ツルギは無事、転移者として異世界へと足を踏み出していた。
従業員が言うように、まさに道案内されたような移動方法だった。光り舞い上がる粒子の美しい白い道を辿り、気づけば景色が一変していたのである。
元の世界では縁のなかった大きく立派な城は、どちらかと言えば豪華絢爛というよりは堅牢といった造りだ。
天井や床の模様、壁上部に彫り込まれた装飾等は、捕食者が入り込まない為に施された魔法的な意味合いのものが多いらしく、開けた渡り廊下ですら徹底された様子であった。
ただし、騎士に案内されたどり着いた謁見の間は別だ。皇帝の威光を示すかのように赤と白を中心に彩られたその場所は天井が高く、装飾も一層手が込んでいた。圧倒されるような空間にいる誰もが、間違いなく身分が高いと分かる風格がある。……中身が伴っているかどうかは別なのかもしれないが。
長い挨拶に始まり、宰相補佐という人物の今後の注意点を含む行動方針を語る言葉を聞き終えたツルギは、そんなことを考えていた。
「あなた方六名が、我が国、いえ、この世界の希望。どうかよろしく頼む」
唯一、不快さを微塵も含まぬ声だったのは、サアジー帝国皇太子、依頼者のエーテリウス・ダリオン・サアジーだった。立場故か口調は少年が使うにしては違和感が残るが、それでも感情が乗っている。
その隣では、若干難しい表情で皇弟の娘セレーナが僅かに目線を下げた。こちらは逸らされた視線から思うところがあるとわかる。
それでも、やることは変わらない。ツルギはここに、夢を叶えに来たのだ。
転移者として魔剣士、星詠み、通信魔法士の三名が。
転生者として射撃魔法士、治癒魔法士、支援魔法士の三名が、この世界に英雄として降り立った。
最初はこんなに仲間がいるのかと驚いた転移転生者たちだが、むしろ足りないくらいだ。なぜならばこの世界はすでにぎりぎりの状態に追い込まれている為、六人はそれぞれ適材適所に振り分けられることとなり、実際直接大精霊の対応に当たるのは、僅か三名。そちらにセレーナが加わったとしても、たった四人の討伐パーティーとなる。
星詠みは独自の固有スキルにより、現在、そして僅か先の未来を見通す力を持って、討伐パーティーを含めた各戦場に情報をもたらす役割を担う。
通信魔法士は、混乱に巻き込まれておらずこの事態を嘆く精霊たちの協力を得て、星詠みの情報をいち早く伝える役目を務める。
そして射撃魔法士は広範囲に遠距離で攻撃できる固有スキルを持ち、無事な大精霊と契約して多くの人が避難する都市の守護を任されることとなった。
星詠みと通信魔法士は二人一組で都に残ることとなる。戦闘能力のない二人が旅に出るのは無謀であり、そもそも後方支援の契約でこの地に招かれた転移者だ。すでに相応の対価に値するものを『案内所』に払っているこの世界が、契約違反に当たる行動をとる余裕はない。都市陥落でもしない限りはこの二人が戦地に立つことはないだろうが、それでも重要な役割の為緊張に両者の表情は強張っている。
転移転生者の中で唯一単独行動となる射撃魔法士は、今回最年長の二十五歳の転生者であり、ある意味では一番難しい役どころを担ったと言える。
この世界の敵は、暴走した大精霊だけではない。精霊の協力が得にくい今、一番民にとって身近な脅威は『捕食者』たちであった。
暴走した大精霊はなぜか人里離れた奥地から動く様子はないが、捕食者たちはそうではない。多くの人間が避難している都市周辺には数多の捕食者が蔓延っており、兵士たちが最も苦戦している大きな戦場は都市の外壁の外側だったのだ。
そして何より、『異世界から世界を救うために降り立った英雄』として民に見える形での活躍を望まれたのである。
そうして三人が別行動となり、討伐パーティーとなったのが魔剣士のツルギ、治癒魔法士のミコト、支援魔法士のユウであった。そこに、英雄に皇族を、と政治的な思惑もあり、セレーナがこの一行に同行することとなったのである。
英雄たちが揃ったとはいえ、この地に降り立ってすぐ旅に出た、というわけではなかった。
英雄としての力は持てども、セレーナ以外にその力を行使した経験などある筈もない。英雄たちには最大二十日ほどの準備期間が与えられ、外壁の外で蠢く捕食者たち相手に経験を積み、遠征に慣れた兵たちに教わりながら旅の知識を得た。二十日など短い。だが与えられただけマシであると言えるほど、状況は切羽詰まったものである。暴走した大精霊を止めなければいつまでも魔法士たちに制限がかかり、捕食者の討伐に苦戦し、このままでは悪化の一途を辿ることとなるのだから。
順調とは、言い難い。
一番の問題はセレーナだった。セレーナ本人はこの都に残ることを希望しており、本来であれば射撃魔法士と自分は逆の筈だと零し、何度か戦闘をこなしても拙さの残る英雄たちとの距離を詰めようとはしなかった。連携など夢のまた夢。
だが、皇弟の娘という立場でありながら、声を大にしてその不満を叫ぶことはなかった。セレーナは肩書はあれど、非常に弱い立場であったのだ。命を懸けなければならない旅を、皇族の中で押し付けられてしまうような不安定な立場が、セレーナが身動きの取れない原因であった。
侍女たちのセレーナの出自に関する噂話は耳に届いた為、誰もが思うところはあれど、ひとまず静観することを選んだようだった。
何より、セレーナ自身の態度がそうさせたというのもある。常にピリピリした態度かと思えば、無理が伝わるほど辛そうな様子で野営の夜を過ごし、朝日にほっとしてこっそり涙を流し、それでいて不満を零しつつも英雄たちに危機が迫ると真っ先に魔法で敵を屠り彼らを守るのだ。
ツルギは剣を振るい旅を覚える中で、その行動をずっと見ていた。話したくないという彼女から伝わる無言の意思をくみ取り、ただできることを増やせるよう邁進していたのだ。
「どうしてセレーナさんは辛そうなんでしょうか」
外壁から少し離れた地で野営していた、星詠みと通信魔法士以外の仲間に問いかけたのは、最年少の転生者。支援魔法士、ユウだった。
困ったような表情で言葉を詰まらせる治癒士ミコトに代わり、射撃魔法士のナナが、強引に決められたようだからと小さく囁く。
「私たちは皆『案内所』で説明を受けて、自分で決めて戦うことにしたけれど、彼女はきっとそうじゃないし……外で過ごす夜を怖がっているように見えるね」
「そっか、なるほど。セレーナは夜が怖いのか」
真っ先に反応したのはツルギだった。その日から、ツルギは静観の姿勢を崩し、積極的にセレーナに声をかけた。
どうして夜を怖がるのか、などを問うことはしなかった。ただ、距離を取ろうとするセレーナに声をかけ、助けられればしっかりと礼を伝え、戦闘後に反省点を話し合う。それはある意味普通の行動だが、これまでは離れようとしていたセレーナをツルギは諦めることなく繋ぎとめた。
そして前衛は自分である、と、より一層後衛の仲間を守れる動きを兵たちから学んでいく。
旅の仲間はツルギ以外全員、詠唱を必要とする後衛だ。それは、魔法戦が多い以上どうしようもないことだった。この世界では野獣や野盗相手以外はほぼ魔法を中心とした戦いであり、兵たちも多くは魔法を使う。無駄に魔力を消費しないよう、魔法使いたちも剣を学ぶというが、驚異的なスピードで成長するツルギはやがて戦いながら『守るため』の剣の道を模索するようになった。
ツルギの剣は捕食者も捕らえる。これは、異例なのだ。だからこそ、指導できる者はおらず、新たな試みが必要となる。
「くそ、今日の敵は動きが速かった。後ろに抜かれたら駄目なのに」
それは、兵たちの中でツルギから零れた言葉だった。ツルギのそばにいるのは、魔法が扱えず剣や弓のみで立場を得た者たちだ。はじめは剣でも魔法戦に参加できるツルギに妬み等の複雑な思いを抱えていた者もいるが、魔法を使えぬものを見下すどころか必死に努力し兵たちに敬意を見せるツルギに味方する者は次第に増えて、今では気軽に会話できる仲間となった。
その仲間ともあと数日の付き合いだ。彼らは各地を守るという任務がある。
「俺たちも捕食者が斬れればなぁ」
「あいつらをこれで殺せるなら、なんて何度考えたかわかりゃしねぇよ」
「そっか……」
ツルギは彼らの悔しそうな言葉を聞きながら、はたと動きを止める。
自分の能力は、自分にしか適応されないのか?
それは本当に何気なく思いついただけのことだ。支援魔法にもそのような剣に魔法を付与する類のものは存在せず、ツルギがそれを可能としているのは固有スキルの恩恵だが、それが他人にも付与できるのならば?
普段は自分の持つ剣に意識を向けるだけでできたそれを、兵に借りた剣でも実行する。この剣で捕食者が斬れるという感覚は普段と代わらない。
それを、持ち主である兵士に返す。少し離れた位置に、まだ脅威とはいえない、虫の姿に似た弱い捕食者がいる。
そのまま淘汰される可能性もあるそれは人間を襲う力をつけておらず、普段ならば放っておく弱さだが、兵士は半信半疑ながら剣を向けた。緩慢な動きで、のたのたと遅いそれに切っ先が触れる。
普段ならば刃がすり抜けるのが普通だ。だが、それはあっけない程すっぱりと捕食者を両断した。
「……は?」
「ま、マジか」
「嘘だろ……?」
にわかに騒がしくなったその時だ。
「今の、これでもやってみて欲しいのだけど」
突如話しかけてきたのは、少し離れた位置で休んでいた筈のセレーナだった。差し出されたそれは使い込まれた弓。セレーナが普段から、野獣対策に持っていたもの。彼女は正確に射貫く矢を放ちながら詠唱も可能なほどの腕前だ。
「そっか、弓! これが使えるなら!」
「はやくなさって。もしできるならそれを組み合わせた戦術を考えませんと」
「わかった!」
まだその小さな口を尖らせながらであるが話し掛けてきてくれたセレーナに笑みを浮かべ、ツルギはその弓に手を伸ばした。
