キーンコーンカーンコーン。

授業が終わり、下校の合図のチャイムが鳴る。

自分が嫌いだ。

小粒な目に、丸みのある鼻、分厚い唇。

教室の窓ガラスに映る顔を見るたび、ため息が出る。

(今日も部活、行かなきゃ…)

机の横にかけているカバンを取って、四階の音楽室へ向かった。








優姫(ゆうき)ちゃん、もっとお腹から声を出してみようか」

「…はい」

私は吹奏楽部でフルートを担当している。

今は、私がいちばん苦手な“返事の練習”の時間だ。

黒板の前に先輩が一列に並び、その向かいに私たち二年生。

もう何度目かわからないくらい、返事をし続けている。

(恥ずかしい。帰りたい。早く終わらないかな…)




「ここ、ひとりずつ吹いてみよう。じゃあ優姫ちゃんから」

「はい。…♪…」

(あ、間違えた)

「うーん、連符が難しいのはわかるけど、前もここ間違えてたよね。練習してる?」

「…すみません」

「ちゃんと練習してね。はい、次の人」

いつもと同じ毎日。

朝起きて、嫌いな学校へ行って、部活で怒られて、帰ったら疲れて寝る。

だけど、今日は少しだけ違った。




「…にゃ」

グレーで短い毛並みの、くりっとした瞳をした猫が、道の真ん中でこちらを見つめていた。

(飼われてる子なのかな。毛並み、きれいだ)

通り過ぎようとした瞬間――

「にゃあ」

足元にすり寄ってきた。

「わ…」

こんなふうに懐かれるのは初めてで、思わずしゃがみ込む。

そっと撫でると、ふわふわの毛が指先に触れた。

(かわいい…肉球って、こんなに柔らかいんだ)

そのとき、

ぱちっ

と静電気のような感触が走った。

「っ…」

目を開けると――



「はじめまして、だにゃ」



声が、聞こえた。

「驚いてる? 僕は人と話せるんだ」

言葉が出ない。

どういうこと…?

「どういうこと?って思ったでしょ。心も読めるんだ!」

(夢…?)

頬をつねると痛い。本当に痛い。



「……君は誰?」



「僕はマル。猫だけど、肉球に触れると人間と話せるんだ!君の名前は?」



「…。成瀬 優姫(なるせ ゆうき)高校二年生、、です。」



「ふむふむ」


マルはお腹をぽりぽりとかきながら、まっすぐ私を見つめる。



「突然だけど、悩んでるよね。わかるよ。優姫の気持ちきかせて?」



マルがしっぽをピンと立てて私を見つめた。


「心読めるなら……読んでよ」


つい、そっけなく言ってしまう。

読めるなら、聞かないでほしい。

言葉にするのがいちばん苦手だ。

ずっと我慢してきたぶん、
口にした瞬間、全部あふれ出ちゃいそうで怖い。

でもマルは、ふわっと目じりを下げて言った。

「僕は所詮、猫だにゃ。
 誰にも広めないし、てか広められないし。
 独り言だと思って言ってみな?
 優姫の声で、ききたいんだ」

……そこまで言われたら、逃げられなかった。

「……私ね、人に自分を見せるのが怖いの」

声が震える。

「そんな自分が嫌で、
 変わりたくて……吹奏楽部に入ったの。
 音楽なら、気持ちを伝えられるかもって」

マルは黙って耳をかたむけている。

「でも、入ってから毎日返事の練習。
 周りは一発OKなのに、
 私は声が震えて……前がにじんで見えなくなるの」

呼吸が浅くなる。

「自分の音を聞かれるのが恥ずかしくて、
 音が出なくなる。
 家では吹けるのに、学校だと周りの目が怖くて……」

ころん、と涙が落ちた。

「ミスして怒られるのも……慣れちゃった。
 でも毎日怒られるのは、やっぱりつらい。
 
 殻の破り方なんて、わかんないよ……
周りにどう思われるか怖い……」

言い終わった瞬間、胸がすごく痛かった。

初めて会った猫に、こんなこと話すなんて。

でも同時に、少しだけ軽くなった。

マルはしばらく黙っていた。

それから、静かに言った。


「優姫。
 君は“変われない”んじゃなくて、
 まだ変わり方を知らないだけだにゃ」

「……」

「殻はね、
 “破る”んじゃなくて、
 じわ〜っと、ひびが入っていくんだよ」

「君は 家では吹ける にゃ。
 それって、ちゃんと力があるってこと。
 『できない』んじゃなくて、
 まだ力を出す場所に慣れてないだけにゃ」

「でも……周りの目が怖いよ……」

「周りの目より大事なのは、
 自分が今日、昨日よりできたかどうかだにゃ」

そう言うマルの声は、心地よくて安心した。

「返事の声が昨日より少し出た?
 ミスが1回減った?
 怒られなかった?
 それで十分。
 それか"ひび"なんだにゃ」

私は涙を拭いた。

「優姫。
 話すの苦手なのに僕に言ってくれてありがとう。」

胸の奥が、じんわりあったかくなる。

「……ありがと、マル」

マルは得意げにしっぽを立てた。

「礼は小魚でいいにゃ」

自然と笑いがこぼれた。







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