蒼天のグリモワール 〜最強のプリンセス・エリン〜

 ドラゴンが棲むというガラティオ山に入って三十分。
 一定距離ごとにセンシングしつつ進んで来たのだが、思ったより早く反応があった。
 討伐隊は、山の入り口付近の洞窟に避難していたのだ。

「みんな生きてる? 怪我をしている人はいない?」
「だ、誰だ!? 助けがきたのか?」

 光の精霊が照らし出した洞窟の中には二十人ほどの人影があった。
 皆どこかしら怪我を負っており、五体無事な者は一人もいないが、思っていたより元気そうだった。
 思わずホっと胸を撫でおろす。

 と、還暦間際といった感じの、禿げた頭に包帯を巻いた頑固そうな保安官が立ち上がった。

「ワシがこの隊のリーダー・ゴダンだ。アンタは? 街から来たのか?」
「わたしはエリン。『女神のまどろみ亭』の親父さんから頼まれて来たんだけど、ディオンさんはいるかしら?」
「お、俺です!」

 出てきたのは純朴そうな顔立ちをした体格のいい青年だ。
 白のシャツに茶色のズボン。濃茶のブーツを履いて、胸には流星マークのバッヂを付けている。
 典型的な保安官の恰好だ。
 だが、左腕に巻いた包帯が血で真っ赤に染まっていて実に痛々しい。

「ちょっとあなた! 結婚式を明後日に控えた新郎さんがこんな所で怪我していたら駄目じゃない! 新婦さんが泣くわよ?」
「あぁ、まぁそうなんだけど、今の俺は保安官として市民を守る責務があって……」
「ならそっちはわたしが引き受けるわよ。とりあえず全員治すわよ?」

 懐からピンク色の短杖(ワンド)を取り出したわたしは、宙に魔法陣を描いた。

女神の祝福(デェ ベネディクティオ)!!」

 直後、目を開けていられないほど(まばゆ)い光が洞窟の中を照らした。
 そして、眩しさが去ってみると――。

「す、凄い! 傷が跡形もない!」
「治った! 治ったぞ!!」
「あんなに深い傷だったのに……」

 体力まで一気に回復したからか、人々が興奮して叫び出す。
 そりゃそうよ。わたしの魔法の腕はそこらの国の大神官をも超える。
 この程度の人数の怪我を一瞬で治すなど、朝飯前よ。

「ドラゴン退治はわたしが引き受けるから、皆は山を降りてくれる?」
「ちょっと待ってください。退治じゃありません、説得(せっとく)です。彼女が何を怒っているのかをまず探らないと」
「はぁ? 説得ですって!? あなたたち、怒れるドラゴンと話をしようとしていたの? そりゃ大怪我するわけだわ。生きてるのが不思議なくらいよ。……で? あちらさんはなんて?」
「いや、それが頭に血が上っているのかまったく会話にならなくって。あはは……」
「それじゃ、骨折り損のくたびれ儲けじゃない!」
「面目次第もない。が、対話をあきらめたくない」

 ゴダンが深々と頭を下げる。
 討伐隊の他のメンバーも同じ気持ちのようで、沈黙がその場を占める。

「皆、あれだけの大怪我を負ったのに、まだ対話を試みようっていうの? 甘ちゃんすぎるわ。……分かったわよ。一度だけね。それで駄目なら容赦なく退治するからね」

 洞窟を出たわたしの後を、ディオンを先頭に討伐隊がぞろぞろと着いてくる。
 振り返ったわたしと目が合う。
 
「ちょっとちょっと! なんでみんなして着いてくるのよ」
「いや、ほら、ドラゴンを説得するのに人手が必要かなぁと」
「邪魔よ! とっとと街に帰りなさい! だいたい、あなたを花嫁さんのところに送り届けるためにここまで来たっていうのに!」
「なら同行者はディオンだけにして、我々はおとなしく帰る。お嬢さん、これはコイツの最後の任務なんだ。悔いの残らぬよう最後まで果たさせてくれぃ。頼む!」

 頭を下げるゴダンの後ろにその他大勢たちがズラっと並び、揃って頭を下げた。
 圧が! 圧が凄いってば!

「あーもう分かったわよ! 連れて行くから皆はちゃんと帰るのよ!!」
「おう!!」
「じゃあディオンさん、早速行くわよ! 結婚式まであまり時間がないんだから。案内よろしく!」

 そんなわけで、急遽、花婿のディオンを伴ってのドラゴン退治……もとい、説得に変更になったのであった。

 ◇◆◇◆◇  

 洞窟から更に山を二時間ほど登って、空に星が瞬く頃にようやく山頂まで辿り着いたわたしたちは、売店の陰からそっとドラゴンの様子を見た。

 朝日を拝む目的で夜間登山する人が多いのか、頂上広場には何か所か照明が点けっぱなしにしてあり、この時間でも思ったより明るい。

 そんな中、広場のど真ん中に、藁やら木っ端やら瓦礫やらを集めて作られたらしき巣があった。
 形は完全に鳥の巣だが、ドラゴンの巣だけあって大きさが半端ない。
 全長十メートルのドラゴンがスッポリ入るサイズだ。
 というか、スッポリ入っている。なう。
 
「え? なんで広場のど真ん中にドラゴンの巣が?」
「あれが自撮りのフォトスポットになっているんです。普段のドラゴンはとっても温厚でしてね。自分越しのドラゴンと雲海。これが評判がいいんですよ」
「普段温厚なドラゴンが、なんで街を襲うほど怒っているのよ」

 グルルルルルル……。

 臭いで感づかれたか、牙を剥きだしにしたレッドドラゴンが低めの唸り声を上げながらジっとこっちを見ている。
 ちょっと手前でミーティアを降りて、そこから歩いて登ってきたのだが、やはり獣だけあって臭いに敏感なのだろう。

 一度は撃退したものの、討伐隊が夜闇に紛れて襲撃してくるのを警戒していたのかもしれない。

「よし。ともかくちょっと行ってくる。ディオンさんはここで隠れていて。ヤバいと思ったらとっとと逃げるのよ?」

 懐からピンク色の短杖(ワンド)を取り出したわたしは、ドラゴンに向かって歩きながら宙にササっと魔法陣を描いた。
 距離約二十メートル。

「コルプス コンフィルマツィオ(身体強化)!」

 攻撃力アップ・防御力アップ・速度アップ・回復力アップと、様々な効果を付与する光がわたしを包み込む。 
 常時まとっている防御魔法もあるんだけど、今回は重ねがけ。
 ま、念のためってやつよ。

 ドラゴンは、近づいてくるわたしの様子をじっと(うかが)っている。
 まさに一触即発(いっしょくそくはつ)
 ともあれ一応約束をしたことだし、話し合いを試してみることにする。

「初めまして、ドラゴンさん。わたしはエリン。エリン=イーシュファルト。通りすがりの超絶美少女よ。なにやら苛立っているようだけど、良かったら理由(わけ)を聞かせてもらえない? 何か助けになれるかもしれないわよ?」

 わたしはドラゴンに向けて、とびっきりの微笑みを向けた。
 不意にドラゴンの口内に炎が生まれる。
 ドラゴンがゆっくりと口を開くと、そこに炎の玉が揺らいでいる。
 見ただけでわかる。あの火焔は千度を超えている。まともに当たれば即死だ。

「問答無用と。しゃーない。一回殴って正気に戻してやるとするか」

 次の瞬間、ドラゴンがわたしに向かって燃え盛る炎の塊を放った。
 猛スピードで飛んでくる。

「どっせぇぇぇぇぇいい!!」

 ドラゴンに向かってダッシュしたわたしは、右手に短杖を持ったまま、左手で火焔弾を(はら)った。

 火焔弾が当たった瞬間、わたしの左腕に魔法による絶対防御壁が現れる。
 わたしが常時展開している防御壁だ。

 この防御壁のお陰でわたしの着ている黒ゴスロリ服には毛ほども傷が付かないが、その代わり、弾いた火焔弾はさっきまで隠れていた売店目がけて真っすぐに飛んだ。
 横に払ったつもりだったが、火焔弾のスピードが思った以上に早かったのだ。

 ドッカァァァァァァアアアン!!
「あ……」

 轟音を立てて売店が空高く吹っ飛ぶ。
 ありゃりゃあ。
 でもこれはあくまで事故。わたしのせいじゃない。
 そもそもこれは、討伐隊の任務上の事故であって、責任も賠償もそちらが負うべきだわ。

 売店破壊の責任をあっさりとうっちゃったわたしは、宙に素早く魔法陣を描いた。