従業員がペンを購入しに出かけた数日後、雨が降りしきる午後の事。この裏路地に朝も夜もあったものではないのだが、午後とわかるのはとある客が来店していた為だ。
「カフェラテって美味しいね。この前のカフェオレより飲みやすいかも」
「……コーヒーが飲めないなら先に言エばよかっタんじゃないの」
「お砂糖入れたら飲めたよ?」
「あレはコーヒーが砂糖に転生しかけテたと思う」
来客は、天道イロハだった。彼女は店長に一度呼び出された後、あれこれと開花している能力の調査を受け、こうして今日その調査の結果を聞きに来たのだ。
その店長は現在転生の対応中で、待ってもらっている間に本人希望のコーヒーを出したのだが、今日はかろうじて砂糖に転生は免れたようだった。
「お待たせー! 魔女っ子ちゃんいらっしゃい! 今日は来てくれてありがとう」
「いえ、こちらこそご迷惑かけてすみません」
「あらー、あなたが悪いわけじゃないのよ? たまたま能力が開花することもあるにはあるのよ。さて、それじゃ……」
店長が説明しようとしたその時、はっと店長と従業員が顔を見合わせる。
「対応お願いできるかしら?」
「わかリマした」
「魔女っ子ちゃん、ちょっとこっちへ」
「え? あ、はい」
フリルを靡かせぱたぱたと小走りに奥の部屋に向かう店長に連れられイロハが部屋の奥に消えるのを確認し、従業員はそっとカフェの出入り口の扉を開いた。カランと音を立て、扉の向こうが光に包まれる。
やがて光の中から現れたのは、なんと子ども一人であった。
「……いらっしゃいマせ。お客様のお名前をお伺いシても?」
従業員はまず客の情報を得る為に声をかけた。ここにきた時点でウィンドウに情報はある程度表示されるが、ここで虚偽を見せるようならば期待に応えられないことになる。『名を名乗ってはいけない』のは、あくまで対象者、転移適合者なのだ。
望まぬ聖女に担ぎあげられた少女のような存在を生まぬ為に。
「ここは……いや、そなたが英雄を紹介してくれるという御仁か? 余は、サアジー帝国皇太子、エーテリウス・ダリオン・サアジーである」
「ようこソ、ここが紹介所でス。どうぞおかけくだサイ」
「わ、わかった」
少年は随分緊張しているようだった。赤いマントを羽織っているが、その体はあまりにも華奢で貫録はまだ育っていない。
すぐ情報を確認するためにウィンドウを見れば、名乗られた名前の横に書かれた数字は十一。一国の皇太子が、この年齢で、この場所に。
一年が約四百日の世界。平均寿命から見てこの年齢で大人扱いになるというわけではなさそうだ。まずは情報をさらに引き出さなければならない。
従業員はカウンターに戻ると、鍵付きの棚から一冊の本を取り出した。重厚感はあるが、やたらと軽い本だ。それを手に椅子に座る少年の下に戻ると、少年は拳を強く握ることで緊張を誤魔化しているようであった。
「まずハ、こちらに触れてください。アナタの世界に必要な魂を探す為の情報を精査します。もちろん、コチラからの指示を飲んでイタだけない場合は新たな道を示すことハできませんので、ご理解クダさい」
「う、うむ。触れるのだな?」
少し怯えが見えるものの、背筋を伸ばした少年は素直に本に触れた。それによって、少年は本からこの場での規約を提示されることとなる。同時にウィンドウの情報が事細かに追加され、従業員は思わず眉を寄せた。前髪が長くてよかったと咄嗟に思ってしまったのは、表情を動かしてしまった未熟さを自覚してのことだ。
「規約についテご確認を終えましたら、了承を」
「わかった。すべて承諾する」
情報収集を終えたところで本を回収し、ひとまず少しの時間を貰うことにした従業員はお茶を用意しながらもウィンドウに視線を落とす。
(これは……かなり難易度が高いな)
従業員は極力表情に出さないようにしながらも情報を読み進め、用意したお茶を少年の前に運んだ。用意したのはフルーツルイボスティーだが、少年は甘い香りが気に入ったようだ。
「ありがたく頂こう。その、急かすわけではないのだが、精査というのはどれくらいかかるのだ?」
「それ自体は然程。たダ、条件を満たす魂が見つかるマでの時間については、確約できナいかと」
「そう、そうだよね、どうしよう……」
不安が出たのか、口調がやや崩れた少年は、少し俯きつつも必死に考えているようだった。
「ですガ、ある程度ゆとりはアるものと考えてください。この場所と、アナタのいた世界では、時の流れが違う」
「違う……?」
「簡単に言うと、こちらに来た時とほぼ変わらない時間に戻ることになるカト」
「え……そうか、そうなのか! ありがとう!」
ぱっと表情を輝かせる少年の頬に赤みがさす。そういえばずっと緊張からか顔色が悪かったようだと思い至り、従業員はお茶と共に店長が用意していた茶菓子をだし、いいのだろうかと戸惑いながらも手を伸ばす少年に時間を貰う。
(世界滅亡の危機、という事案は多いが、この世界で敵対しているのは大精霊と呼ばれる存在。精霊は人間にとって魔法の助力者。多くの精霊が敵対した大精霊に引きずられ、もしくは畏れて協力を得られにくい。だがこの状況で魔法不使用のまま対策するのは無理だ。精霊に現存の物理攻撃は効かない……希望は個人で精霊と契約できる魂だな。それも一人二人じゃ厳しい)
視線を右に左に動かしひたすら情報を読み解いていく。
大精霊は元は普通の精霊だったようだが、力をつけ大精霊と呼ばれる存在に進化する際に凶暴化。
生物に恨みがあり堕ちた精霊は精霊の枠から外れ、精霊人間問わず喰い散らかす捕食者(イーター)という別種個体となる為この大精霊は該当せず。
大精霊の凶暴化は明らかに異常な暴走状態であり、何の疵もない精霊すら被害に遭う状況。討伐による対処が必要と考えられる。
だが世界は精霊の混乱によりかなり不安定な状況にあり、多くの魂を送り込むわけにはいかない――
従業員はそこまで読み終わると、データそのものをそのまま店長に送信する。
そのまま悩み、悩んで、一つの答えを導き出した。
「状況は把握しマした。少し質問しても?」
「あ、ああ、余に答えられることならば!」
少年はまだ少し残るお茶を難しい表情で眺めていたが、すぐに背筋を伸ばし顔を上げる。
「ではまず。この状況、おそらく英雄一人二人では対処ガ難しい。だがアナタの世界にあまり多くの英雄を『転移』させることはできそうにない」
「そ、うなのか。それは、なぜだろうか」
「世界の状態が不安定すぎる。柔らかくなっタ果実のような世界に、英雄の生身そのものという打撃を何発も当てるのは不可能デす。そこで一つ提案がありまスが、あくまでこちらが英雄に交渉した上で承諾を得なければ叶わないことを念頭に置いて聞いテください」
「う、うむ」
「では。可能な場合、そちらの世界の人類デそれなりに素養があり、それでいて亡くなった直後の身体にこちらの世界から魂だけを『転生』させることに異論は?」
「……死者の、体に……?」
「当然、誰かをわざと死なせルような手段を取った場合は提案を却下しマすが」
「と、当然だ!」
少年は大きく目を見開き固まった。世界によって、倫理観や信仰によって、縁によて……様々な理由で意見が分かれるところだ。英雄の協力を得るのも、非常に難しいことになるだろう。
だが、すでに少年の世界は危機に瀕しており、この状況では死者の魂が向かう先すら危ぶまれる状況だ。
それでも。
転移を扱う従業員にとっても、この提案は出来れば避けたいものであった。
転生案件では魂の入れ替わりや元の魂の強制睡眠による成り代わり、死者の体への魂転生という状況も多いそうだが、従業員がそれに触れるのは初めてだ。感情的にならず説明することはできたのだろうかと、一抹の不安が過ぎる。
「……っ、わかった。その者にも、その者とえにしがある者にも、余が必ずや精一杯の礼を尽くそう」
「――わかりまシた」
幼い皇太子の決断は、従業員よりも早かったかもしれない。
転移には転移の、転生には転生の難しさがある。
おそらく今回は混合だ。転生だけでは、多少時間を前後させてもおそらく『素養がある身体』が足りない。限界ぎりぎり転移者を探し出し、世界が壊れない程度に転生者も探さなければならないだろう。
早速とウィンドウに手を伸ばした時。
『依頼者に中途転生の許可は得られたかしら?』
ウィンドウに表示される、店長の通信文。従業員がこの道を選ぶと分かっていたかのような内容。それを見て、従業員は覚悟を決めて素早く動き出した。
