時計は、夜の九時を指していた。
 そろそろ、亮太が家に帰る時間だ。
 もう少し、一緒に居たい。
 でも、居たくない。
 ごちゃまぜな感情が繰り返される。

 さっきまでのノートの話は終わっていて、今は一緒にゲームをしている。
 マリオカート、最後のコースを回っていた。
「サト、今度、一緒にでかけようよ」
 急に亮太から出た言葉に驚いて、クッパがコースからはみ出し壁にぶつかった。
「……画材店、俺も行ってみたいんだよね」
 画材店か……小さい頃は、一緒によく行っていた。
 僕が好きだったから。亮太はそれに付き合ってくれていた。
「うん、りょうちゃんがいいなら、行こう」
「サト……もう、ちゃん付け、恥ずかしいよ」
 はにかみながら「亮太でいい」と言った。
 
 ゲームは、亮太が一位でゴールした。
 クッパは、何度も壁にぶつかっている。
「サト下手だな」画面を見て笑っている。
 ふらふらとしたクッパのように、自分の頭もくらくらしていた。
 ようやく最後にゴールできた。
 ――亮太。
 そう呼べるのだろうか。
 
 帰る準備をする亮太に話しかける。
「どうして、画材店?」
「……いや、なんとなく。行ってみたいなと思って……その後、スポーツ店行きたいからさ、付き合ってよ」
 不安な顔をしているサトに真面目な顔で亮太が向き合う。
「いや……か?」
「ちが、違う。いやじゃない。ただ」
 ただ、なんかデートみたいだ。
 付き合ってもいないのに。
 男なのに。
 馬鹿みたいな妄想をする。
 
「ただ?」
 今度は、亮太が不安そうな顔をしている。
 そんな顔しないで。
 本当は死ぬほど嬉しい。
 嬉しいのに。
「……雨降らないといいなと思っただけ……」
 つまらない回答をしてしまう。
「そうだな。そろそろ梅雨も終わりって天気予報で言ってたし。雨、降られないといいな」
 そう微笑んで言うと、シャツを鞄にしまった。
 さっき、僕が匂いをかいだシャツ。
 ごめね。りょうちゃん。
 気持ち悪い奴で。
 
 
「サト、亮太って呼んでみてよ」
「え?」
「だって、一緒に出掛けるのに『りょうちゃん』じゃ、俺恥ずかしいよ」
「……」
「ほら」
「あ……うん、また今度言うよ」
「今言って、ほら」
「……」
 
 玄関先で始まったこのやりとりは、亮太のしつこさで十分ほど続いた。
 
「はい、せーの」
「りょ、りょう、た」
「もう1回」
「え? りょうた、亮太」
 最後の方は、もう自棄(やけ)になっいて顔を下に向けて言っていた。
「……暁士(さとし)
 いきなり言われた名前に顔を上げる。
 満面の笑みの亮太が「またな」と言って帰って行った。

 サトは自室に戻り、さっき押し問答していたノートと雑誌を置いてベッドに倒れこんだ。
『暁士』
 そう呼ばれた声と笑顔が頭から離れない。
「亮太……りょうた……」
 枕に顔を埋めて何度も呟く。

 床に開かれたノートが目に留まる。
 さっき、リビングから持ち帰った亮太の絵が描いてあるノート。
 ノートの取り合いになった時の事を思い出す。
 亮太の顔が寄って、吐息がかかって、手がサトの背中や腕に触れた。
 思い出すだけで、身体が熱くなる。
 身体を胎児のように丸めて目を瞑る。
 雑誌の中で微笑むキョウヤの笑顔。
 クラスの女子が、それを見て、キャーキャー騒いでいた。
 グラウンドのフェンス越しに亮太を見つめ、歓声を上げる女子。
 僕は同じことが出来ない。
 ただただ、彼女たちが羨ましい。

 この感情が何かの間違いであればいいのに。
 幼馴染として好き。
 友達として好き。
 であれば、良かったのに。
 僕のこの感情は……欲情してしまうのは……。
 怖い。自分が気持ち悪い。
 触れられた温もりと近くに寄った顔を思い出しては、自責の念にかられながら眠りに落ちた。