する。
そうして無事な精霊に全力で応援されながらたどり着いた、最終局面。
全員が、旅で得たものが無意味だったのではと思わされるほどの苦戦を強いられていた。
暴風雨のように叩きつけられる魔力の塊。皮膚を切り裂く鋭い風の刃に、息苦しい程の生命の活動に適していない環境。
治癒魔法で治したとしても、得た痛みによる恐怖や疲労は拭えはしない。
支援魔法で生命維持の力を強化しても、精神はすり減っていく。
何より苦しそうなうめき声を上げる大精霊の、こちらの魂を震わせるような嘆きの感情が、森の奥深く、雲に隠れるほど高い崖の上を満たしていたのだ。
泣きじゃくりながらミコトが癒しの範囲魔法を連発する。
ぼろりぼろりと、涙を零しながらユウが命を繋ぐ魔法を唱える。
はらはらと流れる涙を拭いながら、セレーナが一人前に立つツルギを襲う魔力の塊を魔法で相殺する。
大精霊は動けなかったわけではなかった。自分が他の精霊や生物を巻き込まないよう、あえて命の少ない崖の上へと己を閉じ込めていたのだ。
苦しい、つらいと泣きながら。自身の限界を悟りながら。このままでは最後の『哀しい』という感情すら取りこぼしてしまうと悲鳴をあげて。
ツルギがなんとか暴れ狂う大精霊から落ちる悲しみを振り払っているとき、長く大精霊と契約していたセレーナが、とうとうその想いを読み解いた。
「この大精霊はっ、大精霊へと至る過程で、『心』のほとんどを捕食者に、食べられたそうですわ!」
それが、この騒動の原因。襲われながらもなんとか捕食者に勝利した大精霊が唯一残した『心』は、荒れ狂いながらも世界を守ろうとしていたのだ。
「そっか。苦しかった、な」
カランと崖の上に剣が転がる。ツルギ、と仲間たちの焦る声が聞こえる中で、ツルギは両腕を広げた。
「そっか、そっか、つらかったな、もう大丈夫だ」
固有スキル、万物流転。あらゆるものは常に変化し続けると捉えるからこそ、武器を精霊に寄せ、精霊を現実に寄せて攻撃を可能にしていたツルギの特異な固有スキルは、これまでの戦いの中で着々と経験を積み、そして今さらなる高みへと昇華された。
己を精霊に寄せ、精霊を己に寄せて。
「大丈夫だ。俺がお前の足りないものの代わりになってやる。だからさ、落ち着けって。お前もお前の仲間も、俺の仲間たちももう限界だろ?」
ありがとな、と振り返って仲間たちを視界に収めたツルギが笑う。その髪が流れる川のように長く伸び、光り輝いて透き通っていく。
「ツルギ!?」
「ツルギ待ってっ!」
「だめ、だめですわツルギ、行ってはだめ――」
「悪いな、俺結構自分勝手だったみたいだ。でもそっか、俺、ここに転移して最期にやりたいことやって、――最高に幸せだったよ」
「う、うそ……」
カフェの店内で、イロハが呆然とウィンドウを見て座り込んだ。その隣で、従業員はカウンターに置いてあった一つの封筒を手に取る。
従業員は、もし自分が戻らなかった時に親に渡して欲しいと、ツルギから手紙を受け取っていたのだ。
「……店長、コれ」
「届けておくわ。それより最後まで見てあげて。……報告書があるからなんて、無粋だけど。一人の人生の道を見届けるの」
「はい」
精霊たちの歓声が聞こえる。
剣と、崖の淵にぎりぎり引っかかっていた荷物だけを残して、異世界から現れた一人の英雄は危機と共に去った。
剣の英雄の荷物からは、布に包まれた手紙が六つ、見つかっていた。同郷の仲間たちと、そしてここで得た仲間に向けたものだ。そのひとつを、セレーナが手に取る。
「わたくしの、名前……」
そこには、異世界で覚えたばかりの拙い文字でセレーナへと書かれていた。
ツルギは「紙に残す方がいい」と笑っていたと、ずっと見守っていた従業員は呟く。
「ツルギ、……っ、ツルギーーー!!!」
直筆の文字は、そこにツルギの気持ちを遺していた。
