蒼天のグリモワール 〜最強のプリンセス・エリン〜

 炎が揺れている。
 篝火(かがりび)の光だ。
 広大な空間のあちこちで篝火が焚かれ、それが起こす灯りが居並ぶ大勢の人たちの影を、むき出しの岩壁に写し出す。
 その様は、まるで悪魔が踊ってでもいるかのようだ。

 ここは天空に浮かぶ伝説の王国・イーシュファルトの地下にある王家の墓所(シミテリオム)だ。

 ここには代々国を支えてきた、王家とそれに連なる高位貴族たちが眠っている。
 その数、ざっと千人。
 建国千二百年のイーシュファルト王国の歴史を紡いできた人たちだ。

 石棺は岩盤に掘られた穴に奥から順々に並べられている。
 元々充分な広さのある空間だったそうだが、手狭になると拡張され、今では入り口から最奥部まで行くのに歩きで十分もかかる有り様だ。

 この、直径十キロもある浮遊大陸を天高く浮かせているのも、その大岩盤に巨大な空間を穿(うが)ったのも、全てはたった一人の悪魔によるものだ。
 偉大なる始祖・シルヴェリオ=イーシュファルトが契約した悪魔、その名も、悪魔王ヴァル=アール。

 今そのヴァル=アールはというと、墓所中央に設置された高さ十メートルの巨大モニュメントの上でだらしなく寝転がって、あくびをしている。
 あぁもう、アルったら! 

 ヴァル=アールは、背中に真っ白な羽根を生やした二足歩行する白猫の姿をしている。
 身長約五十センチ。
 なんとも可愛らしい姿で、とてもじゃないが悪魔たちを束ねる王になど見えない。
 だが、そのファニーな姿とは裏腹に、この白猫がいなければこの国を維持できないと思うととても恐ろしくもなる。

 ちなみにその姿は、父王テオドールやわたし――エリン=イーシュファルトなど、極々わずかな、資格を持つ者にしか見えない。
 見えたら大変よ、こんな白猫。

 空間にざわめきが混ざる。
 どうやら、現国王テオドールによる祈りの言葉が終わったようだ。

 ポロロン。ポロロロン……。

 竪琴(チターラ)が物悲しいメロディを奏でだす。
 ここから鎮魂の曲が捧げられる。 
 そろそろ準備をしなきゃ。

「そろそろですな、姫。準備はよろしいか?」

 わたしの隣に立っていた、アゴひげと口ひげを蓄えた身なりの良い五十代くらいの男性が、わたしに向かって優しく微笑んだ。
 男性の着た儀式用の白いトーガが揺れる。 
 
「ひょっとして緊張しておられるのですかな? 姫」
「そりゃあね、ゼール先生。儀式がわたしの担当になってこれで六回目だけど、こればっかりは慣れないわ。ここには千人もの王侯貴族の魂が眠っている。それらが一斉に起きるのよ? ううん、それだけじゃなくって、彼らは自分の棺に座って、儀式を見物しながらペチャクチャ近所の人とくっちゃべってるの。頭がおかしくなりそうだわ」
「ふむ。残念ながら私には見えませんで。三百人の儀式関係者と死者千人。都合千三百人のギャラリーですか。……そりゃ大変ですなぁ」

 ゼールが左手でアゴひげを撫でながら軽く笑った。

「ちょっと先生、笑いごとじゃないのよ? 最悪なのは代々の舞姫よ。あの人たち、奉納台のところにかぶりついて品評していくんだから。しかも踊ってる最中によ? 背筋をピンと伸ばせだの足をもっと高く上げろだの、うるさくってしょうがないわ!」
「はっはっはっはっは! そりゃすごい。いやいや、代わって差し上げたいところですが、それを見られるのは悪魔王ヴァル=アールの承認を得た者のみですからなぁ」

 この男・ゼール=フランシア伯爵はこう見えてとても偉く、魔法大臣をしている。
 王立高等学校の学長も兼任しており、初等部からお世話になっているわたしにとっては、頭の上がらない存在の一人だ。
 もっとも、わたしには早々にアルが選任で就いたから、ゼールから直接何かを教わったという記憶はないけれど。

 本来であれば、ゼールは王と一緒にモニュメント前で祈りを捧げているところなのだが、鎮魂の舞に関する部分は魔法大臣の担当なので、今代の舞姫たるわたしと一緒にちょっと離れたところで待機中というわけだ。

「エリン姫!」

 次いで近寄ってきたのは、わたしとそう変わらない年齢の少年と、丸々と肥えた四十絡みの男だ。

 アッシュベージュのクリっとヘアに涼やかな目をした少年が、緊張の目でわたしを見る。
 わたしの遠戚にあたるだけあって、容姿が整っている。
 名は、クロード=フランシア。
 フランシア伯爵家――つまりはゼール魔法大臣の息子だ。

 伯爵家では三人兄弟の一番上で、同年齢ということもあり、わたしにとっては王立学校での同期になる。
 家柄も容姿も抜群で、学校ではすこぶるモテる。
 わたしはまるで興味ないけど。
 そういえば、わたしの婚約者候補のどっかにいたような気もするなぁ。……どうでもいいけどさ。

 クロードは今回のような儀式があると、父親の補佐として駆り出されることが多い。
 いずれはその地位を継ぐことだし、その前に経験を積ませるということなのだろう。

 その彼が、篝火に照らされてキラキラと輝く、銀色の長杖(ロッド)を持って、いくぶん緊張した面持ちで立っている。

 そして一緒にきた太った男。
 こちらは儀式参加者と違って普通の格好だ。トーガも着ていない。
 代わりに紙の束を持ってニコニコしている。

「何しにきたのよ、ディーブルス」
「おぉ、姫さま、なんと冷たい。私は宮廷画家ですよ? 姫さまの舞われる姿を描きにきたに決まってるじゃないですか!」
「エッチに描いたら承知しないからね!」
「それは保証しかねますな。ただでさえお美しい姫さまがそんなあられもない格好をしておられるのですから。そりゃもう、私の芸術的センスが刺激されまくりなわけで。ほっほっほ」

 ディーブルスは宮廷画家に指名されるだけあって、とても才能がある。
 なにせ、あらゆる方向に才を発揮するわたしの絵画の先生を勤めるレベルなのだから、その腕は推して知るべしだろう。
 性格に難ありだけど。
 
 とそこで、儀式の様子を見ていたクロードが振り返った。

「姫、そろそろのようですよ?」
「あぁ、ではローブはわたしが」

 手を差し出してきたゼールに羽織っていたローブを渡す。
 儀式用のドレス姿になったわたしは、サンダルも脱いで裸足になった。
 手首足首につけた鈴がチリンと鳴る。

 この衣装のときは、下着は一切身につけない。
 よりにもよって、真っ白なシースルードレスなので、光の当たり具合によっては中身が丸見えだ。

 舞台からギャラリーまで距離があるし、儀式だからいいけど、なんでこんな衣装なんだろ。
 儀式発足以来、舞姫はこの格好を義務づけられているそうだけど、乙女の純情を何だと思っているのか。

 間近で見るのはさすがに(はば)られるのか、目をそらしながらクロードが長杖を差し出してくる。
 
「ありがと、クロード。ディーブルスはそっち向いていなさい」
「はいはい」

 ディーブルスにあかんべえをしながら、クロードから杖を受け取ったわたしは、その感触を確かめた。

 二メートルもの長さがある長杖だが、これは始祖シルヴェリオが実際に使っていた杖だ。
 今では儀式にしか使用されないが、『原初の杖(ピリーモムスタッファ)』という字名(あざな)を持つ、実戦用の杖だ。

 なんと、術者の思考を読み取って術を発動してくれる優れものなので、呪文詠唱がいらないわ、魔法の射出速度が速いわと、とんでもなく高性能な杖である。
 それでいてとても軽い。
 これを越える性能を持つ杖は、そうないと言っていいだろう。
 舞姫はこれを持って踊るのだ。

 音楽が止む。
 ゼールがわたしに向かってうなずいた。
 出番だ。
 
「じゃ、行ってきます」

 ゼール・クロード親子に挨拶をしたわたしは、モニュメント前に設置された奉納台に上がった。
 ギャラリーの視線が集中する。
 歴代の舞姫の幽霊たちが奉納台の周囲に集合している。

 さて、今年は先輩がたに何を言われるかしら。去年よりも更に仕上がってるとは思うけど。

 チリン。

 竪琴の音に合わせ、わたしは軽くジャンプした――。