画材店で夢中になって絵具や筆を見ていたので、帰る頃にはすっかり暗くなっていた。
家に着いて、玄関を開けると、亮太のスニーカーがあった。
「おかえりなさい。今、亮太くん、お風呂はいっているから。出たらサトも入りなさいよ」
キッチンから、顔だけ出した母が言う。
「お、おう。ただいま」
今日は、亮太の母親が夜勤なのだろう。
こういう時は、サトの家に夕飯を食べにくる。
荷物を自分の部屋に置いて、リビングの扉を開けようとしたら風呂のあるドアから亮太が出てきた。
「サト、おかえり」
濡れた髪をタオルで拭いているだけなのに、その姿に見惚れてしまう。
「た、ただいま」
あまりじっと見ていると変だと思い、視線を逸らす。
「また、画材屋さん行ってたのか? 一番風呂もらっちゃったよ」
そうにっこり笑ってくれる顔も、目がつぶれるくらい眩しい。
「僕もすぐに入るよ」
そう言って、脱衣所に飛び込んだ。
また、挙動不審になっちゃった。
最近は、亮太の顔をまともに見られない。
どきどきが止まらないからだ。
大きく息をつく。
無造作に洗濯機に置かれている亮太のシャツに目が留まった。
そのシャツをもって、顔を埋めた。
――亮太の匂いがする。
香水とか石鹸とかの匂いじゃなくて、男の、亮太の体臭が感じられて妙な気分になってしまった。
無意識に股間に手が伸びてしまい、中心が熱くなってくる。
『あれ、俺、シャツ置いてきちゃったかな』
扉の向こうで、亮太の声が聞こえた。
(――やばい)
咄嗟に、シャツを元の場所に戻して、風呂場に飛び込んだ。
『入るよ』と言って、脱衣所に入ってきた亮太の声をシャワーの圧力でかき消した。
聞こえないフリをする。
風呂の椅子に座って、頭からシャワーを浴びて、目を閉じた。
落ち着け。落ち着け。
僕は、気持ちの悪いやつだ。
でも……。
止められない。
脱衣所に亮太が出ていった気配を背中で感じながら、後ろめたい快楽を発散した。
手に残った罪悪感を洗い流す。
この気持ちも洗えたらいいのに。
一緒に夕飯を食べた後、リビングでテレビを見ていた。
母親はキッチンで片付けをしている。
ソファーには、サトが座り、その横で亮太は床に座ってソファーを背もたれにしてスマホをいじっていた。
ふと、亮太は何かを見つけたのか、テーブル下から見つけたノートを捲っている。
「これ、俺か?」
ノートに描かれている絵をサトに見せて問う。
そこに描かれていたのは、亮太の肖像画だった。
「ち、違う」
ノートを取り返そうとしたが、うまくかわされてしまった。
「違わないだろう。これ、俺だよね?」
「ち、違う。これは……AO1のキョウヤだよ」
テーブルの下に置いてあった、雑誌に載っている写真を見せて言った。
AO1は、人気急上昇中のダンスグループアイドルで、キョウヤは、そのセンターをつとめいてる。
初めて見た時に、亮太に似ていると思って、思わず雑誌を買ってしまった。
「AO1……そういやクラスの女子も騒いでたわ」
雑誌をパラパラめくりながら言う亮太の隙をついて、ノートを奪った。
それを見て、 「ノート見せてよ」と手が伸びてくる。
サトは、ノートを胸に抱えて、背中を向けて逃げた。
ところが、亮太が背中から抱きついてノートを奪おうとする。
あり得ない近さと接触に心臓が早鐘をうつ。
「だめだよ。下手だから」
「サトの絵はうまいよ。俺、サトの絵好きだ」
そんなことを言われて、観念した。
顔をみずに、ノートを亮太に差し出した。
雑誌のキョウヤとノートを交互に見て「似てるかな」と呟く。
「AO1のキョウヤでしょ? 亮太くんに似てるわよね」
サトの母親がキッチンから顔を出して言い、サトも頷いた。
亮太は「そうか……?」と首をかしげながら、ノートを見ている。
ノートを返してもらいたくてしょうがなかった。
そこには、亮太の絵しか描いていない。
それをキョウヤだと言い張るのにも限界がくる。
雑誌をめくり、キョウヤがアップで写っているところを見せた。
「ほら、ここのあごのあたりとか、目の形とか似ているよ」
更に、雑誌をめくり、笑顔の写真を指さす。そう見せている間にノートを奪った。
「あ、あと笑ったこの顔とか。似てるよ。だから僕、キョウヤが好きなんだよ!」
(あ……。好きって言っちゃった……)
顔が熱い。
どさくさに紛れて告白めいたことをしてしまった。
「そうか……」
少し照れたような顔つきになった亮太が呟く。
「そう……だよ」
サトは消え入りそうな声で答えた。
どうしよう、顔が見られない。
「推しなのよね!」
母親が割って入る。
「私もファンなんだ」
そう言って、ハミングしながら、「これ持って行って」とおかずの入ったタッパーを亮太の前に置いた。
