今、私はとても緊張している。

授業で当てられるのが怖い。

教室で間違うなんて、いちばん恥ずかしい。

その後に流れる、あの微妙な空気も苦手だ。

あと3人。

手のひらが汗で湿っている。

あと2人。

1人。

(やだ、来ないで…)

「はい、成瀬。この助動詞の意味、答えて」

え。よりによって全然わからない問題。
完了?存続?どっちだよ…。
訳がないから判断できない。
…もう、いいや。

「存続…です」

古文の先生が黙る。

この沈黙がいちばん嫌い。



「これは完了だね」



ああ、また間違えた。

耳の奥まで熱くなる。

ふと窓に映った自分の顔が目に入った。

真っ赤で、まるでゆでダコみたいだ。

——今日も最悪な一日だ。






帰り道。

今日もマルに会えるかな……そう思いながら歩いていると、

チャリン。

鈴の音と一緒に、マルが駆け寄ってきた。



「にゃっ!」



肉球に触れると、ぱちっ、と小さな光のような感触が走る。


「優姫、おかえり!」


「ただいま、マル」


そう言いながら、マルの頭を撫でる。

指に触れる毛の温かさが、少しだけ心をほぐした。

……はあ。
ため息が勝手にこぼれる。

(私って、すぐ考えすぎちゃうし。
 うまくいかないことばかり。
 今日だって、発表で間違えて恥ずかしくて死にそうだった)


「優姫」


名前を呼ぶマルの声は、安心感があった。

「上手くいかない日があるのは、当たり前だにゃ」

私は顔を上げる。

「でもね、優姫。
 “恥ずかしかった”って思えるってことは、
 本気で頑張ったってことでもあるんだよ」

マルはしっぽをゆっくり揺らした。

「それに間違えても大丈夫。誰も聞いてないよ。
人は他人に興味がないんだ。」

胸の奥がきゅっとする。

「優姫はちゃんと向き合ってる。
 本当に何もしてない子は、恥ずかしさすら感じないんだよ。
 感じられるって、強い証拠だにゃ」

私は足元を見つめたまま、小さくつぶやく。

「……強くなんか、ないよ」

「あるにゃ。今日も学校で頑張ったでしょ?
 ほら、今日の優姫の“ひび”、ちゃんと増えてるにゃ」

マルは私の手に頭をすり寄せた。

「優姫。
 今日もお疲れ様。頑張ったね。」

その一言が、胸にあたたかく落ちた。



―――


(間違えても大丈夫、誰もそんなに気にしてない…)

授業のチャイムが鳴る。

いつも通り、ドキドキしながら席に座る。

先生が前を向いて言った。

「では、成瀬。をかしの単語の意味を答えて」

胸が跳ねる。手が少し汗ばんでいる。

合ってるのかな怖いな。でも答えなきゃ、

「趣がある……」

少し震えたけど、前よりはっきり聞こえた声。

古文の先生は軽くうなずいた。


その瞬間、心の中に小さな自信が芽生えた。

失敗しても大丈夫、少しずつ“ひび”を増やしていけばいい。

昨日のマルの言葉が、確かに私を支えてくれていた。





放課後の帰り道。
チャリン、と鈴の音が聞こえた瞬間、胸がじんわり温かくなる。

「マル!」

ぱちっ、と肉球に触れる。

「今日ね……答えられたよ。震えたけど、逃げなかった」

「おお、優姫!それすごいにゃ。昨日の自分に勝ったってことだにゃ」

その一言で、ようやく心がほどけた。

今日は昨日と違う。

私の中に、確かに“ひび”が増えている。



でも、その安堵のすき間から、またいつもの不安が顔を出す。

「マルはさ、嫌なこととか恥ずかしかったことがフラッシュバックしたら、どうしてる?」

ベンチに寝転がっていたマルが、じっとこちらを見つめてくる。

「私ね、よく昔のこと思い出して泣いたり、物に当たったり、
『あの時ああすればよかった』『なんであんなこと言ったんだろう』って後悔しちゃうの」

そう言うと、マルはふわりと私の膝に登ってきた。

「深呼吸してみるにゃ。好きなことに集中したり、外の空気吸ったりすると、心が少し軽くなるよ。
それに、昔のことは気にしすぎなくていいにゃ。過去は変えられないけど、次は同じことをしないようにできる。そうやって人は強くなるんだにゃ。
遠回りでもいい。優姫の人生は優姫のものなんだから、周りの目なんて気にしなくていいにゃ。」

マルは本当にすごい。

私がほしい言葉も、知らなかった考え方も、いつもそっと教えてくれる。

そのたびに、真っ白だった私の心に色がついていく。

まるで、神様みたいだ。



|
|
|
globe thistle
ルリタマアザミ…傷つく心