少し前の大きな失態により、路地裏カフェでは体制の見直しが日々検討されていた。あれは大失態だと、はたき一振りで怪異竜巻(従業員命名)を発生させる店長も日々反省を繰り返すほどだ。少女は無事親元に帰ることができたが、今後あのような強引な手段を許すことはできない――その為の努力を惜しまないことを決めた、矢先の事。
「強制介入? ハ? フザケてんですカ?」
「ふざけているわね」
この日、なぜかこのカフェがある裏路地――異世界との窓口であるこの地を通すことなく、直接担当世界に介入しようとする力を感じた店長からの一言で、カフェに重い沈黙が訪れた。
つまり、契約世界以外からの侵攻である。
案内所を自称するこのカフェはそもそも、とある機関の一部である。それは様々なルールが設けられているものの、基本的には契約世界にて何らかの問題が発生した時に、契約世界内で解決の一手となり得える魂の持ち主を紹介することが中心である。『転生』については少々対応が柔軟であり、救済や当人の願いを叶えて等、問題解決以外での魂の移動もあることにはあるが、こと『転移』においては慎重に調査される。
カフェでの仕事に慣れてきたことで最近では従業員が何件か転移案件を扱っていたが、ここにきてまさかの侵略行為。本来であれば契約世界以外が彼らの担当世界から魂を引っ張ろうとする行為は『機関』により弾かれる筈が、それよりも凶悪な力が上回ってこの世界に触れたということ。
幸い今回はぎりぎりのことろで機関がそれを阻んだようだが、どうやら二度目の危機があるということで『上』から情報が下りてきたのだ。
「……堕ちた神が力を貸したようね」
「最悪です」
「狙っていた場所もわかっているわ。まさかの学校なんだけど」
「……まさかクラス転移、ですか」
「最悪ね」
「最悪デス」
前回は世界に直接店長が乗り込んだのだが、契約世界外となるとそうもいかない。その手を貸した神とやらが壁となる。だが見逃すわけにはいかないと上からのお達しである。
再びカフェが静まり返った。しばしの沈黙の後、店長がパンと手を叩く。
「こうなったら」
「イヤデス」
若干被せるように従業員が言葉を阻んだ。ちろりと店長はジト目でそれを見るが、構わず続ける。
「乗り込めないなら、招かれるだけよね」
「イヤデス!!」
がたりと椅子から従業員が立ち上がるが、少ししてへなへなと椅子に戻りテーブルに突っ伏した。その黒い髪の上に、慰めるようにクロちゃんが乗り上がり、髪を啄む。若干強めに。
「行くシかねーじゃん……」
「大丈夫、しっかり隠してたっぷり援助するわ」
今回の件、狙われているのは高校二年生の生徒たちだ。個人を指定するものではなく、範囲召喚であることもわかっている。となれば向こうの世界に直接入り込む良い手が一つ、あるというものだ。
かくして、従業員の高校編入が決定したのである。もちろん経歴は嘘っぱちだ。
「ということで、転校生の天員 一くんです。天員くん、自己紹介してくれる?」
「……天員イチです。よろしくお願いします」
担任からの紹介から一歩も踏み出してない自己紹介を終えると、担任は苦笑しつつも天員を昨日用意したばかりの後列の席へと促した。
思いっきり長い前髪で目元を隠している上に制服は着崩され、まだ暑いというのに着込む長袖からは天然石のブレスレットが覗いている。さらに耳元に目立つピアス等が見え隠れしているが、とりあえず校則がゆるいのか咎められることはなかった。クラスメイトとなる高校生たちも、目元は隠れているがだるそうに歩く男が揶揄いやすそうなタイプではないと感じているのか、拍手して迎え入れつつも興味津々に見つめるだけだ。
だが担任が教室を出るとクラス内はわっと賑やかになり、数人が天員の前に集まった。
「よっ、俺は直木レオ! よろしくな!」
「あたしは十六夜スズ。そのピアスいいじゃん。両耳?」
わいわいと自己紹介が始まり、その面々を従業員……イチは記憶していく。なるほど、おそらくクラスの中心人物か。
「私は天道イロハ。隣の席だよ、よろしくね。天員くん、教科書は?」
「あー、一通りはある。あ、筆記用具忘れた」
「ちょ、そこ忘れるー?」
けらけらと笑ったのはスズと名乗った少女だ。その様子を見て、俺消しゴム二つあるぜーとレオが明らかに半ばから折れたのだろう消しゴムの片割れをイチに手渡し、イロハが可愛らしい音譜模様のシャーペンを差し出す。従業員は僅かに動きを止めたが、すぐにそれを受け取った。似合わねえ、というレオの言葉に納得しかない。
「他のが必要だったら教えてね、いろいろ持ってるから」
自慢げににこにことイロハが両手で見せてきたのは、音譜マークが散っている大きめの布製ペンケースだ。どうやら音譜が好きな模様であるらしい。スズが覗き込み、これ可愛いーと物色を始めると、周辺の女子が集まって楽しそうにいろいろ手に取っている。
「助かる」
とりあえず輪になり始めた女子から目を離し、机に寄りかかっているレオに消しゴムを手に取って礼を言う。おうよ、と笑う顔に邪気はなく、クラス全体の雰囲気もあたたかい。
どうやら、グループはあれどそれぞれいい距離感を保っているクラスのようだ。このクラスが、転移に巻き込まれるのか。
授業開始のチャイムが鳴る。ノーチャイム制ではないらしく、全員がぱたぱたと机に戻るのを見ながら、従業員は学生を感じさせる音色の中一人ため息を吐いた。
