「何事だ!」
「消火しろ!」
「なんてことだっ、どこから攻撃されている!」
外が騒がしくなり、生徒たちの間に緊張が走る。特に一番扉のそばにいて杖を押さえるスズと、そのスズを守るために生まれて初めて刃物を武器として手にするレオの緊張は、後ろ姿だけでも生徒たちに伝わるほどだ。
そんな二人と後ろの生徒の間、どちらも守れる位置に立つ従業員は、ただ一本のデッキブラシを手に外の様子を伺っていた。
「掃除……?」
「デッキブラシだ……」
「うわ……アレで殴られたら痛そうだもんな……」
「そうじゃない」
生徒たちの数人は現実逃避なのか従業員の掃除用具が気になるようだが、大半はやはり外を気にしている。大きな音は最初の一度のみであったが、その後も何かが崩れるような音は続いていたのだ。
「ね、イチくん何したの?」
生徒の一人が、集団の最前列にいたイロハの肩を少し押して前に出た。従業員は後ろを振り返ると、ジェスチャーだけで前に出過ぎるなと押しとどめ、ただ一言「爆破」と答える。
「それってあの僕たちが召喚された場所をですよね。魔法陣が刻まれて怪しい柱があって、っていかにも重要そうな建物でしたけど、小瓶が爆弾ってどういうことですか?」
するすると言葉が出てくるメグルは、恐怖より好奇心が勝っているようだった。一つ息を吐いた従業員は、前を警戒したまま口を開く。
「あの場所は異世界召喚を行う装置みタいなモンだ。あれがあったら戻ってもまた狙われかねなイからな、破壊さセテ貰った。小瓶はさっき言った通り爆弾……爆発物が入ってタんだよ」
「へえ、液体もしくは粉末状? 装置もなく任意のタイミングで? 小瓶一つということは魔道具的な何かですかね? すごいッ、すごい世界だ」
「その解釈でいい。お喋りハそこまでだ。クルぞ」
意外にも説明してくれたことに、いかにもやる気なさそうな普段の態度を転校生の印象としていた生徒たちの数人は驚いたようだが、そんな些細なことはすぐ考えられない状況となる。
「勇者様方、ご無事ですか!?」
外から聞こえる男の声。恐らく騎士だと思われるが、同時に強く叩かれる扉に数人が怯える。どうする、と戸惑う空気を破ったのは、中の人間ではなかった。
「ええい、打ち破れ! 外からの攻撃ではないのなら原因は此奴らに決まっているだろう!」
「ですが団長、相手は神が与えし勇者様ですよ!?」
「生意気にも王女に歯向かい反逆行為を行うなど勇者でもなんでもないわ! こうなればもう多少の損害はあってもいい! 相手はレベル一だぞ、捕らえて無理にでも神水晶に触れさせろ!」
その言葉に、そして打撃音と共に揺れる扉に、生徒たちはやはりと怯え……従業員は口角を上げる。
「本性表すの早すぎダロ? 大丈夫だ、レオにスズ。結界は正常に展開さレてる」
「えっ」
扉は礼拝堂に相応しい大きさと頑丈さだ。だと言うのにヒビが入ったのは、騎士の技によるものか。あっという間にヒビは広がり扉が砕け、だがしかし破片はなぜか生徒たちの前で跳ね返って外へと散る。扉の前ということもあって腰が引けていたスズやレオはそれを見て目を丸くしたが、それは扉の向こうにいた者も同様だ。
「結界だと!?」
ギラリと射るような眼差しを生徒たちに向ける鎧の男が姿を現す。その男の両脇からぞろぞろと兵が雪崩れ込んでくるが、従業員は余裕の表情を崩すことはなかった。
騎士も当然それに気付いたのだろう。前に立つ二人より後ろの従業員に視線を留める。
「おまえが反乱分子の首謀者か」
「あえて言わせて貰ウが反乱はそっちだクソ野郎。よくもルール違反の転移なんざしやがッタな」
「は?」
「化けの皮剥がれンのが早くて助かったケドな? 処分対象発見、これより対処すル」
意味ありげに耳元のピアスに触れた従業員が、デッキブラシを手に一歩踏み出した。ように、見えた。
「まずアンタな」
気づけば従業員は偉そうに立っていた騎士の男の背後にいた。いや、それも一瞬だ。すでに騎士の男は地面から足が離れ、礼拝堂を囲む兵数人を巻き込んで外に吹き飛ばされていたのだから。
振りぬかれたように構えられたデッキブラシからかろうじて従業員が何かしたのだろうことはわかっても、歴戦の騎士たちですらどう対処するべきか戸惑う速さだった。
「遅ェよ」
だらりとデッキブラシを引きずったかと思えば、その姿はあっという間に武器を構える騎士たちの背後に回り薙ぎ倒していく。あまりの圧倒ぶりに、緊張していた生徒たちも唖然とその様子を見つめ始めた。いや、メグルだけは目を爛爛と輝かせ「スピードタイプなんですね!」と杖を握りしめて前のめりになっているが。
「スピードって……いや見えねえけど……?」
「確かに……」
最前列にいるレオとスズも、ワープでもしているのかという神出鬼没な動きを見せる従業員に呆気にとられるしかない。そのうち後ろの生徒たちも、ショーでも見ているかのようにきょろきょろと周りを見回し始めた。
「……天員くん……」
ただ一人、心配そうな表情で見つめる少女が、指輪の嵌る手を見つめ……ガタガタと震え始めた。
「どうしよう……わ、たし……、天員くんを守ってって、言ってない……」
どうして彼を守ってと触れなかったのか。いくらこの状況において十分な経験があるように見えても、今はクラスの半数近くの人数を守る為、たった一人で敵と戦っているというのに。その身を包んでいるのは、自分たちと同じ、高校の制服だというのに。いくら後悔しても、すでに戦いに身を投じ姿を追うことすらできないイロハには、手を伸ばすことすらできやしない。
ガツン、と音がした。自分たちの周囲に張り巡らせた結界に何かが当たったのだと生徒たちが音のした方に視線を向ければ、従業員が遮るようにそこに飛び込んできた。振り上げたデッキブラシが、何かを弾く。
「矢だ……」
カランと地面を転がる折れた矢じりに、生徒たちに緊張が戻ってくる。その間にも結界が、デッキブラシを回転させて弾く従業員が、降り注ぐ矢や魔法から生徒たちを守る。
「ね、ねえっ」
震える手で杖を持つスズが、悲鳴のような声を上げた。
「結界とやら、あるのはわかったけど、なんでイッチーは矢を弾いてるわけ!?」
「へ?」
何を言い出すのかと隣のレオが戸惑えば、まさかと声を上げたのはメグルだった。
「あまり攻撃をくらうと、結界が壊れるんですかッ!?」
「は、……はあっ!?」
「れ、レベル一なんでしょ!? あたしじゃむりだよっ!」
どうしよう、とそれぞれが武器を手に焦り始めた。おろおろと周囲を見回す様子に先ほどまでの余裕はなく、矢を弾き兵を蹴り飛ばしながら戦っていた従業員もそれに気づいて視線を向けた。その様子に、イロハは焦る。
前を、いや敵を見て欲しい。こちらを気にしていたら危ない。
その思いから、イロハは数歩踏み出す。
「み、みんな落ち着いて!」
「イロハ、でも!」
「大丈夫だよ、みんなには私もえっと、加護? 守護? をかけてる! みんなにもそれぞれお守りがある! だから、落ち着こう!」
「だけどヤバくない!? あっち人数増えてる!」
誰かの声に、それでもとイロハは両手を握った。
「――そうだ。結界の杖は別にオレでもいいって、天員くん言ってたよね」
「へ?」
「わ、私も杖を支える! スズちゃん、がんばろ! 絶対みんなを守れるから!」
イロハがスズの隣に並ぶとその杖に手を伸ばした。触れた瞬間確かに、……結界が、視認できるほど厚くなるのを、生徒たちは目撃する。
「わ、私も!」
「みんな集まろ! ほらレオも持って!」
動き出したのは女子生徒たちだ。男子生徒は密着する女子生徒に気を使ったのか、遠慮がちに距離を詰める。唯一側にいたレオだけが腕を引っ張られたが、戸惑う男子生徒に今度はメグルが声をかけた。
「僕たちは十六夜結界士の周りを囲みましょう! 範囲が狭まれば結界も厚くなる筈ですたぶんッ!」
「メグルお前天才か!?」
「わかった!」
ばらばらになりかけた生徒たちの足並みが揃う。従業員は、笑った。
「マジ、お前ラレベル一を舐めすぎたな」
異世界の騎士たちに向かって放たれた一言は、次々と倒れていく彼ら絶望を与える。戦いは、最終局面を迎えていた。
「見エた」
再び従業員の姿が掻き消える。そうして次に姿を現したのは、礼拝堂の奥に見える白亜の城方面から豪奢な馬車に乗って現れた一行。恐らく城に辿り着く前に引き返したのだろうと考えられるほど短い時間でここに戻ったのは、あの王女一行だ。
護衛騎士たちが引き留める中、私を守りなさいと言いながら姿を現した王女を、従業員は見逃すことはなかった。
礼拝堂とは逆の木々生い茂る闇から、騎士たちの死角を突いた。じゃらりと突如現れた鎖が、王女の胴を絡め取る。
「きゃあああ! ちょ、たすけっ、助けなさい!」
「姫様!」
騎士の合間からずるりと引き出された王女に、騎士たちは手を出すことができなかった。いくら王女を取り囲んでいても、引っ張り出されてしまえば意味がない。王女に刃を向けることはできなかったのだ。
その隙が、全滅の引き金となる。
「最近この方法を見てナ。ロープより切られる可能性が低くテいいのか。多分モウやんねぇケド」
「いたっ、痛い! 放しなさい!」
「残念だが、アンタだけは捕ラえろって指示だ。それと、魔王の魔力があれば帰れるなんて嘘に騙されねェから。駄神はもうすぐ力を失うぞ」
ジャラジャラと音を立てて引っ張りあげられた王女を盾とし、従業員はうめき声を上げる騎士たちの合間を一直線に歩いて生徒たちの元へと戻る。
そうして耳に手を当てると、誰かに声をかけ始めた。
「捕縛対象確保完了。……ああ、誰も死んでないと思イます。生徒も無事デス。……了解」
「えっと、イチ……?」
「ああ、お疲れ。準備できたラシいから、もう戻れるぞ」
「えっ?」
それは、声をかけたレオも驚くほどあっさりとした言葉だった。周りは騎士たちのうめき声に包まれているというのに――とそこで、生徒たちはいつの間にか、魔法も矢も襲ってこないことに気が付いた。
「こっちに構ってられナクなったんだろ。この隙にさっさと戻るぞ」
「戻るって言ったって、魔王は?」
「そんなモンいないんだよ。あいつらが魔王ッテ言ってたのは、ただの敵対国だ」
「は、はぁ!?」
なんだそれ、と騒ぐ生徒たちの結界の中に、従業員は『穴』から取り出した布を放り投げる。
「これは?」
「オレの上司手製の魔法の絨毯、って奴。そレに全員乗れ」
「マジ?」
いうなり従業員は喚く王女の口に布製粘着テープを貼り付けた。ごみ捨ての際に愛用している従業員の私物だ。大人しくなったところで、『魔法の絨毯』に全員が乗ったことを確認すると、そこに従業員も乗り込んだ。王女も一応、鎖でつながっている。
「じゃ、帰還で」
それはとても、あっさりとした言葉だった。その瞬間王女の姿が鎖と粘着テープごと消えたのだが、光に包まれた生徒たちは気づくことはなかった。
「あっ、教室じゃん!」
「戻ったー!」
「でもなんか薄くね? なんか変じゃね?」
自分たちが元いた場所にいると気づいた生徒たちが騒ぎ出す。だが教室どころか窓の外までどこか薄ぼやけた状態で、困ったように生徒たちは教室の後ろの席にいる従業員に視線を向けた。
「じきに戻る。無事に全員帰還したな」
「あーっ、杖がないですよッ!」
騒ぐメグルに、あれは自分の私物だから回収させてもらったと、従業員が僅かに笑う。そのままポケットに手を入れいつものようにだらだらと歩き出した従業員は、その場全員の視線を集めながら、気にした様子もなく廊下側に向かって歩き……くるりと、振り返った。
「今回こうしテすんなり帰って来られたのは、間違いなく全員が全員で帰るって行動してくれたからダ。無事でよかっタよ」
「いや、どう考えてもイチのおかげだろ?」
「そうジャない。……レベル一で最強の勇者集団、今回は助かった。じゃあな」
それは誰もが別れの言葉と認識する暇もない程淡泊な言葉だった。
レオがちょっと待てと言いかけたところで、従業員が廊下に足を踏み出す。同時に世界が急激に色を取り戻していく。
「あれ? 俺何してたんだっけ?」
手を伸ばしかけた格好のまま、レオがぽつりと呟く。
机に項垂れていたメグルも首を傾げ、一秒後にはいつも通りの喧騒を取り戻した。
「なんかめっちゃ疲れた気がする。何話してたんだっけ?」
首を傾げながらスズが振り返れば、一人呆然と右手を見つめる少女が戸惑ったように視線を合わせた。
「どしたの?」
「指輪が……」
「指輪? なんかつけてたっけ」
首を傾げるスズに違和感が確信に変わったイロハは、そっと隣を見た。机が、無い。
「なんで……?」
「イロハ? どしたの?」
「……ううん。ごめんスズちゃん、何でもないよ」
そう? と不思議そうにするスズが、お弁当片付けてくるねと立ち上がるのを見送り、イロハは教室をぐるりと見回した。
いつも通りの教室。クラスメイト達は各々好きなように過ごしており、疑問を抱いたことすら忘れているようだった。
「……イチくん、って、呼べなかったな……」
従業員が消えると同時に、肌に溶けるように薄れた指輪は、一瞬何らかの紋様を浮かび上がらせて今は完全に消失していた。
「消火しろ!」
「なんてことだっ、どこから攻撃されている!」
外が騒がしくなり、生徒たちの間に緊張が走る。特に一番扉のそばにいて杖を押さえるスズと、そのスズを守るために生まれて初めて刃物を武器として手にするレオの緊張は、後ろ姿だけでも生徒たちに伝わるほどだ。
そんな二人と後ろの生徒の間、どちらも守れる位置に立つ従業員は、ただ一本のデッキブラシを手に外の様子を伺っていた。
「掃除……?」
「デッキブラシだ……」
「うわ……アレで殴られたら痛そうだもんな……」
「そうじゃない」
生徒たちの数人は現実逃避なのか従業員の掃除用具が気になるようだが、大半はやはり外を気にしている。大きな音は最初の一度のみであったが、その後も何かが崩れるような音は続いていたのだ。
「ね、イチくん何したの?」
生徒の一人が、集団の最前列にいたイロハの肩を少し押して前に出た。従業員は後ろを振り返ると、ジェスチャーだけで前に出過ぎるなと押しとどめ、ただ一言「爆破」と答える。
「それってあの僕たちが召喚された場所をですよね。魔法陣が刻まれて怪しい柱があって、っていかにも重要そうな建物でしたけど、小瓶が爆弾ってどういうことですか?」
するすると言葉が出てくるメグルは、恐怖より好奇心が勝っているようだった。一つ息を吐いた従業員は、前を警戒したまま口を開く。
「あの場所は異世界召喚を行う装置みタいなモンだ。あれがあったら戻ってもまた狙われかねなイからな、破壊さセテ貰った。小瓶はさっき言った通り爆弾……爆発物が入ってタんだよ」
「へえ、液体もしくは粉末状? 装置もなく任意のタイミングで? 小瓶一つということは魔道具的な何かですかね? すごいッ、すごい世界だ」
「その解釈でいい。お喋りハそこまでだ。クルぞ」
意外にも説明してくれたことに、いかにもやる気なさそうな普段の態度を転校生の印象としていた生徒たちの数人は驚いたようだが、そんな些細なことはすぐ考えられない状況となる。
「勇者様方、ご無事ですか!?」
外から聞こえる男の声。恐らく騎士だと思われるが、同時に強く叩かれる扉に数人が怯える。どうする、と戸惑う空気を破ったのは、中の人間ではなかった。
「ええい、打ち破れ! 外からの攻撃ではないのなら原因は此奴らに決まっているだろう!」
「ですが団長、相手は神が与えし勇者様ですよ!?」
「生意気にも王女に歯向かい反逆行為を行うなど勇者でもなんでもないわ! こうなればもう多少の損害はあってもいい! 相手はレベル一だぞ、捕らえて無理にでも神水晶に触れさせろ!」
その言葉に、そして打撃音と共に揺れる扉に、生徒たちはやはりと怯え……従業員は口角を上げる。
「本性表すの早すぎダロ? 大丈夫だ、レオにスズ。結界は正常に展開さレてる」
「えっ」
扉は礼拝堂に相応しい大きさと頑丈さだ。だと言うのにヒビが入ったのは、騎士の技によるものか。あっという間にヒビは広がり扉が砕け、だがしかし破片はなぜか生徒たちの前で跳ね返って外へと散る。扉の前ということもあって腰が引けていたスズやレオはそれを見て目を丸くしたが、それは扉の向こうにいた者も同様だ。
「結界だと!?」
ギラリと射るような眼差しを生徒たちに向ける鎧の男が姿を現す。その男の両脇からぞろぞろと兵が雪崩れ込んでくるが、従業員は余裕の表情を崩すことはなかった。
騎士も当然それに気付いたのだろう。前に立つ二人より後ろの従業員に視線を留める。
「おまえが反乱分子の首謀者か」
「あえて言わせて貰ウが反乱はそっちだクソ野郎。よくもルール違反の転移なんざしやがッタな」
「は?」
「化けの皮剥がれンのが早くて助かったケドな? 処分対象発見、これより対処すル」
意味ありげに耳元のピアスに触れた従業員が、デッキブラシを手に一歩踏み出した。ように、見えた。
「まずアンタな」
気づけば従業員は偉そうに立っていた騎士の男の背後にいた。いや、それも一瞬だ。すでに騎士の男は地面から足が離れ、礼拝堂を囲む兵数人を巻き込んで外に吹き飛ばされていたのだから。
振りぬかれたように構えられたデッキブラシからかろうじて従業員が何かしたのだろうことはわかっても、歴戦の騎士たちですらどう対処するべきか戸惑う速さだった。
「遅ェよ」
だらりとデッキブラシを引きずったかと思えば、その姿はあっという間に武器を構える騎士たちの背後に回り薙ぎ倒していく。あまりの圧倒ぶりに、緊張していた生徒たちも唖然とその様子を見つめ始めた。いや、メグルだけは目を爛爛と輝かせ「スピードタイプなんですね!」と杖を握りしめて前のめりになっているが。
「スピードって……いや見えねえけど……?」
「確かに……」
最前列にいるレオとスズも、ワープでもしているのかという神出鬼没な動きを見せる従業員に呆気にとられるしかない。そのうち後ろの生徒たちも、ショーでも見ているかのようにきょろきょろと周りを見回し始めた。
「……天員くん……」
ただ一人、心配そうな表情で見つめる少女が、指輪の嵌る手を見つめ……ガタガタと震え始めた。
「どうしよう……わ、たし……、天員くんを守ってって、言ってない……」
どうして彼を守ってと触れなかったのか。いくらこの状況において十分な経験があるように見えても、今はクラスの半数近くの人数を守る為、たった一人で敵と戦っているというのに。その身を包んでいるのは、自分たちと同じ、高校の制服だというのに。いくら後悔しても、すでに戦いに身を投じ姿を追うことすらできないイロハには、手を伸ばすことすらできやしない。
ガツン、と音がした。自分たちの周囲に張り巡らせた結界に何かが当たったのだと生徒たちが音のした方に視線を向ければ、従業員が遮るようにそこに飛び込んできた。振り上げたデッキブラシが、何かを弾く。
「矢だ……」
カランと地面を転がる折れた矢じりに、生徒たちに緊張が戻ってくる。その間にも結界が、デッキブラシを回転させて弾く従業員が、降り注ぐ矢や魔法から生徒たちを守る。
「ね、ねえっ」
震える手で杖を持つスズが、悲鳴のような声を上げた。
「結界とやら、あるのはわかったけど、なんでイッチーは矢を弾いてるわけ!?」
「へ?」
何を言い出すのかと隣のレオが戸惑えば、まさかと声を上げたのはメグルだった。
「あまり攻撃をくらうと、結界が壊れるんですかッ!?」
「は、……はあっ!?」
「れ、レベル一なんでしょ!? あたしじゃむりだよっ!」
どうしよう、とそれぞれが武器を手に焦り始めた。おろおろと周囲を見回す様子に先ほどまでの余裕はなく、矢を弾き兵を蹴り飛ばしながら戦っていた従業員もそれに気づいて視線を向けた。その様子に、イロハは焦る。
前を、いや敵を見て欲しい。こちらを気にしていたら危ない。
その思いから、イロハは数歩踏み出す。
「み、みんな落ち着いて!」
「イロハ、でも!」
「大丈夫だよ、みんなには私もえっと、加護? 守護? をかけてる! みんなにもそれぞれお守りがある! だから、落ち着こう!」
「だけどヤバくない!? あっち人数増えてる!」
誰かの声に、それでもとイロハは両手を握った。
「――そうだ。結界の杖は別にオレでもいいって、天員くん言ってたよね」
「へ?」
「わ、私も杖を支える! スズちゃん、がんばろ! 絶対みんなを守れるから!」
イロハがスズの隣に並ぶとその杖に手を伸ばした。触れた瞬間確かに、……結界が、視認できるほど厚くなるのを、生徒たちは目撃する。
「わ、私も!」
「みんな集まろ! ほらレオも持って!」
動き出したのは女子生徒たちだ。男子生徒は密着する女子生徒に気を使ったのか、遠慮がちに距離を詰める。唯一側にいたレオだけが腕を引っ張られたが、戸惑う男子生徒に今度はメグルが声をかけた。
「僕たちは十六夜結界士の周りを囲みましょう! 範囲が狭まれば結界も厚くなる筈ですたぶんッ!」
「メグルお前天才か!?」
「わかった!」
ばらばらになりかけた生徒たちの足並みが揃う。従業員は、笑った。
「マジ、お前ラレベル一を舐めすぎたな」
異世界の騎士たちに向かって放たれた一言は、次々と倒れていく彼ら絶望を与える。戦いは、最終局面を迎えていた。
「見エた」
再び従業員の姿が掻き消える。そうして次に姿を現したのは、礼拝堂の奥に見える白亜の城方面から豪奢な馬車に乗って現れた一行。恐らく城に辿り着く前に引き返したのだろうと考えられるほど短い時間でここに戻ったのは、あの王女一行だ。
護衛騎士たちが引き留める中、私を守りなさいと言いながら姿を現した王女を、従業員は見逃すことはなかった。
礼拝堂とは逆の木々生い茂る闇から、騎士たちの死角を突いた。じゃらりと突如現れた鎖が、王女の胴を絡め取る。
「きゃあああ! ちょ、たすけっ、助けなさい!」
「姫様!」
騎士の合間からずるりと引き出された王女に、騎士たちは手を出すことができなかった。いくら王女を取り囲んでいても、引っ張り出されてしまえば意味がない。王女に刃を向けることはできなかったのだ。
その隙が、全滅の引き金となる。
「最近この方法を見てナ。ロープより切られる可能性が低くテいいのか。多分モウやんねぇケド」
「いたっ、痛い! 放しなさい!」
「残念だが、アンタだけは捕ラえろって指示だ。それと、魔王の魔力があれば帰れるなんて嘘に騙されねェから。駄神はもうすぐ力を失うぞ」
ジャラジャラと音を立てて引っ張りあげられた王女を盾とし、従業員はうめき声を上げる騎士たちの合間を一直線に歩いて生徒たちの元へと戻る。
そうして耳に手を当てると、誰かに声をかけ始めた。
「捕縛対象確保完了。……ああ、誰も死んでないと思イます。生徒も無事デス。……了解」
「えっと、イチ……?」
「ああ、お疲れ。準備できたラシいから、もう戻れるぞ」
「えっ?」
それは、声をかけたレオも驚くほどあっさりとした言葉だった。周りは騎士たちのうめき声に包まれているというのに――とそこで、生徒たちはいつの間にか、魔法も矢も襲ってこないことに気が付いた。
「こっちに構ってられナクなったんだろ。この隙にさっさと戻るぞ」
「戻るって言ったって、魔王は?」
「そんなモンいないんだよ。あいつらが魔王ッテ言ってたのは、ただの敵対国だ」
「は、はぁ!?」
なんだそれ、と騒ぐ生徒たちの結界の中に、従業員は『穴』から取り出した布を放り投げる。
「これは?」
「オレの上司手製の魔法の絨毯、って奴。そレに全員乗れ」
「マジ?」
いうなり従業員は喚く王女の口に布製粘着テープを貼り付けた。ごみ捨ての際に愛用している従業員の私物だ。大人しくなったところで、『魔法の絨毯』に全員が乗ったことを確認すると、そこに従業員も乗り込んだ。王女も一応、鎖でつながっている。
「じゃ、帰還で」
それはとても、あっさりとした言葉だった。その瞬間王女の姿が鎖と粘着テープごと消えたのだが、光に包まれた生徒たちは気づくことはなかった。
「あっ、教室じゃん!」
「戻ったー!」
「でもなんか薄くね? なんか変じゃね?」
自分たちが元いた場所にいると気づいた生徒たちが騒ぎ出す。だが教室どころか窓の外までどこか薄ぼやけた状態で、困ったように生徒たちは教室の後ろの席にいる従業員に視線を向けた。
「じきに戻る。無事に全員帰還したな」
「あーっ、杖がないですよッ!」
騒ぐメグルに、あれは自分の私物だから回収させてもらったと、従業員が僅かに笑う。そのままポケットに手を入れいつものようにだらだらと歩き出した従業員は、その場全員の視線を集めながら、気にした様子もなく廊下側に向かって歩き……くるりと、振り返った。
「今回こうしテすんなり帰って来られたのは、間違いなく全員が全員で帰るって行動してくれたからダ。無事でよかっタよ」
「いや、どう考えてもイチのおかげだろ?」
「そうジャない。……レベル一で最強の勇者集団、今回は助かった。じゃあな」
それは誰もが別れの言葉と認識する暇もない程淡泊な言葉だった。
レオがちょっと待てと言いかけたところで、従業員が廊下に足を踏み出す。同時に世界が急激に色を取り戻していく。
「あれ? 俺何してたんだっけ?」
手を伸ばしかけた格好のまま、レオがぽつりと呟く。
机に項垂れていたメグルも首を傾げ、一秒後にはいつも通りの喧騒を取り戻した。
「なんかめっちゃ疲れた気がする。何話してたんだっけ?」
首を傾げながらスズが振り返れば、一人呆然と右手を見つめる少女が戸惑ったように視線を合わせた。
「どしたの?」
「指輪が……」
「指輪? なんかつけてたっけ」
首を傾げるスズに違和感が確信に変わったイロハは、そっと隣を見た。机が、無い。
「なんで……?」
「イロハ? どしたの?」
「……ううん。ごめんスズちゃん、何でもないよ」
そう? と不思議そうにするスズが、お弁当片付けてくるねと立ち上がるのを見送り、イロハは教室をぐるりと見回した。
いつも通りの教室。クラスメイト達は各々好きなように過ごしており、疑問を抱いたことすら忘れているようだった。
「……イチくん、って、呼べなかったな……」
従業員が消えると同時に、肌に溶けるように薄れた指輪は、一瞬何らかの紋様を浮かび上がらせて今は完全に消失していた。
