「ネコを飼いましょう」
その一言から、全ては始まった。
◇
とある住宅街から外れた一軒家に、三人の女性が集まり、かれこれ半年の間シェアハウスしている。
メンバーは、
①比嘉 まさ美(30歳)
仕事:調剤薬局の事務
やってみたいこと:探し中
②華原 モエナ(23歳)
仕事:美容学校の専門学生
やっていること:美容オタク
③五十嵐 朋子(45歳)
仕事:医薬品メーカーの営業
やらなければならないこと:猫を吸う
の三人だ。
たまたま休日が一緒になった今日(こんじつ)。
最年長の朋子から、大々的な提案がなされた。
「ネコを飼いましょう」
現在、朝の九時。
各々が気怠い体を起こし、部屋から這い出た時間。
自身の提案に必ず許可をもらうべく、あまり脳が覚醒しきっていないこの瞬間を、わざわざ朋子は狙った。
しかし二人のシェアハウスメンバーの攻落は、一筋縄ではいかない。
「ネコを飼いたいって、本気なんですか?」
薬局事務員・黒髪ボブのまさ美は、全員分のトーストを焼く準備をしながら眉間にシワを寄せる。
「一番家にいない人がソレ言っちゃうって、ヤバ」
学生・茶髪ロングのモエナはあざ笑うように、片方の口角を上げる。彼女が手にしているのはスマホ。いつか朋子が「スマホの見過ぎよ」と注意したが「ニュース見てるんで」と一蹴された。もちろん、モエナのウソである。
騙されたことを根に持っている朋子は「話を聞く時間!」と、モエナのスマホを容赦なくスリープする。
「あー、ちょっとー。今日の美容トレンドを検索してたのに」
「美容は一日にしてならず。急に降って湧いたトレンドが、女性を美しくすると思ってるの?」
「ソレ、朋さんにブーメランじゃなーい?」
「ゔ……」
黒髪ショート・朋子は医薬品メーカーで働く営業部。医薬品と言えば、病院や薬局に薬を売る事で有名だが、朋子の会社は美容にも精通している。美容液から始まりサプリに至るまで、幅広い品ぞろえを誇っている。
そんな朋子の会社の商品を使い、効果の程を宣伝しているのがモエナだ。モエナはいわゆる「契約」をしていて、朋子の会社の新商品を試しては感想を述べる動画を、定期的にアップしている。
「この前の新商品も悪くなかったけどさぁ『三日間で変わる!』はさすがに誇大広告だよ。モエナが実感したのは、四日目の朝かな」
「それは三日間の範疇じゃないの?」
「え~じゃあ朋さん、三日目の夜にデートが入ってる子の美容はどうでもいいの~?その日のために気合いを入れる子が、少しでも時短でキレイになろうとする気持ちを無下にするんだ~?」
「ぐぅ……」
ザ・正論。
新商品・nyai(ニャイ)を「三日間で変わる!」のキャッチコピーにした理由は「急いでキレイになりたい女の人へ」とターゲットを絞った上での事だ。本末転倒な発言をしてしまい、朋子は唸りながら自戒する。
「一応確認なんだけど、四日目で効果が出たとか、動画の中で……」
「言うわけないじゃん。それに、まだアップしてないし」
「良かった。急いで改良するから、そのままアップしないでちょうだい」
スマホのロックを解除しながら「っていうか朋さんも動画確認したじゃん」と三日前のことを言われ、朋子は急いで記憶を呼び起こす。
「それにしても、なんでネコを飼うんですか?だって朋子さん、休みの日はいつもネコカフェに行ってるじゃないですか」
「そんで、すっからかんで帰ってくるんだよねー」
まさ美とモエナの発言後、トーストが焼きあがる音が室内に響く。すると、ひんやり秋めく温度を中和するように、トーストの湯気が空間に充満した。
香ばしく、それでいて甘い匂い。
力の入った頭が弛緩していく感覚。
心地いい空間に、朋子は思わずほっこりした。だが、熱々のトーストに触れた瞬間――目が覚め、現実にもどる。
「だから、それよ。それ」
机上にバターが出ていないことに気付き、冷蔵庫に向かいながら朋子は反論する。
「お金がね、いくらあっても足りないのよ。そして時間もない」
長方形のバターをポンとテーブルに置いた後。ケトルの湯が沸いたので、慣れた手つきで傾ける。コップの底には、これから気合をいれるためにコーヒーの粉末をしたためた。
途中、コップの水面がハネ、黒い点がキッチン台を汚す。ちょうど通りがかったまさ美が、黒いシミを見て固まった。まさ美の「とある性格」を知っている朋子は息を呑む。
「あーあ。汚れた瞬間を、一番見られたくない人に見られちゃった」
「いいから早く拭いてください。落ちなくなります」
「心の汚れは、昨日の晩酌で綺麗さっぱり落ちたわよ?」
「そういうのいいから、チャキチャキ手を動かしてください」
「ちぇ〜」
キレイに拭き終えたのを見届け、まさ美は何事もなかったように席へ戻る。その背中に、朋子のため息がぶつかる。
「そのキレイ好き、なんとかならないの?」
「性分なので」
「キレイ好きなのに、よくシェアハウスに住もうと思ったわね……」
「どうかーん」
二人の攻撃も意に介さないまさ美は、「そんな事より」と、右手でバターナイフを握る。
「ネコちゃんの話はどうなったんですか?」
「あぁ、そうそう。だから、ネコちゃんに会いに行くためのお金と時間を時短すべく、いっそ家にお招きしようって話よ」
朋子が言い終わると、「あ~」と二人。
理由は分かった。だけど賛同しかねる――という声色だ。



