私はなんて事をしてしまったんだろうと、後悔に苛まれたのは泣き疲れて気を失うように眠ってしまった次の日の朝だ。

 目が覚めるとフレッドが寝落ちしたアンリの世話をしてくれたのか、きちんとベッドの上で布団を肩まで掛けて眠っていた。それにあれだけ泣いたにも関わらず、目元は腫れずに済んでいる。きっとアンリをベッドまで運んでくれた後、フレッドが濡れたタオルで冷やしてくれたのだろう。
 昨日、あんなに声を上げて泣いたからか、胸の中で渦巻いていたモヤモヤはすっかり消えている。

 視線を這わせるとフレッドはどこから持ってきたのか、ベッドの側に椅子を置き、椅子に座ったまま布団も掛けずに眠っている。
 もしかしてアンリが夜中、目を覚ましても一人にしないように、こうして側に居てくれたのだろうか。

 一年以上、フレッドと共に過ごしてきたが、フレッドがアンリの前で無防備に眠っている姿を見るのは初めてで新鮮だ。いつもどこか大人びているフレッドも、寝ている時は年相応の表情でなんだか可愛らしい。
 風邪を引いてしまわないか心配で、フレッドを起こしてしまわないように注意を払ってアンリが使っていた布団を掛ける。

「んっ、…あれ、寝てた」

 しばらく寝顔を眺めていると、フレッドは唸りながら何度か目を擦る。そして目が開いたフレッドと目が合う。

「あれ、起きてたの?」
「うん、ちょっと前に。それより、体痛くない?」
「大丈夫だよ。アンリの方はどう?少しは気持ち、落ち着いた?」
「うん、昨日はごめんね。それから、ありがとう」
「どういたしまして。今日の夕方からは予定通りに行けそう?」
「私は大丈夫だけど…、フレッドは?あまり眠れてないんじゃない?」
「僕は平気だから、気にしなくていいよ」
「そう?それなら良いけど…。今日は一回でもフレッドと一緒に踊れたら良いな」

 そう、今日はついにソアラ家で舞踏会が開催される日だ。お父様にフレッドと二人で参加してくれないかと頼まれた日からあっという間に二週間が経っていた。舞踏会の開催は夕暮れだ。ただ、アンリとフレッドは少し早めの時間に来て欲しいとクイニーから言われていた。

「僕となら毎日一緒に踊ってたでしょう?」
「そうだけど、それは練習でしょう?」
「じゃあとりあえず朝食を取って、しばらくゆっくり過ごしたら準備しよっか」

 食堂は一階にあり、二枚扉の先には大きなテーブルが部屋を占拠するように置かれ、八脚の椅子が並ぶ。アンリが先にカトラリーの並ぶ席に腰掛けると、フレッドは奥の厨房へと入っていく。

 しばらくして戻ってきたフレッドの背後にはワゴンを押すメイドがいる。
 メイドはアンリとフレッドの席にベーコンやスクランブルエッグ、サラダなどが盛られた皿を置くと、数種類のパンが入ったカゴも共に置く。
 フレッドはワゴンに乗せられていたティーポットを取って、湯気の立つ紅茶を二つのカップに注ぎ、それぞれの席に置くとアンリの隣の席に腰掛ける。

 フレッドはこうしていつも紅茶を淹れてくれる。朝のこの時間、使用人達は揃って忙しい。そんな負担を少しでも軽減するためという意味もあるが、純粋にフレッドが淹れてくれる紅茶が一番美味しいのだ。

 アンリとフレッドは毎朝、決まって二人で朝食を食べる。朝は両親の仕事の都合上、一緒に朝食を食べることが出来ない事が多く、自然と朝食の時間は二人になるのだが、元はと言えば、この広い食堂で一人朝食を取る事に抵抗があったアンリにフレッドが合わせてくれたのだ。

 食事を終え食後の紅茶を飲み干すと、アンリとフレッドは二階に上がってすぐの二枚扉の先にある書庫へ入る。
 書庫には背の高い本棚がたくさん並び、一人用から数人で利用出来るものまで、いくつかのテーブルや椅子が並ぶ。書庫といえば暗いイメージを想像しやすいが、オーリン家の書庫は太陽の光を纏う温かく居心地の良い空間で、アンリとフレッドにとってお気に入りの空間でもある。

「どう?その本。一応アンリが好きそうなモノを選んでみたんだけど」
「まだまだ序盤だけど、すっごく面白いよ」

 アンリが読み進める本は先日、フレッドにおすすめの本として紹介して貰った本だ。フレッドは読書好きで、様々な種類の本を読み漁る。それ故、どんな本を紹介されるのかと思っていたが、フレッドはアンリにとって読みやすく、最後まで楽しめる本を選んでくれた。アンリが最後まで読み終わり次第、フレッドと感想を言い合う約束をしているため、その時間も楽しみだ。

 時々会話を交わしながら読書を進めるとあっという間に数時間が経つ。そろそろ準備に移ろうかと書庫を出るとフレッドは自室へ、アンリはドレスルームへ向かう。

 フレッドの部屋は元々、三階の使用人達の部屋が並ぶ一角にあったが、爵位を継ぐと決めた数日後にはアンリの部屋の隣に空き部屋としてあった部屋に引っ越してきた。その部屋はオーリン家に引き取られたフレッドのために用意した部屋だったらしいが、フレッドはその部屋を使わずに、三階の使用人専用フロアの一室を使っていたらしい。
 だが爵位を継ぐと決めたことでお父様からほとんど強引に部屋を移動させられた。そして今ではフレッドが使っていた三階の部屋はルイの部屋となっている。

 ドレスルームにはたくさんのドレスが綺麗に並べられ、奥の化粧台では数え切れない程の化粧品が並べられている。室内では既にメイド達がドレスの手入れやメイク道具の準備をしていて、やって来たアンリを化粧台の前の椅子に座らせる。

「ではメイクとヘアセットから始めますね」
「本日はどのようなイメージになさいますか?」
「えっと…、今回もお任せで」

 メイドの一人はメイク、もう一人はヘアセット、そしてもう一人のメイドは二人のサポート役としてアンリをどんどん変身させていく。彼女達には何度か、こうしてヘアメイクをしてもらった事があるが、何度見ても三人は手際がよく、無駄な動きを見せずにテキパキと進めていく。

「出来ましたよ」
「ありがとう」

 メイクはメイド曰く瞳のブルーを際立てるメイク、髪型は三つ編みのハーフアップだ。
 メイド達はいつでもこうしてアンリに似合うメイク、ヘアセットをしてくれる。だからこそ、いつも彼女達に甘えてお任せしてしまうのだ。

 そしてそのままメイド達にドレスを着させてもらう。今日のドレスは足先まで隠れるブルーのカクテルドレス。シンプルなデザインだが、薄らと花の刺繍がされていて上品な雰囲気だ。

「とても素敵です」
「お嬢様はブルーがよくお似合いになりますね」
「どこか、苦しいところはありませんか?」
「平気よ。いつもありがとう」

 今日はいつものように屋敷を走り回ることは出来ないと心に言い聞かせる。もし万が一、裾を踏んで転んでしまえば大変だ。

 ドレスルームを出ると、準備を終え燕尾服を身に纏ったフレッドとタイミングよく鉢合わせる。しかしお互いの姿を視界に入れると互いに足を止めてしまう。

 思い返せばフレッドのこういう姿を見たことが無い。少し前までは執事服であるモーニングコート、最近は学園の制服や寝間着姿ばかり目にしていたから、ヘアセットまでしてピシッと決めた姿のフレッドを見ると不思議な感覚に包まれる。

「とても綺麗…だよ」
「ありがとう。フレッドもすっごく似合ってる」

 なんだか改めて口にすると気恥ずかしい。フレッドも同じなのか、露わになっている耳が真っ赤になっている。

「えっと、とりあえずお父様達の部屋に行こっか」

 これからお父様とお母様は揃って別邸の方に向かう。詳しくは聞いていないが、何か特別な用事があるらしく、数日間は屋敷を空けるらしい。

 お父様達の部屋の扉をノックし扉を開けると二人は出掛けるための支度をしている最中だったようだが、アンリとフレッドの姿を見ると手を止めて引き入れてくれる。

「とっても素敵よ、アンリ」
「お母様、ありがとう」
「貴方も似合っているわ、フレッド」
「ありがとうございます」

 アンリとフレッドを眺めていたお父様は感慨深そうに声を出す。

「二人とも、立派になったな」
「ふふ、本当にそうね。二人とも、つい最近まで小さな子供だった気がするのに」
「子供の成長は早いものだな」
「こんなに立派に育ってくれて、二人は私達の誇りね」
「あぁ」

 お父様とお母様は愛おしいものを愛でるような視線をアンリとフレッドに向ける。両親に誇りだと言ってもらえるのは嬉しいが、やっぱり恥ずかしい。フレッドも気恥ずかしいようで、そんな照れを誤魔化すように話を振る。

「あの、お二人はいつ頃、戻られるのですか?」
「ん?そうだな、予定通りに進めば一週間後の夜には戻るよ」
「そうですか」
「それまではフレッド、アンリ、屋敷のことを頼むよ」
「はい」
「うん!」
「さぁ二人とも、そろそろ出発の時間だろう?気をつけて、楽しんでくるんだよ」
「はい、行って参ります」
「行ってきます」

 フレッドと共に部屋を出ようとするとお父様は「そうだ、フレッド」と呼びかける。

「アンリのこと、頼んだよ」

 そして今度はお母様がアンリを呼ぶと笑いかける。

「フレッドのこと、お願いね」

 お父様とお母様は微笑むと再び「行ってらっしゃい」とアンリとフレッドを送り出す。そんな二人にアンリとフレッドももう一度「行ってきます」と答えると部屋を後にした。

 お父様達の部屋を出て一階に降りるためには階段を使わなければいけない。ただ初めて着たロングドレスは足下が見えないため、どこに段差があるのか分からない。つま先で段差を探すが、なかなか一段目の段差が見つからない。
 そんなアンリの隣を歩いていたフレッドは、アンリが慣れないロングドレスで階段を降りられない事を察すると手を差し出す。

「アンリ、僕の手を掴んで」

 フレッドの温かい手にアンリは手を重ねる。するとフレッドは一歩ずつアンリのペースに合わせてゆっくり階段を降りてくれる。

「フレッドは優しいね」
「どうして?」
「だっていつも私が困っていると、気がついてくれるでしょう?」
「うーん、困ってたら気がづくのも手を差し出すのも当たり前の事じゃないかな」

 本当にフレッドは優しい。フレッドは当たり前の事だと言うが、実際困っている人が居ても手を差し出せない人が大半だろう。

 ホールまで降り、玄関の扉を開けるとルイは屋敷の目の前に馬車を停め、馬車に繋がれた馬と触れ合っていたが、すぐにアンリとフレッドに気がつく。

「わぁ、二人ともお似合いですね」
「ありがとう。ルイ、送迎よろしくね」
「任せてください」