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 それからの毎日は学園に通い、授業を受けながら舞台の練習とダンスの練習を両立する日々が始まった。
 フレッドとダンスの練習をするのは楽しいし、演劇以外の授業はアンリと同じベーシックレベルで授業を受けるミンスと常に一緒だ。それに休憩時間や放課後は別館に行けば必ず誰かが居てくれるから寂しくない。

 それでも問題はアンリが一人になる演劇の時間だった。

 制服では無く、ジャージのような動きやすい服装に着替えて集会室へ向かうと既に数人の学生が集まっていた。どうやらまだキューバは来ていないらしい。

 アンリはすっかり定位置となった端っこに座りサッチェルバッグから台本を取り出す。台本に書かれた先生からのアドバイスに目を向けていても、周囲から嫌な視線を感じる。
 いつもなら女学生達の会話は小さく、アンリに話の内容までは聞こえてこないが、今日はまるでアンリに聞かせたいのか、大声だ。

「あの子ってさ、理事長の娘なんでしょう?何か裏で手を回して主役になったんじゃ無い?」
「ねー、絶対そうだって」
「それにあの子ってソアラ様達といつも一緒に居るんでしょう?あの子ばっかりチヤホヤされちゃって」
「そうよ、彼らが居なければ他にろくに友達も居なくて独りぼっちじゃない」
「えぇ、なによりあの子を見ていると気取っているみたいで腹立つわ」
「先生はあの子の発声練習をベタ褒めしていたけど、演技は下手に決まっているわ」
「確かに、あの子が舞台の上で恥を掻く姿は面白そう」
「いつも良い所ばかり持って行くんだもの。たまには痛い目を見たって、どうって事無いでしょう」

 本当にイヤらしい。どうしてどの世界に行っても、こういう時の女子は面倒なんだろうか。

 最初の授業、アンリが主役に選ばれた事で上級生から嫌みったらしい攻撃を受けたとき、同級生はまだアンリに慈悲の心を向けていたと思う。
 だがそれ以降の授業、基礎練は二年生は変わらず上級生とペアになる。そこで何を話したのか、揃って意気投合したようで今では二年生の女学生すらアンリの敵となっていた。
 別に女友達が欲しいとは思っていないけれど、敵として扱われるとなんとも言えない。

 その後、女学生はキューバを含めた他の学生達がやって来ると再びコソコソと自分たちだけに聞こえるような会話に戻る。

 先生もやって来ると女学生達は揃って顔色を変え、早足に先生の元へ集まる。
 そして軽い挨拶の後、ペアでの基礎練が始まる。アンリはキューバと共に発声練習に滑舌、軽い筋トレを済ませる。

 前回の授業では裏方に選ばれている人はそれぞれ打ち合わせをし、配役に選ばれている人はセリフの立ち読みをしていたが、今日から配役に選ばれている人は実際に体を動かすのだ。

「オーリン、台詞を少しは覚えられましたか?」
「はい、台詞や動きは一通り覚えました」

 主役は自ずと一番舞台に立つ時間が長く、台詞も多い。アンリは授業で演技の練習に集中できるように、昨日の夜までに台本を読み込み、台詞や一通りの動きは覚えていた。

「そう、一番台詞量が多いにも関わらず素晴らしい。でも必要があればメモが出来るように台本は近くに置いておきなさい」
「はい」
「他の役者もなるべく早く台詞を頭に入れなさい。台詞が入っていなければ、演技指導も思うように出来ませんからね」
「「はい!」」

 アンリ達が本格的な練習を始める前に先生と舞台監督チームによってバミリが行なわれる。バミリというのは演者の立ち位置や大道具の配置場所にテープを貼っていく事だ。見た目は地味な作業だが、とても大切な作業だ。

 そんな作業を横目に、配役に就いているアンリ達は互いに集まり様々な確認をしていく。アンリが今回の舞台、主に関わるのは準主役であるキューバとカリマーだ。
 カリマーは第一印象では一見物静かで意見をあまり言わなそうな、どこか弱々しい雰囲気だったが、一度話してみると柔らかい雰囲気で話しやすい人だった。そんなカリマーは台本を読み始めると一気に雰囲気が変わるのだ。

「アンリちゃん、こんな長い台本をこんな短期間で覚えるなんてすごいね」
「キューバ先輩、ありがとうございます」
「いつも台詞を誰よりも早く覚えてくるのはカリマー先輩だったのに、今回は先輩も負けましたね」
「別に争うことでは無いと思うけど。それに僕だって九割の台詞は覚えているよ」
「相変わらず早いですね」
「重要な役割なら尚更、台詞は早く覚えておくべきだよ」
「頑張りまぁす」

 バミリが終わり、集会室の床には数種類のテープが貼られている。
 そしてすぐ実際の舞台をイメージして演技の練習が始まるが、今日は一つ一つ丁寧に指導を受けながら稽古が進む。アンリは舞台を降りたタイミングを見計らって先生からのアドバイスを事細かに台本に書き込む。

 実際に体を動かしているとあっという間に時間は過ぎていくし、アンリには舞台上の状況、そして指導している先生や舞台監督の男子学生の声しか入っていない。おかげでアンリのことを悪く思っている学生のことは気にならない。

 今日は動きを確認する事が目的だったため、特に注意を受けることなく授業は終わる。
 アンリは先生やキューバやカリマーに「お疲れ様でした」と挨拶をして集会室の扉の方を見る。だが、扉の周辺には授業が始まる前、アンリを悪く言っていた人達が集まっていて、彼女達は話しに夢中になっていて当分出て行く気配はない。

 だが今はまだ先生もいる。さすがに直接何かを言われたり、手を出される事は無いだろう。アンリは一つ深呼吸すると、彼女達の側を気配を消して歩いて行く。

「うざ」

 女学生の一人がアンリにしか聞こえない程の小さな声でそう吐き捨てた。
 突然のことに驚き女学生の表情を見ることは出来ないが、吐き捨てられた言葉が忘れかけていた、かつての妹の存在を思い出させる。
 足は震えながらも、ほとんど無意識のうちに集会室から出ていくが、アンリの心はすっかり凍り付いていた。