この世には『悪魔の書』と呼ばれる魔導書がある。

 その名の通り悪魔の力を秘めた凶悪な本で、所有者に絶大な力を与える代わりに周囲にまでも影響を及ぼし、混沌と破壊とをもたらすという。

 ここに、世にはびこる悪魔の書を消滅させるべく旅をする一人の少女がいる。
 その名は、エリン=イーシュファルト。
 天空に浮かぶ伝説の王国・イーシュファルトの王女にして、最強の悪魔の書『蒼天のグリモワール』の持ち主である。

 悪魔の書を使って国を丸ごと石化させ、逃走した従兄妹・レオンハルトを追って、聡明で人並外れて美しく、武芸も魔法も最強を誇る超絶美少女エリンの旅は今日も続く……。

「……てな感じ、どうよ」
「あっはっはっは! うんうん、ぽいぽい。悪くないんじゃない?」

 銀色のパルフェを駆るわたしは、パルフェの背でふんぞり返った二足歩行する白猫――悪魔王ヴァル=アールと笑い合った。

「特に、自分で超絶美少女とか言っちゃうあたり、実にエリンらしいよ」
「あら、間違ったことは言っていないわ? わたしは並外れて美しいし、それでいて最強だし」
「はいはい。美人だし、ボク自ら鍛えただけあって最強であることも否定しないけど、エリンはもうちょっと悪者に対して優しさを見せてもいいと思うけどな。問答無用でボッコボコにするのは程々にした方がいいよ」
「はぁぁい。善処しまぁぁぁす」

 蒼天のグリモワールの写本を一冊残らず焼き尽くすまで、わたしの旅は続く。
 終わりはまだまだ見えない。
 だからわたしは、いつでもニッコリ微笑むのだ。不安と焦燥を吹き飛ばすために。
 だって、美少女ヒロインがメソメソしてたら、モブの方たちが悲しむでしょ?

 ということで、次なる冒険のはじまり、はじまりぃぃぃぃ!
 
 ◇◆◇◆◇ 

「ちょおぉぉっと待ちなぁぁぁあ!!」

 木々の生い茂る森の中を気持ち良くパルフェを走らせていたわたしの目の前に、不意に何者かが飛び出してきた。

 ドカァァァァァァンン!! 
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」
 ひゅるるるるるるるるるぅぅぅぅぅ……ドサっ。

 走るパルフェに結構な勢いでぶつかった何者かは、空を飛んで離れたところに落下した。

「あわわわわ、()っちまっただぁぁぁぁ!!」

 乗っていた銀色のパルフェ——ミーティアに急ブレーキをかけたわたしは、手綱(たづな)を引っ張って鳥首をめぐらせた。

 そこにうつ伏せで倒れていたのは、茶色のチュニックに白いズボン、茶色のブーツを履いたわたしと同年代の少年だった。
 よく見ると、少年は右手に何か武器を持っている。

 大剣? いや、剣じゃないな。何だそれ。(くわ)? なんで鍬?
 激しい衝突の影響か、足がピクピクと痙攣(けいれん)している。

「あ、生きてる。うーん、武器を構えて『ちょっと待て』と進路を塞ぐ人物というと……。こりゃ盗賊だね。ならいいや。行こっと」
「人を轢いておいて『行こっと』って、どういうことだぁぁぁぁあ!!」

 少年は勢いよく起き上がると、持っていた鍬を振り回しつつパルフェの前に立ちはだかり、盛大に文句を言った。 
 あらあら、鼻血が垂れているわ。
 それにしても、パルフェって平均時速四十キロは出るのよ? ぶつかったら高さ六メートルから落下したのと同じくらいの衝撃があるのよ? タフねぇ……。

「無事で良かったわ。で? 用件は?」
「え? えーっと……何だろ。金目の物を置いていけ?」
「やっぱり盗賊じゃない。もう一回轢いてほしい?」
「違う! 武力で物品を強奪しようっていうんじゃない。慰謝料を置いていけと言っているんだ」
「直前で飛び出されたら避けられるわけないじゃない。それは当たり屋でしょ? そんなの盗賊と変わらないわ」
「うーん、返す言葉もないな。どうしたもんか。……よし、実力行使に出るとしよう。覚悟しろ!!」

 鍬を構えるも少年はかなりのへっぴり腰で、どう見ても殺しに慣れた様子がない。
 打撲による身体の痛みもあるのだろうが、それにしては手が震えすぎだ。
 他人に武器を向けることを怖がっている節がある。
 
 わたしは無言でパルフェから飛び降りると一瞬で少年に近づき、黒のゴスロリ服を華麗にひるがえしつつ左の後ろ回し蹴りを放った。
 少年の鍬が一撃で吹っ飛ぶ。
 何が起こったか理解できないのか、武器を失った少年が鍬を振りかぶった格好のまま呆然と立ち尽くす。
 
「あ、あれ?」
 ヒュっ!

 回転の勢いのまま少年のがら空きの腹に拳を叩き込もうとして誰かが割り込んだ。

「お兄ちゃんをいじめないで!!」

 不意に現れた小さな影に当たる直前で、わたしの拳が止まる。
 見ると、おさげの女の子が少年をかばうかのように両手を広げ、立ちはだかっている。
 見た感じかなり幼い。

「フィーネ!」
「ハインツ兄ちゃん!」

 どうやら二人は兄妹らしい。
 年齢はハインツがわたしと同じ十六歳、フィーネが六、七歳ってところだろうか。
 二人抱き合ってわんわん泣いている。

「ごめんな、フィーネ! 兄ちゃん、何も手に入れられなかったよ! お腹空いているだろうにごめんな! ごめんな!!」
「いいんだよ、ハインツ兄ちゃん。野菜くずのスープはまだ残っているよ! ほぼお湯で味はほとんどないけど、あたし頑張れるよ!」

 ぐぅぅぅぅぅぅぅ。
 ぎゅるるるるるる。

 抱き合って泣いている兄妹のお腹が盛大に鳴る。
 
「どうしろっていうのよ、これ」

 わたしは思わず頬を引きつらせながら、空を仰ぎ見た。