伯爵令嬢になった世界では大切な人に囲まれ毎日が輝く2

「アンリ様、お疲れ」

 衣装から制服に着替え、大講堂を出る。中央広場でみんなと食事を取っていた時は青空だった空はすっかりオレンジ色に染まっている。
 ザックは壁に寄り掛かるように立ち、常に鞄の中に入れて持ち歩いているらしい本を読みながらアンリを待っていた。

「待っててくれてありがとう」
「舞台、みんな絶賛していたよ」
「ザックくんはどうだった?」
「良かったよ。それに普段のアンリ様とはまた違う新しい一面だったな」

 先生に続き、ザックにも褒められるとアンリの頬は素直に緩む。

「疲れていると思うが、行けるか?」
「うん、大丈夫だよ」
「じゃあさっさと終わらせるか」

 舞台が無事に終わり一安心だが、まだアンリには仕事が残っている。仕事と言っても校内を一周歩くだけで、途中で何かあればその都度声を掛けたり、注意する程度のモノで、今朝貰っていたバインダーに挟んであるチェックリストを元に見回りするのだ。

 模擬店が建ち並ぶ中を歩いて行くが、今朝に比べると活気は少なくなっている。
 それもそうか。あと一時間もすれば模擬店の営業時間は終わり、後夜祭の準備の時間になるのだから。

「そこ、ゴミはゴミ箱に入れるように」
「ちぇ、めんどくせぇ」
「…おい、眼鏡の奴の隣に居るの、オーリン様だろ」
「マジか…。すいませんでした…」

 学生への注意はほとんどザックがしてくれる。大抵の来場客や学生は大人しく従ってくれるが、時々反論したり無視する人もいる。だが不思議とアンリの顔を見るとハッとした表情で慌てると、大人しく従ってくれる。そのおかげでこの見回りも穏便に終わるだろう。

 本館に足を踏み入れると教室によっては既に片付けを始めている所もあるようだ。

「特に問題なく、見回りも終わりそうだな」
「うん、そうだね」
「にしても学祭に一日参加するなんて、去年の私達なら想像できなかったな」
「ザックくん、改めて舞台見に来てくれてありがとう。それと、実行委員にザックくんが一緒に選ばれてくれて良かったよ」
「いきなりどうしたんだ?」

 突如、改まって礼を告げるアンリに驚いたザックは足を止める。だが何か特別な理由があって礼を告げたわけじゃ無く、ただ正直に思った事を言っただけだ。

 もし実行委員に選ばれたのがアンリだけなら、今頃見知らぬ学生達と見回りをする事になっていた。それどころか実行委員に選ばれても遠慮していたかもしれない。もし一緒に選ばれたのがザックでは無くクイニーやミンスなら、それはそれで楽しめたかもしれないが、仕事はまともに進まなかっただろう。

「特に理由は無いんだけど、急に言いたくなったの」
「そうか。でも確かに私もアンリ様が同じ実行委員で良かったよ。短い時間だけでも二人で居られるのが嬉しいよ」
「ザックくん?」

 足を止めたまま、窓の外を見るザックは一呼吸置くとまるで過去を思い返すように語り出す。

「私は自分で言うのもアレだが、幼い頃から冷静で落ち着いた子供だと言われていたんだ。子供に似合わず大人びていると。ミンスや周りの子息達がはしゃいでいても、私だけはいつも冷静で大抵は彼らの仲裁役に回っていた」
「でもそれもザックくんの個性でしょう?」
「…あぁそうだな。でも子どもは正直だ。ミンスやクイニー以外の奴らは退屈だと言って去って行ったよ」
「…」

 ザックは淡々と告げるが、きっと幼い頃のザックは少なからず傷ついたことだろう。ありのままの姿で過ごしていたら退屈だと言われ、見捨てられるなんて…。ザックの過去を知らなくても、想像しただけで胸が苦しくなる。

「悪い、別にこんな話をしてアンリ様にそんな顔をさせたいわけじゃ無いんだ。ただ一つ、伝えたいことがあって」
「伝えたいこと?私に?」
「不思議なんだ。アンリ様と一緒に居ると皆達と一緒に居る時とは違った楽しさがある。もっと側に居たいと思うんだ。こんなに心を揺さぶられる事、初めてだよ」

 ザックは真っ直ぐにアンリのブルーの瞳を見つめると静かに名前を呼ぶ。

「アンリ様。どうやら私はアンリ様に一人の女性として惹かれているらしい」