昼休みに何を飲むか。それは午後のモチベーションに大きく影響する。
紙パックの自販機に並ぶのは、コーヒーにココアに野菜ジュース、カフェオレに抹茶オレ……どれにしようか悩む時間も楽しい。小銭を入れて、商品ラインナップに向けた視線を右から左に一往復。
よし、今日は抹茶オレの気分だ。
人差し指がボタンに触れそうになったその時――後ろから伸びてきた手が、カフェオレのボタンを押した。ガタン、という音とともに紙パックが落ちてくる。
「油井先輩、ごちそうさまでーす」
軽薄な声が聞こえ、俺は勢いよく振り返った。
「和泉、またお前かよ。奢ってねえよ!」
俺の後ろに立つ男――和泉は取出口からカフェオレを手に取り、ストローを刺した。
「えー、たまには年上らしく後輩に奢ってくれてもいいじゃん」
「だったらもっと後輩らしくしろ!」
せめて紙パックを取り返そうとしたが、頭上に高く掲げられた。
「ほらほら、もっと背伸びして」
「くそ、お前無駄にデカいんだよ……!」
平均身長よりちょっと低い俺では、一八〇センチ以上あるこいつには届かない。
「油井先輩、抹茶オレより牛乳飲んだ方がいいんじゃない?」
「余計なお世話だ!」
思いきり伸ばした手はひらりと躱されてしまった。和泉の形の良い唇がストローを咥える。
「もう口つけちゃった」
「あー……」
がくりと肩を落とす。さすがにこいつと間接キスなんかしたくない。さよなら、俺の百円。
「和泉、今度はお前が奢れよ」
「うーん、後輩に奢られるのってダサくない?」
「うるさい」
ああ言えばこう言う。本当にムカつく奴だ。
口喧嘩を繰り返す俺たちに、周囲からは「またやってるよ」と言いたげな視線が向けられている。
そう、こんなやりとりは日常茶飯事なのだ。
その名の通り水と油みたいな俺たちが初めて会ったのは、約半年前。あれはまだ校内に桜の花びらが残っている、四月上旬のことだった。昼休みに教室棟の外にある自販機コーナーに向かうと、一人の男子生徒が自販機の隙間に落とした小銭を拾おうと苦戦していた。俺の方が彼より小柄で腕が細かったから、声をかけて代わりに取ってやったのだ。
「ありがとー、救世主じゃん」
「大袈裟だな……今度は気をつけろよ」
改めて彼の顔を見たら、思わず二度見してしまうほどのイケメンだった。奥二重の切れ長の目に、すっと通った鼻筋、薄い唇。色白の肌はきめ細やかで、色素の薄い瞳はまるでガラス玉みたいに綺麗だった。背が高くて手足が長く、スタイルもいい。ただ、少し長めの茶髪は、軽そうと言うかチャラそうと言うか……。
「この自販機、コンビニより全然安くていいよね」
「ああ、うん。そうだな」
「俺カフェオレにしよっかな。きみは?」
「あー……まだ決めてないけど……」
彼の学校指定のネクタイは青とシルバーのストライプだった。青は一年生の学年色だ。俺は上下関係に厳しくはないけれど、初対面の後輩にいきなりタメ口をきかれるのはちょっとだけイラッとくる。礼儀ってものを知らないのかよと思っていると、彼は俺の顔を見つめてきた。
「……なに?」
「あれ……もしかして……」
「な、なんだよ」
じろじろと凝視されて落ち着かない。こんなどこにでもいるような顔を見て何が楽しいんだ。
すると彼は、合点がいったとばかりに頷いた。
「あー、赤のネクタイって三年生だっけ。ごめんごめん、ちっちゃいからタメだと思った」
「……は?」
「まあいっか。先輩、名前なんて言うの? あんま頭良くなさそうだから特進クラスじゃないよね」
「はああああ!?」
……とまあ、こんな感じで、無礼を無礼とも思っていないクソ生意気な後輩、和泉との付き合いがスタートしたのだ。
付き合いといっても、一般クラス三年の俺と特進クラス一年の和泉との関わりはそう多くない。一般クラスは校舎の一階と二階に教室があるが、特進クラスは三階を使用している。勉強に集中できるようにフロアが分かれているのだ。
俺は部活にも委員会にも所属していないし、共通の知り合いもいない。接点なんかないはずなのに、自販機での一件以来、和泉はやけに俺に絡んでくるようになった。相手にしなければいいんだろうけど、言われっぱなしもムカつくのでつい言い返してしまう。そうしてまたからかわれて反論して……という負のループだ。
俺の心が休まる日は、高校卒業するまでは来ないのかもしれない。
十月上旬になると、二学期の中間テストも目前だ。教室内では真面目な生徒のノートを借りるための列ができたり、テスト問題の予想に精を出す奴が現れたりする。受験間近の大事な時期なので、俺もがんばろうと思っている。
放課後、帰り支度を済ませて教室を出た。家ではついサボりたくなってしまうから、図書室で勉強しようと決めたのだ。
渡り廊下を通り過ぎて、特別教室棟の一階の奥にある図書室に足を向ける。廊下の角を曲がったところで目の前に現れた人影に思いきりぶつかった。
「うわっ……す、すみません」
反射的に謝ると、頭上から「あれ、油井先輩だ」と馴れ馴れしい声がした。
「どこ行くの? こっちは図書室しかないけど」
「その図書室に行くんだよ」
俺が図書室に用があったらおかしいのかよ。和泉の横を通り抜けようとするが行き先を塞がれる。
「油井先輩、もしかしてテスト勉強?」
「だったら何だよ」
「俺も図書室で勉強しようかと思ったんだけど、同じこと考えてる奴が多いみたいでさ。席が空いてなかったんだよね」
「ええ……マジか……」
だから和泉は戻って来るところだったのか。なんだか出鼻を挫かれた気分だ。
「そういうわけだから、行こっか」
「え?」
どこに、と尋ねる間もなく、腕を掴まれてぐいっと引っ張られた。
「せっかくだし、どこかで一緒に勉強しようよ」
「はあ!? 何でお前と……」
「一人でやるより二人でやった方が捗るでしょ」
確かにそういうこともあるだろうけど、それは同学年でテスト範囲が被っていたり、教え合ったりできる場合に限ると思う。三年と一年では被るわけがないし、俺には人に教えられるほどの頭脳もない。ましてや相手は和泉だ。
「やだ。お前と一緒に勉強する義理なんてないだろ」
抵抗して腕を自分の方に引き寄せると、案外あっさり解放された。この隙にさっさと逃げよう。
「そっか、残念。油井先輩に勉強教えてもらおうと思ったのに」
「何で俺がそんなことしなきゃいけないんだよ」
「あ、もしかして自信ないとか? 俺の方が頭良いかもしれないから」
「……は?」
聞き捨てならない台詞に、踵を返そうとした足を止める。
「そうだよね、いくら油井先輩が受験生って言っても、所詮は一般クラス……特進には勝てないよね」
「なにお前、喧嘩売ってる?」
「えー、そんなことないよ。ただ、頭が良くない人は大変だなーと思っただけ」
「はあ〜〜〜〜!?」
なんだこいつ、なんなんだこいつ! ちょっと顔が良くて頭も良いからって調子に乗りやがって……!
「分かった、そこまで言うなら勉強見てやる」
「いいの?」
「いい。その代わり真面目にやれよ」
「やった、ありがとー」
さっきまでの人を小馬鹿にした態度はどこへやら、和泉はいつものヘラヘラした笑みを浮かべた。
こいつの挑発に乗せられただけな気もする。でもここまで言われて逃げるわけにはいかない。受験生なめんなよ。
「じゃあ、とりあえず移動しよ。ファミレスでいい?」
「……いいけど、個別会計な」
紙パックの自販機に並ぶのは、コーヒーにココアに野菜ジュース、カフェオレに抹茶オレ……どれにしようか悩む時間も楽しい。小銭を入れて、商品ラインナップに向けた視線を右から左に一往復。
よし、今日は抹茶オレの気分だ。
人差し指がボタンに触れそうになったその時――後ろから伸びてきた手が、カフェオレのボタンを押した。ガタン、という音とともに紙パックが落ちてくる。
「油井先輩、ごちそうさまでーす」
軽薄な声が聞こえ、俺は勢いよく振り返った。
「和泉、またお前かよ。奢ってねえよ!」
俺の後ろに立つ男――和泉は取出口からカフェオレを手に取り、ストローを刺した。
「えー、たまには年上らしく後輩に奢ってくれてもいいじゃん」
「だったらもっと後輩らしくしろ!」
せめて紙パックを取り返そうとしたが、頭上に高く掲げられた。
「ほらほら、もっと背伸びして」
「くそ、お前無駄にデカいんだよ……!」
平均身長よりちょっと低い俺では、一八〇センチ以上あるこいつには届かない。
「油井先輩、抹茶オレより牛乳飲んだ方がいいんじゃない?」
「余計なお世話だ!」
思いきり伸ばした手はひらりと躱されてしまった。和泉の形の良い唇がストローを咥える。
「もう口つけちゃった」
「あー……」
がくりと肩を落とす。さすがにこいつと間接キスなんかしたくない。さよなら、俺の百円。
「和泉、今度はお前が奢れよ」
「うーん、後輩に奢られるのってダサくない?」
「うるさい」
ああ言えばこう言う。本当にムカつく奴だ。
口喧嘩を繰り返す俺たちに、周囲からは「またやってるよ」と言いたげな視線が向けられている。
そう、こんなやりとりは日常茶飯事なのだ。
その名の通り水と油みたいな俺たちが初めて会ったのは、約半年前。あれはまだ校内に桜の花びらが残っている、四月上旬のことだった。昼休みに教室棟の外にある自販機コーナーに向かうと、一人の男子生徒が自販機の隙間に落とした小銭を拾おうと苦戦していた。俺の方が彼より小柄で腕が細かったから、声をかけて代わりに取ってやったのだ。
「ありがとー、救世主じゃん」
「大袈裟だな……今度は気をつけろよ」
改めて彼の顔を見たら、思わず二度見してしまうほどのイケメンだった。奥二重の切れ長の目に、すっと通った鼻筋、薄い唇。色白の肌はきめ細やかで、色素の薄い瞳はまるでガラス玉みたいに綺麗だった。背が高くて手足が長く、スタイルもいい。ただ、少し長めの茶髪は、軽そうと言うかチャラそうと言うか……。
「この自販機、コンビニより全然安くていいよね」
「ああ、うん。そうだな」
「俺カフェオレにしよっかな。きみは?」
「あー……まだ決めてないけど……」
彼の学校指定のネクタイは青とシルバーのストライプだった。青は一年生の学年色だ。俺は上下関係に厳しくはないけれど、初対面の後輩にいきなりタメ口をきかれるのはちょっとだけイラッとくる。礼儀ってものを知らないのかよと思っていると、彼は俺の顔を見つめてきた。
「……なに?」
「あれ……もしかして……」
「な、なんだよ」
じろじろと凝視されて落ち着かない。こんなどこにでもいるような顔を見て何が楽しいんだ。
すると彼は、合点がいったとばかりに頷いた。
「あー、赤のネクタイって三年生だっけ。ごめんごめん、ちっちゃいからタメだと思った」
「……は?」
「まあいっか。先輩、名前なんて言うの? あんま頭良くなさそうだから特進クラスじゃないよね」
「はああああ!?」
……とまあ、こんな感じで、無礼を無礼とも思っていないクソ生意気な後輩、和泉との付き合いがスタートしたのだ。
付き合いといっても、一般クラス三年の俺と特進クラス一年の和泉との関わりはそう多くない。一般クラスは校舎の一階と二階に教室があるが、特進クラスは三階を使用している。勉強に集中できるようにフロアが分かれているのだ。
俺は部活にも委員会にも所属していないし、共通の知り合いもいない。接点なんかないはずなのに、自販機での一件以来、和泉はやけに俺に絡んでくるようになった。相手にしなければいいんだろうけど、言われっぱなしもムカつくのでつい言い返してしまう。そうしてまたからかわれて反論して……という負のループだ。
俺の心が休まる日は、高校卒業するまでは来ないのかもしれない。
十月上旬になると、二学期の中間テストも目前だ。教室内では真面目な生徒のノートを借りるための列ができたり、テスト問題の予想に精を出す奴が現れたりする。受験間近の大事な時期なので、俺もがんばろうと思っている。
放課後、帰り支度を済ませて教室を出た。家ではついサボりたくなってしまうから、図書室で勉強しようと決めたのだ。
渡り廊下を通り過ぎて、特別教室棟の一階の奥にある図書室に足を向ける。廊下の角を曲がったところで目の前に現れた人影に思いきりぶつかった。
「うわっ……す、すみません」
反射的に謝ると、頭上から「あれ、油井先輩だ」と馴れ馴れしい声がした。
「どこ行くの? こっちは図書室しかないけど」
「その図書室に行くんだよ」
俺が図書室に用があったらおかしいのかよ。和泉の横を通り抜けようとするが行き先を塞がれる。
「油井先輩、もしかしてテスト勉強?」
「だったら何だよ」
「俺も図書室で勉強しようかと思ったんだけど、同じこと考えてる奴が多いみたいでさ。席が空いてなかったんだよね」
「ええ……マジか……」
だから和泉は戻って来るところだったのか。なんだか出鼻を挫かれた気分だ。
「そういうわけだから、行こっか」
「え?」
どこに、と尋ねる間もなく、腕を掴まれてぐいっと引っ張られた。
「せっかくだし、どこかで一緒に勉強しようよ」
「はあ!? 何でお前と……」
「一人でやるより二人でやった方が捗るでしょ」
確かにそういうこともあるだろうけど、それは同学年でテスト範囲が被っていたり、教え合ったりできる場合に限ると思う。三年と一年では被るわけがないし、俺には人に教えられるほどの頭脳もない。ましてや相手は和泉だ。
「やだ。お前と一緒に勉強する義理なんてないだろ」
抵抗して腕を自分の方に引き寄せると、案外あっさり解放された。この隙にさっさと逃げよう。
「そっか、残念。油井先輩に勉強教えてもらおうと思ったのに」
「何で俺がそんなことしなきゃいけないんだよ」
「あ、もしかして自信ないとか? 俺の方が頭良いかもしれないから」
「……は?」
聞き捨てならない台詞に、踵を返そうとした足を止める。
「そうだよね、いくら油井先輩が受験生って言っても、所詮は一般クラス……特進には勝てないよね」
「なにお前、喧嘩売ってる?」
「えー、そんなことないよ。ただ、頭が良くない人は大変だなーと思っただけ」
「はあ〜〜〜〜!?」
なんだこいつ、なんなんだこいつ! ちょっと顔が良くて頭も良いからって調子に乗りやがって……!
「分かった、そこまで言うなら勉強見てやる」
「いいの?」
「いい。その代わり真面目にやれよ」
「やった、ありがとー」
さっきまでの人を小馬鹿にした態度はどこへやら、和泉はいつものヘラヘラした笑みを浮かべた。
こいつの挑発に乗せられただけな気もする。でもここまで言われて逃げるわけにはいかない。受験生なめんなよ。
「じゃあ、とりあえず移動しよ。ファミレスでいい?」
「……いいけど、個別会計な」



