「ごめんなさいね、急ぎで説明したけれど、状況はわかったかしら」
「はい。……やっぱり夢じゃ、ないんですよね」
「残念だけれど、夢ではないの。規約違反をしたこちらの客が、本来能力はあったとしても呼ばれる筈のないあなたを強引にこちらに引き込んでしまった。本当にごめんなさい」
「店長さんは悪くありません」
「悪いのよ。仲介者として、悪質な客を少しでも野放しにした責任はあるわ。まさか結界から外に魔力を流していたなんて。内部からは干渉を受けないようにしていたせいだわ……いえ、言い訳はなしよね。あの男は気にする必要ないわ。今外は危険だけれど、必ずあなたを狙った化け物を排除して帰してあげるから」

 少女はそこでぎゅっと膝の上の手を握る。
 ここに飛び込んできた男は従業員に(見えない)箱詰めのまま奥の部屋に運ばれ、今はこの場にいなかった。
 自分がいる場所が、異世界転移や転生を望む者が訪れる、異世界との仲介業者のような仕事をしている場所なのだと店長から説明された少女は、どこかにいくのは考えられないと首を振った。

「帰りたい、です」
 少女は、自分が聖女だということは信じられなかったし、先ほどの男に呼ばれて異世界に行くなんて怖い話を受けたくはなかった。
 幸い店長に、この場所と元の場所では時間の流れが違い、少女が迷い込んだ時間とさほど変わらぬ時間に戻してあげられると聞いていた為、落ち着いて気持ちを言葉にする。この場所に来た時突如夜になったこともあって、時間の流れが違うという突拍子のない説明も「そういうこともあるのだ」と無理矢理納得したのだ。どうせこちらに来てから不思議なことばかりなのだから、という気持ちも強い。
 それでもおかしなことになったと自分を探している両親を思い出して落ち込んでいると、耳に小さな囀りが届いた。少し驚いて顔を上げると、隣のテーブルの上に、ぴょんぴょんと跳ねる黒い鳥がいる。
 先ほどぬいぐるみだと思ったそれは、どうやら生きていたらしい。一瞬また猫のように毛になるのではと身構えたが、店長が「あらクロちゃんどうしたの」と声をかけたことで再度鳥を目で追ってみる。丸いシルエット、ふわふわの羽毛。少女を見つめて首を傾げる様子など、たまらない愛らしさだ。

「チチ」
 鳴いた『クロちゃん』が、ぴょんと跳ねると小さく羽ばたいて、テーブルを移って少女の前に来る。ぴょこぴょこぴょこ、と少女を見つめて動く様子に、とうとう少女はたまらず「可愛い」と声に出した。
「ふふ、あなたが気に入っちゃったみたい。鳥は怖くないかしら?」
「はい! なんか猫カフェ……じゃない、鳥カフェ、みたいな?」
「そうねえ、この子は確かにうちの大事な看板娘ね」
「ふふ、あなた女の子なんだね。足の黒いリボン、似合ってるね」
 少女は猫に惑わされてきたが、どうやら動物が好きな様子だった。そんな少女をしばらくちょこちょこと跳ねながら見つめていたクロちゃんは、やがて少女が差し出した手のひらの上に飛び乗ると、もふっと身体を預けて目を細める。
「か、かわいいっ」
 泣きそうだった少女の笑みに、店長はほっとして肩を下ろす。聖女に選ばれるのも納得の魂の質であるのは一目でわかってはいたが、こんな状況においても気丈に振る舞う様はなんとも庇護欲を掻き立てる。

 なんとしてでも無事に帰さなくてはならない。

 内心の怒りを押し殺し、店長は動き出す。こういった問題を起こさない為の機関だというのに、なんと間抜けな失態をやらかしてしまったのか。
 少女に少し待っていてと声をかけ、カウンターに戻った店長は目の前にいくつも不可視のモニターを呼び出し操作を始めた。元依頼者の世界情報を呼び出し、一度確認した情報をもう一度確認しなおす。
 あちらの世界に問題が起きていることは確かなのだ。だからこそこのカフェに元依頼者はたどり着くことができたのだが、情報を精査した店長は一度この依頼を却下した。依頼者自身に、『聖女を絶対己のモノにする』という邪な考えが滲んで……どころか溢れていたからだ。
 この世界の聖女の役割は、『神樹に祈りを捧げる』ことである。祈ることで本来の人間に備わっていない筈の類稀なエネルギー、『聖なる力』を注ぎ神樹を維持することが目的だ。
 通常は同じ世界の中から聖女は選ばれるが、稀に次の聖女選定までに時間がかかることがある。神樹はこの世界の生きる者たちにとっての防衛の要であり、神樹がなければこの世界の周囲を囲む『毒』に生活圏が覆われてしまう。つまり滅亡だ。
 それほど重要な聖女がなぜ途切れるのか。これは聖女となる魂が年々摩耗していることが原因で、輪廻転生を基本とする世界でのこの現象に着目した店長は、前回の依頼者の来店時にそれを徹底的に調べた。

 問題点は、王侯貴族や高位の神官たちにあった。

 権力を持つものたちは、聖女を娶ることをステータスとしていたのだ。聖女の子孫から聖女が生まれるのではという憶測が、いつしか真実のように語られ、過去の血縁を引っ張り出してでもそれを真実に近づけた。実際神の加護なのか、聖女が幼いうちに逝去しないようになのか……聖女は比較的安定した家庭から生まれやすいようで、過去に聖女を娶った貴族がいた、ということが何度かあったようなのだ。
 それは聖女の子孫、特に権力を持つ男性側の横暴を増長させた。聖女の血を継いでいるからと一夫多妻を国が促し、極端な場合生まれた女の子が聖なる力を受け継いでいないと妻が責められることもあったという。歴代の聖女はそういった環境に権力者の欲から引きずり込まれ、良くて自身と子は聖女由縁として大切にされたとしても周囲との関係に悩み、魂を削っていったのだ。
 聖女の魂は聖女に転生する。しかしその魂は摩耗していく。年月を経て聖女の数が少なくなるのは、当然であった。

 頭が痛くなる話だと店長はこめかみを押さえた。
 もともとはたまたま聖女の魂が一つの年代に重なった場合に備えて『異世界からの聖女招来』が伝わっていたようなのだが、今回実行されたその儀によってカフェに訪れた魔法省大臣という肩書の男は、当然のように聖女を自分の妻に迎えるつもりで現れた。ちなみに四十代既婚であり、子も多い。中には今回聖女として連れてこられた少女より年上の子もいるくらいだ。当然男の妻たちは本物の聖女が現れることを危惧しており、応じてしまえば少女の境遇は火を見るより明らかである。

 そんな場所に、男は強引に聖女を連れ込む為、この地で魔法を使用したのである。
 男の邪心を見抜いて依頼を断り、依頼者の変更を妥協案とした際、男は暴れてカフェを飛び出したのだ。その時は結界を前にして外の化け物に怖気づき呆然としていた男を捕らえたのだが、すでに聖女捜索、誘導の魔法を放った後だったとは。聖女を見つけなければいけない世界で魔法により地位を築いた者であるならば、いくら依頼者として不適正でも探索魔法くらい使えるのは当たり前だ。
 これは完全に自分たちの落ち度だ。カフェのルールとしてこの地での魔法使用等は厳禁であると説明していたのに勝手をした男が悪いのは当然だが、そういった理不尽を防ぐための機関でありながらとんだ失態である。

 しかしこの問題、今後どう足掻いても聖女を外部に頼るしかなくなるのは目に見えていた。これまでも別世界から時折聖女を紹介されていたらしいが、あの手この手で聖女に恋心を抱かせ、権力者たちの妻とし、輪廻転生の輪に組み込んでおきながら悉くその魂を摩耗させているのである。
 聖なる力は本来人が生きる上で必要なエネルギーではない為、持ち主がそれを神樹に捧げても問題はないのだが、魂が摩耗すればその生み出されるエネルギーは縮小していく。器が小さくなってしまうからだ。
 つまり聖女を送り出せばなんとかなる問題ではない。あくまでその場しのぎになってしまう。根本的解決が必要だ。

 店長がそこまで考えた時、あの、と少女の遠慮がちな声がかかった。

「どうしたの? あ、おかわりかしら?」
「あ、その、……さっきの猫って、魔法だったんですよね……」
「ええ、そうね。聖女探索系統だと思うのだけど」
「……その猫の、爪が」
 そこまで少女が言いにくそうに言葉にしたとき、店長はがたりと椅子から立ち上がった。
「まさか傷つけられたの!?」
「ちょっとだけ、引っかかっただけだと思うんですけど、その、なんか変で」
 少女の声は震え始めた。何が起きているのだと店長が駆け寄った時、その手の甲、親指の付け根付近に、クロちゃんが寄り添っていた。
 寄り添うその皮膚に、鎖のような紋様が侵食しているのが見える。

「なんてこと!」

 店長の悲鳴がカフェに響く。その時奥の部屋から微かにくぐもった高笑いが届き、少しして従業員が飛び出してきた。

「店長ッ! あいつ、聖女に呪イかけてヤガる!」
「……ふっざけんじゃないわよ! こんないい子になんてことっ! 赦されることじゃないわ!」

 呪い、の言葉に少女が泣きそうに表情を歪めるが、それ以上に店長の怒りに目を丸めた。本気で自分の為に怒っているらしい店長を見て、冷静さを取り戻したのだ。

「従業員くん、クロちゃん、この子をお願い。あ、あの棚の薬使ってあげて。異世界の魔法の類の影響を抑えるやつ。ちょっとあいつの世界に直接乗り込んでくるわ」
「エ、マジで……まあ、そうか。お願いシマす」
「ごめんね。ちょっと落とし前つけさせてくるわ」

 店長が本当に申し訳なさそうに大きな拳を握ると、少女は小さく首を振る。
「無理は、しないでください」
「えっ」
「店長さんのせいじゃないです。びっくりしたけど、でも、お二人が悪いとは思えません。たぶんこれ……行かなきゃ、だめなんですよね? そしたら呪いはとけますか? ……私、戻れますか?」

 その言葉で、店長も従業員も一時黙り込んだ。言葉に出さずとも、二人の考えは一致している。そして少女を安心させる為に、口を開く。

「店長、頼みマス」
「ええ、出来うる範囲で最善の結果を出してやるわ」
「お願いします……」
 少女は頭を下げる。その頭を、一度「触れてもいいかしら」と断ってから了承を得て店長は優しく撫でた。

「あなたは何も悪くないのよ」



 その後、一つの世界で神をも巻き込む大騒動が起きた。その際一人の少女が聖女としてその世界に足を踏み入れたのだが、約半年後には元の世界に戻ったという。少女の傍らには常に黒い鳥、そして護衛の者たちがおり、少女に悪意がある者たちは近づくこともできず、少女はただ祈りと勉強に半年の時を費やして帰還したようだった。
 この世界は世界神の怒りに触れ、王政は崩壊し、民たちが立ち上がったということだが、それはまた別の話だ。