「んぁ? ……あれ?」

 目を覚ますと、まだわたしは駅馬車に乗っていた。
 どうやら馬車の揺れに、いつの間にやら寝入ってしまったらしい。
 にしては室内が暗い。
 申し訳程度についている明かり取り用の小窓から差し込む光から察するに、夕方ってところだ。
 はて。乗るときに、昼前には隣町に着くって聞いたような気がするんだけど……。

 わたしは床に寝転がったまま、周囲をそっと確認した。
 暗がりの中、わたしとそう変わらない歳の女の子が三人、憔悴しきった顔で壁にもたれ掛かっている。

 ガラガラガラガラ……。

 馬車特有の揺れだ。
 ……待って待って待って! わたし、幌つき座席つきの駅馬車に乗ったわよね? なのに何で板敷きの床に転がされているの? 寝ている最中に別の馬車にでも乗せ換えられたってこと? 何で?

「アル? アル?」

 小声で白猫を呼んでみるも反応がない。
 白猫のアルは魔法生物なので出現も消失も思いのままなのだが、どうやら今は引っ込んでしまっているようだ。

「あの子ったらホント気まぐれなんだから……」

 このままでは(らち)が明かないと思ったわたしは、ゆっくりと上半身を起こし、女性たちに小声で話しかけた。

「あの……ここはどこですか?」
「あぁ、起きたのね。でも私たちもここがどこだか知らないの。どこに連れて行かれるのかもね」

 白の生成りのブラウスに焦げ茶のコルセットスカートを履いた二十歳くらいの女性が代表して教えてくれる。
 髪を無造作にポニーテールにまとめた、いかにも村人然とした女性だ。

「知らない? どういうことです?」
「私たち、各地の村から(さら)われてきたの。あなたは自分がどうやってこの馬車に乗り込んだか覚えてる?」
「……いえ? たった今、目覚めたばかりなので全く」

 女性たちはしばらく目で会話をしていたが、やがて若干困惑した表情をしつつも教えてくれた。

「ほんの数時間前、突如馬車が停まったと思ったら、眠っていたあなたが運び込まれたの。私たちもそれしか知らないのよ」
「馬が何頭か来ていたようだから、おそらくあなたの乗っていた駅馬車は野盗に襲われたのね。馬車ごと睡眠魔法でも使われたんでしょう。あなたは可愛いから生かしてこの馬車に売られたってとこかしら」

 そういうことか。ってことは、この馬車はいずれどこか大きな街にでも着いて、わたしたちはそこの女衒(ぜげん)にでも売られるって寸法ね。なるほどなるほど……って納得してる場合じゃないっての! そうと分かれば一刻も早く脱出しなくっちゃ!
 
 わたしは揺れる馬車の中で立つと、この馬車唯一の明り取りになっている前方の小窓を覗き込んだ。
 十センチ四方の()(ごろ)しのガラス越しに、カラフルなワッチ帽をかぶった御者の頭が見える。
 残念ながら御者の顔は見えないが、御者の前方に繋がれた四頭の馬が結構な勢いで疾走していることは分かった。
 次に荷台の後方に移動し観音扉を押してみたが、こちらはビクともしない。錠前でも付いているのだろうか。

 馬車自体の揺れがあるとはいえ、あまりに大きな衝撃を与えると流石に御者に気付かれるわよね。目立たないように脱出するには……。

 うーん、うーん。……駄目だ、何も思い浮かばない。

 何をやろうとしているのかと皆の視線が集まるが、残念ながらそれっぽい解決策が見つからない。

「アルがいればもっと簡単にいくのに。うーん、仕方ない。だいたい地味な脱出法なんてわたしの(がら)じゃないのよね。よし、どうせなら派手にいきましょ!」
「え!?」

 不穏な言葉に、皆、ギョっとした顔でわたしを見る。
 気にせず小窓の前まで行ったわたしは、懐から愛用のピンク色の短杖(ワンド)を抜き出し、始動キーを唱えた。
 
「フィアット ルックス(光あれ)」 
  
 わたしが荷台の上で空に向かって魔法陣を描くのに合わせ、御者の右脇に直径二メートルの巨大魔法陣が現れた。
 当然のことながら、壁越しに出現した魔法陣はわたしには見えない。存在は詳細に感じるけど。
 女性たちに至っては、何が起こっているのかさっぱり分からないだろう。
 だが、流石に御者は気付いたようだ。

「はぁ!?」

 不意に自分のすぐ右隣に出現した魔法陣に驚いた御者の横顔が、小窓越しに見える。
 顎ヒゲを生やした何とも貧相なオジサンだ。

「ジガス ディ プーギョス(巨神の拳)!」

 バキャバキャバキャバキャ、ドッカァァァァァァァァァァンン!!
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあああ!!」

 毛むくじゃらで、人の背丈をすら越えるほどの巨大な拳が、荷台の前方の壁を派手にぶち壊しながら右から左に向かって高速で通り過ぎた。
 壁が綺麗さっぱり無くなって、一気に視界が開ける。
 御者台は空だ。

 御者? さぁ? この速さだし、どっかにすっ飛んでったわよ。

 無人の御者台に悠々と座ったわたしは、馬の手綱を取ると後ろに向かって話しかけた。 

「とりあえずこのまま道なりに走り続けますけど、道を知ってる方なんていませんよね?」
「分からないわ。皆、遠いところから連れてこられたから」
「ですよね……」

 多少なりとも落ち着いたのか、囚われていた女性たちは御者台の真後ろにやってくると、おっかなびっくりといった表情で馬車の外の景色を見た。
 左右ともに遥か遠くまで金色の小麦畑が続いている。
 今のところこの一本道を走り続けるしか(すべ)は無いようだ。 

「私はアデーレ。二十歳よ。よろしくね」

 最初に話し掛けてくれたポニーテールの女性が、揺れに注意しつつわたしの右隣に座った。
  
「エリン=イーシュファルト、十六歳です。よろしくお願いします」

 続けて、左隣に二人座る。
 この地方の女性特有の服装なのか、スカートの色こそ違うものの、アデーレと似たような恰好をしている。

「私はブリギッテ。こっちはコルネリアよ。どっちも十九歳。よろしくね、エリン」
「こちらこそ」

 ブリギッテが青いスカートで、コルネリアが濃緑のスカートだ。 

「夜までに次の街に着けるといいんですけど。とりあえず、このまま進んでみましょう」

 わたしは女性たちを安心させるように、笑顔で馬を駆った。