激しい揺れと光が収まり目を開けたときには、周囲が見慣れぬ風景へと変貌を遂げていた。
 教室で足元に浮かび上がっていた謎の魔法陣のようなものが、今は輝きを失い生徒たちが座り込む床に刻まれている。
 青白く見慣れぬ石材のその床は膝をついている者たちの熱を奪うかのように冷たく、数人が膝立ちになって周囲を見回す。

 天井も高く広い空間。そんな場所で、紋様が刻まれた鎧を着込み、槍を手にする者たちにぐるりと囲まれていると気づいたのは、全員がほぼ同時だった。

「ようこそいらっしゃいました、勇者様方!」

 生徒たちの間で「なに」「あれ本物!?」などの混乱に悲鳴が重なり騒がしくなり始めたところで、凛とした、華やかさのある声が力強く響き渡る。
 誰かが「お姫様?」と呟くのも納得できる。ティアラで彩る艶やかな金の髪を靡かせて前に進み出た少女は、淡い桃色の生地をたっぷりと使った繊細なデザインのドレスを纏い、瞳を潤ませて胸の前で手を合わせる。

「このような形での出会いとなったこと、心苦しく思います。ですがどうか、聞いていただきたいのです。この国に、いえこの世界に、危機が迫っているのです……!」

 その言葉に、生徒たちがそれぞれ反応を示す。困惑し顔を見合わせる者、頬を染めぼんやりと『お姫様』を見つめる者、周囲の槍兵を警戒する者……の、どれにも当てはまらない男、従業員(イチ)は、片膝を着いた体勢のまま、指先をそっと地面に滑らせていた。
(同じオヒメサマでも随分違うことで。……間違いないな、これが召喚装置の要か。恐らくあの騎士崩れ共の後ろにある八方の玉の嵌った柱も召喚装置の一部。だがこれだけじゃあの世界からこの人数を引っ張り出すには力が足りなすぎる)
 いつの間にかけていたのか、眼鏡のテンプルに指をあてながら従業員はさりげなく周囲を見回す。そうして目ざとく、生徒たちがいるその床の魔法陣中央に埋め込まれた赤い石の淵に、納得の痕跡を認める。

 あれは、血の跡だ。

(ここに直接魂を吸わせたか。胸糞悪い)

 恐らく贄となった者たちは進んでその道を選んだのではないだろう。それほどこの場所には、不倶戴天の敵を前に抑えきれない恨みのようなものが渦巻いている。良く知る裏路地の雰囲気をより濃密にしたような空気だ。
「あの、天員くん……?」
 従業員の耳に、小さく震える声が届いた。転移直後に側に引き寄せたクラスメイト、イロハは、変わらず従業員のそばにいたのだ。
 少し離れた位置では、姫らしい少女の演説が始まっている。そんな中遠慮がちに駆けられた声に、どうしたと短く答えて従業員は反応を待つ。その右手中指には、しっかり指輪が嵌っている。それを隠してろと言わんばかりに従業員が手で覆って軽く押せば、意図を汲んだのか僅かに動揺しながらもイロハは右手を左手で握って隠す。
「これって、どういうことなのかな? ここ、息苦しくて」
 どうやら、従業員の様子から何か知っているのではと察してしまったようだった。まぁ真横にいれば、さすがに気づくだろう。そもそも従業員に演技の才能はないと言っていい。

 季節外れの長袖の下に隠したものさえ見られなければそれでいいのだ。

 それにしても、息苦しいときたか。どうやらイロハはこの淀んだ空気を感じ取ってしまっているようだ。よくよく見れば、クラスメイトの他数人も、気持ち悪そうに顔を俯けている者がいる。顔を上げている者と半々、と言ったところか。その数は合わせて二十に満たない程度……そう、昼休み中ということもあって、この転移に巻き込まれた者たちは、普段の半数以下だったのである。

「さあ皆様、どうぞこちらで、この神水晶に触れてください。そうすれば勇者様方は、直接神よりお力を賜ることができるのです」
 いつの間にか演説は終わっていたらしい。これは止めなければと従業員が口を開こうとしたその時だ。
「おい待て、勝手にこんなとこに――」
「――ステータス、オープンッ」

 クラスでもまとめ役を買って出ることが多いレオ。その言葉に半ばかぶさるように、少し震えた叫ぶような声が重なった。それは、従業員がここ数日見ていた中でも比較的おとなしい人物として目に留まっていた少年のものだった。

 騒めきと共に、周囲に緊張が走る。

「やっぱり、こんな定番の呪文で出てくるんですか。皆さん、あの人の言うことは嘘です。僕たちはもう能力を授かっている」
「え、え? どういうことだ?」
 混乱するレオに、ぐっと拳を握った……目の前にステータスウィンドウを携えたメグルという名前の少年は、「こっちに」と声をかけた。
「皆さん集まってください、一か所にッ! 少なくとも、僕らを僕らの世界から召喚したあいつらは敵ですよ! かどわかし、誘拐犯ですッ! 勝手に連れ去っておいて魔物と戦えとか危険に身をさらせって言う感じですよこれはッ! それがいい人なわけないじゃないですか!」
「誘拐!?」
 長ったらしく非現実的な話でお涙頂戴を騙った少女の言葉より、よほど現実的な理解を促す言葉だった。誘拐。犯人。誘拐犯は味方じゃない、と。
 きゃあ、と一人が駆け出すと流れるように少年少女たちは一か所に集合した。その様子を見て思わず身構えてしまったのか、槍の穂先が生徒に向けられ、悲鳴は重なってさらに「誘拐」という言葉を助長する。

「騎士の皆様、おやめください。相手は勇者様方ですよ!」

 お姫様とやらの一声で、槍は再び天を向く――が、もう遅い。警戒心を抱いて周囲を見回す生徒たちは、数人がメグルに続くように「ステータスオープン」と呟く。
 嘘が、露呈する。

「マジだ。うわ、アニメみてえ」
「何これ?」
「俺の職業ってとこ――」
「バカ言うなよ! 個人ジョーホーってやつだよ!」

 さりげなくイロハを押しやり集団に合流していた従業員は、なるほどなと頷いた。そういった知識が物語として伝わっているということは把握していたが、ここまで適応できるとは。

「僕たちが能力をすでに受け取った状態であるというのに、力を貰えると言って触らせようとしたということは。あの水晶、僕たちの能力を盗み見る物か、何らかの制約をかけるものかと。こういうのは異世界モノの定番です。相手が悪かったですねッ!」
 メグルは指をさしてお姫様を牽制し、スゲーな、と数人に褒められて腰に手を当てた。そのようなことはと姫が目を潤ませるが、泣き落としですかとこき下ろす。可憐で庇護欲を誘う美貌をまったくものともしておらず、徹底的に信頼していないようだ。
「つか異世界ってマジ?」
「いや日本だったらヤバイでしょむしろ」
「銃刀法違反」
「槍なのに?」
「バカね、槍も刀剣類に含まれるの! あたし知ってるもん!」
 好き勝手騒ぐものの少年少女たちの厳しい視線は周囲を見張っていた。勇者に手出しができないと察したのかもしれない。――偶然にもそれは正解に近く、そして神水晶と呼ばれるものに触れていれば、彼らが逆に追い込まれていたのだが……メグルの知識に感謝だろう。
 いい流れだ、と従業員はさりげなく手にしていた空瓶をポケットにしまい込んだ。それはこちらに来た当初から持っていたものだが、離れたところで生徒たちを囲んでいた騎士には気づかれなかったようだ。
 その間にも、どうやら『詳しい』らしいメグルの答弁による攻撃は続いている。

「僕たちをすぐ帰してください」
「申し訳ありません。勇者様方には魔王を倒してもらわねばならないのです。あなた方は最後の希望、もはや我々には魔法を展開する力はありません。魔王討伐が果たされれば、その魔王の持つ膨大な魔力を持って、再度異世界へつなぐ魔法は使用可能となるでしょう」
「用意された答えって感じですね。なら僕たちの要求は、まずこちらだけで話す時間をもらうことです」
「それは」
「拒否しませんよね、ただ話して落ち着く時間をもらうだけですよ」
「もちろんです。私たちも、大切な勇者様方をこのように寒々しい場所に留め置くのではなく、相応しい対応をさせて頂きたいと――」
「ですよね」
 先ほどから姫の言葉を遮るように重なるメグルの言葉に、若干姫の眉が寄ったようだが、メグルは気にすることなくなぜかスマホを取り出した。
 突如現れた無機質な板に姫がきょとんとした瞬間響き渡る、生徒達には馴染のある――シャッター音。

「貴様、何を!」

 とうとう姫の後ろに控えていた騎士が声を荒げたが、メグルはすぐさまスマホを反転して見せた。

「ただ彼女を『写し撮った』だけですよ。僕たちの希望が叶えばこれ以上何もしません。切り札があるのはそちらだけじゃないってことです」

 見せられた鮮明な姫の写し絵に、騎士たちは大いに戸惑った。鮮明すぎる。離れていてもわかるほど、鮮明に姫の姿が写し取られている。
 異世界の、呪術か?
 ごくりと誰かが息を飲んだ。やがて口を開いたのは、生徒側ではなく、姫だった。

「……わかりました。急なご招待でしたもの、当然の要求です。ここから出て道なりに向かった先に、礼拝堂がございます。どうぞそちらをお使いください」
「姫様!」
「騎士の皆様は手出し無用。勇者様方にもお時間は必要ですわ。これ以上を押し付けるのは我々の身勝手というもの」
 口ではしおらしい言葉を紡いでいるが、その声音は先ほどより強張っている。そのまま視線をメグルに移した姫は、案内と護衛役をつけても? と様子を伺った。

「一人だけなら」
「……わかりました。ではランスロット、勇者様方を礼拝堂へ」

 そういうと、先ほどから一人姿勢を乱すことなく姫の後ろに控えていた一人の騎士が、前へと進み出る。


 こうして最初の攻防は、生徒の手によって生徒側有利で事が進んだ。
 召喚を企んだ者たちが、あの世界に手を出すのではなかったと後悔するのはこれからである。