ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ。
 ゴロゴロゴロゴロ……ガガガァァァァァァアァァン!!

「きゃあ!」
 キュィィィィィ!!

 洞窟の入り口から降りしきる雨の様子を眺めていたわたしは、雷の音にビクっと肩をすくめた。

 山越えをするべく銀色の巨大ヒヨコ(パルフェ)――ミーティアに乗って登山道を進んでいると、不意に雨がポツリときた。
 雨風をしのげそうな場所を探しつつパルフェを急がせたわたしは、やがて洞窟を見つけて慌てて避難した。
 その途端の激しい雷雨だ。

 ほんのタッチの差で濡れネズミをまぬがれたが、洞窟とは名ばかりの、岸壁にできたただの大きめの窪みだ。
 ミーティアとわたしがかろうじて濡れずに済む程度のスペースで、奥行きはせいぜい四メートル。
 風防壁を貼って雨風が入らぬようにはしたものの、雷の光が丸見えのこの状況は、わたしはともかくミーティアが怖がってしまう。

「ほぉら怖くない、怖くない。落ち着いて、ミーティア。わたしがついているからね」
 キュィィィィ。キュィィィィィ。

 わたしはミーティアの首を優しく抱きしめ、頭を撫で続けた。 
 これが思いのほか早く効果が出て、ミーティアの顔が段々と(ゆる)んできたかと思うと、やがておなかを地面に着け、目を閉じてコックリコックリとやりだした。
 そのふわっふわの身体の温かさについウトウトしてきたわたしも、いつの間にか夢の世界に入ってしまった。

 ◇◆◇◆◇ 
 
 天空の王国・イーシュファルトは、魔法使いでもあった初代国王・マティアスが悪魔王ヴァル=アールと契約してできた国だった。
 といって、イーシュファルトが邪悪な国だったというわけではない。

 そもそも超越者である彼ら悪魔は、善悪などという概念を持ち合わせていない。
 彼らは力であり、現象にすぎない。

 我々人間が勝手に神だ悪魔だ精霊だと呼んでいるだけで、その力をどう扱うかは契約した人間次第ということだ。
 現に、イーシュファルトにおいてヴァル=アールは国の守護者という立場だった。

 わたし――エリン=イーシュファルトが国の最重要文化財たる魔導書『蒼天のグリモワール』を始めて見たのは三歳のとき――国の神事(しんじ)でのことだった。

「……これ、悪魔の声?」

 王侯貴族や大臣、神官らが聖堂に一堂に会して国の行く末を占っていたのだが、父王・テオドールはその際、悪魔の棲むという瑠璃色の表紙をした魔導書と会話をしていた。
 魔導書の声を聞けるのは、代々の王だけだ。

 王が各議題について魔導書より託宣(たくせん)をたまわり、それを参加者に伝えるという流れなのだが、なぜか二階の桟敷席(さじきせき)にいたわたしにも悪魔の声が聞こえたのである。
 母である王妃と乳母も同席していたが、気づいたのはわたしだけだ。

 途端に、退屈な神事がわくわくのイベントに変わった。
 ひょっとしたら伝説の悪魔に会えるかもしれないと思ったわたしは、期待満々でオペラグラスを覗いて会場中悪魔の姿を探しまくったが、残念ながら最後まで悪魔の姿を確認することはできなかった。

 すかされて落胆したわたしではあったが、一つだけ大きな収穫があった。

「魔導書から光の糸が伸びている……。ひょっとしてあれ、糸電話?」

 出席者の誰も――父王さえも認識できていないようだったが、なんと魔導書から魔力で織られた細い光の糸が一本、糸電話の糸のようにどこかに向かって伸びていたのである。

 どうやら声の主は、書を拡声器(スピーカー)にして別の場所で喋っているようだと悟ったわたしは、早速探検におもむくことにした。

 その夜、 寝入ったふりをして部屋を抜け出したわたしは、警備兵の巡視をかいくぐり、城の中を行き交うメイドたちをやり過ごし、やっとのことで聖堂まで辿り着いた。
 額の汗を拭き拭き、にんまり笑う。
 
「よーし、ここからが本番。冒険の始まりだ!」

 聖堂の片隅にあった秘密の扉をくぐり、その奥の隠し通路を通ったわたしは、(ほこり)やら蜘蛛の巣やらで髪から服からひどい有り様になりつつ、やがて宝物庫の中に出た。
 当然のことながら、それは正規のルートではない道筋だった。
 そりゃもう大興奮よ。

 整然と積まれた金銀財宝や宝剣宝具、絵画やオブジェなどには目もくれず、まっすぐ糸を辿(たど)り、古書が整然と並べられた本棚まで行き着いたわたしは、そこに置かれた真っ白な背表紙の本に手を伸ばした。
 光の糸がそこから出ていたからだ。
 途端に、本の中から焦ったような声が聞こえてくる。

「ちょっと待て、ちょっと待て! おいお前、テオドールの娘・エリンだな? お前、この本を手に取ることの意味が分かっているのか? ってあぁもぅ、聞こえているわけないか!」
「聞こえているよ? やっぱり昼間父さまと話していた声だ。ここでしゃべってたのね。糸電話なんか使って横着(おうちゃく)しちゃ駄目だよ?」
「な!? お前、契約も交わしていないのにボクの声が聞こえているのか? 感応でボクを認識するには早すぎるだろうが!!」

 本はポンっと小さな音と煙を立てると、白猫へと変化(へんげ)した。
 背中に天使の羽根を生やした二足歩行の猫だ。
 実にやんちゃそうな顔つきをしている。
 そのぬいぐるみのような容姿に、わたしは大喜びで白猫を抱き締めた。

「きゃぁぁぁ! 可愛い! 本が猫さんになっちゃった!!」
「痛い! 苦しい! もうちょっと優しく扱え! 子供は加減を知らないから嫌いだ! っていうかもう完全に(さわ)れているじゃねぇか! お前、三歳だろう? どうなってやがるんだ!?」
「そんなこと言われたって分かんないよ、えっと、アル……だっけ?」
「ヴァルだ。ヴァル=アール。あぁ、舌足らずなのか。まだ子どもだもんな。あぁいいよ、アルで」

 白猫はまじまじとわたしの顔を覗き込んだ後、ニタァっと笑った。

「ボクもずいぶんと長いことこの国(イーシュファルト)にいるが、これほどの才能に出会ったのは初めてだ。群を抜いている。……よし、エリンって言ったな。ボクがお前を鍛え上げてやろう」
「え? 嫌だよ、面倒くさい」
「ガキが面倒くさがるな。才能ってのは何もしないでいると()びつくだけなんだよ。鍛えてなんぼなんだ。ボクに任せておけ。お前を最強にしてやる!」

 こうして、国の守護者たる悪魔王ヴァル=アールと(よわい)三歳のわたし――エリン=イーシュファルトとの奇妙な師弟関係が始まったのであった。
 
 ◇◆◇◆◇ 

「おい、エリン起きろ。雨はすっかり止んだぞ」
「んあ?」

 背中に天使の羽根を生やした二足歩行の白猫アルが、わたしの身体を揺すっていた。
 わたしが起きたからか、寄り添っていたミーティアも目を覚ます。
 思ったより時間が経ってしまったようだが、まだ日は(かげ)っていない。
 これならなんとか、日が暮れる前に次の街に着けそうだ。

「出会った頃の夢を見たわ、アル」

 わたしは伸びをしながらアルに話しかけた。

「宝物庫で会ったときのことか? ずいぶんと懐かしいな」
「そうね。あの時からアルはわたしの師匠であり、友達であり、ペットだったんだよね」
「ペットは余計だ。せめてパートナーと呼べ、エリン」

 わたしとアルは雨上がりの澄んだ空気の中、ニィっと笑い合ったのであった。