蒼天のグリモワール 〜最強のプリンセス・エリン〜

 港町ターミアから船で三時間。 
 エルデ海に浮かぶ常春の町・ガム島は、温泉と海の幸で有名な大人気の観光スポットだ。

 イスラ火山から湧き出た温泉が地下を通って噴き出しているお陰で、町の至るところで白い煙が立ち昇っている。

 泉質は高濃度炭酸泉。
 美肌や老化防止の効果も期待できるため、特に女性客からの人気が高い。
 しかも、島の周囲の温暖な海からは美味しい海の幸が獲れるとあっては、観光客がこないわけがない。

 とはいえ、船は同じく観光の街として有名なターミアから出る路線しかない。
 普通ならターミアでの遊びに満足した観光客が、更に船で海を渡ってまでガム島までくる余地はない。

 だが、観光客の奪い合いが起きるかと思いきや、そこはしっかりと住み分けができていた。
 すなわち、若年層(じゃくねんそう)に人気のターミアと、夫婦・家族連れ、年長層(ねんちょうそう)に人気のガム島だ。

 ターミアは昼は海水浴、夜はナイトクラブやバーなど、深夜まで営業している派手な繁華街を用意し、完全に若者をターゲットとした。
 対してガム島は、温泉を前面に出し、あとはスマートボールや射的などのちょっとしたレトロ街を設置した。

 ガムのコンセプト『喧騒(けんそう)を忘れ、ひたすら温泉を楽しむ』は大当たりした。
 お陰で、ターミアとガム島は観光客を奪い合うことなくウィンウィンの関係を保っていたのである。
 お湯が出なくなるつい半年前までは――。

「はっはー。見る影もないわね」

 ガム島に降り立ったわたしは、ミーティアの鞍上(あんじょう)から町の様子を見て、その惨状(さんじょう)に肩をすくめた。
 そろって芦毛(あしげ)の馬に乗ったマリア・ドリトスのピナルディ親子も、周囲をさりげなく観察しながらついてくる。
 
 異変にはすぐに気がついた。
 なにせ、町のあちこちから上がっているはずの湯煙がまったく見えないのだから。
 側溝を走っているのは、見るからにただの水だ。

 温泉が枯れたというからには当たり前のことなのだが、お陰で街のあちこちにあった温泉宿は軒並み閉まっていた。
 そのせいか、朝だというのに町にはほとんど人影が見えない。

「先祖代々の土地から離れがたくて残っている住民もいますが、ほとんどがターミアまで出稼ぎに行っております。彼らは週末にしか帰ってこないので、平日は女子供、年寄りしかおりません」

 陰鬱(いんうつ)な表情をした町長・カルロ=ジャンニの説明を聞きながら、わたしたちは町を進んだ。
 最初は遠くに見えていた火山が、みるみるうちに迫ってくる。
 目的地はどうやら、イスラ山の近辺にあるらしい。

「で? 町長さんはわたしたちをどこへ案内しようとしているわけ? イスラ山? そこに何かあるの?」
「ご明察でございます。実は我々の向かっているのは湯池(とうち)――熱湯が湧き出る池です。この島の観光スポットの一つで、イスラ山の登山口にあります。ここのお湯が地下を通って各温泉場へと出る仕組みになっておるのです。さぁ、着きましたよ。今、鍵を外しますので少々お待ちを……」

 湯池は観光スポットになっているだけあって、敷地入り口には土産物屋やチケットセンターや案内所が設置されていたが、当然、今は全て閉鎖されていた。
 馬繋場(うまつなぎば)でミーティアの手綱を結び、町長に続いて無人の敷地に入る。

 そこは説明された通り、池だった。
 かなり広い。
 直径百メートルの、ほぼ円形の池を囲むように柵が設けられている。
 案内板を見る限り百度越えの熱湯がたたえられた池らしいので、確かに柵がなければ危険だろう。お湯が湧き出ていたならば、だが。
 今は湯気も出ていない。
 どう見てもただの水だ。

「ここは本来、百三十度の熱泉なのですが、ごらんの通り、水と化しています。そのせいで、町の温泉場は冷えたままなのです」

 湯池に近寄ったわたしは無造作に柵を越えると、その場にしゃがんで水面に手を突っ込んでみた。
 確かに冷えている。十五、六度といったところだ。
 それにしてはこの臭い……池のはずなのになぜか微かに磯の香りがする。

 考えにふけったその瞬間、後ろから背中を押されたわたしは、あっけなく池に落ちてしまったのであった。

 ◇◆◇◆◇

 なに? 何が起こったの!?

 ゴボゴボゴボゴボ。
 池に落ちたなら浮上すればいいだけだ。
 着衣水泳(ちゃくいすいえい)で動きづらいのは確かだが、その程度、泳ぎも達者なわたしには何の障害にもならない。

 ところが、どれだけ上を目指して泳いでも水面に辿りつけない。むしろ沈んでいる。
 おかしいと思って周囲を見回すと、いつの間にやら強烈な下向きの水流が発生していた。
 どんどん下に引きずり込まれている。

『エリン、無事か!? お前を水に突き落としたのは町長だ! あいつ、何者かに操られているぞ!』
『何ですって!? そんな気配なかったわよ!?』

 突如頭の中に響いた声にテレパシーで返す。
 アルだ。大丈夫、落ち着きなさい、わたし。何があってもアルが傍についている!

 そこに、下から何かが迫ってきた。
 魚の顔に人の身体。右手に持った三叉槍(トライデント)。サハギンの群れだ。

 だが、そんなはずはない。
 今でこそ水だが、ここは本来熱湯で満たされている池だ。海棲生物たるサハギンが入ってこられるはずがない。
 そもそもサハギンは半魚人ではあるが、地上を歩くのは苦手で、基本水の中での移動しかできない。

 そこから導き出される結論は一つ。
 地下水系のどこかで海に繋がる穴が開いているんだ。
 だから水温も下がった。

 わたしは懐からピンク色の短杖(ワンド)を取り出すと、素早く魔法陣を描いた。
 水の中ではあるが、魔法陣は正常に作動する。

「マンニャブラーゴ(大渦潮)!」

 足元を中心に大渦が発生し、近寄ってきたサハギン共々、一気にわたしを水面へと押し上げた。
 空高く舞いながら、地上の様子を確認する。

 倒れた町長に対し、マリアが蘇生措置を(ほどこ)しているようだ。
 突如発生した巨大な水柱を見上げるドリトスと、宙を舞うわたしの目が合う。

「ドリトス!」
「まかせろ! よいしょぉおおお!!!!」

 瞬時にこちらの意を悟ったドリトスが、落ちてくるサハギンを空中で連続してぶった切った。
 へぇ。乱戦のときには分からなかったけど、意外とやるじゃん。

 クルクルっと空中で回転して華麗に着地したわたしは、水に濡れてビショビショの状態でマリアに駆け寄った。
 スライムが町長にまとわりついている。
 こいつが町長に()りついていたのね?
 見るとスライムは、マリアの炎熱魔法を食らって苦しそうに(もだ)えている。
 地面に横たえられた町長は、真っ青な顔をして意識を失っているが、命に別状はないようだ。

「どう?」
「じきスライムは死ぬよ。そっちは問題ない。町長もいずれ目を覚ますだろう。それよりも問題は……」
「わたしたちをここに誘い込んだ者がいるってことね?」
「そうさ。そいつは知能を持った何かだ。スライムを遠隔使役できるような能力を持っている。どうやらこの件は、あたしたちが思っている以上に深い問題を抱えているのかもしれないね」

 とそこへ、サハギンを倒したドリトスが合流する。

「何がどうなっていやがるんだ? 俺たちはどうすればいい?」
「どうするもこうするも、潜ってみるしかないわね。鬼が出るか(じゃ)が出るか。実際に潜って確認しましょ」

 わたしは不安顔をするピナルディ親子に向かって、可愛くウィンクをした。