蒼天のグリモワール 〜最強のプリンセス・エリン〜

「いい天気だこと……」

 暖かい日差しを浴びながら、わたしは目の前の光景をボケーっと見つめていた。

 わたしの目の前――。
 ブルーメンタール城の騎士宿舎は、今まさに戦場と化していた。
 といって、血みどろの戦いをしているわけではない。
 大掃除だ。

 なんと人狼ハーゲンの指揮の下、箒やぞうきん片手にコボルトたちが(せわ)しなく動き回っているのだ。
 立つ鳥跡を濁さずとは言うものの、よもやハーゲンたちが撤収前に後片付けを始めるとは思わなかった。
 なんともまぁ律儀なこと。

 わたしはその様子を、宿舎の中庭に置かれたガーデンチェアに座ってぼんやりと眺めていたのだった。
 疲れているのか、白猫のアル――悪魔王ヴァル=アールは引っ込んだまま出てこない。

 ここブルーメンタール城は、流行り病で亡くなられた奥方と一人息子と共に、死後、誰にも邪魔されることなく眠り続けられるようにと、故ブルーメンタール伯爵の遺志によって異空間に封じられた墓標(ぼひょう)だ。

 魔女ユリアーナによって安眠が(おびや)かされたものの、わたしの封印魔法により今再び安らかな眠りを得ようとしている。

 その前にと、わたしもひとしきり敷地内をチェックをしてみたが、城は思っていたほど荒らされてはいなかった。

 むしろ、わたしと魔女の戦闘によって城内設備のいくつかが破壊されてしまった感があるが、奪われた城の奪還を目的としたものなので、そこは目をつぶってもらうとしよう。

 そうして半日かけて掃除を終えたハーゲンの部下のコボルトたちは、次々と城を後にした。 残るは、わたしとハーゲンのみだ。
 わたしが去ると同時に再封印をかける。

 白いボロボロのランニングとベージュのズボンを履いたライオンヘアの大男が、わたしの目の前で、自分の馬に淡々と荷物をくくりつけている。

 見た感じ、どうにも荷物が少ない。
 ハーゲンたちは半年以上この城に滞在していたはずだが、その荷物はわずかばかりの着替えと携行食器類。それと寝袋くらいだ。
 これでは、旅をしているわたしとさして変わらない。

 そこでわたしは、コボルトたちもいなくなったことだしと、ずっと思っていた疑問をハーゲンにぶつけてみることにした。
 
「ねぇハーゲン。アンタたち、なんで付属の騎士用宿舎なんかに住んでいたの? 母屋側に立派な部屋がいくつもあるでしょうに」
「あ? 何言ってんだ。あっちは姫さんみたいなお貴族さまが住むところだ。雇われの身としては、いいとこ騎士宿舎だろ」
「部屋がいくらでも空いているのに?」

 最後に家族写真の入った写真立てを大事そうにバッグにしまったハーゲンが振り返る。

「さ、いいぜ。施錠(せじょう)してくんな」

 なんともさっぱりしたものだ。
 性格的なものなのか、この城への感慨(かんがい)などが全く感じられない。

「まぁ焦ることないわ。ね、最後だし、お茶()れたから飲まない?」
「お? ……あぁ、そう……だな。悪いな、お姫さん。じゃ、遠慮なくご馳走(ちそう)になるぜ」

 ハーゲンは両手につけていた汚れた皮手袋をポイっと芝生に投げ捨てると、鋳物(いもの)のガーデンチェアに腰をかけた。
 熱さを全く感じさせぬ手つきでテーブルに置かれたティーカップを手に取ったハーゲンは、目をつぶってそっと匂いを嗅いだ。

「いい香りだ。こいつはタラン茶だな。うん、いい趣味してるぜ」
「さすが人狼。鼻がいいわね。……ね、ハーゲン。あんた、これからどうするの?」

 ハーゲンの手が止まる。
 その顔に、若干戸惑いの表情が浮かんでいる。

「どうするったって、コボルトどもには『生活が落ち着き次第呼び戻す』って約束しちまったし、田舎への仕送りもあるからな。本当は色々考えたいところだが、貧乏暇なしでな。とりあえず外海行きの漁船にでも乗せてもらって、当座の資金を稼ぐさ」
「ふぅん。しばらく経ってコボルトたちと合流したとして、それで? まとめて雇ってもらうって難しくない? 傭兵団でもやるの?」

 図星だったようで、ハーゲンがため息をつく。
 部下たちの前では弱音を吐けなかったようだけど、こーりゃ本当に悩んでいるわね。

「それなんだよ。本当は商売かなんかしたいところなんだが、先立つものないからなぁ」
「商売ねぇ。漁船で当座の資金を稼いで、それを元手に傭兵団でも結成して? 更に資金を稼いで? それで商売を始めるのはいつ?」
「わっかんねぇよ! オレだって頭抱えてるんだよ! そんなにポンポン責めるなって!」
「責めちゃいないわよ。落ち着きなさいな」

 混乱して叫ぶハーゲンをよそに、わたしは懐から一枚紙を取り出すと、サラサラっと数字を書き込んでハーゲンの前に置いた。
 紙を見たハーゲンの顔が、みるみる怒りの表情に変わっていく。

「一億リールの小切手だとぉ? 何のつもりだ、姫さん! 言っておくが、オレはお(もら)いじゃねぇ。いくら姫さんだって、返答次第じゃ許さねぇぞ!」
「馬鹿ねぇ、ハーゲン。一億リールよ? 条件もなしに、ただであげるわけがないじゃない。……あんたに投資しようって言ってんのよ、ハーゲン」
「投資……だと?」

 予想もしなかった返しに、ハーゲンの動きが止まる。
 まさに鳩が豆鉄砲。その表情、なかなかいいわね。

「あんた面白いわ。ここで埋もれさせるにはもったいない。投資してあげるから、まずはこの金を好きに使って事業を起こしなさい。何をやってもいいわ。指示も一切しない。返済期限も設けない。どう?」
「俺がこの金を持ってゆくえをくらましたらどうするんだよ」
「あんたはそんなことしないわよ。仮にそうなったなら、わたしの見る目がなかったってだけ」
「……意味が分からねぇよ。そんなことをして、姫さんに何の得がある?」

 頭が追っつかないらしい。
 混乱の極みに到達したか、ライオンヘアを両手でガシャガシャと掻いている。
 わたしは笑って答えた。

「あんたに貸しを作れる」
「ますます分からねぇ。そりゃまぁありがたい申し出だし感謝もするが、そんなものに何の価値がある?」
「強いて言うなら魔法使いとしての勘ね。ささやくのよ、今ここであんたに貸しを作っておけば、それがいずれ巡り巡ってわたしを助けることになるって」
「最強の魔法使いとしての勘か? 姫さんレベルになるとそういうのもあるのか?」

 わたしはハーゲンの目を真っ直ぐに見た。
 本気だと悟ってくれたようで、ハーゲンが腕組みをして本格的に考え始める。

「それだけありゃ何だってできるな。……よぉし姫さん、乗ったぜ! あんたはオーナーだ。あんたが満足する結果を出してやるぜ!!」

 ハーゲンはいきなり立ち上がると、わたしの前で片膝をつき、(こうべ)を垂れた。

「何の真似?」
「俺は騎士じゃねぇから作法なんて分からねぇ。だが、恩義に報いようという気持ちは人並みに持っている。だから俺は、今日この日より姫さんに忠誠を誓おう。あんたが俺の(あるじ)だ。俺の心の剣を受け取ってくれ!」
「心の剣ねぇ……。まぁいいわ。分かった。その剣、受け取りましょう。あんたが飽きるまででいいわ。気の済むようになさい」
「応よ!!」

 こうしてわたし・エリン=イーシュファルトと、人狼ハーゲンとの間に奇妙な(きずな)が結ばれたのであった。
 この繋がりが今後どう生きてくるのか、それはまだ誰も知らない。