大きめの窓から、やわらかな日の光が差し込んでいる。
友人たちと集まって賑やかに会話を楽しむ者、スマホに夢中になっている者、眠っているのか机に突っ伏している者。転校生にも慣れたのか、穏やかな日常が観察できた。
従業員が転校生としてとある高校に乗り込んでから四日目。クラス内は、今日も平穏そのものといった様子であった。
店長が手を回し、従業員は確かに狙われたクラスに入り込むことができた。だが、ある程度調査は進んだものの、さすがに次の強制召喚が行われる日時まではわからない。このまま何事もなく時が経てばいいのだが、『上』からの情報でほぼ確実にそれはないだろうことだけは確かだった。
従業員が直接見て確認したことで、このクラスが狙われることとなった理由が二つ判明している。
まず一つ目は、クラスメイトたちの魂だ。多少の差はあれど、標的世界基準ではいい能力者として開花するだろうこと。
これは実は、珍しくはあるものの奇跡とは言えない程度の事象だ。そもそもこの世界は魂の特殊な能力が開花することはなく、特徴の違いや適合する世界の種類はあれど、能力者自体はそこそこいるのである。さらに原理について従業員は詳しくないが、似通った傾向の能力者が自然と一か所に集まることも間々あるのだ。
そして二つ目が、『天道イロハ』の存在だった。なんと彼女は、現時点で僅かに能力が開花し始めていた。これは、異例中の異例だ。
恐らく彼女の力が目印となって、その周辺に良質な魂が多いことから、このクラスが今回の標的となったのだろう。
店長に報告したところ、すぐにその能力を隠すための道具を与えられた従業員は、その時押し付けられた無理難題に頭を悩ませていた。
強制転移が始まるぎりぎりまでこの道具を渡さないこと。
少女が切っ掛けだと本人を含めた周囲に悟られないこと。
どうやってだよ、と従業員はここ三日ほど悩んでいた。どちらも理由はわかる。道具を渡すタイミングの指示は、二度目の強制転移の座標がズレないように、だろう。今更隠したところで、前回ぎりぎりまでこの場に接近した標的は確実にこの付近を狙ってくる。その時目印がないことで場所がずれ、従業員が転移から弾かれては意味がない。
つまりは囮という言葉が適切なのだろうが、従業員は『転移者全員の無事帰還』の為にここにいるのだ。堕ちたとはいえ神に目をつけられた子どもたちを守るには、手段を選んでいられなかった。
だからこそ、二つ目の指示がある。少女が切っ掛けだと、本人にも周りにも知られてはならない。それは帰還後の少女の在り方を変えてしまう。
ちらりと、手のひらに握り込んだ店長に渡された能力を隠す……誤魔化す、に近い道具を従業員は見た。
それは、シンプルなデザインで一つ透明な石が嵌った指輪だった。まさかの指輪。どう足掻いても間違いなく指輪。
難易度ベリーハードである。
ズレた世界の住人といえど、さすがに指輪の意味は知っている。女子高生が会ったばかりの転校生から受け取った指輪をつけるってどんな状況だよと頭を抱えるしかない。しかもその状況は転移開始直後と決まっている。
さっさと仕事は終えたいが、できればそのシチュエーションからは永遠に遠ざかりたい進退両難な現状に従業員は叫びだしたかった。いや、カフェではふざけんなと叫んだのだが。従業員は間もなく『ヤベー奴』の仲間入りを果たそうとしている。
そんな従業員の学生生活だが、授業内容はとりあえず置いておくとして、それ以外は違和感なくとけ込めたと本人は自負している。遠方から来た設定の従業員を慮ってなのか、とくに最初に自己紹介してくれていた三人が、初日からあれこれと世話を焼いてくれていたのが幸いした。校舎内の説明や、購買のおすすめパン紹介、放課後は学校近くの寄り道スポット案内だったりと、楽しそうに教えてくれたのだ。
店長のバックアップはあれど、クラスメイトの数はイチを入れて四十名だ。こうした厚意を受けるたび、助かる反面肩に責任が重くのしかかっていくようだった。だが関係ない。どんな相手であろうと、従業員の仕事は完璧な道案内である。
慣れ始めたチャイムの音色と同時に、教室が騒がしくなる。
「あー腹減った。イチ、今日の飯はー?」
「買ってきた」
「あ、それあたしが教えたとこのやつじゃん嬉しー」
席が斜め前にあるレオの言葉に短く返すと、イロハと共に昼食をとっているらしいスズがやってきてパンに目を止める。このパンは、購買とは別に通学路にあるおすすめパン屋として教えてもらった店のものだ。
学校に転入したことで唯一楽しみにしているのが、食事だった。普段は店長が仕入れと同時に興味があるものを購入して持ってくるのでそこから適当に食べていたが、いざ自分で選んでみるとなんと種類の多いことか。店長に頼まれここ数日従業員が食事を購入して帰るのだが、牛丼、カツ丼、フライドチキンやハンバーガー……どれも甲乙つけがたい美味さであった。
店長や従業員の感想は語りだすと長いので割愛しよう。
とにかく従業員はしっかり仕事をこなしている。高校生活というものは情報でしか得ていなかったが、一応初日は購買で購入し、二日目以降は初日のクラスの様子から学んでパンや弁当を購入してきていた。できればあまりクラスから離れたくなかったのだ。
それにしてもこのパンは美味い、と従業員は咀嚼しながら無意識に頷いた。
最初に食べたのはソーセージパン。このソーセージが、またパリッとしていて美味かった。歯が沈み食い破った瞬間肉汁が柔らかいパンに染み込み、口いっぱいに香辛料と肉のうまみが広がるのだ。冷めているのに美味い。ケチャップとマスタードの量も絶妙で、ぜひ出来立てを食べてみたくなるような一品である。
次に選んだのは、平たく丸いパンの上にベーコンと目玉焼きが乗ったパン。目玉焼きはしっとりしており、かけられた荒めのブラックペッパー入りマヨネーズソースがよく絡む。ベーコンはカリカリで、塩気がいい具合にパンに味わいを与えていた。美味すぎる。
三品目は気分を変えて甘いもの。大きめのメロンパンは、口に近づけただけでいい匂いがした。外はカリカリ中ふんわり。チョコチップ入りなのだが、どこを噛んでも入っている大盤振る舞い。チョコの甘さがパンのうまさを引き立てている。良い。
次は……と手に取ったところで、今日もいっぱいだね、と少し感心するようなイロハの声が耳に届く。
「美味い」
「うん、見ててもわかるよ。そのピザパンも美味しそうだね」
「食うか?」
「えっと、もうお腹いっぱいかな」
そういって遠慮するイロハの机にあるのは、なんとも小ぶりな弁当箱だ。
「あんたが食いすぎだって、胃袋ブラックホールか」
呆れたスズが言えば、こいつサンドイッチも早弁してたとレオが暴露した。まだ暑いのだ、サンドイッチは早めに食べておきたいだろうと心の中で反論した従業員は、そのままピザを口に運ぶ。もう言葉もない。最高。
食べ終えたところでごみを纏めていると、横ではイロハとスズが最近できたらしい雑貨屋について話しているようだった。
情報収集の為にさりげなく従業員が耳を傾ける。スズはアクセ、イロハは文房具の豊富さに興味を引かれているようだ。アクセと聞いてまたしてもポケットにある指輪の存在に思い至り従業員は眉を寄せたが、前髪で隠れて誰にも気づかれることはない。目の前にいるレオもスマホに集中しており、ゲームアプリのガチャに悪戦苦闘しているようだ。
平和な日常。だがやはりそれは、脆くも突如崩れるもので。
それまで感じなかった波長を感知した瞬間従業員はポケットに手を突っ込み指輪を握りしめる。即座にクラス全体が床に浮かぶ魔法陣の光に包まれ始めた。何これ、と驚く生徒たちが、足元が揺れるような感覚に次第に悲鳴を上げ蹲り始める。
今だ。
もう状況がどうとか言っている場合ではなかった。従業員は素早く自分の隣にいる少女の手を掴み、その右手中指に細い指輪を嵌める。え、と驚いた声に、その体を引いて耳元で聞こえるように声をかけた。
「外すなよ。守れなくなる」
体験したこともない未曽有の緊急事態の中、二人の様子に気付いた者はいなかった。
