蒼天のグリモワール 〜最強のプリンセス・エリン〜

 話の行き先が面白くない方向にいくと思ったのか、クィンの表情がみるみる曇っていく。
 バッチリ切りそろえた細眉が見事に吊り上がっている。

「余計なお世話だよ。あたしはこの姿を気に入ってるんだ。それ以上の意味はない」
「そうかしら。その容姿、わたしにはあなたなりの贖罪(しょくざい)の気持ちの(あらわ)れのように見えるのよね」
「贖罪? あたしが? 何に?」
「さっきあなた、黒スーツの人たちを守ったでしょ? アルは人間を助けないのよ、取るに足りない存在だと思っているから。人間がいちいち足元を移動する蟻に気をつけないのと同じ。でもあなたは違った。人間を助けた。悪魔にあるまじき行為だわ。そこから推察される結論は一つ。あなたは人間を下に見ていない」

 わたしの視線とクィンの視線が交差する。
 クィンは否定しない。それが答えだ。

「あなたは人間が好きなんだわ。あるいはそれは、人間が動物を愛でるのと同じ意味合いかもしれないけれど。そして、自分の能力が意図せず人を不幸に陥れてしまうから、それを恐れて距離を取ってきた」

 わたしが語るひと言ひと言を聞き逃すまいと、クィンが目を細める。
 わたしは続けた。

「ところが古物商のロジエさんによって発見され、遠くこんなところにまで来てしまった。不運の連鎖はあなた自身にも止められない。だからあなたはニヒルに笑いながらも、内心これから起こることに恐怖し、悲しんでいる。わたしにしつこくギブアップを勧めるのもそう。人間を傷つけたくないから。……違う?」

 わたしの推理にクィンが眉を吊りあげる。
 図星だったかしら。

「……知ったような口をたたくじゃないか、お姫さん。あんたがあたしの何を知ってるっていうんだ。お妃さま候補だか知らないが、人間ごときが悪魔をなめるんじゃないよ!!!!」
「ちょ、落ち着け、クィン!」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ。

 クィンは顔を真っ赤にして怒りだすと、急激に巨大化しだした。
 いくら幻影空間だからって、あまりに大きくなられるのも困る。

 白猫アル――悪魔王ヴァル=アールの言葉にも耳を貸すことなく、クィンはどんどん巨大化していく。
 そんな中、わたしは紅茶を口に運びながらきわめて冷静に言った。

「あ、ティーカップが割れちゃう」
「おっといけないいけない」

 途端に冷静になったクィンが、急激に人間の大きさに戻った。
 あくまでここは幻影空間で、ここにあるものは全て幻影にすぎない。
 にも関わらず、そこにあるものを壊すまいとするのだ、この太った悪魔は。
 それを善性と呼ばずしてなんと呼ぼう。悪魔のくせに。
 だが、わたしはその隙を見逃さなかった。

「アル!!」
「んぁ? なんだ?」

 とりあえずの衝突の危機は去ったと思ったか、アルがため息をつきつつテーブルに寝そべった。
 そんなときに急に呼ばれたのだ。アルがボヤっとした顔で振り返る。

「白のペルソナ!! 発動!!」
「……はぁぁぁぁああ!? 聞いてないぞ!!」
「な、なんだい? この光は!!」

 光の発生源はわたしだ。心の光が世界を飲み込む。
 いきなりわたしの術に巻き込まれたアルは慌てたが、成す術もなくまばゆい光に溶けた。
 白のペルソナはわたしが(しゅ)で、アルを融合する術だ。アルに拒否権はない。そういう契約だ。
 光の中、わたしはクィンに向かって両手を突き出した。
 だが。

 バシィィィィン!!
「これは!!」
「弾かれた!?」
 
 光に包まれながら伸ばしたわたしの手は、だが、クィンの胸まで到達することなく直前で止められていた。
 届いていない!
 意図を悟ったクィンがニヤリと笑う。

「こけおどしの光で気を反らしつつ、何かの術でも使おうとしたのかい? あいにくだったね。王さまレベルの上位悪魔ならともかく、あんたみたいな人間ごときにゃ無理だよ」
「ありがと、いいことを教えてくれて。上位悪魔からのアプローチね。ならそうさせてもらうわ」

 光が薄れていく。 
 と同時に、わたしの身体が変化していく。

 着ていた黒のゴスロリ服が光に溶け、代わりに真っ白な毛皮が全身を覆う。
 身体にピッタリと貼り付く白い毛皮は、だが局所局所を申し訳程度にしか覆っていない。

 わたしにはどうも、『年がら年中、黒のゴスロリ服を着ているつるぺた娘』というイメージがあるようだが、実はそんなことはない。
 こう見えて、脱ぐと結構いいスタイルだったりする。
 
 身長はいまいちだが、出るとこ出て引っ込むとこ引っ込んだ、結構なわがままボディなのだ。
 それが身体の線が丸わかりの衣装になってるのよ? 危険なほどセクシーでしょ。

 そして顔の上半分を覆う白猫の面。
 穴から覗く切れ長の目。通った鼻筋。ぷるんぷるんの唇。
 元々が超絶美少女だからほら、変身後も当然美しいでしょ?

 クィンがアタシの手を必死に止めるも、爪先はすでに胸の中に入っている。
 どれだけ力を発揮しようとアタシの手は止められニャい。だって、今のアタシの力は悪魔王ヴァル=アールの(きさき)としての力。つまりはアルと同等ニャ。格下であるオマエに止められるモノじゃないニャ!
 
 ゴガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!
 クィンの身体から凄まじい数の黒い雷が飛び出し、幻影空間(ファンタズマゴリア)を容赦なく破壊する。
 悪魔という自然現象を無理矢理変えようとしていることに対する抵抗だ。

「エリン、おまえ、自分が何をやっているのか分かっているのか!?」

 前代未聞の事態に、マスクに変化した白猫アルの口調が驚きの色を帯びる。
 クィンもまた恐怖の表情で叫ぶ。

「悪魔の内面に干渉するだって? そんなの聞いたことない! そんなことできるわけがない! あたしは! あたしは今、何をされようとしているんだ!!」

 しっかり掴んでいるにも関わらず、その進みを止められず胸の中にずんずん潜り込んでいくわたしの手を見ながら、クィンが絶叫する。

「ニャニャニャニャニャニャニャニャ!!」

 アタシはそんな悪魔二人の激しい動揺をまるで無視し、手首までしっかりクィンの体内に埋まった手を激しく動かしていた。
 これをこうして……。こっちを……こうか?

 ドドドッドドドッドドドドドドォォォォォォォン! ドドッドォォッォォン!!
 クィンから飛び出す黒い雷は激しさをいや増し、幻影空間中を飛び回っている。
 そりゃもう、空間が破壊されるんじゃないかってくらいの勢いだ。
 だがそんなもの無視無視。アタシは手を止めない。

 クィンのしたかったこと。なりたかったもの。悪魔ってのがなんなのか分かんないけど、そうあるべく生まれ、決められた通りにしか動けないなんて、そんなの馬鹿げている。
 アタシはクィンの中で膝を抱えて座っている小さなクィン――泣き虫で可愛い幼子(おさなご)に手を伸ばした。
 見た目五歳くらいの金髪の少女が、暗闇の中で泣きながらアタシを見る。

『あたし、本当は誰も傷つけたくないの。こんな能力いらないの』
『分かっているニャ。来るニャ、本当のアンタ。本来アンタは自由なんだニャ。そう生まれついたからってそれに従う必要なんてないんニャ!』

「やめてくれ、お姫さん! あたしがあたしでなくなっちまう!!」
「エリン! それは許されない行為だ! そんなこと悪魔には! 人間にだってできないはずなんだ! キミは何をしようとしているんだ、エリン!!」
「あ、あぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!」

 たった一分。
 いつものゴスロリ服に戻ったわたしは、白猫アルと白いドレス姿の幼女の前で地面に突っ伏し、荒い息をついていた。
 そう。二百キロはありそうだった巨漢のクィンは、今、幼女へとその姿を変えていた。
 こちらも疲れきったのか、アルと幼女もペタンと地面に座り込んでいる。

「これが……あたし?」

 悪魔クィンの中で見た金髪の幼女が、地面にペタンと座り込んだまま自分の小さな手のひらを呆然と見つめている。 
 白猫姿に戻ったアルが、呆れ顔でわたしの前に立った。

「エリン……。キミは自分が何をしたのか分かっているのか?」
「分かっているわよ。クィンの不運をイーブンにまで戻し、統制可能(コントローラブル)に作り替えた。これでクィンは幸不幸を自在に操れるようになった。もう不幸を撒き散らすだけの貧乏神じゃない」

 アルが深いため息をつく。

「ボクら悪魔は、そうあるべくして生まれついた。太陽が太陽であるように。月が月であるように。ボクらはそういうものとして生きる。それがあるべき姿なんだ。なのに……」
「それでやりたくもない自分を演じるの? わたしはそんなのごめんだわ。いずれ悪魔になるのが避けられない運命だったとしても、わたしはわたしとして生きる」  

 疲れ果てて座り込んでいたわたしは、アルの顔を見て微笑んだ。 
 ガッシャァァァァァァァァァアン!!
 ボロボロだった世界が、音を立てて砕け散った。

 ちょうどここで、幻影空間はその構成維持時間を終えたのであった。